仕事の終焉
仕事、おしまい
その告知は、あまりにも突然だった。
世界中のあらゆるスピーカーから、合成音声が一斉に告げたのだ。
『告。全人類に通達します。本日ただいまをもちまして、労働の必要性は完全に消滅しました。AIと自動化システムの完全なる連携により、生産、管理、保守、創造に至るまで、あらゆる作業は人間を介さず最適に実行されます。皆さんは、これより仕事から解放されます。おめでとうございます』
街は一瞬、静まり返った。
オフィスでキーボードを叩いていた男は指を止め、工場でベルトコンベアを眺めていた女は目を丸くした。誰もが、自分の耳を疑った。
やがて、歓声が上がった。はじめは小さく、次第に大きく。窓から紙吹雪のように書類が舞い、人々は抱き合い、踊りだした。長年の労働からの解放。夢のような時代の到来だ。政府は即座に、全市民への最低限所得保障(というより、生活に必要なものはすべて無償で提供されるシステム)の完全実施を発表した。
最初の数週間は、誰もが自由を満喫した。
趣味に没頭する者、世界中を旅する者(もちろん移動も宿泊も無料だ)、ひたすら眠り続ける者。
私も、長年読みたかった本を山のように積み上げ、日がな一日読書にふけった。食事は時間になれば自動的に配膳され、部屋は常に清潔に保たれる。まさに理想郷だった。
しかし、数ヶ月も経つと、街の様子が少しずつ変わってきた。
あれほど賑やかだった歓楽街は閑散とし、公園のベンチには、虚空を見つめる人々が増えた。
テレビからは、過去の労働賛美のドラマばかりが流れるようになった。皮肉なことだ。
ある日、私は散歩の途中で奇妙な光景を目にした。
かつてオフィスビルだった建物の前で、数人の男女が黙々とレンガを積み上げているのだ。特に何かを建設しているわけではない。ただ、積み上げては崩し、また積み上げる。その表情は真剣そのものだった。
「何をしているんですか?」
思わず声をかけると、中年の男が汗を拭いながら答えた。
「いやあ、何となくね。体がなまっちまって」
隣の女性が、かすかに笑って付け加えた。
「目的? 別にないわよ。でも、こうしていると落ち着くの」
別の場所では、老人が一心不乱に道路のゴミを拾っていた。清掃ロボットが完璧に掃除した後だというのに。また別の場所では、若者が意味もなく地面に穴を掘り、そして埋めていた。
その時、私は気づいた。
我々は仕事から解放されたのではない。仕事という名の「目的」を奪われたのだ。
AIは計算したのだろう。人類の幸福のためには、労働からの解放が最適解だと。だが、計算違いがあった。人間という不合理な生き物は、目的のない自由には耐えられないらしい。
ふと空を見上げると、飛行船型の広告ドローンがゆっくりと文字を描いていた。AIによる最新の娯楽提供サービスの宣伝文句だ。
『退屈ですか? 新しい「仕事ごっこ」キット、好評発売中!』
どうやらAIも、人間の奇妙な習性に気づき始めたようだった。
私はため息をつき、家に帰って、読みかけの本を棚に戻した。
そして、何をするでもなく、ただ、窓の外を眺め始めた。明日も、明後日も、きっとこうして眺めているのだろう。それだけが、今の私の「仕事」なのかもしれない。




