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キミカさま  作者: 九JACK
12/14

十二

 早朝。朝日の昇り始めでまだ薄暗い中、私は記者に連れられて、十四番ストリートに向かっていた。

 キミカさまとおぼしき人物は、早朝の新聞配達の頃合いにやってきて、新聞をもらっていくらしい。そこに立ち合うためだ。早起きは得意である。

 キミカさまのお世話をする前から、早起きは習慣だった。キミカさまのために祈りを捧げる時間が少しでも多くほしかった。教団においてはキミカさまへの祈りは「キミカさまのため」ではなく、神の子としての力で我々に恩恵をくださいという願いだったようだが。

 私はあのひまわりのような方が、病室のベッドではなく、こういう街中を普通に歩いて、普通の幸せを得て、普通に笑っていられるのを見られれば、幸せだった。

 そんなキミカさまに、今日、お会いすることができるかもしれない。記者の話によれば、その方はどこからともなく、普通に歩いてくるのだそう。不自由そうな様子はなく、新聞を受け取ると、「ありがとう」と鮮やかに笑って、街並みの中に消えていくとか。

 胸が高鳴っていた。確か、キミカさまは新聞が好きだった。だから、私が花を替えるのと一緒に新聞をお届けすることもあった。そのたびに「ありがとう」と笑顔を向けられることはとても喜ばしかった。あの笑顔がまた見られるかもしれないと思うと、万感の思いが込み上げてくる。大袈裟と言われようと、私は泣くだろう。

 キミカさまを探して、何十年と経った。女の子が大人になるくらいの時間は経った。もう叶わないと思っていた夢が、思いがけず叶う瞬間を、私はどう噛みしめよう? 別人だとしても、私はこの思いを止められないだろう。

「ここが十四番ストリートです」

「静かな通りですね」

「ええ、閑静な住宅街なので……一つ隣の十五番ストリートの喧騒が嘘みたいですよ」

 土地勘はないので、首を傾げると、記者は苦笑した。

「十五番ストリートは荒くれ者がのさばっていましてね。まあ、そんな中だから、僕の勤める新聞社があるんですけど」

「治安が悪いんですか?」

 記者は苦笑いでもって答えとした。

 まあ、どんな街にも闇はあるものである。私のいた街の治安がよかったのはたまたまだ。そんなあの街でさえ、他の街から見たら「怪しい」だの「胡散臭い」だのと思われる教団を抱えていたのである。世界とは歪だ。

 けれど、歪な中で自分の幸せを見つけることがこの世界に生まれた人間の使命なのだろうとも思う。そのことに人は気づけないから、哀れで、不幸で、神様なんてものを信仰しなければならないのだろう。

 私もそんな、哀れな生命の一つだ。キミカさまを信仰しなければ生きていけない、哀れな人間だ。キミカさまは人なのに、担ぎ上げなければ生きられなかった。

 もしかしたら、あの方はもう私の顔など見たくないかもしれない。自分を生に縛りつけていた輩の顔なんて、もう。

 それでも、「もしあなたが生きていたら」と願うことを私はやめない。これをやめてしまったら、私には何が残るというのだろう。私がキミカさまの笑顔を望まなくなったら、キミカさまは一体誰のために微笑むのだろう。

 自分のためには生きられなかったお方が。

「ところで、あなたは記者でしょう? 何故新聞を配るんです?」

 記者は質問すると、少し照れたような苦笑いをする。

「あはは、実はね、敵が多いんだ。昨日もマスターに匿ってもらったわけだけど、職業柄、誰かの何かを金に変えて飯を食ってるわけだからさ。知られたくない何かだったものを取り立てされてしまった人がたくさんいるんだ。僕は知ったこっちゃないんだけどね。ただ、その中には命まで狙ってくる人がいるし、僕がどこの記者かわかってるから、下手に出社もできないんだ。……で、新聞配達員に紛れて暮らしてるってわけ」

 本当はもっと凛々しいんだよー、と説得力のない童顔で記者は語る。私は束の間の他愛ない話に笑いをこぼした。

 気づいたのは、たまたまだ。

 通りにふらりと出てきた女の子。転びそうになるところを、記者が咄嗟に受け止めようとした。

 それが、どうしても過去の光景と重なったのと、先に記者から、隣のストリートの話を聞いていたから、私は動けたのだと思う。

 いつぞやのように、私は女の子を抱き留めた。その女の子は財布を取るなんてことはしなかったけれど、何かを奪おうとしていたのはわかった。

 対象じゃない相手の皮膚を貫く感触に、女の子が青ざめるのがわかった。きっと、この子は大人に唆されたのだろう。あの人を殺せば、お金をやるよ、とでも言われたのかもしれない。もしくは温かい食事か、お風呂か。屋根のある家か。

 どんな些細なものでも、なければ人間は欲しいと求めるものだ。いなくなったキミカさまを、私が探し求めたように。

 誰もが合法的に生きられるわけじゃない。それをわかっていたから、私はその子を抱きしめた。

 ただ一時でも、親の代わりに愛するように。

「大丈夫……」

 強張るその子の背中を撫でた。上手く手を動かせていないかもしれないけれど。ぎこちなくとも、愛を伝えたかった。

「大丈夫、大丈夫……」

 その子を抱きしめたまま、倒れる。赤い。血が世界に広がるような色が見えた。

「ちょっと……!?」

 そこで止まっていた時間が動き出したように、記者が慌てる。事態を飲み込んだのだろう。助けを求めて駆け回ってくれているのがわかった。

 助けてください、と繰り返される声に、まだ早い時間なので答えてくれる人もなく、記者の声に涙が混じっていくのを聞きながら、意識が薄れていく。

 約束通り、最後まで探したよ、と幸せになっているかどうかもわからない、いつかの旅の同伴に、心の中で告げた。

 そのときだった。

「おはようございます、新聞屋さん、いかがなさいましたか?」

 その涼やかな声に、私の意識は引き上げられた。目覚めないわけにはいかなかった。命の危機に瀕して尚、私は求めていたのだ、その声を。

 女の子を抱きしめていたところから顔を上げ、声のした方を見る。その姿を見るのは、何十年ぶりかというのに、その方は見目が一切変わらず、ただ、黒いローブを羽織っていることだけが、私の記憶にないだけで、見間違えようがなかった。

「キミカ、さ、ま……?」

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