第八章 「二人の試み」
展望台は、ところどころを街灯で照らされていた。しかし、ベンチに座るデュラハンの場所には、その灯りは届いていなかった。デュラハンを照らすのは、空でさえざえと輝く大きな満月だけだった。
デュラハンは、背もたれに背中を預け、満月をぼうっと見つめながら、キリアとの対話を続けていた。
「デュラハンは、誰かに、特にマリアに評価されて、自分は生きていていいのだ、と安心したい。そう考えているのか?」
デュラハンは少し驚きながらうなずく。
「そう、そうなんだ。安心したい。確かにそう思っている。しかし、そのためには、マリアに評価されることが必要だ。そして、マリアに評価されるには、何かに勝たないといけない。勝ち続けないといけないんだよ」
「勝ち続けなければいけない……。いったいどれだけ勝ち続けるの?」
「どれだけ……。ずっと、なのかもしれない。さっきまでの報告会でもわかるだろう? あたしたちの組織には、大きな目標がある。マリアは、その目標を達成するために、勝利を欲している。それを満たすことができた者が、マリアに評価されるのだ」
デュラハンは、「ずっと勝ち続ける」という言葉を、改めて口にしたことで、自分の心と体が不調であることが、さらに不安になった。今のままで、ずっと勝ち続けることができるのだろうか。
「そうか。デュラハンは、組織のために、マリアのために、勝ち続けることを決意したのか。だから、キャメロットに対する勝利にこだわっているんだ」
デュラハンは、キリアの言葉にうなずく。確かに真実だった。しかし、自分の言葉に息苦しさを感じた。これでいいのだろうか?
すると、キリアが続けて質問する。
「デュラハン、一つ訊きたいことがあるんだ。その気持ちはマリアには伝えているのか?」
「えっ?」
「デュラハンが、マリアに評価されて、安心したいと思っていることや、組織やマリアのために尽くす覚悟を持っていることを、伝えているのか?」
「いや、そんなことは伝えていない……」
「そう、だったのか……」
キリアは、ためらうように一呼吸おいて、デュラハンに誠意をもって告げた。
「デュラハン、今から伝えたいのは、決して真実ではないよ。わたしが感じたことなんだ。それを最初に断っておくから……」
「いったい何を……」
「あの報告会をともに体験して、わたしは、デュラハンがマリアから愛されていない、と感じたわ」
デュラハンは、どきりとした。それは、胸をえぐられるような痛みを伴っていた。
キリアは、告白をそのまま続ける。
「マリアは、目標達成のためだけに、デュラハンのことを利用しているように見えた」
デュラハンは、一瞬だけ寂しい顔をする。
「そう……かもね。あたしも、そうかもしれないって思う。でも、それでいいよ。あたしにとってはマリアから評価されればそれでいい」
「そんな……」
キリアは、デュラハンに対して怒るような口調で続ける。
「そんなの違うよ! なんで、そんなに聞き分けがいいの? わたしは全然納得できないよ。マリアは、あなたの母親でしょ? わたしだったら……。わたしだったら! 利用されるんじゃなく、ちゃんと愛して欲しい」
デュラハンは、キリアが感情をむき出しにして、話していることに驚いていた。
これまで、キリアは、あたしの行動や言葉を、面と向かって止めるようなことはなかった。基本的に、デュラハンのことを尊重して、何も言わず信じてくれていた。
そのキリアが、これほど感情が高ぶるなんて……。いったい何があったのか。
デュラハンの沈黙が少し長くなった。キリアは、さっきの言葉を取り繕うように言葉をつなげていく。
「ごめんなさい。ちょっと熱くなってしまった」
「そうか、あたしは大丈夫だよ。そっちこそ、大丈夫なのか?」
キリアは黙り込んでしまった。いろいろと考えているのだろうか。少し間をおいた後、キリアは自分の気持ちをゆっくりと探るように、心を込めて話し始めた。
「あの報告会の、マリアや他の黒のアイドルたちの反応は、わたしの家族と同じだった。あの人たちが見せていた『余計なことをしてくれた』と言いたそうな、あきれた顔と無関心な態度とそっくりだった。デュラハンとともに、あの場を体感していると、わたしの中に封じ込めていた納得できない気持ちがよみがえってきた」
「そう、だったのか」
キリアが、決して平坦な道ばかり歩いていたのではないことを知って、デュラハンは、次の言葉をなくしていた。
「デュラハン、驚かせてすまなかった。ようやくデュラハンのことが少しずつわかってきて、つい口が滑ってしまったんだ」
キリアが、はにかみながら話しているの想像できる口調だった。
いつの間に、キリアとの距離がこんなに近くなったのだろう。
キリアにとって、デュラハンは侵略者のはずだった。忌み嫌われるのが当たり前で、受け容れられることはないと思っていた。
キリアに自分のことを知ってもらえたというのは、身震いするほどうれしかった。もしかすると、マリアに評価されたときと同じ感覚なのかもしれない。
キリアになら、何を言ってもわかってもらえる。何をしても許してくれる。そんなふうに思えるほど、慕い始めていることに気づいた。
そして、もう一つ気づいたことがあった。それは、キリアという人間を何も知らないことだった。
聖杯浸食から二年が経過していた。
キリアと日常的に会話ができるようになって以来、初めてこんな気持ちになった。
彼女ともっと話したい。彼女のことをもっと知りたい。
何が好きで、何が嫌いなのか。どんな考え方をするのか。これまでどんなふうに生きてきたのか。どんなことをしたいのか。
そして、あたしのことをどう思っているのか。
デュラハンのこれまでの生涯で、意思を持つ他人との交流はほとんどなかった。同じ組織の仲間がいたが、積極的にコミュニケーションをすることはなかった。する必要を感じなかったし、しなくても問題は生じていなかった。
どうして、キリアと話したいと思ったのだろう。どうして、キリアのことを知りたいと思ったのだろう。
誰でもいいわけじゃなかった。キリアだから、だった。
誰かと真剣に向き合うためには、いろいろなことを考え、その人のことをたくさん知らないと、渡り合えないからだろうか。
そんなふうに考えていた。
「こんなふうに会話ができるようになってから、一年ぐらいかな。ようやくデュラハンとの、この関係を受け入れることができるようになった。少し、長かったな」
キリアがさらに心の距離を狭めてくれた。デュラハンは、泣きたいような、笑いたいような複雑でうれしい気持ちが込み上げてきた。
キリアのありがたい言葉をかみしめていると、デュラハンはふと気づいた。
一年……、一年前といえば、あたしがキャメロットに敗北したときだ。
そうだ! キリアが目覚めたのは、ちょうどそのあとだった。
デュラハンは自分の思考がつながる感覚におののく。
もしかしたら、私がキャメロットに敗北したことと、キリアが目覚めたことの間には何か関係があるのもしれない。
これはあたしの思い付きだ。しかし、この思い付きは正しいと信じることができた。
心が通じ合ったキリアのことをもっと知りたい。そして、自分の心と体に何が起こっているかを確かめたい。
キリアのことを深く知れば、きっと彼女と共感できる。共感できれば、キリアの体を効率的に動かすことができるし、「聖杯を一つにする」方法もわかるかもしれない。
『ザ・インダクション』のときのように、気を失ったあと、行動不能となる失態を演じたくない。そのために、確実にやり遂げる。
キリアに会いたい……。キリアと向き合って対話がしたい。キリア自身の口で自分の過去、現在、未来を語ってほしい。
デュラハンが心を込めて願ったそのとき、ベンチの右隣スペースが淡くひかり始める。
その光は人型の輪郭を持ち、光の中からキリアの姿が現れた。アヴニール大聖堂のときと同じように、すぐに触れることができる距離だった。
デュラハンは、うれしい気持ちを隠し切れず、思わずキリアの左手を取る。そしてキリアの瞳をまっすぐ見つめて、焦るように告白する。
「あたしは、キリアのことをもっと知りたい。」
「えっ……いきなりどうしたの?」
「あたしの心と体の不調は、一年前のキャメロットに敗北したときから始まった。そして、キリアが目覚めたのは一年前。どちらも一年前なんだ。これは偶然じゃない。キリアはなぜ目覚めた? キリアが目覚めたことで、何がどう変わったんだ?」
「ごめんなさい。わたしには全くわからない」
「それでいい。だからこそ、あたしはキリアのことをもっと知りたい。おまえのことを深く知れば、キリアの聖杯とあたしの聖杯の共存の可能性が見つかるかもしれない。そうすれば、あたしは、自分の心と体を存分に使いこなすことができるようになる」
「……、わかった。わたしのこと、話すよ」
「ありがとう……」
キリアの手を両手でつつむように持ち、優しい口調と表情で伝えたあと、そっと手を離した。
デュラハンはさっそく調整を始めた。
「対話は、聖杯の中で行おう。あたしがイドラの聖杯浸食の力を使って、キリアの聖杯に侵入する。それから囚われているおまえの元へ行く。そこで、じっくりと真剣に対話しよう」
「わかった。さっそく始めるのか?」
「いや、場所を変えよう。静かで、邪魔が入らなくて、心に深く潜れる場所にしよう」
キリアは、怪訝な顔をして、首をかしげる。
「それは、どこなんだ?」
「イドラの大釜だ。深夜に宿舎を出て、イドラの大釜に行こう。着いたら、湖の中に入って、イドラ・アドミレーションの強い浮力を活かして、湖面に浮かぶ」
キリアは、真剣な表情でデュラハンの話を聴いている。デュラハンは話を続ける。
「そうすれば、体を休めると同時に、五感の働きを少なくできる。これで、心の働きに集中することができる」
「そうか、納得したよ、デュラハン。最適な場所かもしれないな」
キリアは「改めて、よろしく」と言って、先ほどまでデュラハンに右手を差し出す。デュラハンも右手を差し出して握手を交わした。
デュラハンは、キリアと話すことに「救い」を感じていた。それは、まず、心の中にたまったものを吐き出して、すっきりすることで感じた。そして、それ以上の効果があると感じていたが、まだ自分の言葉で言い表せなかった。
これからキリアと行う対話で、再びその救いがもたらされ、自分の悩みをすべて解決してくれる。デュラハンの心は、そんな期待感で満たされていた。