【第二部】第三十八章 託す想い
――森林部――
“怒り”と“泣き顔”を討ち取られ、“笑顔”と“愉悦”は不利を悟ってか“怒り”の遺体を回収し直ちに撤退した。“泣き顔”は青姫の<豪火球>で消し炭にされ、遺体すら残っていなかった。
「追わないのかえ?」
「――さすがに、これ以上はもたないにゃ」
琥珀の纏っていたオーラがふっと消え去る。かなりギリギリだったのだろう、琥珀は肩で息をしていた。あのまま交戦が続いたら、逆にマズかったかもしれない。それに、今は――
「ご主人達が心配にゃ」
「わかっておる。早速向か――」
まさしくその瞬間、青姫と琥珀は神楽と繋がる“門”が閉じるのを感じる。
「琥珀よ!」
「わかってる! 急ぐにゃ!」
青姫と琥珀は嫌な予感に駆り立てられ、神楽達のいる村の中央広場に急ぎ向かうのだった。
◆
――森林部・村への道中――
「何じゃ、あれは……」
「“赤い結界”?」
琥珀は地を駆け抜け、青姫は飛びながら森林を進み、村に向かっていた。青姫の戸惑う声に導かれる様に琥珀は木の枝に飛び移り、“それ”を見る。
そこには、村の中央広場を覆う様に、半透明な赤のドーム状結界が形成されていた。
――“アレはマズい”。
直感がそう告げており、更に速度を上げて村に向かおうと頷き合う琥珀と稲姫に、どこからか声が掛けられた。
「琥珀、青姫……そこにいたか」
半透明な人型の“それ”がいつの間にか近くにいて、琥珀と青姫に呼び掛けた。
◆
「我が君……?」
青姫の戸惑う声が“それ”に投げ掛けられる。
――“それ”は神楽の姿をしていた。
「時間が無い。この姿は、そうだな……説明が難しいけど、稲姫の<憑依>を応用したものだとでも思ってくれ。一種の精神体だな」
精神体の神楽は説明を続ける。
「今、身体から抜けて二人に“お願い”をしに会いに来た。――聞いてくれるか?」
「もちろんじゃ。何なりと申すがよいぞ」
「うちも何でもするにゃ!」
青姫と琥珀の色良い返事に神楽が口元を綻ばせ頷いた。――そして二人に“お願い”をする。
「二人には、既に脱出してる避難民達と合流して遠方――海を越えた先にあると言われる<中つ国>に行って欲しい」
◆
「何でうちらだけ……ご主人達も一緒に行くにゃ!!」
琥珀が狼狽えながら訴えるが、神楽は目を伏せ首を横に振る。
「面目無いけど、俺達は既に“奴”――蛟の言っていた強者であり、過去に稲姫を襲った奴に捕らわれてる。――長老や団長は殺され、二人に付いていた神獣は“取り込まれ”、蛟も無力化された」
神楽が無念そうに告げる。
「どうして……」
「あそこに半透明なドームが視えるだろ? アレが“奴”の能力――奴の力は“門”を閉めて“根源”からの力の供給を断つ。そして、奴はどうやってか身の内に“妖獣”を取り込むことが出来るんだ」
琥珀と青姫の目が見開かれる。
「そんな力、聞いたことも無いにゃ!」
「うむ。――だが、我が君が嘘をつく理由も無いのじゃ。本当のことなのじゃろうて」
混乱する琥珀に対し、青姫は冷静に事実として受け止める。神楽は二人に頷き話を続けた。
「だが、奴の力にも限度はある。今こうして、稲姫の力が使えていることから、門は完全には閉じ切っちゃいない。――それに、蛟を取り込めなかったことから、取り込める妖獣の量にも限度がありそうだ」
気休めになるかはわからないが、際限無い能力では無いと分かれば、まだ希望はあるだろう。
◆
「稲姫ちゃんはどうしてるにゃ?」
琥珀が話に出なかった稲姫について問う。神楽は一度目を伏せ――やがて、顔を上げて語る。
「稲姫は――今は俺の中で眠ってる。稲姫も“奴”に取り込まれかけたんだけど、最後の力を振り絞って<憑依>で核になる部分を俺と同化させたんだ」
神楽が胸元を手で抑える。琥珀と青姫にも、どことなく稲姫の気配を感じられる気がした。
「時間が無い。俺も直に元の身体に戻るだろう。話を戻すぞ。――琥珀。お前は生き残りを連れてここから脱出し、楓達を守ってやってくれ。――青姫。お前も一緒に脱出して、その後は“神璽”を探し出してくれ」
「我が君。“シンジ”とは何じゃ?」
神楽は蛟から伝え聞いたことを青姫に伝える。
「蛟から聞いた話だが、ここ“和国”に古くから伝わる勾玉の秘宝だ。――だが、いつしかこの国から持ち去られ、今はどこにあるかも定かじゃないらしい。そんな物を探してくれと頼むのは、荒唐無稽だとわかってるが――」
一度言葉を区切り、青姫が飲み込み頷くのを確認して続ける。
「神璽には伝承があり、“あらゆる異能の干渉を撥ね退ける”力があると伝えられている。――そんな伝承に縋るしか無いのも悔しいが、今はそれしか奴に対抗する手段が思いつかない。――俺達は“根源”からの力に頼り過ぎていた」
神楽が悔しそうに手を握りしめる。そんな神楽を落ち着かせようと、青姫が笑って答えた。
「わかったのじゃ、我が君。だけども、奴に対抗できそうな力――“根源以外の力”があれば、それでも良いのじゃろう?」
「ああ。他にも手がありそうなら探してくれ。奴はこれからも災いを齎すと、俺はそう確信してる。――あと、蛟が言っていたんだけど、『聖域で戦えば、奴の力もある程度はね退けられるかもしれない』と」
「なるほど……“根源”との繋がりを強くすることが出来れば、それも対抗手段になり得るのじゃな?」
青姫の飲み込みの早さに神楽が満足気に頷いた。そして、神楽はふと違和感を感じ、静かにしている琥珀を見た。
◆
琥珀は泣いていた。顔を伏せ、涙の雫が地面を濡らしている。
「琥珀。泣くでない。――わらわ達にはやらなければならぬことがある」
「――わかってるにゃ」
琥珀は袖で涙を拭い、目元を赤く腫らした面を上げ、神楽に向き直る。
「ご主人。約束にゃ。――絶対、死なないって」
「それは――できる限り抗ってみせるよ。約束する」
どこか自信無さげに応える神楽を琥珀が叱咤する。
「それじゃダメにゃ!! 死んで霊になっても“そいつ”を倒すって約束しないと、言うこと聞いてやらないにゃ!!」
「それ、既に死んでるんじゃないか?」
思わず笑う神楽だが、琥珀の喝に応える様に宣言する。
「わかった。俺が死んだら眠ってる稲姫も死ぬだろうし、絶対に生きてやる。死んでも今みたいに精神体としてあり続けてやる。――まぁ、稲姫の力が回復すれば、何とかならない気もしなくはないしな」
神楽は常のごとく自信ありげに笑って見せた。
「それでこそ我が君じゃ!! ――もし死んで何処へ去っても、どこまでも追い掛けるからの?」
「お、おう」
青姫がサラッと怖いことを言い、別の意味で気圧される。本当にやりそうな怖さがある。
「じゃあ、しばしのお別れだ。――また必ず会おう、二人とも」
「絶対にゃよ!!」
「うむ!! “しばし”の別れじゃ!!」
胸元に寄ってくる二人を神楽が抱きしめる。精神体なので恰好だけだが、二人は笑顔を見せてくれた。
そうして、神楽の精神体が掻き消えた。
――琥珀と青姫は頷き合い、避難民達と合流するため、村とは反対の方向に駆けて行くのだった。




