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第8話 居場所

 彼女のお願いは簡単なものばかりだった。

 錆びついた農具を修理する手伝いだとか、収穫した野菜を運んでほしいとか、男子にしては非力な僕でもできることばかりだ。


 食事に風呂、彼女からしてもらったことを思うと割に合わない。

 多分、あの牢屋から僕を救出してくれたのも彼女だろう。

 井戸の滑車や、雨樋をつたった雨が水瓶に溜まって畑と家に分配される装置など、物理法則をつかった便利な設備があった。兄と作ったのだという。


 あれから数日が経っていた。

 彼女は畑仕事をしたり、時々街に仕事に出たりしていた。

 僕は家の中でできる家事をさせてほしいと申し出た。洗濯以外の。


 彼女のお願いに応えて、施しに見合うお礼をしたら僕は出ていくつもりだった。

 彼女が異世界人を嫌わないとしても、この世界での僕は重罪人らしいのだ。

 いつまでも逃げおおせるわけがない。


 それに彼女の兄が帰ってきたとしたら驚くだろう。

 帰宅したら家族が重罪人を匿っているなんて、普通の人なら卒倒してもおかしくないはずだ。


「本当にありがとうございます、ワタルさんのおかげで気になってたこと、やっと全部できました」

「……いや、こちらこそ、何日もありがとうございます。

 あの……もうお手伝いできることがないなら、僕は、これで……」


 家の脇にある畑での手伝いを終えて、数回目の夕食をごちそうになっていたときのことだ。

 改めて述べられた感謝の言葉に、僕から出ていくことを告げようとした。


 この数日で、とりあえずこの世界には蒸気機関車が走る水準の社会インフラがあると、この家にあった本からわかった。

 GPSで異世界人を追いかけ回せるほどの技術はなく、普通の人にはひと目見て異世界人だとはわからないらしい。

 ならば人気ない山の中か、田舎の外れにでも逃げれば、拷問を受け続ける異世界ライフは避けられるだろうと僕は考えた。


「だったら、ここでもいいじゃないですか」


 少し怒ったように彼女は僕を睨んだ。


「いや、だけど、君に迷惑が、」

「ワタルさんがいてくれて、助かってますよ。

 それとも私が通報するとでも思ってるんですか……?」


 彼女の目がわずかに潤む。

 僕はぎょっとした。


「そうじゃなくて、あの、僕がいると、君が、」

「私は困ったりなんてしません。

 ……もしかして、ここが嫌になったんですか……?」

「ち、違う、それはないから!」


 こんなに居心地の良い場所は久しぶりです。

 お借りしているお兄さんの部屋も本がたくさんあって天国です。

 そういえば、ここにきてからの僕は本よりも彼女と過ごす時間の方が長かったことに今更気づいた。


「じゃあ、まだいいじゃないですか」


 恋心は人を、盲目どころか馬鹿にする。

 読書で学んだあらゆる「出会い」や「恋が始まるシチュエーション」を僕は回避してきた。

 元の世界では女子が困っていても助けず、できる限り誰からも助けられないようにしてきた。なのに。


 いや、まだ大丈夫だ。

 だって異世界だし、きっと恋の概念だって違う。……多分。


 だからこれは、「彼女のお願いに応える」の続きだ。

 彼女を手伝いながらこの家の本を読んで、この世界のことをもっと知ってから出ていくのも今出ていくのも変わらないだろう。


 僕は大馬鹿になっていて、自分が馬鹿だということにも気づいていなかった。


「……はい」


 よかった、と笑う彼女を直視できずに僕はうつむく。

 他人が、彼女が笑ってくれることに安堵した。



 異世界でも夏の太陽は激しく照りつけるものらしい。

 最初は少し手伝う程度だった家の外での仕事を、今はほとんど全て彼女と一緒に、簡単な水やりや草刈りなら一人でこなしていた。心なしか体力も筋肉もついたような気がする。


 この世界に来て三週間以上が過ぎても僕は消えなかった。

 当初は彼女に手紙のひとつも遺しておこうと思ったけれど、そこまで親しい間柄でもなく、誰かに手紙を書いたことなんて数えるほどしかない。

 「ありがとう」「食事がとても美味しかった」「元気で」みたいな言葉しか出てこず、結局書かずじまいだ。


 けれどそんな短い言葉でも、中身の薄い手紙でも彼女に残しておけばよかった。


 大馬鹿者の僕は彼女以外の誰とも会わない環境にすっかり慣れてしまっていた。


 冤罪だろうと、草の根わけても罪人を捕まえる仕事がなければ秩序は保たれない。

 ましてや僕はこの世界の重罪人だ。

 


 元の世界では料理なんてあまりしなかったけど、聞きかじり程度の知識はあった。

 採れたての大きなトマトやピーマンでピザを作ったら、街の仕事に行っている彼女は喜んでくれるだろうか。

 

 自分がにやにやと笑って収穫をしていたことにも気づかず、僕は立ち上がって腰を反らせ、汗を拭う。

 ふと、声がした。

 数人の堅苦しい格好をした男たちと目があった。


 血の気がひいて逃げるも間に合わず、僕はあっけなく役人たちに捕まった。

 動けない程度に暴行され、また縛られて連行された。

 森の方へ逃げたことで彼女の畑を荒らさずに済んだのは幸いだった。


 再逮捕された僕には脱獄と窃盗の罪が上乗せされた。

 彼女のことは話さず、僕は空腹に耐えられず畑のものを盗もうとしていたのだと供述した。


 健康的な暮らしや恋心、ましてや彼女との穏やかな異世界生活なんて僕には贅沢だと神様は嘲笑っているのだろう。

 抵抗するつもりなんて毛頭ない。だから早く、終わらせてほしい。

 全部なかったことになるなら、何もいらない。


 ……けれどあの家の本は、惜しまずに読んでおけばよかった。

 読み終えたら出ていけ、なんて言われてなかった。


 石壁の誰もいない牢屋で虫みたいに転がって、あの時と同じ月を見上げ、本をめくるように彼女との生活を思い出していた。


 そういえば僕は、感動モノの物語でも泣いたことがなかったことも思い出した。




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