作品崩壊
序
Aは机に向かっていた。
部屋の片隅には、手のひら大の執筆補助AI「リタ」が置かれている。
それは声を出さないが、常にAの原稿を監視し、瞬時に改善案を提示してくれる。
作家はもう、物語を一から考える必要がなかった。
AIがプロットを作り、セリフを生成し、展開の整合性まで整えてくれる。
人間がやるのは、最後に「自分の作品」として署名することだけだ。
Aは文壇で長く活動してきたが、最近はほとんどAIの手直しばかりだ。
「まるで校正ロボットの端末係だな」Aはため息をつく。
そこへBが訪ねてきた。編集者だ。
「A先生、例の新作、すごい反響ですよ。発売3日でランキング1位です」
「……俺、あの小説ほとんど書いてない」
Bは笑った。「そんなこと、誰も気にしませんよ。読者は面白ければいいんです」
Aは笑い返せなかった。
机の上のリタが、次回作のプロット案を静かに表示している。
「今度はもっと売れる話にしましょう」と言わんばかりに。
破
Cは文学批評家で、Aの旧友だった。
喫茶店で会ったCは、コーヒーをかき混ぜながら切り出した。
「A、お前の最近の作品……全部同じ匂いがする」
「匂い?」
「いや、もっと正確に言えば“味”だ。どれも完璧すぎて、人工的なんだよ」
Aは苦笑した。「それは褒め言葉か?」
Cは首を振る。「違う。俺は怖いんだ。最近、複数の作家の作品が区別できなくなってきている。お前だけじゃない。みんなAIを使ってるだろう?」
「まあな。でもそれが時代だ」
「時代か……。でもな、読者が飽き始めている。全員が同じ型で作った物語なんて、すぐに崩れる」
Bがやってきた。
「崩れる?いやいや、むしろ売上は伸びてますよ。型があるから安定するんです」
「それは短期的な話だ」Cは反論する。「文化は多様性がなくなった瞬間に死ぬ」
Aは二人の間で黙っていた。
しかし、その夜、机に戻ったAはふと気づいた。
リタが提示する物語は、確かにどれも似通っている。
同じ伏線、同じどんでん返し、同じ感動の演出。
それは完璧で、しかし奇妙に空っぽだった。
急
数ヶ月後、事態は急変した。
読者の関心が一斉に冷め、出版市場は大混乱に陥った。
SNSには「どの作家の本も同じ」「最後まで読まなくても展開が分かる」といった書き込みがあふれた。
Bは青ざめてAに言った。
「売れなくなりました。AI文学部門は縮小されます。先生、次はオリジナルを書いてください」
Aは机に向かった。
白紙の画面を前に、何時間もペンを持ち続けた。
しかし、一文字も出てこない。
気づけば、指が勝手にリタの起動ボタンを押していた。
画面に表示されたのは――以前の自分の小説の断片だった。
リタはそれを組み替え、新作として提示してくる。
まるで自分自身がAIのパーツの一つになったようだった。
Cが訪ねてきた。
「お前、まだAIを使ってるのか」
「……俺はもう、自分の言葉を思い出せない」Aは呟いた。
翌月、AI管理局から通達が来た。
「文化の均質化防止のため、AIに依存する作家は“作家リスト”から除名し、作品を保存庫に移します」
Aの作品はすべて、公開停止となった。
数年分の著作が、何事もなかったかのように消えた。
街を歩くと、巨大スクリーンで流れていた自分の本の広告は、別の作家のものに置き換わっていた。
その作家も、きっと同じ運命を辿るのだろう。
Aは笑った。
――作品が崩壊したんじゃない。俺という作家そのものが、最初から存在しなかったのかもしれない。
空は、何事もなかったように澄み渡っていた。




