第四話
侍従長執務室はその豪奢さにかけて、ヘルヘルムでほかに並ぶ部屋はない。
入る者に恐怖心すら抱かせるパームダンジョンを模した凄味のある内装。
魔界の女性の間で話題の調度品職人ロンブロウン作の飛竜の肋骨のみで組まれたティーテーブル一式。部屋じゅうにある総魔石の三段燭台も同じくロンブロウンの手によるものだろう――いずれも、入手困難な代物だ。
上司で魔王付き侍従でもあるシャーベルトから、先日の見合いの件で呼び出されたマドリリーヌは、それらをさっと一瞥して思う。
(ふん、相変わらず品のない部屋でございますこと)
部屋の主であるこの淫魔からしてもう品がないのだから、それも仕方のないことだ。
抗聖繊維で編まれた露出の多い衣装や露骨な装飾品。
巻きヅノに巻かれているスカーフから踵の高い靴に至るまで、そのどれもが魔人用高級服『オブセン』のものだ。一介の侍従の給料では、とても手の出る代物ではない。
(この女、いくら給金を貰っているのでしょう……わたくしならこんな浅ましい使い方はしませんわ。同じ職人の物で統一だなんて感性が乏しいと言っているようなものです)
「――そういうわけでぇ〜、陛下は先日のお見合いの失敗を大変憂慮されているわぁ~。このままだとぉ、あなたへの心証も悪くなってしまいかねないわよぉ~、マドリリーヌぅ〜」
「お言葉ですが、此度のお見合いがあのような結果に終わったのは、マグライム殿が興奮するあまり形状を留められなかったことが――」
「マドリリーヌぅ~、言い訳はいいのぉ~。結果で、証明してみせてぇ~。魔界には、一刻も早くお世継ぎが必要なのは〜、貴女もわかってるでしょ〜」
「し、しかし……ラブレスさまほどのお方に釣り合う殿方ともなると選定にも時間がかかりますわ」
なおも食らいつくマドリリーヌに、ヘルヘルム随一の美貌と名高いシャーベルトが艶然と溜息を吐く。
「まあ~、私は理解してるんだけどねぇ~。あのラブレスさまをお見合いの席に着けただけでもぉ~、立派よぉ~、マドリリーヌぅ」
玉座と見まがうほどの煌びやかな椅子で足を組みながら、シャーベルトはマガマガ茶の入ったカップを啜った。
「それにぃ~、ラブレスさまにぃ、見合う男ともなるとぉ~、そりゃ難しいわよねぇ~」
「……ご理解いただき感謝いたします」
マドリリーヌは背筋を伸ばし頭を下げ、小さく舌打ちをした。
「でもぉ~、これはぁ~、仕事なんだからぁ~、結果がすべてじゃなぁい? マグライム隊長を選んだのはあなたでしょぉ~、ならぁ、責任はあなたにあるとぉ、シャーちゃんは思うのぉ」
(なにがシャーちゃんでございますか。薄気味悪い)
「いまぁ、なにかぁ、言ったぁ?」
「い、いえっ! なにも!」
「まあ、いいわぁ~。とにかくぅ~、早く姫には結婚していただいてぇ~、お世継ぎを作ってもらわないとねぇ~。次は期待しているわよぉ~」
「はっ! 承知いたしました、次こそは必ずや」
マドリリーヌは頭を下げてから、シュルシュルと下半身を滑らせて退室した。
それから、シューっと急ぎ下半身で化粧室に入ると、だれもいないことを確認してから鍵を閉めた。
「あの、ど腐れサキュバスがああああああっ!! とろとろ喋ってんとちゃうぞおおおおおっ! いつかその巻きヅノへし折ったるからなああああっ!」
出身地である西方地区の訛りで喚き散らしながら、マドリリーヌは怒りに任せて尻尾の先を床に叩きつける。だが、床には傷一つ付かない。魔王城ヘルヘルムは、襲撃を想定され建造されたため、大変丈夫なのである。
「ちょっと魔王さま付き侍従になったからゆーて、偉そうにしくさりよって! 侍従長の座かてどない根回ししたもんかわかったもんちゃうわ。ほんまやったら、ウチが侍従長になるはずやったのにぃぃぃぃ! きぃぃっ、口惜しやっ!」
マドリリーヌとシャーベルトは、侍従養成学校の同期だ。
成績では常にマドリリーヌの方が上だったのだが、ヘルヘルムに配属されてからは、シャーベルトはめきめきとその頭角を現し、瞬く間に魔王付き侍従に昇格した。
(まあ、とは言いましても、マグライム殿を選んだのはほかでもないわたくし自身でございますし、次はより慎重に殿方の選定をせねばならないのは事実……)
大きく深呼吸をして気を落ち着かせる。
(やはり、高い能力と姫さまの逆鱗に触れないぐらいの謙虚さは必須でございますわよね)
冷静さを取り戻したマドリリーヌは、化粧室を後にすると、ラブレスの昼食を取りに真っすぐ厨房へと向かった。
(中でも一番重要なのは姫さまの好み。もう一度、お尋ねしてみましょうかしら……)
そう考えたが、ぶるぶると頭を振る。
姫はとかくこの手の話が嫌いなのだ。
幼少の折、気になる殿方はいるかと尋ねたら、尻尾を掴まれ振り回された挙句、窓の外に放り投げられたことがあった。
つい先日も選定の参考にしようと、それとなく尋ねてみたら、第五位焦炎魔法を躊躇なく放ってきた。あわやのところで躱せたからいいものの、当たっていたら、魔臓ごと灰にされ間違いなく暗黒神の下に召されていただろう。魔力量が異常に多い姫の魔法は、威力が桁違いなのだ。
(でも先のお見合い以来、姫さまはお変わりになられたご様子ですし、もしかしたら……)
★★★★
ここに来てから、たぶん三日ぐらい経ちました。
依然として、ここに来た理由も帰る方法も、どうして魔王の娘になってるのかもまったくわかっていません。
というのも、私は完全に閉じ込められているからです。
部屋から出ようとしたら、バチバチってなって弾かれます。
意味がわからなかったので、マドリリーヌにそれとなく訊いたら、私が逃げ出さないように結界が張られているとのこと。
もちろん、私というのは、この魔王の一人娘ラブレスのことです。
この娘はどうやらお見合いするのが嫌で、かなり暴れてたみたい。だから、逃げないように、事前に閉じ込められたんだと思う。
まあ、あんなのとお見合いさせられるってわかったら、逃げ出したくなるのもわかるけど……
私の部屋だけでなく、勇者の襲撃に備えてこの城自体にも常時結界が張られているらしい。みんなどうやって出入りしてるんだろう。
なので、私はここで食っちゃ寝するしかないんだけど、マドリリーヌに遠回しに色々質問して、この世界についてわかったこともあります。
まず、ここでは基本的に、強いということがすごく重要らしく、強いというだけでどんどん偉くなれるみたい。逆に弱かったらたとえ王族でもすごく見下されたり、最悪、追放されちゃうこともあるのだとか。だから、釣書の内容があんなだったんだ。
どうやらラブレスはかなり強いみたいで、とにかく畏れられているのは間違いない。だから、私も弱いところを見せないようにしてます。正体バレたら絶対にヤバいもん。
まあ、根がクソ雑魚の私には、いまのところ口調をマネることぐらいしかできないんだけど。
それと、勇者がこの魔王城のある魔界を目指して旅をしているらしく、それを阻止するために魔王軍はめちゃくちゃ忙しいみたいです。先日のマグライムも、わざわざあのお見合いのために、人間界から戻ってきたんだとか。
この勇者というのは、前にマドリリーヌが言っていた『マレビト』――私と同じで、日本から来た人の可能性がすごく高い。というか、間違いなく日本人だろう。
私としては、勇者がんばれとは思わないにしても、同じ境遇の人には会ってみたい。帰る方法とか、どうしてここに来たのかとかわかるかもだし。
まあ、もし勇者に会っても、この姿だったらなにされるかわかったもんじゃない――!?
いや、待って……もしかしたら、その勇者君とのルートが本命!? 昨今はそういう垣根を超えた恋愛ものは当たり前だし……なにより、私この見た目だよ。こんな美人、男なら好きになるでしょ! ツノ生えてるけど、それ差し引いてもお釣りが来る。
いやいや、こういうところだ。私の悪いとこ。変に妄想膨らませて期待しちゃだめ。どうせ、がっかりするんだから。
半分蛇のマドリリーヌが、「異様な姿を想像するだけで鳥肌が立つ」って言ってたから、たぶんこっちの世界にやって来たら普通は向こうの姿のままなんだと思う。どうして、私はこっちの人(?)になってるのかは謎。もうとにかく、わからないことだらけです。
「姫さま、昼食をお持ちいたしました」
ということで、まずはこの部屋の結界を外してもらおうと頑張ってます。ずっとここにいても、なにも始まらないしね。
「おう、入れ。遅せーぞ、ノロマ!」
「も、申し訳ごじゃいません!」
段々とこのキャラにも慣れてきてます。ただ、マドリリーヌがビビり過ぎで、いたたまれないんだけど……
「ほ、本日は、仔ダムダムの香草焼きに、付け合わせにはジョロンゴのペーストと新ホミホミのソテー。そしてこちらが、マゴカブラの薬悪スープでございますわ」
「ふん、悪くないな、ウスノロ」
ここの固有名詞ってイミフなんだけど、見た目も味も悪くないんです。
特に、ダムダムはよく出されるんだけど、もう牛肉でいいと思う。
最初はどんなグロテスクなのが出てくるのかと心配してたんだけど、食事がまともなのは救いです、はい。
あれ? なんか今日、マドリリーヌ元気ないっぽい。なんかずっと俯いてる。
「おい、なんかあったのか? ババア」
ちなみに、マドリリーヌは見た目全然ババアじゃないです。慣れると、上半身はマジで幻想的なぐらい美人です、はい。
「い、いえっ! い、いえ……」
ビクっとなってからまた沈鬱な表情を浮かべるマドリリーヌ。ラブレスのせいで精神的にまいっちゃってんじゃないの? って、私が心配するのもどうかと思うけど。
「ひ、姫さま! お尋ねしたき儀がございます」
そう言って、神妙な面持ちで頭を下げてくる。
「えっ、お、おう、どうした?」
「ひ、姫は、ど、ど、どどどどのよな殿方がお好きなのでございましょうか? ンッ!」
言い終えるや、目を瞑って正面で腕をクロスした。
え、それ訊くだけでビビってんの? なんか、マジで可哀想なんだけど。
.
「お、おい、ババア。俺もお前に話がある」
「はいっ、なんでございましょうか?」
「これからは、お前の質問や軽口に対して怒ったりしねーから、もっと気安く接していいぞ……馬鹿タレが。俺は変わろうとしてんだ。あと、お前には暴言はあんまり吐かないようにするからな」
その言葉で、マドリリーヌは電流でも流されたみたいにビクっと上半身を震わせると、ボロボロと涙をこぼし始めた。
「ひ、姫……ラブレス、姫さま……このマドリリーヌ、姫にお仕えしてきて、これほどの栄誉を賜れるとは」
こんなことぐらいで感極まったらしく、さめざめと泣き崩れるマドリリーヌ。そして、
「嗚呼っ、暗黒紳さまっ! 感謝いたします!」
いきなり頭の上で、なんかガオーってやるみたいに両手の指を折り曲げながら、窓の外に向かって感謝し出した。意味不明すぎる。
実はさっきの台詞は、暴言吐くのが面倒なのと、マドリリーヌを懐柔して結界を解いてもらうためにと、寝ずに考えた作戦なんだけど、そこまで喜ばれるとなんか罪悪感が……
「そ、それでは姫さま! ズバリ、姫さまの好みの殿方について伺ってもよろしいでございましょうか?」
花開くみたいな笑顔。へー、笑うといつも以上に綺麗じゃん。って、気を緩めちゃダメよね。
「う~ん、そうだな……やっぱり、男らしくて一緒にいて安心なのがいいな」
ここは真剣に答えた方がいいよね。
まずは、自分の望みを見える化するところから、婚活は始まるのだ。イケメンがいいとはさすがに言えないけど。
「安心できる男らしい方、でございますか……はっ! な、なるほど、理解いたしましてございます!」
あ、なんかすごい嫌な予感がする。
「こうしてはおれませんわ! 姫、このマドリリーヌ、次こそは姫さまに相応しき殿方を選ばせていただきます!」
お辞儀もそこそこに、マドリリーヌは、シューっと部屋を出ていこうとする。
「あ、あと、人型だぞ! そこは絶対だからな!」
間一髪のところで最低条件を突きつけたら、マドリリーヌはドアから顔だけを出して、右手をガオーっとさせてからウインクしてきた。どういう意味なのそれ?
そして、後から食器を下げにきたマドリリーヌは、興奮して傍に控えるのを忘れていたと、泣きながら謝ってきた。
私はそれに対してそれっぽく注意する仕事に疲れたから、早めにベッドに入った。