桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト
北に現れるは桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト
清浄の妖精である。
酒造メーカーの専務は深々とため息をついた。誰かが言い出したわけでもないが、社員のほとんどが社長室にある酒の神を祀る神棚の前に集まっている。
社長はすでに正座して祈り始めている。社長室の大きなテレビからは、お昼のバラエティー番組の明るい声が聞こえてくるが、皆チラ見をするだけでそわそわと落ち着きない。
去年は散々だった。
その日、専務は専務室でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。原料高、燃料高、今年は少し酒の価格を上げないと厳しいかもしれない。
ーードンドンドン
荒いノックとともに製造部部長が転がるように入ってきた。
眉をしかめた専務だが、製造部部長の顔が真っ青なことに気づいて、
「どうした?」
と声をかけた。
「こっ麹がっ
にゅっ乳酸がっ
こっ酵母がっ
酒が!我々の酒が!」
部長は舌がもつれて言葉が出てこないようだ。とにかく来てください、と引きずられるように専務は酒蔵に向かった。
中は大パニックだった。酒を作る職人である蔵人があちらこちらで叫んでいる。
「こっちはダメです!」
「うちもです!
「麹も全滅です!」
「酵母も!」
「乳酸も!」
「「「全滅だ!」」」
…全滅?なんのことだ。
専務は製造部部長を見た。部長はわなわなと震えながら両手をぎゅっと握りしめている。
「なんの騒ぎだ!全滅とはなんのことだ?」
専務は厳しい声で聞いた。
本来なら酒蔵で派手な物音を立てることは禁止されている。酒造りは繊細なものだ。赤子が泣き出さないように、ゆりかごで包むように、優しく、じっくり時間をかけるからこそいい酒が生まれるというのに。
製造部部長は震える手でスマホを取り出すと、ある動画を再生した。
「菌が流行っているらしいぞ。菌をキレイにしちゃうぞ。」
白のボンボンを頭に付けた桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイトが、両手からふあーっと白色のひなあられを出現させると、桃の花がついた杖でくるくると辺りをかき混ぜた。キラキラと舞って散っていく白色のひなあられ。
キラキラキラ
白色のひなあられは全ての菌を清浄し、菌は消えた。
清浄な世界
それはとてもいいことである。
風呂にカビは生えないし、食べ物も腐らない。
「これがなんだ。菌がなくなったらいいじゃないか。マスクももうしなくてもいいな。」
ははっと笑いながらマスクを取った専務は、はて?と首を傾げた。
待て。菌とはなんだ。桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト様のおっしゃる菌とは、なんだ。
日本酒は米・水・米麹から作られる。だが、ただこれらを混ぜて置いておけば日本酒になるわけではない。
酒造りはざっくりいうと、まず白米を蒸し、蒸した米の一部を麹にする。そして出来上がった麹と、蒸した米、水、乳酸、酵母を混ぜて発酵させる。こうしてできた酒母に、さらに水、麹、蒸米を仕込んで発酵させる。それを絞って液体と酒粕に分け、液体を貯蔵すると日本酒になるのだ。
日本酒造りに菌は欠かせない。
米麹は麹菌を蒸米に振りかけて作る。
乳酸は乳酸菌だ。
そして清酒酵母と呼ばれる日本酒造り専用の酵母は菌の一種だ。
繰り返すが、日本酒造りに菌は欠かせない。
全滅?うちの菌が?いやいやいや、これらは人間に有益な菌だ。バイ菌とは違う。まさかこれらも清浄されたなんてことは…ないよなあ!?
「うちの菌はどうした!」
専務は叫んだ。
「全滅です。」
部長が震えながら答えた。
専務は麹室に駆け込んだ。ここで蒸した米に麹菌を振りかけて麹を作るのだ。中に入ると麹独特の甘い匂いが…しない。
「麹はどうした?」
みんな揃って首を振る。
「麹菌は無事だよな!?」
みんな揃って項垂れる。
ちょっちょっと待ってくれ。そんな…
ブブブブブ
専務の携帯が鳴った。
「お世話になります。はい、うちはちょっと今立て込んでいまして…はい…いや、その……
えっお宅もですか!いや、実はうちも。なんと!」
専務は自分の部屋に駆け戻った。メモを取り、電話をかけ、電話を取る。
「…はい…はい。なにか分かりましたらご連絡します。はい、失礼いたします。」
はあー。
専務は頭を抱えて机に突っ伏した。なんてことだ。この近郊の酒造元の菌は、事業の大小に関わらず全滅らしい。
全滅!なんということだ。桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト様にすべて清浄されてしまったらしい。
『いやー、タンクも自動圧縮機もボトリングの機械もピカピカですよ。』と乾いた笑を漏らしていた同業者の声が頭に響く。
『ピカピカ』
この言葉がこんなに憎く感じる日が来るなんて。
数日経つにつれて、桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイトの清浄の全貌が徐々に明らかになってきた。世間の意見はさまざまだ。
ーーマスクしなくてよくなったんで、よかったと思います。
ーー子供を安心して砂場で遊ばせられます。
ーー食べ物が腐らなくなったんでよかったっす。
という一方で
ーー自家製ヨーグルトが作れなくなっちゃいました。
ーーぬか床が死にました。
ーーチーズ作りが趣味だったのですが…
といった意見も。
ヨーグルトも酒も味噌も醤油もワインも酢も、
納豆もチーズもパンもキムチも甘酒も、
堆肥も業務用アルコールも、
発酵しなければその物には化けない。そして発酵するには菌が必要なのだ。
ありとあらゆる菌が消えた。
発酵食品業界は大打撃を受けた。
比較的早く持ち直したのは全国に工場のある大企業だ。スタンダード化された工程で発酵食品を作っているメーカーは、桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイトの清浄を逃れた地域から菌を導入することで再び製造が可能になった。
しかし、その地域独自のモノづくりをしている企業には、バックアップ用の菌がない。
「…どうしたものか。」
発酵食品救済特別会議の議長が重々しくつぶやいた。今日は第一回目の会議だ。お堅い名前の会議だが、要するに『桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト様に菌を消されちゃって困ってる業界の人たち集まれー!』というものだ。
「やはりもう一度桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト様にご降臨いただいて、菌を復活させてもらうしか。」
「しかし桃花☆ひなあらレンジャー様方は年に一度しか降臨しない。お怒りになったらどうするのだ。」
「他の地域から菌を分けてもらっては?」
「ウチは試しましたが、やはり難しいですね。菌はその風土に合わせて独自の変化をとげますから。」
「ここで!ご先祖様から引き継いだ事業をたたむわけにはいきません!どうにか!どうにかしませんと!」
専務の会社の社長が涙ながらに訴える。専務は興奮した社長のストッパーとして、社を代表して出席している。
さまざまな意見交換がなされたが、結局やっぱり桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト様にもう一度来てもらうしかないよね、呼び出しちゃってごめんなさいって謝ればよくない?という結論に達した。その結果ーー
『桃の節句を讃える秋の会』
を開催することが決定した。夏だとさすがに気候が違すぎて騙されてくれないんじゃないか、秋ならちょっと春っぽい日もあるかもね?という姑息な大人の考えだ。
これに対する世間の意見はさまざまだ。
ーー確かに菌を消されてかわいそうだとは思うけど、そんなに生活に支障ないしな。
ーーまた変な菌が流行ったらどうするんだ!断固反対!
ーーでも最近食べ物腐るぞ。
ーーうちもカビ生えてきた。
ーーそりゃあ菌が消えたのはこの地域だけだからな。隔離された地ってわけじゃないし、他から入ってきたんじゃね?
ーーそれ、白色のひなあられ置いておくと防げますよ。
ーーうちは風呂場に置いてる。
ーー僕は水虫なんで靴に入れてます。
ーーさすが桃花☆ひなあらレンジャー・ホワイト様!