令和の米騒動
序
Aは、会社帰りに立ち寄ったスーパーで、妙な光景を目にした。
棚に米がない。いつもは無造作に積まれている10キロ袋が影も形もない。わずかに残るのは「高級コシヒカリ2キロ」のみ。値札には普段の三倍の数字が躍っていた。
「やれやれ」
とAはつぶやいた。
その隣で、背の曲がった老人Bが、新聞を片手に肩をすくめていた。
「やれやれどころじゃないよ。米は株より高い宝になった。あんたも早く確保しておきな」
新聞の見出しには「米買い占め続出」「政府は備蓄十分と強調」の文字が踊っていた。
Aはスマホを取り出し、ニュースを確認した。SNSの画面は「米が消えた!」の叫びで埋め尽くされている。
――ただの一時的な不足だろう。
Aはそう思った。だが、周囲のざわめきは妙に落ち着きがなく、不安だけが空気のように広がっていた。
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破
数日後、事態はさらに悪化した。
スーパーの前には長蛇の列ができ、2キロの米袋を巡って口論や小競り合いが絶えなかった。
若い母親Cは、ベビーカーを押しながら涙声で言った。
「子どもの離乳食がいるんです。なのに転売屋が全部さらっていってしまう」
政府は「在庫は十分」と繰り返したが、棚は空のまま。米は「あるが、届かない」状態になっていた。
Aは、思わずBに尋ねた。
「どうしてこんなことになったんです?」
「世界の農地が気候で荒れて、輸出国が米を絞ったんだ。そこへ投機筋が群がり、国内の農家は高齢化で減った。結果、倉庫には米が眠っているのに、庶民の口には入らない」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿じゃない。むしろ人間らしいじゃないか。欲望と恐怖で動くのが、人間ってものだ」
列に並ぶ人々の顔は、皆こわばっていた。
助け合いを口にする者ほど、両腕に米袋を抱えていた。
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急
やがて米の取引は地下に潜った。
ネットでは10キロ袋が車並みの値段で売られ、路地裏では「白い粉」のごとく小袋で取引された。
ある夜、AはSNSで皮肉な書き込みを目にした。
「民主主義は選挙で揺らぐ。だが腹は米で揺らぐ」
Aは笑うこともできず、画面を閉じた。
ほどなくして政府は緊急放送を流した。
「全国民一律・米配給制を実施します。各人の口座に、毎月の“米ポイント”を付与します」
だがAは首をかしげた。自分のスマホに届いた通知はこうだった。
【あなたの米残高:0.75ポイント】
【譲渡・売買は不可。ただし将来的にデジタル通貨との交換を予定】
Aはようやく気づいた。
――米は、ただの主食から、新しい通貨に変わったのだ。
Bはにやりと笑った。
「言ったろう。株よりも米が高いってね。これで政府も、飢えも、両方コントロールできる」
Cはスマホを見つめ、唇をかんだ。
ベビーカーの子どもは、眠りながら小さな口を開けていた。
かつて白い粒だった米は、令和の世で、人間の欲望と管理を測る灰色の数字になった。
翌週、スーパーの棚は再び満たされていた。
ただし、袋には大きく印字されていた。
「政府認証・配給専用米」
誰もがそれを受け取り、黙って列を進んだ。
笑う者も、怒る者もいない。ただ静かに、数字を信じて米を受け取るだけだった。




