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1st time


「どうなってるの……?」


 桜も咲く気配のない、冷たい風が吹く春。

 多くの人にとって新生活となる季節がやってきた。


 かくいう私もその内の一人で、引っ越し先のマンションの鍵を意気揚々と開けたのが、ほんの数分前の出来事だ。


 部屋に入るなり駆け足でリビングの窓を開けて、靴下のままバルコニーに足を踏み出した。


 そして気づいたのだ。

 隣部屋のバルコニーとちょうど九十度で接していることに――




***



 事の発端は3週間前の勤務中。

 地方にある支店の事務員として務めていた私は、上司に手招きで呼び出された。


 嫌な予感がした。


 だって、3月に上司から呼び出しだなんて人事異動の他になにがあるだろうか。

 仕事でミスをした訳でもないのに、他に理由なんて思いもつかない。


 近くの席に座る同僚達がチラチラとこちらを見ては、ヒソヒソと話し出す。会話の内容なんて、聞こえなくても察せるのだ。そういう時期なのだ。


 そして言われた。


「4月から本社に行っておいで。私は5年もの間、君の成長を見守ってきたからね。本社でも上手くやれると確信して推薦したから、向こうでの活躍を期待しているよ」


 晴れやかな笑みを浮かべ、私の推薦のお陰だぞと言うように胸を張って話す上司を前に、ピクリとこめかみが動いた。


 ――とんだありがた迷惑だ。

 お断りしますと言えたらどんなに良かっただろうか。


 けれど、小心者の私は「期待に恥じぬよう、精一杯努めてまいります」としか言えなかった。



 大抵の者は大喜びする異動だと思う。

 方や大きなショッピングモールが一つと、他は小さなスーパーや商店ばかりの田舎町。

 対するは若者がこぞって集まる大都市である。


 大学を卒業して入社した今の会社に勤めて5年が経った私は、まだ20代の分類だ。成長を期待された人事異動に高層ビルが集う大都市での生活。喜ばないほうがどうかしている。


 自分に与えられた定位置に戻ってからも「おめでとう。良かったね。頑張ってね」の三連符がひたすら並ぶことに内心では辟易しながらも、残り僅かの時間で書類の整理と後任者への引継ぎをしなければならないと大慌てで仕事に取り掛かる。


 家に帰ると今度は転居先を決めなければならない。

 スマホを片手に延々と条件に見合った物件を探していく。

 しかし、既に三月の中旬に差し掛かろうとしていた。3月末から4月上旬に入居可能な物件がそもそも少ないのに、付け加える条件が厳しすぎるのだ。


 夜通し悩んで、給料に占める家賃の割合を考えては条件を見直した。


 そうして見つけたのが、建築真っ只中の新築物件である。

 建築中のため当然内見はできないし、内装の写真もないから、間取りの図面と文字で羅列された説明事項で判断した。


 仕事の調整もあって休みを取れそうにないし、休日に不動産会社に話を聞きに行くにしても早くて一週間後だ。その間に他の入居者が決まってしまえば元も子もないし、同時進行で引っ越し業者の確保や準備を進めなければならない。

 間取りは図面で気に入ったのだから、下見できずとも、新築というだけで問題ないだろうという安心感があったのだ。




 ――その結果。



「私の馬鹿……」


 なぜ事前にバルコニーの構造を確認しなかったのか。


 理由は一つ。

 私の中では全て横並びに造られているイメージが固まっていたからだ。


 街中や住宅街を歩いていて、アパートやマンションの外観を気に留めたことなどなかった。こんな、直角で接している造りもあるだなんて知らなかったのだ。

 

 一応といっては何だが、接している面には立派な仕切りがある。

 けれど、接していないバルコニーの端に立てば、直角なのだから当然見えてしまう。中央に立っても粗方見える。


 反対側のバルコニーとは繋がっていないし、二メートル程離れているのにしっかりと仕切りをつけてくれている。


 そうよね、私が想像していたのはこれなのよと何度も頷き、やはり見間違いではないかと恐る恐る振り返る。


 しかし、バルコニーの構造は何度見たところで変わることはないのだ。


 今日はこの新築物件が入居可能となった初日である。

 まだ隣部屋の窓にはカーテンが取り付けられてなくて、電気もついていない。


「でも、すぐ入るわよね……」


 私がマンションの玄関を通る時は既に数台のトラックが止まっており、複数の引っ越し業者が荷物を抱えて出入りを繰り返していた。


 はあ~と声を出して溜息を吐き出すと、タイミングよくインターホンが鳴る。


 後悔していても後の祭り。

 取り敢えずは引っ越し作業を終わらせなければと意気込んで、重い腰をあげたのだった。





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