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百物語  作者: 冷やし中華はじめました


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才能の遺伝子操作サービス

22世紀、人類はついに神の領域に足を踏み入れた。「タレント・ファクトリー」社が発表した遺伝子操作サービスは、親たちの間で瞬く間に広がった。誰もが自分の子供に、最高の才能を授けることができるようになったのだ。


平凡な会社員であるAとBの夫婦も、例外ではなかった。彼らの間に生まれたCは、どこにでもいる普通の赤ん坊だった。しかし、AとBはCに、自分たちが持てなかった「絶対音感」と「卓越した数学的思考力」を授けることを決意した。多額の費用と数回のカウンセリングの後、Cの遺伝子は、ほんの少しだけ“調整”された。


数年後、その効果は驚くべきものだった。Cは3歳で複雑な数列を暗記し、5歳で初めて触れたピアノで完璧なハーモニーを奏でた。周囲の大人たちは口々に「天才だ!」と賞賛した。AとBは誇らしげだった。彼らの子供は、確かに「選ばれた存在」となったのだ。


だが、Cのような子供は、もはや珍しくなかった。隣の家のDは、生まれながらにして空間認識能力とデッサン力がずば抜けており、幼くして既に画家として名を馳せていた。通りを歩けば、完璧なリズム感で踊る子供、複数の言語を操る子供、難解な哲学書を読み解く子供など、あらゆる分野の「天才」で溢れていた。


「才能」は、もはや特別ではなかった。それは、生まれたての赤ん坊に与えられる、当たり前の「オプション」となっていた。親たちは競うようにして、我が子に最高の才能を付与させた。まるで、最新のスマートフォンのスペックを比較するように、子供たちの能力を比較し、さらに上を目指そうとした。


社会は、かつてないほどの生産性を誇った。科学は急速に進歩し、芸術は深化し、あらゆる分野で目覚ましい成果が上がった。人々は「才能に満ちた時代」だと喝采した。しかし、誰もが「完璧」であるがゆえに、どこか画一的な印象を与えるようになっていた。


Cは、成長するにつれて違和感を覚え始めた。彼はピアノを完璧に弾きこなし、数学の問題を瞬時に解いた。それは彼にとって、息をするのと同じくらい自然なことだった。しかし、そこに何の感動もなかった。周りの誰もが同じように完璧だったからだ。


学校では、すべての生徒が飛び級を繰り返し、高度な議論を交わしていた。CのクラスメイトであるEは、彼と同じく絶対音感を持っていたが、それに加えて優れた作曲能力まで持ち合わせていた。Fは、Cよりもさらに高度な数学的問題を、まるで遊びのように解いてみせた。


「君はなぜ、その曲を弾くんだい?」ある日、Cが練習していると、音楽の教師が尋ねた。

「完璧だからです」Cは答えた。

「そうか、完璧なのは素晴らしい。だが、君はその曲に、どんな感情を込めているんだ?」

Cは答えに詰まった。感情? 彼はただ、楽譜通りに、誰よりも正確に音を奏でることだけを考えていた。感情とは何だろう?彼はその言葉の意味を理解できなかった。


社会全体が、ある種の病に冒されているようだった。誰もが完璧なパズルの一部になろうとし、そのパズル全体を創造しようとはしなかった。失敗は許されず、個性は排除された。なぜなら、遺伝子操作によって与えられた「才能」は、常に「完璧な結果」を求められたからだ。


やがて、新たな問題が浮上した。「平凡」という概念が消滅したのだ。誰もが天才であるため、ごくわずかな能力の差が、絶望的なほどの格差を生み出した。例えば、絶対音感を持つ100人の子供の中で、たった一人、微妙な音のニュアンスを聞き分けられない子供がいたとする。その子供は、社会から「劣等」の烙印を押され、排除されていく。


AとBは、Cが完璧な成績を収め続けることを望んだ。彼らは常にCに、「もっと上を目指せ」「DやEには負けるな」と言い続けた。Cは、彼らの期待に応えるべく努力した。しかし、彼の心は常に空虚だった。彼は、自分が何のために存在するのか、分からなくなっていた。


Kは、そんな時代にひっそりと暮らす老人だった。彼は遺伝子操作が普及する前の時代を知る、数少ない生き残りだった。Kは、公園で完璧なデッサンをする子供たちを眺めながら、昔の子供たちの絵を思い出していた。歪んだ線、奇妙な色使い、そして、そこに込められた、純粋な感情。Kは知っていた。本当に大切なものは、遺伝子では手に入らないということを。


競争は、さらに激化した。人々は、自分たちの子供が、他の「天才」たちの中で埋もれないよう、さらなる「調整」を求めた。しかし、すでにすべての才能は付与し尽くされており、残された道は、より複雑な複合的な才能を組み合わせるか、あるいは「処理速度」や「集中力」といった、根源的な能力を限界まで高めることだけだった。


Cは、音楽の分野で限界を感じ始めていた。彼よりもさらに複雑な旋律を奏でる者が現れ、数学の分野でも、より独創的なアプローチをする者が現れた。AとBはCに、さらなる遺伝子調整を勧めようとした。しかし、Cは拒んだ。


「もう嫌だ」Cは呟いた。彼は、自分が何のために完璧であろうとしているのか、見失っていた。


ある日、CはKと出会った。Kは公園で、誰も見向きもしない雑草をスケッチしていた。

「それは、完璧ではないね」Cは言った。

Kは顔を上げて微笑んだ。「そうさ。だが、この雑草は、完璧ではないからこそ、面白いんだ」


Kは、Cに古いレコードを聴かせた。それは、遺伝子操作が普及する前の時代に作られた、どこか不完全で、粗削りな音楽だった。しかし、その音楽には、Cが今まで聴いたことのない「何か」があった。それは、喜びであり、悲しみであり、そして、不確かな未来への希望だった。


「これは、完璧ではないのに、なぜか心を揺さぶる」Cは困惑した。

Kは言った。「完璧であることだけが、価値ではない。不完全さの中にこそ、人間らしさがある」


Cは、初めて自分の意志でピアノを弾いた。彼が奏でたのは、誰かの完璧な楽譜ではなく、彼自身の心の中から生まれた、不完全で、ぎこちないメロディーだった。それは、かつて彼が感じたことのない、新鮮な感情を伴っていた。


だが、社会は容赦なかった。不完全なCの演奏は、瞬く間に「劣等」と評価された。AとBはCをなじり、周囲の「完璧な天才」たちはCを嘲笑した。Cは、自分が社会の基準から外れてしまったことを知った。


タレント・ファクトリー社は、さらなる遺伝子調整を発表した。それは、「幸福を感じる閾値の引き上げ」と「競争心を極限まで高める」というものだった。人々は狂ったようにそのサービスに殺到した。もはや、才能だけでは不十分だったのだ。彼らは「幸福」と「競争心」までもを、遺伝子で操作しようとした。


Cは、公園のベンチに座っていた。彼はもう、完璧な演奏も、高度な計算もできなかった。しかし、彼の心は、かつてないほど穏やかだった。彼は、不完全な自分を受け入れ、小さな雑草の美しさにも気づくことができた。


やがて、タレント・ファクトリー社は倒産した。あまりにも多くの人間が「完璧」になった結果、誰もが同じような思考回路を持ち、新たな発想が生まれなくなったのだ。社会は停滞し、進歩は止まった。


人類は、自らの手で「個性」という最も尊いものを手放してしまった。そして、かつて「天才」と呼ばれた人々は、もはや何の感情も持たない、完璧な人形のように虚ろな目をしていた。

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