後編
「ねぇ、貴方はいつ私を始末するのかしら?」
「…は?」
あまりにも予想外の発言に、返す言葉が何も出てこない。
「ずっと覚悟してたのに、貴方ったらいつまでたっても行動を起こさないんだもの。命令とあらばここから飛び降りてもかまわないのだけれど、死人が出たとあっては別荘の価値が下がっちゃうかしらねぇ」
小首をかしげて思案顔の彼女。
「ち、ちょっと待ってください!なぜそういうことになるんです?!」
ようやく我に返った私は彼女に問う。
「戦争がなくなれば、強大な戦力である私を国はもてあますことになる。他国に取られるわけにもいかないし、国内のやっかいな勢力に取り込まれても困るはず。ならば消すしかないだろうな、と思ったの」
真顔でさらっと怖いことを言う彼女。
「でも、軍の筆頭戦術魔道士である貴女を消せるほどの技量を持つ者などいないと思いますが?」
「だから最後のご褒美も兼ねて旅で気分よくさせておいて、油断した頃にさくっと消されるんだろうな、と思っていたんだけど」
ここまで時折感じていた違和感を思い出す。
旅の途中で立ち寄った先では、その場で食べるものしか買わなかった。
屋台で見かけた銀細工の髪飾りや木彫りの鳥の置物なども真剣に見ていたのに、何ひとつ買うことはなかった。
それはそうだ。
彼女自身、先がないから買っても無駄だと思っていたのだろうから。
「それにしたって、どうしてそんなことを考えたんですか?」
頭を抱えたい気分をこらえて彼女に尋ねる。
「だっておかしいじゃない」
「何がですか?」
「最初から、すべてよ」
いたって真面目な表情の彼女。
どうやら真剣に話し合う必要がありそうだ。
テラスを夜の冷たい風が通り抜ける。
「ここは少し寒いですから部屋に入って話しましょうか」
応接室に移動し、メイドがお茶を出して下がると2人きりになる。
「さて、貴女がおかしいと感じたことを教えていただけますか?」
「まず休暇が認められたことよ。軍に入ってから私的な外出は一切禁じられていたのに、突然認めるなんておかしいわ」
そこからだったのか。
「おっしゃるとおり、軍の上層部は当初反対していました」
「それはそうよね」
彼女は小さくうなずく。
「いえ、正確には旅行そのものは反対されませんでした。ただ、世間を知らない貴女に常識を教える方が先だという意見だったのです」
小首をかしげる彼女。
「そうなの?」
きょとんとする彼女。
「軍の上層部は貴女に厳しく接しつつも娘や孫のように思っておられました。それと同時に何も知らない貴女を戦争に駆り出してしまったことを悔やんでもいたのです」
彼女はしばらく何か考えていたようだったが、おそらく上層部の顔ぶれを思い出していたのだろう。
「それなのに、なぜ旅行が認められたの?」
「軍の上層部よりもさらに上の存在、つまり国王陛下が認めたからです」
彼女はまた少し考えてから話し出す。
「私、陛下の態度もおかしいと思ってたわ」
陛下への報告会に私は参加していないので、そこで何があったかわからない。
「どうおかしかったのですか?」
「私と話していると、ふとしたはずみでほんの一瞬とてもつらそうな表情になるの。きっと私という戦力が他に渡ることを恐れた陛下が始末の命令を下してたからじゃないかって」
「だから違いますってば!旅行を認めたのは陛下なりの償いです」
小首をかしげる彼女。
「別に償ってもらうようなことなんて何もないと思うけど?」
「陛下も幼くして家族から引き離されて招集された貴女に長い間苦痛を強いたことを気に病んでおられました」
彼女は理解できずに不思議そうな表情になる。
「そりゃあ魔法の訓練は厳しかったし、戦闘時に怪我を負うこともあったけれど、苦痛だと思ったことなどないわ。だってそれが日常だったんだもの。家族のことだって覚えていないから気にしたこともないし」
改めて話してみると、これは思っていた以上に根が深い問題なのかもしれない。
「ところで、我が国では一定以上の魔力を持つ者は軍に召集される、という決まりは貴女もご存知ですよね?」
「もちろん知っているわ。私もそれで招集されたのでしょう?」
なぜ今そんな話をするのか?と少し不満げな彼女。
「そのとおりです。そもそも陛下が『これからの戦争は魔力が勝敗を決める』とお考えになったからです。召集された者の家族には手厚い支援を行うことになっています。しかし、陛下も予想していなかった事態が起きました」
「何かしら?」
「国王陛下の妹君のお子に魔力持ちが現れたのです。それもかつてないほどの膨大な魔力持ちが」
彼女は少し上を向いて記憶をたぐっている。
「ええと、陛下の妹君ということは、確か侯爵家に嫁がれた方だったかしら?」
「そうです。王族の血筋ということで陛下は召集対象からはずそうとしたのですが、『例外を作るわけにはいかない』と陛下の妹君は自らお子を軍に引き渡したのです」
「なるほど、王族や貴族だからと除外するのは不公平と思われるものね」
小さくうなずく彼女。
「そうです。そして、そのお子というのは貴女のことです」
「…は?」
彼女は驚きで目を見開く。
「貴女は本来ならば侯爵家のご令嬢であり、国王陛下の姪でもあるのです。ちなみにご両親は健在で、お兄様が2人おられますよ。陛下の償いとはそういう意味であり、貴女を始末するなどということは間違ってもありえません」
驚きのあまり、いまだに言葉が出てこない彼女。
「本来なら旅を終えて王都に戻ってからこの話をする予定でした。ご家族との対面を果たした後、今後のことは出来る限り貴女の意志を尊重せよ、というのが陛下のご命令だったのです。ですが、貴女自身が今後について不安に感じるのも当然なわけで、もっと早く話すべきであったと反省しています。大変申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げる。
「頭を上げてちょうだい。まだ頭の整理が追いついていないけれど、考えなければならないことがたくさんあることだけはよくわかったわ」
彼女はため息をついた。
「さて、もう夜も遅いですから、今日のところはここまでにしておきましょうか。今後については帰路の馬車の中でゆっくりお話しいたしましょう」
うなずいて無言で立ち上がる彼女に声をかける。
「ああ、それから1つお願いがございます」
「何かしら?」
「帰りも同じ町に立ち寄りますから、貴女が気になっていた銀細工の髪飾りを私にプレゼントさせてください。きっとこれからつける機会もあるでしょうから」
彼女は微笑んでうなずいた。
「わかったわ。それから同じ町で見た木彫りの鳥の置物も買いたいのだけれど」
「かしこまりました。それもプレゼントいたしましょう」
彼女は小さく首を横に振る。
「いいえ、それは私が自分で買うわ。それとも貴方は私が初めて自分で欲しいと思ったものを買う機会をつぶすおつもりかしら?」
いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女に苦笑いを返す。
「これは大変失礼いたしました。どうぞお好きなものをお買い求めください」
翌日。
馬車は海辺の別荘を出発して一路王都へと向かう。
「昨夜の話の続きですが、貴女はこの国のために十分すぎるほど活躍なさいました。さすがに敵対関係となることは困りますが、これからは好きになさってよいのです。軍に留まるのも、辞めて新しいことを始めるのも自由です」
その言葉に彼女はため息をつく。
「昨夜からずっと考えていたんだけど、突然自由ですとか言われても何をどうしていいわからないわ」
「そのために私がおります。たとえ軍を辞めようともお供いたしますよ」
そう。私は彼女の補佐役なのだから。
彼女が私を真っ直ぐ見据える。
「私、ずっと貴方のこともおかしいと思ってたわ」
「なぜですか?」
「貴族のご子息なのに常に最前線に立つ私の補佐って変だと感じてた。まぁ、私の生家の話を聞けば少し納得なんだけど、貴方が私の補佐役になったのも国王陛下の指示によるものかしら?」
彼女が静かに私に問いかける。
「確かに補佐をつけることは陛下の指示ではありましたが、私は自分で補佐役に立候補したんですよ」
「どうして?最前線に出るような役目なのに」
軽く首をかしげる彼女。
「貴女が侯爵家のご令嬢であることは昨日話しましたが、私の家と貴女の生家は古くから付き合いがありました。年の頃合もちょうどいいということで、貴女は私の婚約者になる予定だったのです。覚えてはおられないでしょうが、私は幼い頃の貴女とお会いしているのですよ」
驚いたように目を見開く彼女。
「そうだったの。でも全然覚えてないわ」
彼女の返答に苦笑する。
「それはそうでしょう。本当に幼い頃でしたからね」
「でも別に正式に婚約したわけではなかったのでしょう?それなのに、なぜわざわざ補佐役になったわけ?」
「あの頃はもちろん私もまだ子供でしたが、初めて貴女と会った時に『ああ、きっとこの子と人生をともに歩むんだろうな』と感じたのです。しかし、貴女は招集されて私の前からいなくなり、家族にもあきらめろと言われたけれど、どうしても忘れられなかった」
「ずいぶんとませた子供だったのね」
苦笑いする彼女。
「そうかもしれません。そして少しでも貴女に近づけるよう軍に入り、補佐役の座を射止めました」
「どうしてそこまで…?」
「本当は私が貴女を守りたかった。でも軍の筆頭戦術魔道士である貴女の方がはるかに強い。だから、せめて貴女を支えられるようになりたかったのです。貴女が軍に残ろうが辞めようが、私が支えます。貴女に『もういらない』と言われるその日まで」
彼女が私を見つめる。
「もしも私に好きな男性ができたら、貴方はどうするつもり?」
「その時はいさぎよく身を引きますよ。私が望むのは貴女の幸せなのですから」
あきれたような表情の彼女。
「貴方、やっぱりおかしいわよ」
「そうかもしれません。でも、いいのです。今こうして貴女といられることが私の幸せなのですから」
一瞬の沈黙の後、彼女は突然笑い出した。
「あはははは!もう、まいったわね。どうせ他に好きな男性なんていないし、これからどうするか考えなきゃならないし、しばらくは貴方に面倒をかけることにするわ」
「かしこまりました。どうぞお任せください」
行きでも立ち寄った町の屋台で、彼女はお目当ての木彫りの鳥の置物を購入した。嬉しそうに抱えて歩く足取りもずいぶん軽そうだ。
そして私は彼女が気になっていた銀細工の髪飾りを購入してプレゼントした。
たまたま髪飾りを作った若手の銀細工職人も屋台を訪れていて、自分の作品が目の前で買われたことに感激し、技法についてあれこれ話してくれた。
そして話し終えてから銀細工職人は声をひそめて尋ねてきた。
「あの、もしかしてそちらの女性は軍の筆頭戦術魔道士様ではないでしょうか?」
思わず彼女と顔を見合わせてから私が尋ねる。
「そうですが、なぜ気がつかれましたか?」
「うちに妹が買ってきた姿絵がありまして、お顔がよく似ていたものですから。姿絵はどれも軍服か魔道士のローブ姿でしたが、女性らしい姿もとてもお似合いですね。次は貴女様をイメージして作ろうと思います」
若い銀細工職人は笑顔で去っていった。
「ねぇ、姿絵ってどういうことかしら?」
馬車に戻ると彼女が尋ねてきた。やはり説明しなければならないか。
「ええと、我が国では著名な方々の姿絵というのが流行っておりまして、一番人気は国王陛下ですが、女性ですと王女殿下と筆頭戦術魔道士である貴女が人気を二分しております。ちなみに王女殿下の姿絵の主な購入者は男性ですが、貴女の場合は若い女性が多いそうです」
「どうしてかしら?」
小首をかしげる彼女。
「私は若い女性ではありませんのでわかりませんが、むさくるしい軍人よりも男装の麗人の方がよいのではないでしょうか。ちなみに売上の一部は貴女にも還元されていて、軍からの報酬に含まれていますよ」
「あら、知らなかったわ…ということは、軍は私の姿絵を本人に断りもせずに売っている、ということかしら?」
「…まぁ、そういうことになりますかね」
冷や汗が流れる。補佐役になる前に関わっていたとは言いづらい。
「そう。王都に帰ったら軍の担当者を教えてくれるかしら?じっくりお話ししたいから」
そう言いながら彼女は指をポキポキ鳴らし、私は身が縮む思いだった。
やがて我々は旅を終えて王都へと戻ってきた。
「大変申し訳ありませんが、軍の宿舎へ戻る前に寄りたいところがあるのですが、よろしいでしょうか?」
彼女に尋ねてみた。
「別にかまわないけど、どこに寄るのかしら?」
「もうすぐですので着いてからご説明しますね」
「ここはお屋敷の…裏口かしら?」
馬車を降りて高い塀を見上げる彼女。
「そうです、私の実家の裏口です。目的地までこちらからの方が近いので、裏口からで申し訳ありませんが、話は通してありますのでどうぞ」
彼女を連れて目的の場所へと向かう。
「素敵なお庭ね」
連れてきたかったのは我が家自慢の庭だった。
「庭師は数年前に代替わりしましたが、いい仕事してくれてますよ。この庭もいいのですが奥に池があって、ちょうど睡蓮が見頃なので帰る前にお見せしたかったのです」
庭の中の小道を進んでいく。
「ちょっと待って!」
彼女が突然立ち止まる。
「どうかしましたか?」
振り返ると彼女が木々の間にある天使の彫像を指差す。
「私、この天使の像を見たことがあるわ」
「えっ?」
「まだ小さかった私は、このあたりで転んだの。ひざだけでなく顔まで地面にぶつけて、痛くて泣いていたわ。起き上がれなくて、見上げると天使の像がなんだか怖く見えた。誰も来てくれなくて、心細くてさらに泣いていたら男の子が来てくれて、私を起こしてくれてハンカチで顔を拭いてくれた」
私はずっと彼女に渡そうと思っていたものをポケットから取り出した。
「これ、どうぞ」
手渡したのは紙に包まれたキャンディ。
不思議そうな顔をしながらキャンディを口の中に放り込んだ彼女は目を見開いた。
「これ!この味よ!あの時、助けてくれた男の子がくれたいちご味のキャンディは。今までいろんないちご味のキャンディを試してみたけれど、どれも何か違ってた。これこそ私が探していた味だわ!」
興奮気味に話す彼女。
「温泉地で温室のいちごをご覧になったでしょう?見た目がよくないいちごは加工にまわされます。このいちご味のキャンディは我が家のオリジナルで、どこにも売ってはおりませんよ」
「えっ?じゃあ…あっ?!」
とうとう我慢しきれなくなって私は彼女を抱きしめた。
「き、急にどうしたの?」
彼女が抵抗しないのをいいことに、さらにぎゅっと抱きしめる。
「あまりにも嬉しくて。家族のことさえ覚えていなかった貴女が私のことを覚えていてくれた。それだけで幸せなのです」
「…思い出したわ。あの男の子は『もう泣かないで、いつでも私が助けてあげるから』って言ってた。あれが貴方だったのね」
抱きしめていた彼女を解放して真正面から向き合う。
「そんなことまで思い出したのですか?!」
こくんとうなずく彼女。
「不思議だけど、このお庭のせいかしらね?」
再び歩き出して睡蓮の池へと向かう。
ただ、さっきまでと違うのは彼女と手をつないで歩いている。子供の頃に初めて出会った時にように。
「ここが睡蓮の池です」
「なんとなく覚えてるわ。あの時、貴方がここに連れてきてくれたのよね。水面に花が咲いているのがとても不思議だった。こうして見るととてもきれいね」
しばらく私達はベンチに座って無言で池の睡蓮を眺めていたが、やがて彼女の方から話しかけてきた。
「ねぇ、貴方は私の補佐役で、そしていつでも私のことを助けてくれるのよね?」
「もちろんです」
しっかりとうなずく。
「帰路でずっと考えてた。家族との関係は実際に会って話してみてからになると思う。ただ、今から貴族令嬢になれるとは思えないし、令嬢になるための努力をする気はないわ。だって私にはやりたいことがあるから」
「それは何でしょうか?」
彼女はすでに考えを固めていたことに驚きつつも問いかけてみる。
「今までずっと戦争のために使ってきた魔力を人々のためになることに使いたいの。それが出来るのなら軍に留まってもかまわないし、無理なら軍から退いてもいい。ただ、どう進んでいいかすらわからないから、貴方に手助けして欲しい。ダメかしら?」
私の方を向いて小首をかしげる彼女。
「それが貴女の望む道ならば、ありとあらゆる手を尽くしましょう。どうか貴女は思うがままお進みください」
私の言葉に彼女は小さく首を横に振る。
「いいえ、それは違うわ。私達は共に進むの。だって私だけではきっと何も出来ない。貴方がいるから前に進める、そうでしょう?」
「その言葉だけで私は幸せを感じております」
胸が熱くなり、それ以上の言葉が出てこない。
「この旅でずっと考えてた。私、貴方になら心を許せると思う。だから、これからは補佐役ではなくパートナーになってもらえないかしら?」
彼女を立ち上がらせ、その前にひざまずいて白い彼女の手の甲にキスを落とす。
「もちろんですとも。もう貴女の隣は決して誰にも譲りませんから、覚悟しておいてくださいね」