第五話
作・孤独堂
ある期末テスト期間中の放課後、いつも通り部活に軽く顔を出しては彼女の元へと向かうつもりだった僕にアクシデントが襲った。
部室には壁にホワイトボードがあり、普段はそこに美冬先生からのその日の予定が書かれていて、それによって僕らは学校周辺のボランティア活動を行ったりしているのだが、当然書かれていない日も幾らでもある。
そんな日はどうするかというと、実は自由行動となっていた。
だから部室のパソコン(一台きり)で色々福祉について調べたり、関連図書を読んだり、屋外に個人的なボランティアを行いに出かけても良かったし、最悪帰っても問題はなかった。
そして現在はテスト期間中、当然美冬先生からのボランティア活動の話もこの期間はないので、ここ数日と同じく僕は、放課後は自主的なボランティア活動として彼女の元へ向かう予定だったのだ。
軽く挨拶だけするつもりで開けた部室のドアの先を見るまでは。
「あれ?」
思わず僕は声をあげた。
「あ、来た来た」
それに合わせて奥からはテーブルを囲む様に並ぶ椅子の一つに座る美冬先生の声。
更には見渡すと二年の男子が一人と女子が三人。一年の男子二人と女子四人もテーブルを囲む様になかばぎちぎちに椅子に座っていた。
(何事だろうか?)
今や三年の僕はかなり要なしに近い状態だ。その上三年でこの部室に今も顔を出しているのは男の僕だけと来れば、これは二年を主体とした新たな活動に向けての会議か何かでもあろうか。
そんな風に思ったから僕は、握っていたドアノブを離す事もなく
「あ、会議でした? 失礼しました」
と、なるべく無関心を装いながらそのドアを閉めようとした。
「あ、違うんです。先輩に用があるんです!」
しかしそれを拒む様に放たれた素っ頓狂な声。
それは二年の女子、池上恭子が慌てて叫んだ声だった。
「僕に?」
何事だろうか?
池上さんは現副部長という肩書きを持っている。そして現部長は一応僕。
そこから察するにもしかするとはこれは引退勧告かも知れないと僕は瞬時に判断した。
だとしたらこれはかえって都合が良い。
部活が無くなれば今よりもスムーズに且つ頻度も多く彼女の面倒を見に行く事が出来る。
だから僕はその言葉に多分ニコニコした笑顔で閉じかけたドアを再び開けると中に入って行ったのだと思う。
部室は本校舎と渡り廊下で繋がる木造の文化系部室棟の中にあり、それらはかつてのこの高校の旧校舎を使用したものだった。
だから入り口を入ると片方に寄せて廊下があり、その脇にはズラリと教室だった部屋が並んでいる。そしてそれらの前後にある入り口を利用して、真ん中から仕切ったのが部室となっていた。
中はおよそ十畳あたり。
その中心にはどの学校でも良く見かけるパイプ足の長テーブルが二列並べられており、周りには現在先生を含めた十一人が座っていた。
それはちょっとした壮観で、かつてこれだけの部員が全員この部室に集まった事はあっただろうかと思わず僕はその密度に眺めていると、先程の池上さんがまたもや僕に言葉を発した。
「座らないんですか」
「え、この中に」
思わず僕は本音を漏らす。
だって一体何処をどう掻き分けて座れというのだろうか。
そんな僕の表情に気づいたのだろう。
奥で一番場所を取る様にスリット入りのスカートから細い足を出しては椅子の上で足を組んでいる美冬先生が口を開いた。
「何もテーブルの前でなくてもいいのよ。椅子はあるからそこに座ったら。兎に角あなたが座らないと始まらないの。池上さんが話し合いたい事があるんですって。私もこの後用事があるから長くはいられないし」
そう言いながら先生は左手を掌の方を上にすると、手首に付けた時計を見る為か顔を下に向ける。
だから僕はその間にまだ幾つか壁際に積まれていた椅子から一つ取ると、その場でそれに座り、そして僕自身も口を開いたのだ。何故ならばこんな所で時間をかけてはいられないと思ったからだ。
「で、なんですか?」
話は簡単な事だった。
要は去年の社会福祉学園との懇親会以降、僕が個人的にそちらにボランティア活動に行っているという事についてだった。
「一年の鮫島さんに言われたの。『窪田先輩だけ一人で障害者施設に行ってるみたいですけど、いいんですか』って」
「ちょ、先輩! 私そんな風に言っていません!」
池上さんの話に反論する鮫島さん。
「私はただ『行ってるみたいですね』って言っただけです。それにこんな大袈裟な事になるなんて、困ります。私は関係ないですからね。大体池上先輩は私の名前を出したけれど、言ってるのは私だけじゃないし、他にも吉野君や斎藤さん、それに二年の先輩達は皆んな言っているじゃないですか」
女性同士の話というのは大概がこうなのだろうか。
何処か責任転嫁の応酬で、結局は元々は誰が言って騒いだのかは藪の中だ。
「ちょっとその前に。障害者施設って呼び方はやめてよ。社会福祉法人・夢が丘学園って名前があるんだ。れっきとした学校だよあそこは」
「そうね」
彼女たちの話に思わず口を出した僕に、ポツリとだが先生が同意する。
「それで、僕が個人的にそこに通う事の何が問題なの?」
先程の先生の同意に後押しされた訳ではないが、こんな話はさっさと切り上げたいという気持ちもあって、僕は続けて口を開いた。
「だからどうせ行くなら、皆んなに声をかけて一緒に行くとか。窪田先輩、実際のところあの時の、中学の同級生とかいう女の人に会いに行ってるんですよね」
「そうだよ」
きっと皆んなを代表して話しているのであろう池上さんの話を、僕は即答で答えた。
何もやましい気持ちはなかったからだ。
「それって彼女ですか?」
すると突然一年の男子から声があがった。
確か印旛沼君とか言う変わった名前の奴だ。
「違うよ。ただの同級生さ。一年の時同じクラスで、それ以降はクラスも違う。悪いか? そういう知り合いが事故で足を失って、それであーゆー学校に入って来た。それを気にかけて様子を見に行って悪いかよ」
「じゃあそれは、先輩の片思いって事ですか」
今度は先程の一年の鮫島さん。
なんだってこの子も人の事に一々興味を持ちたがる。
僕は少しイライラして来ていた。
どうせこの話になればそんな風に勘繰られるんだとは自分でも思っていたからだ。
「それも違う。そんな気持ちも持ってないよ」
それでもそんな感情は抑えて、僕はギリギリ冷静に答えようとしていたのだが、そんな僕の気持ちなど露知らず、先程の印旛沼君がとんでもない事を口にした。
「そりゃそうですよね。両足切断で車椅子なんて人と付き合ったら、逃げられなくなりそうだもん。よっぽど本気じゃないと、将来の面倒も見なきゃいけない訳だし、もう一生の話ですもんね。僕らまだ高校生だし」
「こっ」
『この野郎! 彼女だってまだ高校生だ!』そう叫んで立ち上がろうとした瞬間、僕の言葉を制する様に奥から声があがった。
「もういいでしょう。こんな話に先生まで呼んで。これじゃあちょっとした虐めじゃない。良い事をしている窪田君がなんで皆んなから色々質問されなきゃいけないのか分かんないわ。全く…窪田君も、一緒に行きたいって人がいたら連れて行くわよね」
「あ? ああ、はい」
突然割って入った先生の言葉に、僕は正直ちょっと面食らった感じで、その前の怒りから暫し放心状態の様に答える。
「じゃあいいじゃない。もうこんなバカな話は終わり。先生は用事があるから職員室に戻るわよ。それと窪田君も今日も行くならもう立って先生と一緒に出ましょう。あーバカバカしい」
そう言うと先生はそれまで組んでいた足を直すと立ち上がった。
それに呼応して立ち上がる僕と、その他数人。
先生の言葉で我にでも返ったのか、皆んな少し白けた表情をしている。
だから僕も、学校の様な集団生活の場ではこういう集団催眠の様な事は良くある事だと割り切り、前を歩く美冬先生のお尻を眺めながら忘れようと思った。
それは、あの桜の季節から少し経った五月のとある日の出来事で…
つづく
いつも読んで頂いて、有難うございます。