043:『郡上八幡の千代子』
漆黒のブリュンヒルデ
043『郡上八幡の千代子』
学校からバイト先までは二キロ近くある。
でも、ほとんどペダルをこぐこともなく十五分ほどの小旅行。
校門を出て吉田川にぶち当たったところで右折。あとは川沿いに緩く下ってスピードを絞りながら西に進む。
吉田川なんて、同じ岐阜県でも地元の人しか知らないだろう。
二キロほど下ると長良川に合流している。長良川は鵜飼で有名だから日本人の半分以上は知ってる。でも、吉田川は「え、どこそれ?」になってしまう。
小学校まで世田谷に居たわたしは、この吉田川の下流沿いの町、郡上八幡が気に入ってる。
吉田川沿いに下っていくと、八幡神社の前を通り、八幡病院、町役場を左に窺いながら本町通りに入る。
八幡神社の前では自転車を止めて手を合わせておく。
日常生活の中で、ここだけはお辞儀をしておかなければならない所があるのはいいもんだと思う。手を合わせて、地元のお婆ちゃんなんかと一緒になると、とても心が和む。時にはみかんやとれたて野菜を頂いたり、得をすることもある。
「感心ねえ、いつも手を合わせて」
「あ、習慣ですから(n*´ω`*n)」
「あなた山内さんていうのね」
「え、あ?」
スポーツバッグの口が開いていて、雑に突っ込んだ体操服のゼッケンが覗いてしまっているのだ。
「下のお名前は?」
あんまり答えたくない。わたしが、この街に来たのは親の離婚が原因で、そのために苗字が変わって新しくなった氏名が、この街では特別なものだから、ちょっと気が引ける。
「はい、千代子って言います」
「え!?」
ほらきた、お婆さんは目を丸くした。
「まあ、山内一豊の妻!?」
「ああ、うちは『ヤマノウチ』じゃなくて『ヤマウチ』ですから、千代じゃなくて千代子だし」
「いえいえ、どっちも字で書いたら『山内』。千代子って、千代さんの子どもみたいじゃない。じっさい一豊と千代の間には早く亡くなった一人娘が居たのよ。まあまあ、じゃ……みかん無いから、これあげる」
「はい?」
なんと、もらったのは宝くじ。お断りしたんだけど、縁起物だからといって断り切れなかった。
山之内一豊というのは戦国時代の武将で、元は信長に仕える下級武士だったけど、のちには土佐一国を治める大名になる。
その奥方が千代と言って、この郡上八幡の出身なのだ。
山の上にはお城があるんだけど、お城の殿様よりも、千代のほうが圧倒的に有名。御城下の公園には大きな銅像があったり、天守閣に入ったところには千代のポップが立っていたりして、初めて見た時にはびっくりした。
中学じゃ、体育祭の賞状や商品のプレゼンターに指名されて、朝礼台で授与するときにはずいぶん囃し立てられた。
さて、アルバイトだ。
新町通の喫茶店がアルバイト先。
近ごろ外人さんの観光客も増えだして、郡上八幡は観光ベクトルが右肩上がり。去年は、周辺の町村との合併を果たし、郡上市になった。
町役場は、大正時代に出来た外観をそのままに観光資料館だったっけ? そういうのになって、レトロな雰囲気が喜ばれる観光スポットになっている。
そして、お土産屋さんや食べ物屋さんが、この数年の間に出来て、街の賑わいを増している。
そんな新町通で始めたアルバイトは焼肉屋さんだった。焼肉だけでなく、お好み焼きもやるようになって、若い観光客も脚を向けてもらえるようになった。
お店では、わたしの名前が縁起いいというので、名札を付けたらと言われたんだけど、それだけは勘弁してもらった。
でも、焼肉屋さんは先月で辞めた。
あ、名札のせいじゃないよ。
お向かいの喫茶店のマスターがバイトの子に辞められて困ったと、うちのお店に来てこぼしていったのが縁の始まり。
マスター同士が同級生ということもあって、移籍したというわけ。
焼肉屋のバイトって、その……匂いが付くでしょ。
むろん、バイト中は着替えるし、家に帰ったらお風呂にも入るんだけど、二週間もするとカバンとかにもうつっちゃうし、替わろうかなあと思っていた時だったから、まあ、渡りに船でもあった。
でも、いっしょにバイトしていた同級の子は、そういうの気にしない子で、今も焼肉屋さんで働いている。
「……だからさあ、日本も夫婦別姓になればいいのよ。そうしたら、うちらだって……」
「そうよね、タイだって、この四月からは夫婦別姓認めたって、ニュースでゆってたしい……」
先週から、近くの旅館に連泊しているプチ常連さんが窓際の席で盛り上がってる。
勤め先が外資系の進んだ会社で、年に一回まとめてバカンス休暇がとれるそうだ。日に二時間ほどは、うちの店に来て、こういう話をしていく。
「千代ちゃんて東京の人でしょ?」
「たぶん、世田谷?」
三日目には出身を言い当てられてしまった。
言葉が標準語だし、マスターが時々東京の話題とか振ってくるので……かな?
名前を知られたのは、マスターが「千代ちゃん」と呼ぶから。
でも、プチ常連さんは山内一豊の妻は知らない様子なので助かった。
別のプチ常連の外人さんが深刻な顔をしている。
いつも陽気な人たちだったので、何かあったのかと、つい耳をそばだててしまった。
でも、英語だから分からない、アハハ。
「ローマ法王が亡くなったそうだよ」
英語の分かるマスターが、こっそり教えてくれた。
新聞を読むと『ヨハネパウロ二世死去』と出ていた。
お客さんはカトリックなんだろうけど、法王さんが亡くなって、深刻になるというのはピンとこない。うちは浄土真宗だけど、門主が亡くなっても『あ、そうか』だ。それに、門主さんが誰なのか知らないしね。
新しい法王は二週間ほどで決まった。枢機卿たちが集まって選挙をするんだ。枢機卿って、なんだかアニメとか世界史の授業みたいで、ちょっと時空を超えた不思議さを思った。
「法王選挙は大変でな、枢機卿たちはお互い腹の内を探り合う。だから『コンクラーベ』って言うんだぞ」
「アハハ、うそだあ(´艸`)」
下手なオヤジギャグを言うマスターだと思ったら、ほんとうにコンクラーベっていうのでビックリした。
ショックだったのは、兵庫県の福知山線の事故。
百人以上が亡くなって、五百人以上の人が負傷した。列車は、グニャグニャのバキバキだし、ショック。テレビが繰り返し現場の様子を流すのもどうかと思うんだけど「それを繰り返し見てしまう俺たちもなあ」と呟くマスターもごもっとも。
「預かってきたよ、先月分のお給料」
焼肉屋でバイトを続けている同級の子が先月のお給料を持ってきてくれる。
「え、こんなに!?」
予想より多い金額に驚く。
「慰労金も入ってるんだって、喫茶店が暇になったら、また手伝ってってゆってた」
「うちはヒマにはならねえよ」
マスターが鼻を膨らませる。
わたし的には、両方とも……街中繁盛してほしい。一生住み続ける街だし……たぶん。
「じゃね」
腰を上げた同級もお尻には尻尾が生えていた。
眠っていた意識が戻った、こいつはねね子だ!
「宝くじの発表出てるぞ」
マスターが放ってくれた新聞を見る……当たってる!
あのお婆ちゃんにもらった宝くじ、千円当たっていたよ!
千代の千円。
ちょうどいいんじゃないだろうか(^▽^)/




