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第九話

 九階に戻ったマドリリーヌは、問題が起こる前に姫を連れ戻せたことに胸を撫で下ろし――はしなかった。

 

 どう考えても、姫の様子がおかしい。

 輿入れを前に落ち着いたというだけでは、不審な点が多すぎる。


 姫がマガドロンと鉢合わせて、何の問題も起こらなかったのは幼少期から数えてこれが初めてである。

 なにかにつけて姫に絡むあの兄妹には、侍女のマドリリーヌでさえ辟易していた。

 子供の頃は、姫が二人を泣かせるだけで事態は収束したのだが、成人してからは事態は深刻になった。

 

 姫は、あの二人が半吸血鬼(ハーフヴァンパイア)で自己修復力が高いとわかるや、徹底的に痛めつけるようになったのだ。


 魔臓だけを残して、肉体を消滅させたのは一度や二度ではない。

 姫がそうやって二人をイジめる(相手にする)度に、魔王弟であるパンデモニウム公爵から苦情が届き、「チクりやがって」と激怒した姫がまた二人を折檻するというのがお決まりなのである。


 ゆえに、今回のようにほとんど何事もなく終わったというのは甚だ異常だと言わざるを得ない。

 だが、マドリリーヌが最も訝しんでいるのは、そんなことではない――




「姫……」


 マドリリーヌは神妙な面持ちで、自らの主人を真正面から見据えた。


「わたくし、差し出がましくも、君命に反し後を付けてしまいました」

 

「え? …………おお、まあ、今回は気にしなくていい」


 やはり、おかしい。


「いえ、この上は何か罰をお与えくださいませ――――いつものように」


 おかしな発言をしているのは自分でもわかっている。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。


「ま、前にも言っただろ。もう、お前には危害を加えないし、暴言も吐かないって」


 姫の言葉を聞いて、マドリリーヌはぎゅっとエプロンの縁を握りしめた。


「わ、わたくし、なにかお気に障ることをしましたでしょうか……」


 口を開くだけで、思わず涙が溢れてくる。

 主人を前にこんな醜態を晒すなど、魔人族として許される行為ではない。


「ひ、姫さまが、お変わりになってしまわれて、わ、わたぐし、寂しゅうございばす!」


「…………」


「以前は、わたぐじにもっと心をお開きになってくれておりました。それがどうでしょう、最近ではご自分の殻に閉じ込もられ、まったく相手をしてくれないではごじゃいましぇんか!」


「……え、いや、心は開いてるつもりだぞ」


「いいえ! もし心をお開きになってくださっているのなら、さあ! これだけ口答えするこの役立たずを(なぶ)ってくださいませ! さあっ!」


 もはや、マドリリーヌは自分でもなにを言っているのかわからなくなっていた。

 姫に叱られたい一心で、寂しい気持ちを振り払いたい一心で、声を張り上げてしまう。


「…………」


「さあ! 姫! さあ!」


「ちょ、ちょっと……あ、あのなー、俺は暴力は止めたいんだ。それにお前は俺の大事な――侍女だろ? 無暗に傷つけたりしねーよ。まあ、でも」


 姫が翼を広げ浮き上がる。

 そして、腕を振り上げたのを見て、マドリリーヌは反射的に目を瞑り、両手を頭の前でクロスさせた。


「……!?」


 しかし、受けたのは予想していた身を焼くような痛みではなく、頭への鈍い痛み――いや、それは痛みですらない。


「勝手に付いてくんなよ! ……ババアッ!」


「ひ、ひべざまぁぁぁ」


 両手で頭に受けた親愛の証を確かめ、マドリリーヌの頬に温かいものが伝う。

 滲む視界の中、姫が回廊から外に飛び出すのが見えた。




★★★★★★★★★





 今のはかなり危なかった!

 絶対にバレたと思ったもん。

 ってか、もうバレてるんじゃないの?


 ラブレスの性格の悪さは上方修正しないとダメだな。

 まさか、マドリリーヌがあそこまで調教されてるとは……

 やっぱり、ずっと面倒見てきたメイドを騙すのはハードル高い。


 完全に見通しが甘かった。反省です。

 これは、オタク気質を会社で隠すのとはわけが違うんだ。


 それはそうと――


「めっちゃ気持ちいいいいいいっ!!」


 外を飛ぶのってこんなに気持ちいいんだ!

 部屋で飛ぶのとぜんぜん違う!

 

 いやー、勢いで飛んでよかった。

 あれ一人だったら、飛ぶ覚悟できるまで、ずっとあの回廊ウロウロしてたよ。マドリリーヌに感謝だわ。


 ああ、素敵……私いま自由に空を飛んでるんだ。

 やっぱりこっちの世界に来てよかったのかも。

 うふふ、鳥さんこんに――鳥さんじゃないよね……だって、なんか全体的に金属質だもん。

 でも、まあ、いいや! ここの生態系が違うとか今さらだし。


「さて、さて、どうしようかな……このまま城下町まで行っちゃう? ――ぎゃッ」


 びっくりした~、バチッと来た~。

 なにこれ? あ、結界だ。部屋に張られてのと同じやつ。

 よく見たら、この城の敷地全部が半透明のドーム状のものに覆われてる。


「そういえば、マドリリーヌが言ってたっけ……」


 まあ、城外はいまは諦めよう。

 とりあえず、今日のところは、敷地内を探索っと。


 あっちが城門――うわ、ゴレムンじゃんあれ。あそこで働いてるんだ! 目立つねやっぱ。さすがクリスタル製。

 

 なんだろ、あの塔。微かに悲鳴が聞こえてくるけど、朝に聞こえてくるのとは違うような……

 

 うわ、あそこなんか動物みたいなのいっぱいいるけど……牧場?


 なんか、東屋みたいなのがある。

 ちょっと、下りてみよ。




「へー、いいじゃん」


 知らない生き物が彫られてる柱以外は、西洋的な感じ。ちゃんとベンチもあるし。それにこの花……もしかしてここって薔薇園的なヤツなのかな?

 いやいや、もう騙されない。


 ってか、飛んだテンションで気にならなかったけど……なんだろうこの湿度。これが『魔』な感じなのかな?


「ジェー、ジェー、ジェー」


 そうだよね。


「ジェー、ジェー、ジェー」


 薔薇なわけないよね。

 パック◯フラワーも実物があればこんな感じなのだろうか……


 ムー、ムー、ムー


 ん? なにこれ。母性本能をくすぐる声が。


 ムー、ムー、ムー


 足元を見ると、


「お、お、お、お、お――」


「ムー、ムー、ムー」


「おかわわわわわわわっ! なにこれ~、ぐうかわじゃ~ん」


 ふわふわの黒い毛玉に短い足が生えた生き物。

 口は毛で隠れちゃってるけど、鼻は豚さんみたいで、つぶらな目はくっりくっり。

 

 おおっ、なんか肉球ある。やば~、癒されるぅ。


「おほふううううう、綿? 綿なのかお前は? はふうううううう」


「――あ、あの~」


 ヤバい、見られた!

 頬ずりしたまま動けない。


「それ、オラが面倒見てる獣畜なんで――」


 どうやら、飼い主みたい。

 恐るおそる目を向ける。

 うわっ、全身――何色これ? アマ蛙みたいな色の子供だ。


「けーしてけろ」


 訛りすごいな。見た目とのマッチング度高っ。


「……そうか、悪かったな」


「ムー、ムー、ムー」


 え、なにその寂しそうな声とつぶらな瞳……名残惜しくなるじゃん。

 でも、返さなきゃだよね。


「こらっ、おめ、勝手に動くでねえ」


「ムー、ゴブガキが、ムー」


 ん? なんか変な声聞こえたような。気のせい?

 

「…………あ、あの、も、も、もすかすて」


 なんか、子供が急に私を指して震え出し、


「あ、あ、あ、あ、オ、オラ、なんてことを! 申し訳ごぜーません! 何卒、命だけは勘弁してくだせえええっ! お、オラは北方地区から来た田舎者のゴブリン。まだお城勤めも浅せーんでございます! 姫さまのお顔を拝見するのも初めてで、知らぬとはいえ、とんだご無礼を! どうか、命だけはああああっ!」


 いきなり土下座したかと思うと、すごい勢いで命乞いしてくる。

 マドリリーヌを見ててわかってはいたけど、この娘……いったいなにしてきたのよ。


「だ、大丈夫だ。お前に危害は加えねえから」


「……ほ、本当でごぜーますか?」


「ああ、本当だ」


 ちゃんと顔見たら、すごい造形。

 充血通り越して真っ赤な目に、耳が横に超尖んがってる。全身永久脱毛したのってくらい毛が一本もないし。

 

 ……それに、訛がすごくて、なんか笑けてくる。脳内翻訳どうなってんのよ。


「う、嘘だ! 姫殿下はそうやって安心させてからぶん殴るときが一番楽しそうだって噂で聞いたべっ!」


 ちょっと笑っただけで、どんだけ警戒されんのよ……


「……いや、大丈夫だから、本当に」


「じゃ、じゃあ、オ、オラこのまま後ろに下がる――見てっぞ! ずっど見てっかんな!」


 もはや敬語を忘れて必死な少年はゆっくりと立ち上がると、じりじりと後退っていく。

 なんか、心から申し訳ないよ……って、そうだ!


「待って! 君、名前は?」


「ひ、ひいっ! あ、後で呼び出すて殺すつもりだな!? そうなんだな!」


「いや、違うから。本当に名前が知りたいだけだって!」


「ひ、ひいっ! ご、ゴビンです……どうか殺さないでけろぉぉぉぉ……」


 答えてはくれたけど、ゴビンはそのまま泣き崩れる。……マジで面倒なんだけど。

 名前聞くだけで毎回こんな目に合わなきゃなんないの?

 でも、この子はまだ子供だし、初対面なら素でしゃべっても何とかなるはず。


「ねえ、ゴビン。私はラブレス。あなたの言う通り私はここの姫だよ。でも、私は絶対にあなたに危害は加えない。約束する――」


 涙目で見上げてくるゴビン。

 ……なんかすごく悪いことしてる気分になるけど、ここは頑張ろう。


「だから、私と友達になって」


 私が手を差し出そうとすると、ゴビンはビクッとなり、


「ゆ、許してけろぉぉぉぉ」


 また泣き出した。

 あああああっ! もうっ!

 こうなったら多少強引にでも――


「ひいやぁぁぁーッ!」


 勝手に手を掴むと、女子みたいな悲鳴を上げるゴビン。


「ほら、これ! ね、大丈夫でしょ? もう友達だね」


「…………」


 握手した手を上下に振ると、泣き止んでくれた。

 これでも大人の世界でちゃんと生きてきたんだからね。


「こ、これはなんかの呪いでねーのけ?」


 あ、そっか、握手文化がないんだ。


「違うって……これは握手っていって、えーっと、私が考えた友達の証だよ。ね? 怖くないでしょ?」


「あくしゅ……姫さまの手、温っけえ……母ちゃんの手みてえだ……」


「安心した?」


「し、失礼すますた。オラ、怖くって、つい」


 よっしゃ! 懐柔成功。

 見た目怖いけど、子供だもんね。


「いいよ、さっきみたいな話し方で。私たち友達なんだから」


 そう言って私が笑いかけると、ゴビンも引きつりがちに笑ってくれた。

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