月桂樹
風の流れに野鳥の囀りが入り混じるこの林道では、陰国の姫君である陰姫もとい蘭玉妃御一行が陽門州へと足を運んでいる最中である。
その姿を遠巻きに木陰から尾行する者がここに一人。
「陰姫様を発見致しました。護衛の数は少年が二人、少女が一人、中年の男が一人の四人です。どうしましょう?」
青年は誰かにそう語り掛けるが、声は非常に小さく口は全く動いていない。
それどころか周囲には青年以外の者は誰もいなかった。
だが青年は続け様にこう答える。
「御意」
その僅かな声に李周は反応した。
しかし極めて微かな声であり、それは鳥のさえずりにかき消さてしまう。
だがその鳥のさえずりは次第にさえずりと呼べるものでは無くなっていく。
『ギャオォォォオオオ!!!』
間違いない、この鳴き声は陰邪の者だ。
李周、朱孔、曹馮は瞬時に臨戦態勢へと移るが視界に映り込んだ陰邪は普段の陰邪とは少し様子が違う様だ。
鳥型の陰邪が一体。
以前、学校で李周を襲い朱孔が返り討ちにしたのと同種の陰邪である。
が、陰邪はどの種も基本的に紫がかった色をしているのに対し、目の前にいるそれは赤味を帯びている。
しかし今はその様な事を気にしている場合ではない。
朱孔が両手の平を合わせると炎の元素が発生し、それが瞬く間に槍状へと圧縮されていく。
一般的に元素を何かの形に形成させる事は容易ではないと言われているが、朱孔は物心がついた頃にはそれが出来ていた。
本来ならば学校に通い習う事ではあるが、人里離れた地で暮らしていた朱孔は、動物を狩る為にこれを自力で会得していたのだ。
彼はその高密度な炎の槍を躊躇いなく陰邪へと向けて放つ。
「炎槍!!!」
ブォファァーーーン!!!
とてつもない音と共に炎槍は陰邪へと当たり、陰邪は炎へと包まれる。
李周と曹馮はその様子を見て安堵するが、彼は違っていた。
ーーーおかしい。
炎槍の射出速度と高密度により齎される硬度があれば陰邪など簡単に貫ける筈だ。
だが目の前の陰邪は火だるまになっているだけだ。
こいつはいつもの陰邪とは何かが違う。
何か根本的な・・・・・・。
「みんな!こいつまだ死んでない!気をつけて!」
言うや否や既に陰邪は朱孔の放った炎を纏ったまま彼の真横まで移動してきていた。
ーーー早い。
現在の位置関係として炎槍を放った朱孔が先頭、その後ろに曹馮が控えており、後方にて李周が陰姫を守る形をとっている。
なぜ自分がスルーされたかは分からないが、次に狙われるのは間違いなく曹馮であろう。
再び両手を合わせ元素を貯めながら、曹馮の方へと振り返るが陰邪は既に曹馮をも通り抜け李周の元へと向かっている。
朱孔は通常ではあり得ない事に一瞬思考が停止するが、李周はそうではなかった。
ーーー恐らくこの陰邪は何者かに操作されている可能性が高い。
あり得ない事だが今の状況ではそう考えざるを得ないだろう。
ならば狙いは蘭玉で間違いない。
彼は自身の左後方に控える蘭玉の方へと身体を半身ずらそうとするが、彼の人間離れした動体視力が現実を突きつける。
ーーーこいつ、俺と目があってやがる!
理由は分からぬが狙いが自分である事を悟った李周は左右の手を上下に構え、陰邪を受け止める構えを取る。
「ぐぉぉぉおおおお!!!」
驚くべき事に彼は陰邪の開いたクチバシを両手で受け止めたのだ。
その状況に周りも驚愕するが、何よりも一番驚いているのは李周本人であろう。
火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか。
陰邪の攻撃を素手で受け止めるなど当然産まれて初めての事だ。
彼の脳内はアドレナリンに満ちていた。
しかし、それでも陰邪に素手で立ち向かうなど無謀な事であり、少しずつ後退りしていく。
「李周とやら。頭を下げるのじゃ!」
咄嗟に彼は頭を下げる。
刹那にその頭上を渦巻状の水が通過し、陰邪を吹き飛ばしたのだ。
彼が後方へと振り向くと蘭玉が片手を前に出している。
恐らく彼女が行を放ったのだろう。
彼はあまりの一連の出来事に腰を抜かしてしまうが、
「まだじゃ!妾の行では陽怪は倒せぬ!次の一撃が来るぞ!」
ーーー陽怪、一体何のことだ?
だが、そんな事はどうでもいい。
身体が動かない・・・・・・。
先程の陰邪の一撃を素手で受け止めるという前代未聞の荒技により、彼の疲労はピークに達していた。
しかしそんな事など気にも止めずに、吹き飛ばされた陰邪は空中にて展開し、再び李周の元へと突撃してくる。
自身の死を覚悟した李周だったが、彼の前に突如として朱孔が現れ、両手を開いて立ちはだかる。
「何してんだ、朱孔!逃げろッッッ!!!」
「兄ちゃんは死なせない!止まれぇぇええ!!!」
願う事しか出来なかった。
だがその願いが神にでも届いたのであろうか。
陰邪は朱孔の前でピタリと動きを止め、地に足をつける。
朱孔と一度目を合わすと顔を下に向けた。
その姿はまるで「従」を行っている様にも捉える事が出来る。
「一体何が起きたんだ・・・・・・」
李周はちょっとしたパニックを起こしているが、一国の姫君でもある蘭玉は冷静そのものであった。
「妾達、人間の行う従の様に見えるじゃろ?今其方らの目の前で陽怪が行っているそれこそが本来の従なのじゃよ」
ーーーこれが従?
そんな事当然学校で教わってもいなければ聞いたこともないぞ。
「ん?そりゃ、学校では習わんじゃろうよ。両国の国家機密じゃ」
「!?」
「あー、すまぬすまぬ。少し気を読ませてもらったのじゃ。不快な気持ちにさせてしまったかの?」
「気を読む」、彼等はこの言葉に聞き覚えがあった。
あの特別講師、胡劉が行っていたそれと同じであろう。
「じゃあ蘭玉さんは私たちの考えている事がわかるの?」
「うぬ、分かるぞ。じゃが気の使い手同士であれば読み取るのに時間が掛かったりするがのう。じゃが、読み取るにはもう十分時間は稼がせてもらった」
そういうと、蘭玉が二十メートル程先にある一本の木に視線を合わさる。
「そこの者。気を使える様じゃな。探すのに手間取ったわい。じゃがもう隠れていても無駄じゃ。出てくると良い」
その言葉を聞き、木陰から一人の青年が出てくる。
姿を露わにした青年は顔と口の周り以外を布で多い、その正体を隠している。
だが、その様な状態であろうとも蘭玉にはお見通しであった。
「其方、陽国の者ではないな。陰国の者か?」
なぜ蘭玉が青年の正体を見破ったのかと言えば、それは布の隙間から微かに見える目と口の周りの皮膚の特徴だ。
陰国は陽国と違い、一年を通して日が差し込む事が一度もなく涼感な気候を保っている為、住人は皆絹の様に透き通った白い肌をしている。
「ふふふ。腐っても陰姫様という訳ですか。バレてしまっては仕方ありませんね。お命頂戴致しますよ?陰姫様!」
青年は言うや否や蘭玉との間合いを詰め、拳を突きつける。
が、拳が蘭玉に当たる事はなく、その拳を受け止めたのはまた拳。
李周の拳だ。
青年も相当な武術な使い手であるのだろう。
李周と青年との拳のぶつかり合い、それが発する衝撃波により桃花は吹き飛んだ。
一見、力が均衡している様に見えたがその均衡はいとも簡単に崩れたのだ。
「馬鹿な!貴様、これは条例違反だぞ!」
青年の拳からは血が吹き出している。
対して李周の拳は無傷であり、それどころか彼の拳は金色に輝いていた。
間違いなくこれは行、「金」の属性の行だ。
金の属性は物質を硬化させる特徴を持ち、体術を主体として闘う李周にとってはうってつけの元素だ。
「条例違反?じゃあこれは行なのか?これが、俺の行・・・・・・」
李周の様子に違和感を覚え、青年は彼の心を探る。
ーーーこいつ、初めて行を会得したとでも言うのか!?
青年からしてみれば李周はまだ幼いだろうが、それでもこのくらいの年頃まで行を会得出来ていなかったなど聞いたこともない。
だか今はそんな事どうでもいい。
青年は当然先程の一件を見ていたのだ。
行を纏わぬ拳で陽怪を受け止めた李周が行を会得した事に加え、一瞬で高密度の炎の槍を形成する朱孔。
おまけに実力が未知数のおっさんが一人。
陽怪を失った今、勝ち目はないだろう。
「ここは一時退散とさせて頂きますか」
「させると思うか?」
そう告げると曹馮は両足に水の元素を纏わせる。
曹馮を含む外交官は緊急事態に限り対人への行の使用を許可されている。
しかし緊急事態であった事を証明する必要があるが、それは蘭玉が証人となってくれるだろう。
それでも出来る限り平穏にやり過ごすのが外交官が定めでもあり、いわばこの行は威嚇に近いものだろう。
曹馮に対抗すべく青年も行を練る。
これも威嚇だろうか?
否、青年の行は「木」であった。
木の行は植物に命を与え、成長を促す。
青年の身体は足元から生え、成長を進めていく草木に包み込まれる。
「させるか!」
曹馮は回し蹴りをし、足に纏った水の元素を射出するが吹き飛んだ草木の中に青年の姿はなかった。
「申し訳ございません。取り逃がしてしまいました」
「かまわぬ。外交官とはなんとも不便な者じゃのう」
蘭玉が何故、陰国の者に襲われたかは分からないが虎口を逃れた事に間違いはない。
一同は一時の平穏に身を寄せる事にするが、一度は退けた謎の青年。
この出会いが陰と陽の両国を含む世界全体の歯車を大きく狂わせる事になるのであった。
閲覧ありがとうございます。
遂に李周が行を会得しましたね。
̶中̶学̶に̶行̶く̶意̶味̶が̶無̶く̶な̶っ̶た̶の̶で̶は̶?̶
曹馮が陽怪との闘いに混ざらなかったのはそれだけ高レベルな闘いであったと言う事です。
決して曹馮が弱いわけではありません。




