かつては騎士学校首席だった私も、落ちぶれて後輩のお嫁さんになってしまってな
三年の間世話になった女子寮に別れを告げ、夕暮れの中、愛用のエストックを軸に、背負い袋を担ぎ上げる。
これからしばらく持ち上げっぱなしになるが、随分断捨離したおかげか、あまり重さは感じない。
長旅でも何の問題もなく運んでいけそうだ。
「先輩!」
もはや聞きなれたと言うのもおかしく思うほど、この二年間で馴染みすぎた声。
上ずって、少しだけ抑揚の外れた声色が、それだけで彼の表情を伝えてくれる。
「なんだリンゼ。お別れは式で済ませたはずだぞ?」
「あんなの、ダメですよ……俺、あんなんじゃ、先輩のこと割り切れないです」
振り向けば予想通り、くしゃくしゃにゆがんだ後輩の顔があった。
目元に被さる黒髪の下、手の甲で拭われた水滴が夕焼けで一瞬瞬いて落ちていく。
相変わらず、感情豊かで可愛いやつ。
そんな表情をされたら、私まで感傷的になってしまうじゃないか。
「先輩、いつも言ってたじゃないですか……自分はなすべき事を全力でなし遂げるだけだって。こないだの試験だって首席だったし、卒業まであと半年なのに、なんで……」
「……他にやるべき事ができたんだよ。説明はしただろう」
「実家に戻れだなんて、そんな急な知らせに従わなくてもいいじゃないですか!」
困った。こうなった彼は、納得するまでわがままを押し通そうとするからね。
馬車の出発まで、もうあまり時間はないんだけれど、このまま喧嘩別れのようになってしまうのも、なんだか忍びない。
ここはひとつ、彼が納得して独り立ちできるように、私があやしてやるべきかな。
「なあ、リンゼ。私たちは何者だ?」
「……? あなたはユリアナ・シル・アイギスで、俺は」
「名前じゃないよ。立場を聞いているんだ」
とはいえ、少し気取りすぎた質問だったね。
もう少し、平易な言葉遣いをすればよかったかな。
だけど、そんな風に、私が反省している間に、彼も何やらハッとしたような顔になった。
思い当たることがあるようだ。
「俺たちは騎士です。まだ、見習いですが」
「その通り。では、騎士がなすべき責務とはなんだ?」
「それは……」
彼も、答えが思い当たらないわけではないのだろうね。
当然だ、答えは学園長の挨拶がある度に、耳に入れることになる言葉だから。
「その身を捧げて、主君に尽くすことだよ。私は今、親元に求められたのさ。北の国境を守り続ける、ヴィジー・シル・アイギス伯にね」
我ながら、意地悪な言い方だと思う。
私だってこんな言葉で、彼が納得してくれるとは思っていない。
「詭弁です! アイギス伯は捨て駒の将を求めているだけだ!」
だから私は、その言葉が響き終える前に、彼にエストックの先を向けていた。
「うっ……」
背負い袋と、乱雑に抜き捨てた鞘が石畳を打ち、リンゼは一歩後ずさる。
「すまないね。ここはまだ、騎士学校の敷地内だから、許しておくれ。」
「……こっちこそ、ごめんなさい」
「いいさ。君の言うことも、全く的外れなわけじゃない」
「だったら……!」「だから」
リンゼと私の声が重なり、私たちは視線を躱し合う。
君のその凛々しい顔立ちに、晴天の青空のように澄んだ瞳に、そんなうつむき加減は似合わない。
だから、少し注目してもらおうか。
君も、私がこんな風に、抜き身の剣片手に、結んだ髪を鷲掴みにしてみせれば、目をやらずにはいられないだろう?
「せめて私も、覚悟を見せよう」
「先輩! ダメです!」
許せ、我が後輩よ。
私も君と同じくらいには、人の忠告を聞かないんだ。
こうするのが正しいと信じているから。あとは一思いにやらせてくれ。
そう思って、私はエストックの根本の刃で赤いポニーテールを切り落としてみせた。
「騎士学校生としての私は、ここで終わりだ。これより私はアイギス伯の騎士であり、それ以外の何者でもなくなった」
「そんな……」
それは、もう話すことは無いという意思表明。
彼もわかってくれたのか、私を強く引き留めようとするしぐさを見せることは無く、ただその場に崩れ落ちている。
このまま背を向けて去ってみせれば、かっこもつくかもしれないが、それでは、あんまりにも自己満足がすぎるかな。
彼なら、きっと大丈夫だろうけど……一応、もう一言だけ残しておこうか。
「もし、私が生きて戻ってこれたら……その時は」
「待ってください!」
「…………」
そうか。自己満足は、こちらの方だったか。
君の気持ちはわからないが、酷いことを言ってしまったね。
君がそういうのなら、もう私から言えることは、ないんだろう。
だったらせめて、君がこれから健やかに暮らせるように、私を忘れて生きられるように……
「もし……いえ、必ず! 先輩が生きていたら、その時は」
「……ふむ」
彼は両腕をピンと張って、力むように両手を握りしめ、苦しそうに俯いている。
何を言うつもりか、予想はつかないけれど、君は随分葛藤しているようだ。
いいだろう、聞こうじゃないか。もしその言葉で私の意思を揺るがせるというなら、やってみせるといい。
「俺と、結婚してください!」
「もちろん……ほえ?」
それは、想定外、だな?
◆◆◆
冷え切ったブーツで踏みしめる、土も芝生も石畳も、等しく雪に埋もれた冬の王都。
あろうことか……あろうことにだ!
私は今、実家から遠く離れた王都にいる!
「ははは……」
経緯を説明するのは簡単だ。
あの日、突然の告白に大層動揺しながら曖昧な返事をしてリンゼと別れた私は、足早に馬車乗り場へ向かった。
とにかく私は、すぐさま運賃を払い、すぐさま馬車に乗り込み、すぐさま一番奥の席に引っ込み、顔を背負い袋にうずめて隠した。
気持ちの整理をしたかったからだ。
はっきり言って、リンゼの告白は想定外だった。
騎士学校時代の私に、男女の違いを考える意識はなかった。
ふだんから、異性も混じった部屋で雑魚寝もしていた。
実技試験も手加減無しでやってもらっていたし、そもそも一番近くにいたリンゼが私をそういう目で見ていると思っていなかった。
みたいな感じに、余裕のなかった私は気付かなかったのだ。
「まさか、帰りの馬車賃が尽きるとは……」
そう、私は大急ぎで馬車に乗ったせいで、あろうことか北のアイギス領とは正反対の南側に行ってしまい、苦労して戻ってくる頃には……
「おかげさまで、私にはもうこれしかない……」
北へ戻る運賃の立替で、背負い袋すら失って。
両手に抱えたエストックを眺めつつ、私は途方に暮れてしまっていた。
「しかし……本当にどうしよう」
エストックを売り払わなかったのは、これさえあれば金が稼げると思ったからだ。
けれど、衣類をおろそかにしていては、このまま凍死一直線だろう。
夜になる前に、どこかで暖をとらないといけない。
一度騎士学校に戻ろうか?
いや、ダメだ。私の身分を証明する方法がない。
途中で合流する予定だったお迎えさんとは連絡が取れていないし、あの日にしっかり退学手続きは済ませてしまった。
何より、こんな姿を学友たちに見せられない。
もし、現状の情けなさを知り合いに見られでもしたら、アイギス家の名誉にまで関わる問題になる。
それに、騎士学校に戻ったらきっと、後輩がすぐに駆けつけてしまうだろう。
「先輩?」
そう、ちょうどこんな感じの顔をした美青年が……が、が、が?
「人違いです」
「え、いや、ユリアナ先輩ですよね!? そうですよね!?」
「違います。声かけないで」
「いや、見間違えるわけないですよ! 何があったんですか!?」
ダメだこいつ。
違うって言ってるのに私がユリアナだと信じて疑わない。
よくよく考えろ、元騎士学校首席がこんな所で浮浪者みたいに凍えてるわけないだろ。他人の空似だよ。
ていうかこのまま彼に捕まるくらいなら死んだ方がマシだ。
このエストックで君も殺して死んでやろうか。
「そうかアイギス伯は……負けてしまったから」
「……え?」
なんだそれは、初耳だぞ。
アイギス伯ってことはお父さま? が、何に負けたって?
「ご存じないのもしょうがないですよ。今朝方届いた知らせですから。アイギス伯は、ご家族そろって討ち死になされたと、王宮より通達がありました」
沈痛な面持ちで俯くかつての後輩の姿を見て、それが嘘でないのだと確信する。
頭の中が真っ白になって、自分が致命的な間違いを犯したことに気づいた。
私は、間に合わなかったのだ。騎士学校にまで招集のかかった、国境防衛戦に。
ご家族そろってということは、お母さまも共に死んでしまったのだろう。
弟は、国外にいるから、もしかすると無事かもしれないが。
となると、すでにアイギス伯の領地は敵の手に墜ちているわけで。
つまりは、帰るべき場所がなくなってしまったということで。
「……なあ、リンゼ」
「はい」
「私は……一族の恥さらしだ」
私は、その場に膝を折り、エストックに寄り添いながら崩れ落ちる。
疲労とか寒さに耐えられなかったわけじゃない。
ただ、ショックなのだ。
使命感に駆られておきながら、想定外の方向に空回りした上に、親の死に目に立ち会えなかったことが。
「いいえ、そんなことはありません。こうしてちゃんと、帰ってきてくれたじゃないですか」
折った背中を抱きしめられて、下がった体温が上昇していくのがわかった。
怒りや照れなんていう、激情を抱いたわけじゃない。
心の中から湧き上がるのは、どうしようもない羞恥心だ。
「今は、俺の家に来てください。一緒に温かいご飯でも食べましょう」
申し訳ありませんお父さま。
私は今、物凄く申し訳のない気遣いを、後輩にさせてしまっています。
あなた方の要請に応えられなかっただけでなく、全くの別件でボロネズミのようになって、後輩に拾われようとしています。
自分が情けなくて、涙が出てきてしまいました。
「先輩!? 大丈夫ですか!?」
もし、お家を継ぐ権利が誰かにあるなら、まだ生きてるかもしれない弟に全部あげてください。
私は騎士でもなんでもない、まぬけなボロ雑巾です。ほんとうにごめんなさい。
◆◆◆
そんなこんなで王都に付いて一晩経ち、温かい暖炉の炎と十分な食事にありついたあと。
「えっと……先輩?」
「殺してくれ」
私は今、床板に頭をこすり付け、リンゼの前に伏せている。
いわゆる土下座というやつだ。
「事情はわかったので、頭をあげて下さい」
「私が頭を上げるのは、首だけになって領民の前にさらされる時だ」
私は私が思っていたよりも生き汚かったらしく、自分で命を絶つことができなかった。
そこでリンゼにお願いしてしまおうというわけである。
今なら、まだ事情を知る知り合いが一人で済む。
ここでなら、まだ誇りのために死ねる。
「……殺せ殺せって、そんなこと言う前に、まず約束を果たしてくださいよ」
「約束?」
はて、何のことだろうか。
「はい、約束しましたよね。無事に帰ってきたら結婚してくださいって」
「ほえ?」
一瞬頭が真っ白になった後、彼の言うことを理解した。
「い、いやいやいや、今は違うだろう!?」
「違いません、先輩は確かに約束しましたし、生きて帰ってきてくれたじゃないですか」
「いやそれは、そもそも行ってないからっていうか」
「どっか行って帰ったなら、そりゃ生きて帰った判定ですよ」
「それは君の中だけだろう!」
第一、私は君の告白に対してきちんと返事を返したわけじゃないだろう。
そりゃうっかりもちろんとは言ったけど、あれはもちろんダメだとか、もちろん約束できないとかそういう方面にも発展する可能性のある語彙で。
「じゃあ聞きますけど、俺と先輩との約束に他に介入する人が居るんですか?」
「いやそりゃ……お父さまとか」
「お父さま死んじゃったじゃないですか。なんなら昨日国葬でしたよ」
「嘘!? なんで教えてくれなかったんだ!」
「聞かれなかったからです」
心の中に浮かんだ言い訳すら吹っ飛ばす事実を急に伝えてくるんじゃないよ。
要請が届いた瞬間行方をくらませて、親の葬式にすら出ないなんてとんでもない親不孝者じゃないか。
なんならもう部外者じゃないか。
私もう家名名乗っちゃいけないんじゃないか。
いや、だからといってそんなに軽々しくお家を移り住むわけにはいかない。
たしかに君のことはそこまで悪く思ってはいないが、段階をすっ飛ばしてお嫁さんになるわけにはいかない。
そうだな、こういうのは一つ一つ段階を踏んでやっていくべきなんだ。
そうして否定材料を積み重ねていこう。
「だったら……君のお父さまはどうなんだ!? お母さまは! 相手を選べっていわれるんじゃないか!?」
「あ、俺の家平民だからそういうのないです」
「なくても! なんかこう……あるだろ! 伝統とか、両親への挨拶とか!」
「家に帰る度先輩の自慢してたんで、多分好感度マックスですよ? ほら今だってそこのドアの隙間から見てるし」
「えっ!?」
本当だ! ほんの少し開いたドアの隙間から、二段重ねの生首が覗いている!
しかも私と目が合った瞬間一切気まずそうにせずウインクしてきているぞ。
どういうことだリンゼ。君は私の何を彼らに話したんだ。
「まあ、先輩が嫌だって言うなら……しょうがないですけど」
「いや別に、嫌ってわけじゃ……まあ確かに、君のことはよく知っているし、頼れないわけではないし、この状況で助けてくれたのが他でもない君であったことは大変うれしく思うけれど……」
「「あらあらまあ!」」
「まあじゃない! 見ないでください!」
ダメだ、野次馬もいる状況で言い訳を並べてしまったら、ますます焚きつけられてしまう。
私の論に味方する人が存在しないこの場所は、もはや敵地と言ってもいい。
応戦は絶望的。だったら、どうにかして少しでも好条件にもっていかないと。
「それで、どうします? 約束、守ってくれるんですか」
「……いいだろう。だが、条件がある」
「なんでもどうぞ」
なんだその余裕は、私が君の全財産よこせって言ってもあっさり認めてしまいそうな顔は。
そんな顔しても私は容赦しないぞ。
君がそのつもりなら、こっちにもやり方というものがあるんだ。
例え、これから生きていく上でのあてが君のところくらいしかないとしても、私は最後まで自分の誇りを捨てはしない。
「君が騎士になるまでは、結婚は保留にさせてもらおう!」
「いいですよ。では、ひとまずは婚約者ということで」
ふふふ、かかったなリンゼ。
君の騎士学校卒業までは残り二年。
別に私は、数日の宿さえ確保できればそれでいいんだ。
拠点さえあれば親戚や、領地のアイギス伯関係者を探すことができる。
お父様が国葬されたというのなら、王都にも事情を知るものが残っているだろう。
そういう人たちが私の存在を知れば、必ずお家に呼び戻そうとするはずだ。
そうなれば、君との口約束なんてものは、いとも簡単にねじ伏せられてしまうのだよ!
……まあ、もし本当にそうなったら、結構心苦しいのだけれど。
すまないが、これも領民たちのためだ。
◆◆◆
「夫、リンゼ・アイギスガード」
「はい」
「妻、ユリアナ・シル・アイギス」
「……はい」
「例えこの地が如何なる災厄に見舞われようとも、互いを愛し支え合うことを誓うか?」
「もちろん」
「…………ええ」
どうして、こうなった。
冷静に振り返れ。
あの時は確かに、彼の卒業まであと二年の猶予があったはずだ。
それがどうして、こんなことになっている。
どうして、あれから半年も経たないうちに、豪華絢爛な教会で、結婚式が開かれている。
どうして、ここまでの参列者を集めきってしまっている。
最後尾の椅子まで満席で、立ち見の人々も出してしまっている。
「うう……立派になって……」
「父として誇らしいぞ。リンゼ……」
まだ、あの時切った髪すら、伸びきっていないのに。
どうして、最前列からリンゼのご両親のすすり泣く声が聞こえてくる。
どうして、式場に小さい頃パーティーでしか見なかった親戚方の顔がある。
どうして、お父さまに仕えていた兵や領民たちを始めとした、アイギス領の人々の顔があるのだ。
いや、考えるまでもなく、答えは簡単だ。
私と約束を取り付けたリンゼが、このひと月で騎士になって、アイギスガードなんていう家名を得てしまっただけのこと。
彼が私と約束した直後、アイギス領に向かい路頭に迷う敗残兵や領民たちをまとめ上げてしまっただけのことなのだ。
「先輩……いえ、ユリアナ。よくぞここまで、やり遂げてくれましたね」
「……そうだな」
してやられた。
というのも、彼が積極的に私を旗頭に掲げてくれるものだから、つい私も調子に乗って、領民たちの指揮をとってしまったのだ。
騎士学校で学んだ兵法や帝王学をフル活用して、つい兵たちの士気を最高潮にしてしまったのだ。
お父さまは領民たちからの信望も厚かったから、敵討ちに燃える領民たちは私たちについてきてしまった。
私たちは、遅れてきた正当なる血筋の元に、敵軍に浸透されたアイギス領を奪還してしまったのだ。
「では、新たなる夫婦の誕生を祝福する口付けをもって、この式典を締めくくりましょう」
うっかりしていた。
そこまでやれば、私のみならずその隣に立つ者まで称えられるのはわかっていたはずなのに。
自分が求められたせいか、つい彼の隣で敵軍を打ち滅ぼしてしまった。
ついうっかり、彼の隣にいすぎてしまった。
「準備はいい?」
「……ああ」
もはや、真っ直ぐと優しくこちらを見据え、首を傾げる彼を止める方法は、存在しない。
少なくとも、私には止められない。
じっとそれを待ち構え、目を伏せてその瞬間を待つしかない。なぜなら……
「その結婚、ちょっと待った!」
私がその瞬間を体験する直前になって、扉が開け放たれるような音が突如として響き、式場に強い光が差し込んだ。
その中心に見えたのは、一体の成人男性のシルエット。
「姉さん! あなたほどの実力を持つ人がどうして、そんなどこの馬の骨とも知れない男と結婚するのです! 騎士学校首席で、王族との婚約もかくやと言われていたあなたが、平民の後輩なんかと……どうして!?」
ああ懐かしい。その声は確か、幼い頃から私を慕ってくれていた彼か。
自分の気持ちに区切りを付けるためにも、ここは私から説明すべきだろうか。
「ユリアナ」
そうして言葉を紡ごうとしたところで、隣から腕で制された。
リンゼが一歩前に出て、乱入者の正面に立っている。
ここは自分が矢面に立つという意味なのか、あるいはなにか別の意図があるのか。
わからないが、一つ確かなこととして……
彼の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
「さて、我が妻の傍系たるお方が未だご健在であられたこと、大変嬉しく思います」
「どの口が……」
「失礼ながら、私の送った招待状に不備はありませんでしたか? 我が義弟よ」
「なっ……!?」
指先につまんだ手紙に目をやり、全面に驚愕の色を浮かべる弟が言葉を返す暇すら与えずに、リンゼは次々畳み掛けていく。
「ご存知のことかと思いますが、今代のアイギス家当主は我が妻、ユリアナ・シル・アイギスその人です。私でも、あなたでもありません」
「だったら……!」
「もちろん私は騎士爵ですから、貴族位を持つわけではありません。所詮はただのアイギス伯関係者に過ぎないのです。あなたと同じくね」
「な、ななっ……!」
貴族相手に堂々と胸を張り、聖堂に声を響かせる彼はもう、あの日泣きじゃくっていた彼とは別人だ。
いや、あるいはあの時、私を引き留めようとしていた彼こそが、別人だったのかもしれないな。
王より騎士爵位を賜るにあたって、彼はその用兵の技量をいたく買われていたわけだし、そうした技能は、一朝一夕で身につくものではない。
騎士学校時代の彼は、私の前でだけ、猫を被っていたに違いない。
彼が得意とするのは、このように口先を用いた戦いであり、彼の本性は、根っからの策士なのだろう。
「ですから、これからはどうか協力して、彼女を支えていきましょうね」
戦後処理のしがらみが立つ前に、相手を誘って先手を打つ。
公の場で見せつけることで、此度の戦勝で勢いづいた親戚方を牽制する。
その対象が人の弟であることに目を瞑れば、酷く不安定なお家を安定させるための、見事なパフォーマンスと言えなくもない。
「ググ……それでも僕は認めないぞ……!」
だがしかし、そんな言葉を食らってもなお、弟は拳をグッと握りしめて、リンゼに立ち向かおうとしている様子だった。
例え大義が許しても、自分だけは認めないとでも言いたげに。
……少し可哀想ではあるが、ここは私からも言っておくべきかもしれないな。
「すまない、弟よ。確かに私は、期待外れなことをしたかもしれない」
「だったら……!」
「だが」
私はそこで弟から視線を切り、隣に並ぶかつての後輩の、晴天の蒼のように澄んだ瞳をじっと見つめる。
そのまま私は、彼の背中に両手を回して――
「んっ……!」
「……このように、かつては騎士学校首席だった私も、落ちぶれて後輩のお嫁さんになってしまってな」
証明はこれで十分だったのか、それともやり過ぎだったのか。
結果として、弟は膝をついて崩れ落ち、不意打ちをかけたリンゼには、邪悪な笑みを浮かべられることになってしまった。
「もう後戻りはできませんよ?」
誓いの儀式は今、果たされたのだから。
そうやって、わざわざ敬語に戻ってまで、意地悪そうに笑う旦那様に、私は臆せず答えてみせる。
「私はいつだって、なすべき事を全力でなし遂げるだけさ」
私たちは互いに歩み寄り、教会の鐘が鳴り響く。
そして、私の意識は再び、口先の甘さに吸い寄せられていく――
==おしまい==