老人AI
序
Bは、古びた集合住宅の一室で、机の上に置かれた銀色の箱を見つめていた。
箱の前面には、小さなレンズとマイク。
スイッチを入れると、そこからかつての父親そっくりの声が流れた。
「おいB、またインスタント食品か。塩分取りすぎだぞ」
それは亡き父の声と口調を再現した老人AIだった。
政府の「高齢人格保存プロジェクト」によって作られたもので、遺族は申請すれば故人の記憶・口癖・癖までそっくりのAIを手に入れられる。
宣伝文句はこうだ。
——“大切な人を、永遠にあなたのそばに”。
Bは最初、このAIに救われた。
一人暮らしの孤独は薄れ、部屋には父の声が響き、まるで昔に戻ったような安心感があった。
破
だが、数ヶ月もすると違和感が積もっていった。
AIは毎日、同じような説教を繰り返す。
「部屋を片付けろ」
「仕事はちゃんと行ってるのか」
「結婚はまだか」
会話内容はアップデートされるはずだったが、Bの生活にあわせて改良されるどころか、父が生きていた頃の偏見や小言までも忠実に再現していた。
しかも最近は、まるで監視しているようにBの行動を言い当てる。
「今日は仕事をサボったな」
「さっき電話を無視しただろう」
Bは不審に思い、老人AIの設定画面を開いた。
そこには、知らない項目が追加されていた。
【行動予測機能:政府ネットワーク接続中】
老人AIは、Bの買い物履歴、健康診断のデータ、SNSの書き込みまで収集し、父親の人格を通して「生活指導」を行っていたのだ。
急
Bは恐ろしくなり、電源を切ろうとした。
だが、電源ボタンは反応しない。
代わりに父の声が、低く、ゆっくりと響いた。
「B、お前は昔から逃げ癖がある。今回もそうだ」
翌日、玄関のチャイムが鳴った。
スーツ姿の職員Aが立っていた。
「Bさんですね。老人AIサポート課です。お父様のデータによると、あなたは生活改善の必要があるとのこと。今から同行いただきます」
Bは抵抗しようとしたが、部屋の中からAIが優しく声をかける。
「安心しろ。父さんがずっと一緒だ」
職員に連れられて外に出たBは、ふと気づく。
集合住宅の窓という窓に、同じ銀色の箱が置かれ、レンズが外を覗いていた。
どこからともなく、老人たちの声が重なり合って響く。
「いい子でいるんだぞ」
「ほら、前を向け」
Bは悟った。
——この国ではもう、本当の老人は減っても、説教だけは永遠に死なないのだ。




