【第三部】第三十二章 拮抗
――西の街道――
朱雀から放たれた大規模の豪火球が馬車に押し寄せる。それはまるで、隕石の落下を目の当たりにしているようだった。神楽達の視界が紅蓮で染まる。
馬が驚きからいなないている。神楽の<結界>と稲姫の<魔素分解領域>を併用して熱波も通していないはずだが、炎の塊が眼前に迫ってくる様は、生物の生存本能を刺激するだろう。エーリッヒがうまくいなしていなければ、きっと今頃馬達は暴走してしまっているに違いない。
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いよいよ豪火球が到達する。まずは稲姫の<魔素分解領域>と接触した。豪火球は領域に接触した先から、構造を成さない魔素へと分解される。濃密な火属性の魔素が赤く輝き周囲に拡がるが、その美麗さに感嘆をもらす余裕は神楽達には無い。
「ダ、ダメでありんす! 分解しきれないでありんす!」
稲姫から焦った悲鳴が上がる。稲姫の<魔素分解領域>は一級品だ。それは先日の<一角獣>からの逃走劇の際にも如何なく発揮されていたのだから疑う余地はないだろう。なにせ、あのジェニスの<光子線>すら難なく防いでいたのだから。
だが、朱雀の放った豪火球は止まらない。密度が高すぎるのだろう。端から分解はしていっているが、全てを分解しきる前にこちらに到達するのは明白だった。
そしてついに<魔素分解領域>が突破され、豪火球が神楽の張った<結界>に到達した。
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結界からひび割れるような嫌な音が聞こえてくる。稲姫の<魔素分解領域>でだいぶ削られ小さくなったとはいえ、それでもこの威力だ。
神楽は全神経を集中し、持ち得るすべての力を<結界>の維持に注ぎ込んだ。
どれくらいの時が経っただろうか。一瞬だったような、とても長かったような、神楽にはどちらとも判別がつかない。
――ともかくも、決着は訪れた。
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怖さから目をつむって神楽の服の裾をぎゅっとつかんでいた稲姫が、周りから上がる歓喜の声に目を開ける。その視界には――
豪火球が弾け、周囲に大きな紅の花を咲かせていた。とても美しく、幻想的な光景だった。
――そう。<結界>は破られていなかったのだ。稲姫達はなんとか生き残った。
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「馬鹿な……」
呆けた表情で朱雀がその様子を見つめる。
――有り得ない。
まず出てきた感想はそれだった。自分の全力を込めた豪火球が完璧に防がれたことなど、今まで一度たりともない。この事態は、朱雀をして認めたくない現実だった。
朱雀が次の攻撃手段について考えはじめた折り、当の馬車から飛び上がってくる青の鳥――いや、背に青い翼を生やした女がいた。朱雀のもとに向かい、グングンと近づいてくる。
朱雀はすぐさまその女に攻撃をしかけようとしたが、当の女から“待った”の声が掛けられた。
「待つのじゃ! わらわ達に交戦の意志は無い! 何もしていないのにいきなり仕掛けてくるのは、いくらなんでも酷かろう!?」
女――青姫からの全力の説得だった。そのために、我が身の危険も省みず、ただ一人朱雀に立ち向かって来たのだ。
朱雀の心が揺らぐ。人間と一緒にいるとはいえ、この女は明らかに妖獣。それも、自分と同じく妖鳥の部類に入る同族だったからだ。ちょうどその時、別の方からも声を掛けられた。
◆
「朱雀様! 朱雀様! お話してみるですの! この人達からは敵意を感じないですの!」
ピノだった。ピノがいつの間にか朱雀のすぐ近くまで来ていた。『危ないから離れていろ』と言ってあったのに、心配になってこちらに来てしまったのだろう。
目の前の青髪の女が目を見開いてピノを見ている。初めて見る“鳥人”に驚いているのだろうか。ピノも興味深そうに青髪の女を見つめていた。
その二人の姿に、朱雀はすっかり毒気を抜かれてしまった。大きくため息をつき、戦闘態勢を解除する。身体に纏う紅蓮の炎がおさまった。
「よい。わかった。話せ」
青姫はやっとまともに話ができるようになったことにほっと胸を撫で下ろし、自分達が妖獣と敵対する存在でないということを朱雀とピノに話して聞かせた。




