【第五部】第二十章 ワガママ
――留城・本丸・大広間――
イワナガヒメが、畳に三つ指をついて神楽に向かい頭を深々と下げたことで、場が混乱に陥った。
「姫様おやめください!!」
「姉様……」
「お、お顔をお上げください!!」
「小僧! お前からも姫様に言え!!」
イワナガヒメは誰にどう言われても、頑として顔を上げない。神楽の胸が痛む。だが、誠意を持って伝えなければいけない。
「それは……できません」
血を吐き出すような思いで、神楽はイワナガヒメに告げる。
「俺の力――“御使いの一族”の力は、“妖獣と信頼を築き、その力を借り受ける”ものです。だから俺達一族は――――俺は、妖獣達を――“仲間”を裏切れません」
頭を下げ続けるイワナガヒメの方を真っ直ぐ見つめながら神楽が告げる。クリスが横で心配そうに見つめてきているのがわかった。
再度、場が殺気立つ。
◆
「こんな、“妖獣を仲間”だと戯れ言を抜かす奴、頼りにするのが間違っとる!!」
「だが! 実力は確かだ!! 椿様と対等にやり合ってた!!」
「だからと言って、志を同じく出来ない者など信用できるかっ!!」
飛び交う怒号。神楽の力を目の当たりした者達はイワナガヒメのフォローに回るが、反対意見の方が圧倒的で、すぐに飲み込まれた。
「静まれっ!!」
大喝が飛んだ。立ち上がった椿からだった。
「当の本人にその気が無いのだ。今まで通り、私達は私達の力でこの困難を切り抜ける。――宜しいですね? 姫様」
最後の言葉は、今も頭を下げ続けるイワナガヒメに向けられていた。イワナガヒメは頭を下げたまま、肩を震わせた。
「わた、わたくしは……皆に死んで欲しくない! ご無理を言っているのは承知しています! ――ですが、ですがどうか!!」
顔を上げて神楽を見つめるイワナガヒメ。
――泣いていた。
目元を赤く腫らし、泣いていた。
涙を拭うべき手は、未だ畳についている。鼻水だって出ている。しかし、そんなことお構いなしに、皆が少しでも生き永らえる可能性を高めるため、一人の優しい少女が泣いていた。
皆が押し黙る。椿を含め、誰も何も言えなくなった。
神楽は――
「――俺だけでは、決められません……。俺達一族にとって――俺にとって、本当に大事なことなんです。仲間と話をさせて下さい」
それだけを言うのが精一杯だった。
◆
その場は一旦お開きとなった。周りの者達が、未だ泣くイワナガヒメをなだめながら立たせ、大広間から連れて出た。神楽とクリスは、椿に連れられ、通路を客間へと向かっていた。
道中、三者とも無言だ。軽口を叩ける気分でもない。
だが、客間に近づいた頃、椿が口を開いた。
「お前の好きにしろ。少なくとも私は、お前がここを去っても、恨みはしない」
慰めだろうか? わからない。
「だが、そうだな……。景気よく自分達でやるとは言ったが、正直、“勝ちの目”は無い。誇り高く最期まで戦い――そして、姫様達を逃がすだけだ」
椿が自嘲気味に笑う。
「自分達の弱さ故の結果だ。誰も恨みはしない。だが――」
椿の声が震える。
「敬愛する姫様のあのようなお姿は流石にこたえるな……。――済まない。言っても詮無きことだな。――私も動揺しているようだ。許せ」
最後は笑って言う。初めて向けられた笑顔かもしれなかった。
「姫様と……一緒に逃げないのか?」
神楽が問う。だが、椿は――
「姫様の言った通りだよ。私達や生きていく場所を守るため死んでいった英霊達に申し訳が立たぬ」
「だからって! 死んだら意味無いじゃないか!?」
神楽が叫ぶ。
椿は立ち止まり、振り返って神楽の目を見据えて答えた。神楽とクリスも足を止め、椿と向かい合う。
その顔は今までと違い優しく笑っており――そして、どこか辛そうだった。
「今ここで逃げたら、私が私自身を……一生許せないだろう。後悔するのは分かり切っている。自分のことだからな。――だからこれは……そう。私の“ワガママ”だな」
椿はそれだけ言うと、再び前を向いて歩き出した。神楽とクリスも続く。
強く気高い椿の背中は、どこか小さく見えた。




