【第六部】第四十一章 空香溪谷
――富央城・本丸・仮設指令所――
「ソラカケイコク……溪谷か」
「ああ。大軍でも行軍しやすい幅広の溪谷だ。先月馬頭が軍の往来に使ったのは確認が取れている。我々も後城までの往来でよく使っていた場所だ」
「なるほど……じゃあ、今回もそうなりそうだな。溪谷って言うからには川があるんだろ?」
「その通りだ。川も幅広で上流には滝壺がある。水源としても使えるし、行軍にはうってつけの場所だな」
「流れは緩やかなのか? 大雨で氾濫したりとかは?」
「基本緩やかだな。氾濫したことはあるかもしれないが、聞いたことはないな……」
「なるほどなるほど……」
椿からの説明を受け、神楽はアゴに手を当てふむふむとうなずく。その口元はわずかにだがニヤついている。椿がいぶかしんで眉をひそめる。
「なんなのだ、一体?」
「いや、ちょっと思い付いたことがあって。――蛟」
「わかっておる。――言うと思っとったわい」
「流石」
神楽が話を振ると、こうなることを見越していたのだろう、蛟がため息をつきながら応じる。状況が飲み込めない椿含む和国民に告げる。
「儂は水を用いた術を得意としておる。それもあり里では“水神”と呼ばれている。天候を操作し嵐を呼ぶことも可能だ。――つまりは、その溪谷は儂にとって非常に都合のいい場所という訳だ」
◆
蛟が皆にそう説明すると、やはりと言うべきか、場がざわつく。
「まさか、嵐まで呼べるとは……!?」
「龍族恐るべしだな……」
「絶対に敵には回したくないぞ……」
「み、味方だ味方! 頼もしい味方だと喜ぶべきだ!!」
畏怖も多分に含まれているが、それよりも強力な力添えだと期待する声も大きい。
椿は清々しいくらいに笑顔だ。
「ははは! それ程か! これは敵の意表をつけるぞ!? ――なぁ、法明」
「お前は浮かれすぎだ。――だがそうだな。頼もしい戦力には違いない。――蛟殿。協力してもらえぬか?」
「元よりそのつもりで話を切り出した。――だが、神楽。お前にも手伝ってもらうぞ? わかっておるな?」
「当たり前だろ? 一人でやらせたりしないよ」
少し恨めしげに神楽をジト目で見つめる蛟だが、神楽はどこ吹く風だ。そんな時、神楽の袖がクイクイ引っ張られる。
「ぬ、主様。今回はわっちも一緒に行くでありんす!」
稲姫だった。どこか焦ったようにそう自己主張する。
「う~ん……でもなぁ。危ない立ち位置だし、今回も」
「昨日は我慢したでありんすよ! それに、魔素の豊富な場所ならわっちも役に立てるでありんす! カラステングだって、術に魔素を使うなら対抗できるでありんす! だから――」
昨日、琥珀を危険な目に合わせたばかりの神楽は渋い顔をするが、稲姫は必死だった。
(稲姫が今回の戦場に向いてるのはわかるんだけど。でもなぁ……)
そう悩んでいる神楽に声がかけられた。
「これからの戦い、稲姫の力も頼る時が来るだろう。その時に慌てないよう、実戦慣れは必要だ」
蛟だった。どうやら蛟は稲姫の参戦に賛成のようだが、稲姫に向け問いかける。
「だが稲姫、よいか? これは命のやり取りだ。神楽や儂も出来る限り汝を守るが、いつでもそうできる訳ではない。最低限、己の身は己で守れなければいかん。そのために、敵の命を奪うことをためらってはいかん。――汝にそれだけの覚悟があるか?」
蛟らしい心配の仕方、覚悟の確認だった。問いかけられた稲姫は少し困ったように神楽の顔を見上げるが、口元を引き結ぶと蛟に向き直り宣言した。
「主様はわっちが守るでありんす! ――もう、大切な人を失いたくないでありんすよ……。そのためなら、敵だって、た、倒すでありんす!!」
神楽はそれを聞きハッとした。また自分の決断で仲間を追い込んでいるのだと。昨日は琥珀を、今は稲姫を追い込もうとしているのではないかと。
止めたかった。でも、蛟の言う通り、これからの戦いは厳しくなるだろう。稲姫に実戦経験を積ませる必要性は確かにある。
――もう参戦してしまっている。それは自分が決めた。稲姫だけ安全な場所にという選択もできなくはないが、その結果、救えるはずの命を救えなくなる可能性だってある。
――迷う。だが、どうすればいいのか。
そんな時、神楽は後ろから肩に手を置かれた。――肩越しに振り返ると、優しげな表情をした青姫だった。青姫は言う。
「我が君一人で背負う必要などない。わらわも行こう。空を飛ぶ烏天狗と戦える者は限られておるしのぅ。――なぁに、稲姫は強い。わらわと組めば、術戦闘でそうそう後れは取るまいよ」
「青姫……」
その気遣いが嬉しく、思わず神楽は泣きそうになってしまう。だが、そんな場合ではないと気を引き締め直し蛟に告げる。
「わかった。稲姫も連れていく。――それに、俺が全力で守る。お前達の誰も死なせやしない」




