054『走る』
漆黒のブリュンヒルデ
054『走る』
どうやらオキナガさんの仕業のようだ。
玉代が従姉妹になって隣の部屋に住み着き、彼女を収容するために十坪ほど家が広くなった。
では、その分庭が狭くなったかというと変わりがない。
前の道路や、周囲の家にも変化がないのに、うちだけが広くなっている。人間業ではない。
ネネコも寧々子の名前でお向かいの娘という設定になってしまった。それも、グータラで引きこもりの啓介の、しっかりした妹という立ち位置だ。いったい、なんのロールプレイングだ。
そういう変化の一切合切を『よろしく呑み込んでくれm(__)m』という感じでスクネ老人が電柱の角で頭を下げた。
それから三日がたった。
緊急事態宣言が緩和され、少人数ずつの授業が始まる。少人数も、午前と午後に分かれて、午後の部のわたしは、そろそろ準備にかかろうと、玉代といっしょに部屋着を制服に着替えている。玉代にとっては初めて袖を通す制服で、自分の部屋に姿見が無い玉代は、わたしの部屋を使っている。
「ん……なにか聞けん?」
「二人分の足音?」
揃って窓から顔を出すと、角っこを曲がって走って来るねね子と啓介が見えた。
「なんか、面白そう!」
「あ、ちょ、リボンが……」
玉代に引っ張られ、リボンを結びながら表に出る。
「アハ、なにやってるの!?」
汗ビチャになりながらも意気軒高なねね子の足元で啓介がだらしなくひっくり返っている。
「なんかん罰ゲーム?」
「ううん、もう学校が始まろうってのに、体力無さすぎだから鍛えてんのニャ!」
兄の頭をグリグリ踏みつけながら、歪んだ微笑みを浮かべるねね子。
「いや……だからって……いきなり、ご、豪徳寺一周なんて、む、無理だって」
「啓介を鍛えちょったんだ!」
「そうか、それじゃ仕方ない、啓介も頑張らなくっちゃ」
「こ、こんな妹、いらねえ……」
生まれついての妹という設定になっているが、啓介は本能的に違うと感じているのかもしれない。
「なに贅沢ゆちょっと、いまどき、ここまで面倒見てくるっ妹っじょっちょらんとじゃ」
「ハハハ、やっぱ、玉ちゃんは分かってるニャー(^▽^)/」
「そうだよ、いい機会だ、引きこもりなんてダサいこと止めて、学校行け」
「さ、ニイニ、今度は豪徳寺の駅まで行くニャ!」
「え、ええ!?」
「さっさと、立つ、立つ!」
「そうだよ、啓介は豪徳寺からの通学なんだから、がんばれ!」
「学校終わったやかごんま流んマッサージしちゃっでね」
「ねね子、た、頼む~(>o<)」
「ほら、いくニャ!」
ドガ
「い、イタイ!、蹴るんじゃねえ(>_<)!」
妹に蹴られ、腰を押えなが走っていく幼なじみを見送って、そろそろ時間。
二人そろって制服で歩くのは初めてだ。
わたしの本性ははヴァルハラの姫騎士、玉代は皇祖神に近い玉依姫の化身だ。凛とした制服姿は人目を惹く。道行く人たちがチラチラと見ていく。どちらかと言うと、7:3の割で玉代に注目が行く。
「マスクしちょるんに……」
「かえって目が強調されるしね、眼鏡でも掛ける? いちおう用意してるわよ」
「あ、試してみる」
ダメだった、眼鏡をしても溢れる魅力というのか、世間には眼鏡属性がけっこういるというか。
「火山を噴火させるとこまではいかないけど、神さまオーラがすごいのよ。はやく、この世の空気に馴染むことね」
「うん、努力すっ……」
手っ取り早く、猫背になるとか目を伏せるとかして『構うんじゃねえオーラ』を発散すればいいんだけど、玉代の神性は、そういう暗い演技は受け付けないようだ。
ザッザ ザッザ ザッザ ザッザ…………
もう少しで宮の坂駅というところで、十人ほどの学生が隊列を組んで駆けてくる。
部活のランニングのようだが、雰囲気が違う。
ねね子と啓介の心温まるオチャラケランニングを見たせいか、とても、ストイックで張り詰めた空気に引きつけられる。
なによりも、わたしと玉代に見向きもしないで走って来るので、こちらが端に寄って避けなければならないことが可笑しい。
「こん世んもんじゃなかわね」
「あれは、妖たちよ……」
「ほうっちょけんわね……」
あとの言葉はいらなかった。
一瞬で隊列に追いつくと、全員の足を止めてやった。
学生たちは、大人しく止まったが、たいそう所在なげだ。
「あたたち、七十七年ぶりに立ち止まったんね。おやっとさぁじゃった、二人で送っちゃるわ」
阿吽の呼吸で隊列の前後に回り、そろって合掌し、次の瞬間に前後から気を送って隊列の真ん中でショートさせる。
バチバチバチバチバチ……
無数のポリゴンのようになって隊列は霧消していった。
「しまった」
「どうかした?」
「いや、いつもだったら、一人一人に名前を付けて浄化してやるんだけどね」
「今んな無理じゃ。もう七十五年も走りっぱなしだもん、名前を取り戻したぐれでは浄化はできらんかったんじゃ」
「うん、でもね……」
「でも?」
「ううん、もう済んだことだし、学校行こう」
「うん」
カンカンカンカン……
ちょうど宮の坂の遮断機が上がった。なにかの結界が開いたような気がした。