第四章 「あたしとわたし」
デュラハンは、逸る気持ちを抑えるために、目をつむって、瞑想をしていた。体に夜風が当たる。風が吹き付ける圧力、耳のそばを通り抜ける音、肌を切り裂くような冷たさを感じて、すぐに心の脇に置く。深くふかく自分の心の底に潜っていくようだった。もう少しで底へたどり着ける。
そのとき、下から大きな歓声が湧き上がる。デュラハンはその歓声も脇に置こうとしたが、できなかった。目を見開き、足元を見る。そこに広がっていたのは真上から見下ろした、巨大なドームを持つライブ会場。今まさに、ドームが開き、中に押し込められた歓声が外に飛び出してきたところだった。
デュラハンはドームのはるか上空で、自分の輝化スキルによって空中に直立しながら足元を見下ろす。そして、深呼吸した。今すぐにでも、空中から自由落下し、あのドームの中に乱入したい気持ちを抑えるためだ。再び寒さを感じて、かぶっていた全身を包むマントで、口元を隠す。ドームから歓声だけでなく、司会の実況も聞こえてきた。デュラハンは、気にしないようにするため、ドーム会場から目を逸らす。
「みなさま! お待たせいたしました! これより、世界中の有力なアイドルたちが集い、火花を散らす、世界最高峰のフェス、『ザ・インダクション』の第五節を開始します!」
再び、デュラハンのところまで届く、空気を震わせるような歓声が会場から湧き上がる。
「本日は、イタリア代表の三人組ユニット『リモーネ』と、イギリス代表の四人組ユニット『キャメロット』の対戦です!」
デュラハンは、キャメロットという言葉を聞いて、目を逸らすこともできなくなった。
「リモーネは、ここまで一勝三敗。少し勝ちから遠ざかっていますが、初出場のフレッシュさを発揮し、ここまで健闘しています! 一方、キャメロットは、三勝一敗。初戦の日本代表ユニット、那由多四十七士に敗北しました。しかし、さすがは伝統のあるユニット。その後は、堅実な試合運びで三連勝を果たし、波に乗っています!」
両ユニットを応援するオーディエンスが交互に歓声を上げている。
デュラハンは、早く闘いたくてうずうずしていた。しかし、今、会場に乱入すれば、リモーネとキャメロットの二つのユニットに挟撃され、敗北してしまうのは目に見えていた。それはわかるのだが……。
デュラハンが逸る気持ちに負け、自分の輝化スキルを緩めて、落下を始めようとしたとき、「待て!」と頭の中で声がした。
デュラハンは、びくっと反応し、再び輝化スキルを強めて、空中にピタリと静止する。頭の中の声の主は、デュラハンの行動をたしなめる。
「今、飛び込めば集中攻撃にあって何もできずに敗北するとわかっているだろう? なのに、なぜ飛び込もうとするんだ? 勝者が決まるまで待っていろ」
デュラハンはその言葉をうれしく思いながら、その声に応える。
「わかっているよ。つい、な。止めてくれてありがとう」
デュラハンは自分の胸に優しく手を当て、慈しむように語り掛ける。
「ようやくお目覚めか? キリア」
頭の中の声の主、キリアは「ああ」と応える。
「なかなか起きられないくらい、いい夢を見ていたのか?」
キリアは、少し考えるような間を置いて、デュラハンの問いに答える。
「いい夢、ではないよ。二年前に、あなたにイドラ化されたときを再体験するような夢だ」
デュラハンは、心が少しざわざわした。この感情は何だろう。罪悪感か? 心を懸命に落ち着けて、「なぜ、そんな夢を見たんだ?」と尋ねた。
「夢を見る理由などわからないけど、あえて、挙げるとすれば……、ザ・インダクションは全てのアイドルの憧れの舞台だ。優勝を夢見てがんばっていた頃を思い出し、白のアイドルだった頃に懐かしさを感じたからかもしれないな」
キリアは、ゆっくりと落ち着いた調子でデュラハンに告げた。
デュラハンは、安心した。キリアが聖杯侵食に対する恨み言を述べ、自分を責めるのだと思っていた。
キリアに変わらずに受け容れらていることを確認して、デュラハンはようやく心を落ち着けることができた。
「さぁ、リモーネとキャメロットの準備が完了したようです」
司会の一言に、ドームの中が静まり返る。まさに、嵐の前の静けさだった。静寂の中、もう輝化を済ました両ユニットが対峙する。デュラハンは、両ユニットのアイドル・アドミレーションが交錯する様子に興奮を覚えた。
「それでは、行きましょう! ザ・インダクション第五節、リモーネ対キャメロット! ライブ・スタート!!」
わあああぁぁぁぁ!
先ほどまでの静けさが一転して、ドームの中は興奮のるつぼと化した。デュラハンが会場の興奮に当てられて、再びうずうずし始める。キリアが「デュラハン、まだだ」と釘を刺し、デュラハンを引き留めた。
デュラハンは興奮を抑えきれない様子で、キリアに話しかける。
「キリア、あたしがキャメロットに敗北したときの夢は見ないのか?」
やや間が空いたあと、キリアがデュラハンの質問に答える。
「それは、わたしがあなたの心の中で再び目覚める前のことだろう? 二年前、デュラハンがわたしを聖杯侵食し、その一年後、デュラハンがキャメロットに敗北した。わたしが目覚めたのは、その直後ぐらいだったはず。だから、覚えていることはないよ」
「そうだったな、すまない」
デュラハンは、自分の記憶違いを詫びた。
「わたしも昔、キャメロット所属していたが、今のキャメロットは、あなたを退けるくらいには強いのか?」
キリアは、デュラハンに尋ねた。
デュラハンは、一年前を振り返る。
デュラハンは、キャメロットの選抜試験を妨害する任務を帯びて、キャメロットが所属する「アヴァロン・プロダクション」を訪れた。そこで、普通ではあり得ない量のアイドル・アドミレーションを体から放出するアイドルを見つけた。
それがデビュー仕立ての新人アイドル、リン・トライストだった。リンはキャメロットのメンバーと合流し、デュラハンの前に立ちはだかる。
リンが操る莫大なアイドル・アドミレーションに触発されて、キャメロットはいつも以上に奮戦していた。
そして、デュラハンのわずかな隙を見逃さず、リンは自分のアンコールバーストを放つ。
身の丈以上あるアイドル・アドミレーションで生成した大きな投げ槍がデュラハンに迫る。
デュラハンは避けきれなかった。輝化防具を穿たれ、次は体を貫かれると思ったとき、ぎりぎりのところでその投げ槍をつかみ、止めることができた。
そのまま戦闘続行といきたかった。しかし、そのあとに聖杯の調子が悪くなり、輝化が安定しなくなった。
あたしは、助けに来たマリアに連れられて、無事に帰還することができたんだ。
デュラハンは、一年前の記憶を締めくくる。「どうだ? キリア。状況は理解できたか?」と聖杯の中にいるキリアに話しかける。
「ああ、デュラハンの記憶を共有することができた。ありがとう、よくわかった」
デュラハンは今、自分がキャメロットに、なぜこれほど興奮しているのかをキリアに話す。
「あたしは、こんな中途半端な決着が嫌いだ。必ず……、かならず、キャメロットに、そして、リンにリベンジを果たしてやる」
デュラハンは歯を食いしばり、こぶしを握り締める。心の中の固い決意が、体にも表れているようだった。
キリアは再び尋ねた。
「……なぜ、そんなにキャメロット、それもリンにこだわるんだ?」
デュラハンは、キリアの言葉が意外で理解できなかった。驚き、とまどいながら、目を見開きキリアに訊き返す。
「なぜって、当たり前だろう。負けたらやり返さないと、居場所がなくなる」
「えっ? ……、デュラハンの言う、その居場所とは何のことだ? ノヴム・オルガヌムでの地位か?」
キリアとの認識がずれている。デュラハンは自分のことをちゃんと知ってもらいたくて、自分の言葉を定義しようと試みる。
「居場所……。地位のことじゃない。何と言えばいいのか、あたしが居場所という言葉を使ったときは、ノヴム・オルガヌムに所属する黒のアイドルやイドラたちの存在、特にマリアのことを思い浮かべていた」
キリアはデュラハンの言葉を繰り返す。「居場所は、同じ組織に属するアイドルやイドラ、特にマリア個人……」そして、もう一つ気になることを尋ねた。
「もし、負けたままにしたとき、デュラハンの言う居場所はどうなるんだ?」
デュラハンは、そんなことを考えたことがなかった。そして、考えたくなかった。とても不快な気持ちになり、キリアに答える。
「負けたままになんかしない! 必ず勝って、自分の強さを証明するんだ」
「わかっているよ、デュラハン。もしもの話だ。そうか、負けたままにしておくと、あなたの強さが証明できないのか」
「そうだ。そうなったら、あたしは『そこ』に居続けることができないんだ。あたしは『そこ』に居たいんだ。マリアのそばに居たいんだ」
キリアに感情をぶつけ終わっても、不安な気持ちが湧き上がり、どきどきする。
「もう、終わりにしていいか?」
デュラハンは、とげとげしい言葉づかいでキリアに問う。
「ああ、すまなかった。あなたを困らせるつもりはなかったんだ。でも、少し驚いたよ」
「何が」
デュラハンは、まだ普通に反応することができなかった。
「デュラハンも知っている通り、二年前のイドラの大釜の偵察任務は、ジュリアを認めさせるためだった。もしかしたら、その動機は、わたしの居場所に関わっているかもしれない。デュラハンの話を聴いていて、そう思ったんだ」
デュラハンは、なぜか少しうれしくなった。「そうか」と恥ずかしく思いながらつぶやくことしかできなかった。
「デュラハンの機嫌が悪くなったのもわかるよ。自分のことを深いところまで話すのは、嫌なことを思い出したり、不安に思ったりして、気持ちいいものじゃない」
「でも……」
言葉にするつもりはなかった。しかし、デュラハンは思わず話していた。
「こんなことを話すのはキリアが初めてだ。嫌な気持ちになるが、少し温かい気持ちになれる。キリアに聖杯侵食して良かったよ」
「そう、だね」
キリアからの返事。しかし、キリアの姿が見えない。どんな表情でその言葉を発しているのか。キリアの反応が気になる。でも、信じるしかない。