【第五部】第九十五章 空の屋敷の入口で
――富央城・二の丸――
富央城の二の丸の一角に、一軒の屋敷があった。その屋敷の入口に立ち、呆然と佇む侍がいる。彩乃だった。
その背中に心配そうな声がかけられた。
「彩乃……?」
声の主はコノハナサクヤヒメだった。富央城の奪還作戦が大成功に終わり、皆が城内の確認や設備修繕、補強をしている最中だ。
制圧が無事済んだため、コノハナサクヤヒメも入城した。それまでは彩乃の代わりのお付きを伴っていたが、彩乃を見つけたためその任を解除し、今は一人となっていた。
コノハナサクヤヒメに声をかけられ振り向いた彩乃は、魂の抜けたような虚ろな目をしていた。
コノハナサクヤヒメは静かに彩乃に歩み寄る。
◆
「サクヤ様……」
彩乃は、呆然とした面持ちでコノハナサクヤヒメの呼び掛けに答える。今はそれが精一杯というのは、コノハナサクヤヒメにもわかっていた。
コノハナサクヤヒメは彩乃の隣に並び、彩乃が見ていた“モノ”を見つめ、哀しげにまぶたを閉じる。
――そして、彩乃が抑揚のない声で語り出す。
「姫様達のお取り計らいで、両親と私は二の丸の屋敷に住まわせて頂いておりました。――ですが、ご覧の有り様です」
彩乃が自嘲気味に笑う。屋敷内の“惨状”を目の当たりにし、コノハナサクヤヒメの前と言えど、どうしても意気消沈を隠せずにいた。
――何も、無かった。
屋敷内には、家具など一切が何も無かった。
――いや、代わりに“別のモノ”があった。それもたくさん。
あるのは、鬼を中心とした妖獣達が好き勝手に散らかした食べカスや、ところ構わず撒き散らした糞尿ばかり。
彩乃が両親と共に過ごした名残は、欠片も残されてはいなかった。
「覚悟はしていたつもりでした……。奴らは所詮、獣ですから。しかし、これは……これでは、あまりにも…………。両親が身命を賭して守ろうとしたもの。それをこうも汚されては、私は二人にあの世で合わす顔がありません」
彩乃はただぽつぽつとそうこぼす。いつもなら、コノハナサクヤヒメのようなお上に言うべきことではないと自分の内に抱えるところだが、自暴自棄になりつつある彩乃はそれすらどうでもよくなっていた。
コノハナサクヤヒメは彩乃を見上げて、困ったように笑って言う。
「ご両親のお墓を作らない?」
「――――――は?」
彩乃は、一瞬、言われたことを理解できず、間抜けな声を上げてしまう。慌てて言い直した。
「両親は他の英霊達と共に共同墓地で弔われておりますが……?」
「それは知ってるけど……この屋敷の庭に、“あなたのご両親がいた証”を残しましょう? ――こんな状況だから、立派なのは難しいかもしれないけど……ダメ、かしら?」
彩乃は、ようやくコノハナサクヤヒメの言わんとしていることを理解した。その優しさに気付いた。それに気付くと同時、急に目の前がにじんでしまう。慌てて、袖で目元をぬぐう。
情けない声を出したくなく、泣いている姿を見せたくなく、黙り込んでひたすら目元を袖で隠した。
「………………っ」
コノハナサクヤヒメは、そんな彩乃の背中を優しく撫でながら続ける。
「あなたはご両親に胸を張っていいの。辛いのに、人一倍我慢して信じるモノのために頑張り続けてる。――謝らなくてはいけないのは、むしろわたしの方。わたし達の意地に巻き込んで、ご両親を死なせてしまった……。わたしのワガママに――」
「サクヤ様は、何も……悪くなど、ございません!!」
謝り続けようとするコノハナサクヤヒメの言葉を、彩乃は強い言葉で遮る。
まだおさまらぬ涙を見せぬよう、目元は袖でおおい伏せたままだ。でも、これだけは伝えなければと、言葉をつまらせながらも、彩乃はなおも続けた。
「サクヤ様は、ご自分のことが、お嫌いかも、しれませんが……! 私をはじめ、慕っている者は、大勢、おります! 誰も、恨んで、など、迷惑だ、などとは、思って、ません!!」
「………………」
彩乃なりの優しさ返しだった。コノハナサクヤヒメが抱いている劣等感や罪悪感。いつも身近にいてそれを一番理解している彩乃だからこそ紡げる言葉だった。
今度は、コノハナサクヤヒメが黙り込んでしまう。いまだ目元を袖で隠す彩乃にはその表情はわからなかったが――わかった。
――そして、それは間違いではなかったとすぐにわかる。
「あり、がと、ね……彩乃。あり、が、と――」
空の屋敷の静かな空に、声を押し殺して泣く二人の嗚咽が溶けては消えた。
【第五部・完】




