第八話
「大丈夫でございましょうか……」
ラブレスが回廊を遠ざかっていくのを盗み見ながら、マドリリーヌは不安を口にする。
一人で出歩かせるのが心配なのもあるが、それよりも――
「まさか、城内をお通りになるなんて……」
姫が一人で城内を歩くことなんて滅多にない。いつもなら、部屋から飛んで外出するからだ。
わざわざ一階まで下りるのが面倒だというのもあるのだろうが、マドリリーヌはそれだけが理由ではないと知っている。
「まさか、あの方たちにお会いになるおつもりなのかしら……」
姫が嫌う存在の上位二席を占めている兄妹。
二人は今日は非番ではない。城内を通って外に出るのであれば、顔を合わせることになるのは必定だ。
マドリリーヌは、下半身を止めて、顎に手を当てた。
「よもや、溜まった鬱憤をあの方々に――」
結界解除後に、いきなり問題を起こされたら、シャーベルトになにを言われるかわかったもんじゃない。
いや、それどころではない。
今回は直々に、陛下に嘆願したのだ。
もし、なにかあったら姫付き侍従の解任――最悪、城外追放すらあり得る。
しかし、姫には付いてくるなと命じられた。
マドリリーヌは、長い濡れ羽色の髪の端を指でいじる。
ここで姫を追えば、間違いなく叱られるだろう。
「…………別に怒られてもよいのでございます」
最近の姫は、めっきりマドリリーヌに対して他人行儀になった。以前は、もっと遠慮なくイライラや不満をぶつけてきてくれたものだ。
「くっ、うっ、ぬぬぬぬぬぅ~~」
内面での葛藤が、知らぬうちに表出している。
姫に怒られたいけど、怒られたくない――
そこで、はっと顔を上げる。
「そういう問題ではございませんわ」
そういう問題ではなかった。
問題は、姫があの面々と会うことで厄介な事態にならないかということだった。
「これは、行くしかありませんわね…………決して怒られたいわけではございませんけども」
マドリリーヌは意を決すると、シュルシュルと下半身を滑らせながら、姫の後を追った。
★★★★★★★★
「危ないところだったね」
そう言って私を床のあるところに下ろしてくれるのは――笑顔が素敵な『人型』の男子。ツノはないけど、羽根がラブレスと同じ。
それだけじゃなく、バイオレットの髪と瞳の色も同じだ。
髪をちゃんとカットして整えているらしく清潔感があり、形の良い耳が出てる。
注目するべきなのはセットされた髪型だけじゃない。ちょっと変わった形の燕尾服がすごく似合ってる。顔は小さくて手足がスラッと長い。神バランス……
あ、ヤバい。目を見てるだけで吸い込まれちゃいそう。
え、え、え、え、え、ままままままさかの? 予想外過ぎる!
めっちゃイケメーーーーーン!!
いるんじゃん、こういう人!
ヤバいって、緊張してきたよ。
バグるって、心の準備が……
なんか見らてれるだけで鳥肌立っちゃう――
「久しぶりだね、ラブレス。やっと出してもらえたんだ?」
「え、あ、お、おう」
だめ、なんかどもってる私。ハズい!
「で、ここを通ってきたということは――」
え、ヤバい笑顔が可愛い……もう、芽吹く……芽生えちゃうよ!
「僕に会いにきたってことだろ? ――まったく、どんだけ僕のこと好きなんだよ」
「…………」
「ようやく素直になった、ってことかな? フッ、まあ、君みたいなお転婆さんでも、僕は女性からの愛を拒絶するつもりはないよ。安心をし」
「…………」
「どうしたんだい? おいおい、僕の美貌の前に言葉を失ってしまったのかな? まあ、君が閉じ込められてたのは知っているが、最初に見た男が僕だというのなら――その気持ち、わからなくもないかな。久しぶりに見た男が僕だなんて、飢えた魔獣が処理済みのダムダム肉を見るようなものだろうからね。だからって、そんなもの欲しそうな目を淑女がするものではないよ。でも、まあ、どうしてもって言うんなら――さあ、飛び込んでおいで! 照れ屋の君を慮り、僕は目を瞑っていようじゃないか。ほら、んーーーっ」
「…………」
「――おいおい、待たせるね……なるほど、わかった! 心の準備ができてない、ってところかな? フフッ、可愛いじゃじゃ馬さんだよまったく。いいよ、君が気の済むまで時間を取りたまえ。僕は待とうじゃないか。特別だよ? 僕をこんなに待たせる女性なんてそうそういないよ。んーーーっ! ――そろそろ……って、あっ、どこに行くんだい!」
ないわ~。
マジで期待損デカいわ~。
本気でこういうタイプ無理。
いままで会ってきた男たちの中にも、ナルシストっぽい人っていたけど、こんな露骨なのは初めてだわ。
見た目はいいから、もったいないっちゃもったいないけど……
いやー、一瞬で冷めた。こんなことってあるんだね。
そんで気づいたけど、ラブレスもこの人のこと嫌ってる。
なんか、全身が細胞レベルで訴えてるもん。さっきから鳥肌が止まんないのってそういうことだったんだね。
「ちょっ、待てよ、ラブレス!」
ちなみにこの人、「どんだけ僕のこと好きなんだよ」のところで、指銃でバーンってしてきたからね。おまけに、「さあ、飛び込んでおいで!」の後は、目つぶって両手広げてんだよ。
完全アウトでしょ。
「どうしたっていうんだい? 僕に会えて嬉しいんだろ?」
「いや、全然嬉しくない。そこどけよ」
「ほんっっとに、素直じゃないね、君は!」
え、逆ギレ……なにこいつ。
頭おかしいんじゃないの?
相手してたらなんかヤバそう……
「……助けてくれてありがと。もういいから、そこどけよ」
「どかないよ――君が素直になるまではね」
「…………」
「どうしてもここを通りたいなら素直になるか――僕を倒していくんだね」
面倒くさ~、コイツ。
そら、ラブレスも嫌うわ。
……もういっそのこと殴ってみようかな。
いや待て待て、落ち着け私。
『――姫さま、今回の結界解除には二つ条件がございますわ。一つは、お見合いは絶対に受けること。もう一つは、絶対に問題を起こさないこと、でございますわ。もし、条件を満たせなかった場合には再び幽閉されてしまうかと』
って、マドリリーヌが言ってたしね。
でも、簡単な魔法試させてもらうぐらいならいいかも。コイツ気持ち悪いし。
いや、それも問題になっちゃうのかな? う~ん。
「さあ、どうしたんだい? いまなら特別に許して上げてもいいよ、もし僕の唇を――」
「フェラム」
「……ん? おいおい、この僕にフェラムなんて――」
あれ?
「フェラム!」
「だから言ってるだろ。四天王の一人であるこの――」
「フェラム! フェラム! フェラム! フェラム! フェラム! フェラム!」
「おい、いい加減にしてくれないか……僕に麻痺耐性があるのは知ってるだろう」
ま、麻痺耐性!
な、なるほど、そういうのがあるんだ……コイツには麻痺魔法が効かないってことか。
「――姫さま~っ!」
あ、マドリリーヌ。付いてきちゃったんだ……
なんか、床に空いた穴の前でもじもじしてる。
「おおっ! これはマドリリーヌ嬢! 貴女も僕という御馳走を狙ってきたのかな? いいだろう、さあ、こっちにおいで!」
もはや倒錯者としか思えないことを口走る無駄イケメンが指を鳴らすと、床が音を立てて元に戻った。
こいつが床を操作してるってことは、私が落ちそうになって助けられたのは、マッチポンプってことじゃん! ……ヤベー、マジヤベー。
マドリリーヌは、シュルシュルと両腕を広げる男を無視して、私の傍に。
「ひ、姫さま! な、なぜこのようなところに?」
ここ通らないと外出られないから仕方ないじゃん。
って、あ~、めっちゃ怯えてるわ。
言いつけ守らずに付いてきちゃったからだよね、たぶん。
でも、めちゃ安心する! マドリリーヌ、ありがとう。
「ここ通らないと出――」
「おやおや、主人だけでなく侍女までも照れ屋さんってわけかい?」
こいつマジでどんな心臓してんだろ……
「大変失礼いたしました、マガドロン殿下。此度は、わたくしの手違いで許可なく八階に侵入してしまいました。この件は後ほど、侍従長を通して正式に謝罪いたしますので、この場は一先ずご容赦くださいませ」
殿下って、この変態は偉い人なんだ……
「フッ、手違いというのは少々苦しい言い訳だが――まあ、そういうことにしておいてあげよう、か」
そう言って、ウィンクする変態ことマガドロン。
「ささ、姫さま、九階に戻りましょう」
もう、ここは大人しく従った方がいいか。
ここってなんか、この変態と同じくらい雰囲気も薄気味悪いし……
「おっと、待つんだ!」
戻ろうとする私たちの背中に変態の声が。
「ラブレスの様子がいつもと違うようだが……なにがあった?」
背筋に冷たいものが奔る。
この変態……侮れない。
「――ラブレスさまは、立て続けのお見合いで疲れてらっしゃるのでございますわ。殿下も姫の双肩に魔界の未来がかかっていることはご存知でございましょう?」
マドリリーヌ。いまさらだけど、あなたの偉大さに私は気づいたよ。好き。
「……ほう? 魔界の未来、ねえ……」
その声が聞こえたのと同時に、マガドロンが目の前に立っていた。
なんなのコイツッ!? 声は後ろから聞こえてきたのに……
「まあ、それは、僕とラブレスが結婚すれば解決する話だけどね」
不覚にも、あんた見たときに私もそう思っちゃったよ。
「そのお話はとうに陛下御自ら棄却されたはずですが」
マドリリーヌの声が冷たい。オコなの?
「ふっ、確か、僕とラブレスが近親というのが問題だったかな?」
「ええ、マガドロン殿下はラブレスさまの従兄弟にあらせられますので。お子がお生まれになっても譲渡が上手くいかない可能性があります。ですから、姫さまの伴侶は魔王族以外の殿方でなければなりません」
譲渡の意味はわからないけど、あっちの世界でも、昔は貴族社会では当たり前だった近親婚も、いまじゃいろいろリスクあるってのが常識だもんね。
それよか、こいつが従兄だという事実……通りで色々似てると思ったよ。
「そんなもの! 二人の愛があれば乗り越えられるさっ! ねえ、ラブレス!」
ざっと、音を立てて足を開いて髪をかき上げる変態。やっぱアホだわこいつ。
「ないない。もう行こーぜ、マドリリーヌ」
「……はい、それでは殿下、失礼いたします」
「――素直になったらいつでも僕の所に戻ってきたまえ! いつでも、ね!」
なんかフラグっぽく言うのやめて欲しいんだけど。コイツとのルートだけは、なにがなんでも阻止しよ。
でも、こうやって人と会うのは正解かも。
私的には、かなり収穫があった。
まず、魔法の効かない人がいることがわかったのは大きい。
実は魔法使えるようになって浮かれてました。これでほとんど問題解決できるかもって。なんでもそう上手くいかないよね。
次に、あの変態がラブレスの従兄だということ。
ってことは、魔王かラブレスの母親があいつの両親のどちらかと肉親ってことでしょ。こういう世界でもやっぱそういう一族の関係みたいのあるんだって、目が覚めた気分。
なんか、ラブレスの変化にも鋭かったし、気を付けないと。
そして、一番重要なのが、血が近いと結婚しちゃダメってこと。見た目がかなり違うのとお見合いさせられてるのは、それが原因ってことで一応は納得して――いいのだろうか?
ああっ、直接質問できたらどれだけ楽か。
知ってて当たり前のことを、身内にバレないように訊くのって難しい。
何回か面倒臭くなって、もしかしたら、マドリリーヌならワンチャン事情理解してくれるかもって思ったときもあるけど、やっぱ私の正体を打ち明けるのは、現状だとリスクが高すぎる。
私は、やっと部屋から出してもらえたばかりで、この世界についてなにも知らない。
ラブレスを演じるのは難しいけど、もっと話を聞いたりして、この世界のことを調べよう。この世界に来た原因もその先にあるよね……きっと。
「姫さま、お帰りですか?」
「姫さま、今度はどちらに?」
「姫さま、次来るときは手土産を」
「姫さま、連れていってくれないならチラっとだけ目線ください」
「姫さま、次はいつ来るんですか?」
「姫さま――」
「姫さま――」
「姫さま――」
「姫さま――」
「姫さま――」
十体の石造の声を無視しながら、私とマドリリーヌは示し合わせるでもなく舌打ちした。
とにかく……ここには、もう二度と来ない!