Jの選択
この国では、自己責任が国是とされた。
自由と責任は表裏一体。すべての結果はあなた自身の選択。だからこそ、社会は公正で、平等なのだと。
Jはその思想を信じて疑わなかった。高校時代から努力を重ね、名門大学を卒業し、一流企業に入社した。貧困や不幸は、努力の足りない人間が招いたものだ。そう信じることが、Jの人生を支えていた。
ある日、街角で物乞いをする老人に出くわした。痩せこけ、服はボロボロ。だがJは足を止めない。
「その年まで何してたんです? 自己責任ですよ」
心の中でそう呟きながら通り過ぎる。
社会の景色が変わり始めたのは、会社が買収された翌年だった。
合理化。構造改革。言葉は洗練されていたが、意味するところはひとつだった。
Jはリストラされた。
それでもJは信じていた。「次がある。能力のある人間には必ず居場所がある」
だが現実は非情だった。年齢、経験、前職の肩書き。どれも仇になった。
職安で若者に混じって列に並ぶ。あれほど蔑んでいた人々の中に、自分がいる。
数ヵ月後、貯金は尽き、家賃を滞納し、アパートを追い出された。
「自己責任……だな」
Jは自嘲気味に呟いた。
だがそれでも、プライドは残っていた。生活保護? そんなものに頼るのは、敗者だ。努力が足りなかった者の逃げだ。
彼は公園のベンチで暮らし始めた。
ある夜、空腹に耐えかね、Jはゴミ箱を漁った。かつてスーツを着ていた男が、今は腐った弁当を手にしている。
そこへ警官が現れた。
「ここで何してる?」
Jは答えない。警官は顔をしかめ、無線で誰かを呼び出す。ほどなく、福祉の職員がやってきた。
「支援施設に行きましょう。住まいも食事も用意できますよ」
Jは一瞬ためらったが、首を横に振った。
「結構です。……これは、自分の責任ですから」
職員は困惑した表情で去った。
翌朝、公園のベンチでJの死体が発見された。
死因は餓死。
ニュースはこう伝えた。
《元エリート会社員、自己責任を貫き死亡》
ネットでは賛否が飛び交った。
「立派だ」「バカだ」「美学だ」「無様だ」
だが一週間もすれば、誰も彼のことを話題にしなくなった。
Jの選択は、静かに、そして完璧に忘れ去られた。
(了)




