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前編

少し長くなったので前編と後編に分けました。

「停戦協定が締結されましたよ。つい先ほど王都から緊急通信が入ったそうです」


 最前線基地にある高級士官の居住エリア。

 外に置かれた木箱の上に座り、ぼんやりと遠くを眺めていた彼女に珈琲を手渡す。

「そう、よかったわね」

 まるで他人事のように言う彼女こそ我が国が誇る筆頭戦術魔道士で、その膨大な魔力と緻密な魔力操作、そして多彩な魔術による攻撃により短期間でこの地での戦闘を制した。それが早期決着に繋がったのは軍の誰もが知るところだろう。


「もう当分は戦争が起きることはないでしょうね」

 珈琲のカップを手にした彼女が言う。

「そうですね。今回の敵国は王の悪政により庶民の不満が限界を超えていて、敗戦を嘆くより我が国の属国になることを歓迎していると聞いております。すでに属国となった国々の早期復興と繁栄という例もありますからね。それに庶民の居住地や農地への被害はほとんどなかったとか」

「そうね。できるだけ軍事施設のみを狙ったつもりだけれど、それでも徴兵された者の多くは庶民だったでしょう」


 彼女が少し悲しげに目を伏せる。

「私は我が国では『勝利の女神』などとたいそうな呼ばれ方をしているらしいけれど、敵側にしてみればきっと恐ろしい死神よね」

 彼女自身は知らないだろうが、敵国の上層部からそう呼ばれていたのは事実なので返す言葉もなく、とりあえず話題を変えることにする。


「貴女はこれからどうなさる予定ですか?」

「そうね、王都に帰れば報告会や式典に呼ばれたりするのでしょうね。それが終われば…そうね、もし許されるのなら旅に出てみたいわ」

「旅、ですか?」

 思いがけない答えに驚く私に、彼女は無邪気な笑みを浮かべる。


「そう。温泉とかいうのに浸かると疲れも吹き飛ぶんでしょう?それからきれいな景色を眺めたり、海辺の町で新鮮なお魚を食べてみたいわね。まぁ、許されることはないでしょうけど」

 そう言って表情を消した彼女。

 生まれ持った膨大な魔力により幼少時にはすでに軍に招集されていた彼女は、外の生活をほとんど知らないのだ。


「もしよろしければ、私がなんとかいたしましょうか?」

「え?」

 小首をかしげる彼女。

「すでにご存知かと思いますが、私は交渉ごとは得意な方ですので、貴女の休暇くらいもぎ取ってみせましょう。それにこれでも貴族のはしくれですから、いろいろと伝手もあります。この戦場で貴女の補佐役となったことで思いのほか高い評価もいただきましたので、少しでも恩返しがしたいのです」


「それは貴方が努力した結果であって私のせいじゃないわ」

 私は首を横に振る。

「いえ、私がここまで上り詰めたのは、やはり貴女のおかげです」

「じゃあ、そういうことにしておいてあげる」

 彼女がそう言って微笑む。


「それから、もし無事に休暇を確保できたなら、ぜひ私を同行させてください。ああ、もちろん2人きりではなく、世話係も同行させますのでご安心を」

「どうして貴方がついてくるわけ?」

 彼女は不思議そうな顔をする。


「ずっと一緒にいて、貴女の人となりもそれなりに知っております。その上で率直に申し上げますが、貴女は危なっかしくて1人旅など心配で行かせられません」

 一瞬目を丸くした彼女は大笑いした。

「あはははは!貴方は本当に正直よね。まぁ、常識がないのは自覚してるわ。だって物心ついた頃から軍にいて、世間ってものを知らないんだもの」

「旅には同行させていただきますが、できるだけ邪魔はしないことをお約束しましょう。そして宿泊先や交通手段などの手配はお任せいただければと思います。可能な限り貴女のご要望に応えましょう」

 小首をかしげる彼女。

「あら、私はずうずうしいから我がまま言っちゃうかもよ?」

「なんなりと私に申し付けくださいませ、お嬢様」

 ここはあえて軍の敬礼ではなく、胸に手を当てて貴族の礼をした。



「ずいぶん立派な馬車なのね」

 戦後の式典や報告会などあわただしい日々をこなしながら、軍や国の上層部と話し合いを重ねて彼女の旅行の許可を得た。旅先の手配もなんとか間に合った。

「私の実家の馬車を借りました。長距離の移動となりますので、できるだけ乗り心地のよいものを選びましたよ」

「軍の馬車に慣れているんだから、乗り心地なんて気にしなくてもいいのに」

 そう言いながら馬車を眺める彼女。

「お言葉を返すようですが、これは貴族御用達の最新型ですよ。軍のものとは比べないでいただきたいですね」

 馬車には私と彼女、彼女の世話係として私の実家から連れてきた若いメイドと私の従者の4人が乗っている。

 出発前に若いメイドが彼女の服装や髪型を整えてくれた。


 旅行のためにあつらえたワンピース姿で微笑む彼女。

 彼女の旅行用の服や靴なども一通り揃えた。私服といえるものをほとんど持っていなかったのだ。

 今は髪も下ろしていて、なんだか普段よりも若く見える。

 いや、実際にまだ若いのだから、こちらが本来あるべき姿なのだろう。


「別にこんなにいい服じゃなくてもいいのに。普段の汚れてもいい格好で十分でしょ?移動の宿泊だって野営で十分だわ」

 自身の着ているワンピースを見下ろしてつぶやく彼女。

「それは旅行ではなく、ただの訓練遠征ですよ。そもそも旅というのは日常を離れて楽しむものですからね」


 やがて馬車が動き出す。

「私、この旅の詳細をまだ何も聞いていないのだけれど、これからどこへ行くのかしら?」

「まずは途中で2泊して、お待ちかねの温泉地へ向かいます。自然豊かな山間部にあるのですが、最近では温泉の効能だけでなく地元の料理が人気ですね」

「それは楽しみね」

 彼女が微笑みを浮かべる。


「貴女は本当に食べることがお好きですよね」

「だって、それくらいしか楽しみがないんだもの」

 軍の訓練場と戦場しか知らない彼女は、軍の味気ない食事でも楽しそうに食べていた。

「では、途中の休憩では屋台の料理も食べてみますか?」

「いいの?!屋台って移動中に見たことはあったけど、食べたことは一度もないのよ」

 目を輝かせる彼女。

「もちろんかまいませんよ。ご要望があればなんなりとお申し付けください」


 休憩時には、彼女は満面の笑みで屋台の串焼きや果実水を堪能していた。

「どれも本当に美味しいわ」

 戦場で死神と呼ばれた女性とは思えないほど無邪気な笑みを浮かべる彼女。

「地元の食材を使っていますし、何といっても作りたてですからね」


 木彫りの置物や銀細工を扱う屋台にも興味を持ったようで、いくつか手にとってじっと眺めている。

「おや、お嬢さんは見る眼があるようだね。お嬢さんが手にしているのは、独立したばかりの銀細工職人が作った髪飾りでね、若手の中では抜群の腕前とセンスの持ち主と評判なんだ」

 その繊細な模様が技量の高さをうかがわせる。


「ああ、それは貴女の黒髪に映えそうですね。お気に召したのなら私が貴女に贈りましょうか?」

 一瞬驚いたようだったが、すぐに無表情に戻って首を横に振る。

「いいえ、いらないわ。だって必要ないもの」

「休みの日にでも使えばよいと思いますよ。それに必要なものでないとしても、好きなものが手元にあることは心の豊かさにつながると思いますが」

「いいの、本当にいいのよ」

 そう言いながら持っていた銀細工の髪飾りを元に戻す。

 彼女は立ち寄ったり宿泊する町の屋台でいろいろと手にはするものの、結局何も買うことはなかった。



 馬車の中でうとうとしていた彼女に声をかける。

「さぁ、お待ちかねの温泉地に到着しましたよ」

 馬車を降りる彼女の手を取る。

「ここ、宿屋じゃないわよね?」

 瀟洒な建物を不思議そうに見上げて尋ねる彼女。

「はい。ここは私の父が保有する別荘です。もちろん温泉もあって源泉を引いてあります。今の季節は誰も利用しませんので借りることにいたしました」

「へぇ、貴方のおうちってすごいのね」


 まずは温泉を存分に楽しんでもらい、その後はメイドによるエステを堪能してもらう。

「温泉は熱すぎずぬるすぎず、いつまでも入っていられそうな温度で本当に気持ちよかったわ。そしてエステも上手で、つい眠ってしまったみたい」

「喜んでいただけて何よりです」

 湯上りのせいなのか、雰囲気も普段より柔らかいように感じる。


 夕食は地元で捕れた鹿肉や農産物をふんだんに使った料理を用意した。

「貴方も席に着いたら?」

 こちらで用意したシンプルながらも上品なワンピースに身を包んだ彼女から声をかけられる。

「よろしいのですか?」

「こんなに素敵なお料理を1人きりで食べるのは味気ないでしょう?」

 優雅に微笑んで小首を傾げる彼女。

「かしこまりました。よろこんでお供いたしましょう」


 彼女は料理には大変満足しているようだが、気になったことを聞いてみる。

「本当にお酒をお出ししなくてもよろしいのですか?このあたりはワインの産地でもあるのですが」

 彼女が飲んでいるのは地元で採れたぶどうのジュースだ。

「ええ。飲めないわけじゃないけれど、お酒は飲まないことにしているの」

「今は休暇中ですよ。出動することもないでしょうに」

 困ったように笑う彼女。

「それはそうなんだけど、自分自身に対する決まりごとのようなものだから気にしないで」


 食後のデザートは、いちごで飾られたケーキだった。

「まぁ!いちごがたくさんあるわ。こんな季節なのに」

 彼女がいちご好きであることは知っていたので、あらかじめ料理人に頼んでおいたのだ。


「この地では温泉の熱をさまざまな形で利用していて、本来の季節とは異なる果物や野菜を育てることが可能なのです。いちごもその1つですね」

「そうなの?温泉ってすごいのね」

 いちごを眺める彼女。


「そうだ、明日はいちごの温室へ行ってみませんか?すぐ近くにあるんですよ」

「ぜひ行ってみたいわ!」

 パッと彼女の笑顔が輝いた。


 翌日は近くの農家が所有するいちご栽培の温室を訪ねた。

「すごいわ!いちごがこんなにたくさんあるのね」

「ここは私の実家が出資している農園です。許可は取りましたので、好きなだけ採って召し上がってよろしいですよ」

「本当にいいの?」

 驚きで目を見開く彼女。

「はい。こういうのをいちご狩りというそうです」

「ふふふ、こんなすてきな狩りは初めてだわ」


「貴女は本当にいちごがお好きですね」

 たくさんのいちごを食べて大満足した彼女とともに別荘へと戻る馬車の中。

「そうね。でも正確にはいちご味のものが好きなのかも」

「いちご味、ですか?」

 果物のいちご好きというわけではなかったのか?


「私は軍に入る前の記憶はほとんどないの。幼かったからしかたないのだけれど、唯一覚えているのがいちご味のキャンディなの」

「キャンディですか」

「何があったか覚えてないけれど、泣いている小さな私にいちご味のキャンディくれた人がいたのよ。たぶんそれがおいしかったんだと思うわ」

「そうでしたか…素敵な思い出ですね」

「そうね、私にも思い出なんてものがあったのね。たぶん軍に入る前の唯一の思い出なのかもしれないわ」

 彼女はそう言いながら馬車の窓から遠くを見つめていた。



 温泉地の別荘で2泊して彼女に温泉を堪能してもらった後、馬車移動で途中3泊して海辺の町に到着する。

「ここも別荘、よね?」

 崖の上に建つ白い瀟洒な建物を見上げる彼女。

「はい。ここも父が所有する別荘です。魚料理の得意な料理人も手配済ですよ。部屋から海に沈む夕日が見えますし、夜の海もなかなかいいものですよ」

「そう…それは楽しみね」

 ただ、旅が進むにつれて彼女の表情が時折暗くなるのがずっと気にかかっていた。


 海辺の別荘に到着したその日は軽く近くの浜辺を散策し、夜は海鮮メインの料理を堪能してもらう。

「どれもとても美味しいわ。それにお料理に使われているお魚の種類が多いのね」

「魚は季節によっても変わりますね。鮮度を保ったまま王都まで運べませんから、新鮮な魚介を使った料理のためにわざわざこの地を訪れる人も多いですよ」

 小さくうなずく彼女。

「その気持ち、わかる気がするわ」



 翌日は少し早起きして漁港を見学した。

「ずいぶんにぎやかなのね」

「今年は天候にも恵まれて豊漁なんだそうです」

 市場では箱に入った魚を見てまわる。

「昨夜の料理でも驚いたけれど、こんなにいろんな種類の魚があるのね。それに色もきれいな魚もいるわ」

 その後は港町の商業エリアを散策し、海鮮料理が自慢の食堂で昼食をとった。


 その次の日は少し遠出してボートを借りて海に漕ぎ出した。

「すごいわ!海の底まで見えるのね。魚もたくさん泳いでる」

「このあたりは近くに集落もなく、訪れる人も少ないので穴場なんですよ。子供の頃はよく釣りに連れてきてもらいました。ああ、釣り道具も持ってくればよかったですね」

 彼女は苦笑いしながら軽く首を横に降った。

「いいえ、釣りはしなくてもいいわ。お魚は見るのと食べるので十分よ」


 夜は月夜の砂浜の散策に誘った。

「貴方の言うとおり、夜の海というのもなかなか素敵なものね」

「今日は満月なので明かりなしでも歩けるくらいですが、月のない夜は満天の星空が楽しめますよ」

 彼女が夜空を見上げる。


「満天の星空か…それも見てみたかったわ」

 また来ればいいじゃないですか…そう声をかけようと思ったのに、なぜか思いつめたような彼女の表情に言葉が出なくなった。

 沈黙の中、少し強い風が吹いて彼女の髪を揺らす。

「少し冷えてきたわね。戻りましょうか」



 そして明日はいよいよ帰路につく。

 少しゆっくりしたいという彼女の要望で外出はせず、昼間は海の見えるサロンでくつろいでいた。

「こうして何もしないという贅沢もあるのね」

 果実水のグラスを手にした彼女のつぶやきにハッとする。


 この旅は彼女に楽しんでもらおうと考えていろいろ準備していた。

 だが、少し予定を詰めすぎてしまったのかもしれない。

 長期の休暇など一度もなかった彼女には、こんな風に何もしない時間こそ必要だと思い至るべきだったのだ。


「大変申し訳ありませんでした。もう少しゆったりとした旅行計画にすべきでしたね」

「ああ、ごめんなさい。別に貴方を責めたわけじゃないのよ。今まで生きてきて、ただこうして何もせず、何も考えずに過ごすという時間が初めてだったから、贅沢だなって思っただけなの」

「どうぞごゆっくりお過ごしください」

 彼女を残して私はサロンから立ち去った。


 この別荘での最後の夕食の前。

「夕食の準備が整いましたので食堂までお越し願います」

 サロンへ迎えに行くと、彼女は少しけだるげに立ち上がった。


「ねぇ、今夜はワインをいただけるかしら?」

「え、よろしいのですか?」

 どういう心境の変化だろうか?

「ええ、いいの。今夜は特別よ」

 夕食時には我が家自慢のワインを何本か出してきて彼女に振舞う。

 いくら飲んでも酔うことがないという彼女は、ワインを堪能しつつも時折さびしげな表情を見せていた。



 夕食後。

 明日の予定を説明しようと彼女の客室を訪ねると、部屋に彼女はいなかった。

 あわてて探してみると、最上階にある海に張り出したテラスにその後ろ姿を発見した。

「ここにいらっしゃったんですか。探しましたよ」

「海を見ていたの。月明かりが海を照らしていて、とても綺麗よね」

 海を見つめる彼女の横顔はとても美しい。

 そしてしばらくの沈黙の後、彼女が口を開く。


「ねぇ、貴方はいつ私を始末するのかしら?」


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「名前のない物語」シリーズ
人名地名が出てこないあっさり風味の短編集
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