【第六部】第八十五章 行軍
――空香溪谷――
「あ~……涼しい。暑くなってきてたから川があると助かるな」
「もうすぐ夏じゃからのぅ」
早朝すぐに空香溪谷入りした神楽達は、川の上流にある滝壺に向け歩みを進めていた。
神楽が着物の胸元をパタパタして風を送り込んでいると、左隣を歩く青姫も同様にパタパタし左手をうちわにしあおいでいる。
パタパタするたびにチラチラ見える青姫の豊かな胸の谷間を思わず注視してしまう神楽だが、青姫が気付く様子はない。前に向き直りしばらくチラ見していると、右の首筋が急激にひゃっこくなった。
「――ひゃ!?」
「……戦い前だっていうのに余裕過ぎ」
神楽が首筋を右手で抑えながら右隣を見ると、いつの間にかレインがいた。かなりムスッとしている。
レインは右手に長い杖を持っている。その戦端から氷の欠片がハラハラと散っている。
――どうやら、魔法で首筋を冷やされたようだ。
「主様主様。お魚がいるでありんすよ?」
そんな神楽の服のすそがクイクイ引っ張られる。稲姫だった。
川を指差し、川の中を泳ぐ魚を楽しそうに眺めている。
「キレイな川だからよく見えるな。釣りをしたくなる」
「神楽。緊張しろとは言わんが、もう少し緊張感を持った方がよい。――まわりからにらまれておるぞ?」
蛟が後ろから話しかけてきたので神楽がまわりに意識を向けると、確かに少し視線を感じた。あまり好意的ではない。
「気負ったところでしょうもないとは思うが……まぁ、気を付けるよ」
神楽は小さくため息をつくと、行軍に集中する。周囲の状況を確認してみた。
◆
空香溪谷の川辺を行軍しているのは軍千五百のうち、およそ二十程だ。残りは半数ずつ左右に別れ、崖上を進んでいる。
普段は川辺を通過しているが、今回は神楽達以外は崖上に待機することになっている。
普段は利用しない場所であるが故に、地形把握やモンスターがいたらその排除をしておく必要がある。
滝壺までの道中にも崖上に登れる場所はあるが、先に大勢が崖上を進行しているのはそのためだ。
崖上の進行はどうしてもなだらかな川辺よりも時間がかかってしまうため、神楽達川辺組みよりも早くに入っている。
今のところは特に大きな問題は起きていないようだ。
神楽達に付き添う川辺組の者達は、滝壺が近付いてきたら崖上に移動する手筈になっている。川辺を進むのは状況確認もあるが、神楽達の護衛のためでもあった。
その指示を出した大将の法明は左上の崖上を進行している。
そんなこともあり、どことなく居心地の悪さを感じつつも、神楽は仲間や川辺組の将兵と共に滝壺に向け川辺をひた進むのだった。




