陰姫
あの不思議な出来事から二日。
今日がついに護衛任務の日だ。
見送りには桃花も来るだろう。
桃花に渡す花の準備をし、集合場所へと向かい始める。
集合場所である陽蘭大橋へは徒歩で十五分もあれば容易に着く距離だ。
緊張の為か、なかなか家から出れず結局着いたのは集合時間から二分前になってしまった。
集合場所に居たのは桃花、朱孔、それから曹馮さん。
どうやら他の人間はまだ来ていないらしい。
「おはようございます。曹馮さん、他のメンバーはまだ着いていないのでしょうか?」
曹馮へと彼は問いかけるが、曹馮からは思いがけない言葉が返ってきた。
「これで全員だ!これから姫君を迎えに行くぞ」
まただよ、この人達は本当にいつも説明不足だ。前回同様、頭の中が疑問符でいっぱいになる。
だがここで慌てふためけば、間違いなく桃花は笑い転げるだろう。
李周は平然とした態度で曹馮へとまた問いかける。
「行のプロフェッショナルが来ると聞いていたのですが?」
「ん?あー、それは朱孔君の事だよ」
そう言われ一度は動揺するも、彼は当然納得した。
李周は、朱孔よりも強い行の使い手など今の今まで見た事がない。
だが、そうなると朱孔と二人きりなのだろうか。
可能であるならば曹馮も同行してくれれば彼も安心だろう。
いくら朱孔が実力者だとしても、二人では荷が重いのは事実だ。
「朱孔と二人での任務ですか?それとも曹馮さんもご一緒に?それならとても心強いのですが」
「もちろん私も一緒に行くよ。それに、桃花もね」
桃花も同行とは、彼は予想だにしていなかった。
姫君との合流場所まで歩を進めている一同であったが桃花と李周は顔を赤らめていた。
その姿を見て曹馮の顔は非常にニヤけている。
何があったのかと言えば、李周が桃花へと花をプレゼントしたのがきっかけだ。
問題はその花の種類にあった。
李周は秀才だが花についての知識は皆無と言って等しい。
李周が桃花に渡した花は、結婚式等でよく用いられる花だったのだ。
桃花はそれに気づき、赤くなった顔を隠す為下を向いている。
李周は状況が理解できず、花を気に入って貰えなかったのかと思っていたが、曹馮が状況を彼に説明した途端、彼も下を向いてしまった。
そんな状態がかれこれ三十分は続いたであろう時、姫君との集合場所である大使館に到着したのだった。
「ほら、みんな着いたぞ。あそこにお越しになっている彼女こそ、今回の護衛対象である陰姫様だ」
その言葉に顔をあげ、曹馮の示す方へと顔を向けるとそこには、とても綺麗で妖艶な女性が立っていた。
歳は一つ上だと聞いていたがとてもそうは思えない。
黒く長い髪を靡かせ、とても大人びており歳を聞かされていなければ二十歳くらいだと勘違いしてしまうほどだ。
「陰姫様、外交官の曹馮が参りました。この度はよくぞ陽の国へとご足労頂きました」
曹馮はそう述べると片膝をつき、両手を前に出し拳と拳を合わせる。
これは陰と陽、どちらの国でも行われている目上の者へ対する挨拶であり、それを「従」と呼んでいる。
すかさず李周と桃花も従を行うが、朱孔は分かっていない様子だ。
曹馮は慌てて朱孔に従をする様、促そうとするが。
「ふふふ、よいよい」
それを止めたのは陰姫であった。
「今日は殆ど観光目的で陽にお邪魔させて頂いているのじゃ。父上も母上もここにはおらぬ。妾も堅苦しいのは嫌いじゃ。楽な姿勢でよい」
その言葉に朱孔を除いた三人は肩を撫で下ろす。
しかしそうは言ってもここは大使館だ。
陰姫以外にも陰の国の外交官が何人かいる。
あまり無礼を働く事はできない。
それに陰姫自身も気づいたのだろう、その場を離れようとする。
「ではあまり時間があるわけでもない。早めに出かけようぞ」
今回の任務で陰姫を送り届ける場所は大使館より歩いて半日程の距離にある陽門州の劇場、亞月館だ。
どうやら亞月館の演劇は陰の国の外交官からお墨付きを頂いているらしく、それが陰姫の耳にも入ったらしい。
李周達も今回の様な機会がなければ劇場で演劇を見る事など滅多にないだろう。
棚から牡丹餅といったところだ。
それにしても大使館を出発してから一時間程は経過しているが、未だ一つの会話もない。
あの朱孔ですら言葉を選び、会話を慎んでいる。
だが誰よりもこの沈黙に耐えられなかったのは陰姫だった。
「其方ら。先程より何も喋らんのぅ。なんだかつまらぬ。別に妾に気を遣う必要などないぞ」
そうは言っても他国の姫君だ。
どうしても言葉を選んでしまい、何も話せない。
だが、何か喋れと言われたのに黙ったままでいるのも失礼だ。
究極の選択を迫られている中、そんな事お構いなしに朱孔がついに口を開いた。
「陰姫様って変わった名前だね!産まれた時からお姫様なの?」
この馬鹿!
あまりの素っ頓狂な発言に咄嗟に口に出してしまいそうになった李周だったが、案外陰姫は気に入ったらしい。
「ふふふ、あははは。そんな訳なかろうに。これはあくまで通称じゃ。しっかり蘭玉妃って名前があるぞ。まぁ語呂が悪いからのぅ。蘭玉とでも呼んでくれて構わぬ」
懐が広いお方だな、とりあえずなんとかなったみたいだ。
李周が安堵したのも束の間、彼の横では桃花が肩を震わせていた。
彼は桃花が「ツボ」に入っていると確信し口を抑えようと駆け寄るが時既に遅し。
「あはははははははは」
桃花の笑い声が森の中に木霊する。
完全に終わった、そう思い落胆している李周を尻目に桃花の笑い声と呼応するかの様に蘭玉も笑い始めた。
「ふふふふ、楽しいのぅ。愉快じゃのぅ」
「楽しんで頂けて光栄です。陰姫様」
「曹馮。お主はいつまで経っても妾を名前で呼んではくれんのぅ」
何が起きているのか未だ理解できない李周に曹馮は耳打ちにて教えてくれた。
「陰姫様は一国の姫であるがそれと同時にまだ十三歳の少女なのだ。李周君や朱孔君が適任だと思ったのはつまりそう言う事だ。外交官である私が陰姫様に対して親しくしてしまってはそれは無礼者だが、君達はその限りではない。友達だと思って接してしまって構わないと言う事だ」
そう言われてもなぁ。
こんな調子で何事もなく任務が終わるのか。
先が思いやられ、頭の痛くなる李周であった。
閲覧ありがとうございます。
ついに陰姫様の登場です。
明確には書いてないですが黒髪ロングのパッツンで目は吊り目です。
完全に私の趣味です。




