第三章 「デュラハンとの闘い」
「さあ! 闘おう!」
デュラハンがそう言うと、キリアに向かって突撃し、自分の長剣を振るう。
デュラハンが鋭い斬撃を繰り出す。
キリアは、剣ではじき、盾で受け止め、身をかわす。
キリアが素早く体勢を整え、自分の長剣をデュラハンに振り下ろす。
キリアも渾身の力を込めて、斬撃を繰り出す。
デュラハンも、冷静に剣と盾と自分の身のこなしで防ぎきる。
互いに、まるで練習した型を披露しているかのように、一進一退の攻防が続く。
キリアは一刀ごとにデュラハンを倒すための力と速さを込めている。そして、剣の軌道も同じにならないようにランダムに変えている。しかし、デュラハンはそれらを的確に対処して、キリアと同じように速くて重く、予測のつかない剣を振るう。
キリアは人型イドラがここまで柔軟な思考ができることに驚いていた。姿、顔、思考、言葉。本当にイドラなのだろうか。
キリアはこの状況を打開すべく、自分にとっての奥の手である「コンクエストスキル」の使用を開始した。
コンクエストスキルは、輝化によってもたらされる輝化武具、輝化防具に続く、三つ目の恩恵、輝化スキルだ。輝化の後、体の周囲に散り、滞空しているアドミレーションの粒子から力をもらうことで発現できるアイドル固有の能力だ。私の能力は「リフレクト」。相手のアドミレーションによる攻撃を自分の聖杯に吸収し、任意のタイミングで放出できる能力だ。
キリアはデュラハンと斬り結びながら、少しずつ相手のイドラ・アドミレーションを吸収していった。
十数回目の鍔迫り合い。リフレクトによって、もう充分にイドラ・アドミレーションが蓄えられたとき、デュラハンがキリアに不敵な笑みを見せた。キリアは少し驚いた。自分の企みがばれたのか? いや、ばれたところで関係ない。すでにアドミレーションの吸収は終わっており、あとは放出するだけだ。
デュラハンは鍔迫り合いを意図的に止め、互いに距離を取った。
キリアは突然の出来事に呆然とする。集中力が途切れて、めまいを感じた。デュラハンにばれないように、気を張ってしっかりと立つ。めまいはリフレクトの副作用だった。聖杯にイドラ・アドミレーションを溜めるのは、イドラ化と等しい行為のため、長時間の使用は危険が伴うのだ。
そんなとき、突然、デュラハンがキリアに話しかけてきた。
「おまえ、やはり強いな」
デュラハンは荒くなった呼吸を整えながら、話を続けていく。
「まだ、おまえの名前を聞いてなかった。ぜひ教えて欲しい」
キリアは対応に困った。こんなことは初めてだった。敵から名前を求められるとは思いもしなかった。しかし、今、わたしはISCIの任務でここにいる。自分の素性を知られる訳にはいかなった。しかし、意志疎通ができる相手として、また、これほどの互角の勝負をする相手として、敬意を表するために、名前だけでも伝えておきたいと思った。
キリアは剣を構えたまま、デュラハンに向かって自分の名前を伝える。
「わたしは、キリアだ」
デュラハンは満足したように、にやりと笑い、話をつづけた。
「キリアか。よろしく、キリア」
キリアは激しい違和感に苦しんでいた。これほど人間的なコミュニケーションができるイドラが目の前にいることを受け止められずにいた。そんなキリアにデュラハンはさらに追い打ちをかける。
「キリア、これまでの任務は易し過ぎたのか? 適度な難易度でやりがいを感じていたこの任務が、順調に進んでいたのに、あたしが出現したことで台無しになってしまったな。それに、この任務は絶対に成功させなければならないのか? ふむ、ジュリア……か。すごく強い思いなんだな」
キリアの心臓が跳ねた。最初、デュラハンが何を言っているかわからなかった。しかし、ジュリアという言葉が出て、ようやく理解した。
デュラハンに心を読まれている。キリアは驚きの上限をいくつも通り越して、気味の悪さや恐怖を感じていた。
「なぜ……、なぜわかるんだ!」
デュラハンは得意げに説明を始める。
「キリア、先ほどまでの剣戟で、あたしのアドミレーションを吸収していただろ? おまえのコンクエストスキルなのか?」
キリアは息を呑む。ばれていた……。
「自分のイドラ・アドミレーションが減っていくかすかな感覚で気づいたんだ。それで、試してみた。おまえの聖杯の中にあるあたしのイドラ・アドミレーションを中継して、お前の聖杯に『聖杯連結路』をつなげないか、とな。そしたら大当たりだった。おまえの心の表層がわかる程度につなげることができたよ」
キリアは二の句が継げない。
そう。確かにアイドルは他者の聖杯に、聖杯連結路をつなぐことができる。その道を使って、主にアドミレーションの受け渡しをするのだ。さきほど倒れたリアラもミーファがアドミレーションを渡して応急措置をしているはずだ。さらに、意志疎通したり、自分の状況を知らせ合ったりすることができる。聖杯の奥深くまでつなぐことができれば、その人の深層心理にまでアクセスすることができてしまうのだ。
ここまでアドミレーションの使い方を熟知しているとは……。感嘆の思いさえ感じていた。しかし、心を読まれたことに対する不快感の方が強かった。
「ジュリアは……、おまえの上司で、おまえの恩人で、おまえが唯一慕う大人」
キリアは叫ぶ。「やめろ!」それ以上、何もしゃべるな。他人の口から聞きたくない! デュラハンは構わずわたしの心を読み続ける。
「最近、ジュリアが全くわたしに関わってくれなくなった。それをがまんできずに、ジュリアに直接話に行ったら、自分気持ちが幼稚だと切り捨てられてしまった……か」
そこまで話して、デュラハンが、スイッチが切り替わったかのように表情が明るくなる。
「そうか! だから、この任務を絶対に成功させようという強い気持ちがあるのだな。全ては、ジュリアにわたしを認めてもらいたいということか」
キリアの瞳に涙がにじんできた。ジュリアへの思い。それが他人とっては異常なものだということは、うすうす気づいていた。だから、他人知られたくなかった。だから、ミーファやリアラにも隠していた。それがこんな形で暴かれるなんて、例えイドラでも、これほどの知識と思考力を兼ね備えた個体であれば、人間と同じだ。彼女に馬鹿にされてしまう。
キリアは自分の中で渦巻く、もやもやした気持ち、納得できない気持ち、不安に思う気持ちを薙ぎ払うかのように、デュラハンをしっかり見据える。
そして、リフレクトで溜めたイドラ・アドミレーションを放出する。禍々しい真っ黒なアドミレーションがキリアの右腕から巨大な炎のように立ち上る。
その炎を自分の長剣にまとわせて、斬撃の形で前方に解き放つ。
黒くて巨大な飛ぶ斬撃がデュラハンを襲う。
デュラハンは全く動じていなかった。
斬撃を待ち構えて、一番のタイミングを見極めていた。
そして、そのタイミングで飛ぶ斬撃を受け止めたあと、大剣の一閃で、両断した。
キリアの奥の手はいとも簡単に破られてしまった。
「ふふ、元は自分のアドミレーションだ。御せない訳がないな」
デュラハンは得意げに語りながらキリアの方に向かってくる。
キリアはイドラ・アドミレーションの吸収によって生じるめまいに耐えながら、忌々しい気持ちでデュラハンを見つめる。このままでは負けてしまう。はっきりしない頭で必死に戦術を考える。
すると、デュラハンはキリアの剣の間合いに入った途端、大剣と盾を両方とも納める。キリアはいぶかしみ、「何の真似だ」とデュラハンに問いただす。デュラハンは、さらにキリアに近づき、キリアの右腕と左腕をそれぞれつかむ。キリアは何かの攻撃かと焦り、デュラハンの手を外そうとするが、全く外れない。そうしているうちにデュラハンが話し始めた。
「キリア、少し話を聴いてくれ」
なんなのだ、この人型イドラは。行動が全くの予測できない。
デュラハンはキリアの目をしっかり見て、話し始める。
「おまえのジュリアに対する気持ちや今回の任務に賭ける気持ちは、よくわかる。あたしも同じことを考え、感じているからだ」
デュラハンは真剣な目をしていた。近くで見ても、やはりイドラだと思えない。とても自然な表情をしていた。
キリアはデュラハンの真摯さに圧倒され、自分の剣と盾を納めてしまう。そして、黙って話を聴くことにした。
デュラハンが、ノヴム・オルガヌムのリーダー、マリアから産まれたのは、わたしがアイドルとしてデビューしたときと同じ、ちょうど五年前だったらしい。「名づけられた子ども」として産まれた彼女は、すぐにイドラの大釜を守護する任務を与えられた。任務を初めてから一年間で、この任務のことがようやくわかった。こんな辺境に足を踏み入れる人間などほとんどいない。年に二、三人だった。それを撃退すること以外は、空とイドラの大釜を見てぼうっとしているだけで、すぐに飽きてしまったようだ。
その無気力が焦りに変わるときがあった。
それは、ノヴム・オルガヌムの定期報告会だった。
そこでは、黒のアイドルや人型イドラ、神話型イドラが一同に会し、現在の活動状況を報告する場だった。デュラハン以外の参加者は、世界中で華々しく活躍し、やりがいと希望に満ちた表情をしていた。そして、母親のマリアは、デュラハン以外の参加者を褒めたたえていた。デュラハンにとって、唯一の縁があるのはマリアだけ。そのマリアに褒めてもらいたい。そして、その他大勢に自分の活躍を評価され、知ってもらいたい。そう考えるようになった。そのときからデュラハンは強さを追い求めるようになった。
デュラハンは、現状を変えるために、イドラの大釜に住むさまざまなイドラと戦うことで、自分の強さを磨いていた。ときには、神話型イドラと闘うときもあった。たくさんの戦闘経験と「名づけられた子ども」としての特別な体組成によって、加速度的に強くなることができた。しかし、いくら強くなってもマリアやその他大勢から褒められたり、評価されたりすることはなかった。こうしている間に忘れられてしまうことが何よりも怖かった。いなかったことにされたくない! デュラハンは切実な顔でわたしの目を見て、しっかりと伝えていた。
「あたしもマリアに褒めてもらいたいんだ。だから、おまえたちのような、イドラの大釜に迷い込んだ白のアイドルをどんどん倒して、評価してもらうんだ」
そして、キリアは、デュラハンから改めて確認される。
「おまえも、ジュリアに認めてもらいたいんだよな?」
キリアは、デュラハンの懸命な問いかけに、思わずうなずいてしまう。彼女が言うことは間違っていない。デュラハンは、ようやくキリアから離れて、祈るように両手を組み、恍惚とした表情で体を震わし、今の感情をあらわにした。
「ああ……、うれしい! 同じ考え、同じ気持ちを持って、あたしを理解してくれる存在がいた! そして、その存在は、あたしと同じ実力を持っていた! 今日は、あたしの転機だ。このチャンスを逃す訳にはいかない! 必ず勝利して、あたしの踏み台にする!」
キリアは、デュラハンの言葉を聴き、背筋が寒くなった。私もこの任務を成功させることに懸命になっているが、デュラハンのそれとは少し違う。わたしよりもデュラハンの方が「飢え」ている気がする。デュラハンと同じようにキリアも体が震えていた。しかし、デュラハンのような歓喜の震えではなかった。それは、このままデュラハンに喰われてしまうという恐れだった。わたしの思いは、こんなに弱かったのか?
「さあ、続きを始めよう! 決着をつけるぞ」
デュラハンが戦闘開始を促す言葉を告げ、再び大剣と盾を現した。体全体からイドラ・アドミレーションがあふれていた。キリアも後追いで長剣と盾を現す。構えた剣は、わたしの心を反映するように弱々しいくすんだ光を放っていた。
キリアとデュラハンの剣戟が再び始まる。
キリアは、攻撃と防御の両方でリフレクトを織り交ぜる。デュラハンの攻撃を、リフレクトを発現しながら受け止めて威力を落とし、吸収したアドミレーションを自分の攻撃ですぐに使用して威力を上げる。これによって、体の負担を軽くしながら闘っていた。
しかし、この闘い方では、長期戦となったとき不利になる。
キリアは、そうさせないために、自分のアドミレーションを聖杯に少しずつ溜めて、アイドルが放つ必殺技、「アンコールバースト」の準備を始める。
そして、キリアはもう一つデュラハンに対して仕掛ける。
「やあぁぁっ!」
がきぃぃん!
キリアが繰り出した渾身の突きが、デュラハンの盾に当たる。
上手く防ぎきれず、デュラハンが盾ごとのけ反る。
キリアはその隙を逃さず、一気呵成に攻める。
きぃん、かしぃん、きいぃん、がきん!
デュラハンが防戦一方になり、ステージの奥に押し込まれる。
ステージの奥は、イドラの大釜の淵。
ここから底までの高さは数十メートルある。
デュラハンは、文字通り断崖絶壁に立たされた。
キリアは間合いを詰めて、デュラハンを淵にくぎ付けにする。
「デュラハン、これで終わりだ」
キリアは剣を構え、いつでも振り下ろせるようにする。しかし、デュラハンは全く動揺していない。デュラハンが口を開く。
「これくらいの高さから落ちたとしても、死ぬことはないよ」
「そうだろうね。しかし、あなたがここから落ちれば、わたしがこのイドラの大釜から離脱する時間ができる」
キリアはそう言いながら、さらに間合いを詰める。
デュラハンはじりじりと後退する。
そして、次の瞬間、キリアは剣を振り下ろした。
デュラハンが後ろに飛び、剣を回避する。
よし。ここから離脱だ。
しかし、デュラハンが落下を始めない。
待っても、待っても崖下に落ちて行かない。
「なぜ!?」
キリアは開いた口が下がらなかった。
デュラハンは淵の先一mの場所で宙に浮ていた。
「これが、あたしの『パラノイアスキル』、『ハングオン』だ。物体を宙に固着できるようにアドミレーションを変性させる能力だ」
イドラなのに、黒のアイドルの輝化スキルであるパラノイアスキルを使えるのか! キリアは、心の中で毒づく、この人型イドラは規格外すぎる。
「あたしのハングオンは、こんな使い方もできるんだ!」
デュラハンが剣の切っ先をキリアに向けてアドミレーションを放つ。
キリアの周囲に赤黒いアドミレーションが付着する。
すると、キリアは身動きが取れなくなっていた。
デュラハンが空中の足場からジャンプし、キリアを飛び越えて着地する。
「キリア、おまえもこの高さから落ちても死ぬことはないよな?」
「くっ!」
口惜しさと憎らしさを込めて、デュラハンをにらむ。
デュラハンは大剣をフルスイングし、キリアの盾にわざと当てる。
キリアは盾からの衝撃に耐えかねて、吹き飛び、淵を越える。
イドラの大釜へ自由落下していった。
ふわりと内臓が浮き上がる感覚。びゅうびゅうと耳を通り過ぎる風。
キリアは、パニックに陥りそうになる頭を落ち着かせ、一つずつできることを始めた。
デュラハンの拘束を破壊。
デュラハンから離れたからだろうか自力で破ることができた。
剣を納め、アドミレーションに還元。
溜めていたアドミレーションとともに、全てを輝化防具と盾に注いだ。
盾を背中に担ぎ、イドラの大釜の斜面に向かって落ちていく。
落着。
背中への衝撃!
盾を「そり」のように使用して、斜面に沿って降りていく。
がたがたがたっ! がらがらがらがら、がんっがんっ!
斜面を降り切った後、体の重心をずらす。
イドラの大釜の湖畔で「そり」はスピードを落とし、止まることができた。
体中の痛みをがまんして、輝化防具のまま立ち上がる。
周囲には落ちてきたキリアを避けるようにして、イドラが群がっていた。キリアは周囲を大量のイドラに囲まれていた。
そこに、デュラハンがハングオンを使いながら、キリアの近くに静かに着陸する。
「もう、逃げられないな」
デュラハンが剣を構えたまま、穏やかに、諭すように声をかける。
たった今、墜落の危機から辛くも脱したことによる高揚が冷めていく。
キリアは今の状況に現実感を覚えていなかった。
目の前のデュラハン、周囲に群がる大量のイドラ、自分が絶体絶命の状況にいることを改めて理解した。その理解は、自分の心に一粒の恐怖と焦りを落とす。その粒は瞬く間に芽吹き、瞬時に心を充たしていった。
任務はどうなってしまうのか。
ミーファは離脱できただろうか?
もしも離脱できていなかったら……。
そして、わたしはイドラ化されて死ぬのだろうか。
怖い。
死にたくない。
平常心を保つために、輝化武具を現し、構える。しかし、脚も腕も震え、上手く立つことさえできない。ふと、自分の剣を見ると、錆が浮き、鈍い光を弱々しく放っていた。
そのとき、突然二つの物体が、キリアの目の前に投げ込まれる。
周囲のイドラの群れから投げ込まれたのだろうか。
キリアとデュラハンの間に、重い音を立てて落ち、どさっと倒れる。
その物体を確認したとき、キリアは言葉にならない悲鳴を上げた。
その二つの物体の顔が、虚ろな瞳でキリアを見つめていた。
ミーファとリアラだった。
二人はともにイドラ化して、意識を失っている。
もしかしたら、死の危険がある第二段階までイドラ化しているかもしれない。
二人が死んでしまう。
そして、この任務は失敗……。
それを認識したとき、キリアはパニックに陥る。
これまで、辛うじて握りしめていたトップアイドルとしての誇りや気品は指の間からさらさらと流れ落ち、胸の奥に隠しきれなくなった恐怖と焦りが爆発する。
キリアは焦りを体で表現するように、錆まみれのキャリバーを振りかぶる。
そして、恐怖を声で振り払うように、奇声を上げてキャリバーを振り下ろした。
デュラハンもキリアの攻撃に応じて剣を振り下ろす。
ぶつかる二つの剣。
悲しい金属音。
キャリバーは刀身の中央で真っ二つに折れる。
同時に、アイドルである自分自身への信頼も二つに折れる
キリアは、目の前が真っ暗になった。
一方、デュラハンの斬撃がキリアに届く。
キリアは輝化防具ごと袈裟切りにされる。
斬撃は防具を切り裂き、キリア自身に届く。
キリアの体を傷が斜めに走る。
傷口からアイドル・アドミレーションが噴き出す。
キリアの手から半分になった剣がこぼれ落ち、体がぐらりと傾き、仰向けに倒れる。
アドミレーションに関わる攻撃では、聖杯が傷つき、体が傷つくことはない。しかし、その攻撃で感じるであろう痛覚自体は聖杯を通して自分の体で再現される。
キリアは倒れたまま、苦しみもがく。
「任務を、成功させないと……、こんな、ところで、終わりたくない」
デュラハンは膝を付き、倒れたキリアを抱きかかえ、顔を覗き込む。
「キリア、残念だよ。もっと戦いたかった」
キリアは、自分の聖杯にイドラ・アドミレーションが侵食していくのを感じる。頭痛、関節の痛み、痺れ、意欲の減退、言いようのない不安、心が止まってしまったかのようだ。しかし、身体を真っ二つにされた痛覚で、心が強制的に動かされる。この繰り返しが拷問のようだ。ミーファとリアラのこと、任務のこと、ジュリアのこと、何とかしないといけない……、でも、どうにもならない! どうしたらいいんだ!
……。
もういい。早く楽になりたい……。キリアはこの苦しみから解放されたかった。誰でもいい。デュラハンでもいい。早く、早く。
キリアは、デュラハンに目で訴える。すると、デュラハンは、キリアが苦しむ様子をじっと見つめて何かを考えているようだった。
数秒後、デュラハンは何かを決意したかのように「よし」と言う。
「キリア、あたしは、これからおまえに『聖杯侵食』を行う」
キリアは痛みでもうろうとする頭で、デュラハンの言葉を確認する。
聖杯侵食とは、神話型イドラなどのイドラ・アドミレーションが豊富なイドラが自らの体ごとアイドルの聖杯に侵入し、そのアイドルをイドラ化することだ。聖杯に溜まるイドラ・アドミレーション量が莫大なため、イドラ化の第三段階まで一気に移行する。それは即ち、黒のアイドルとなることだった。そして、そのアイドルの心を乗っ取ることだった。
「イドラにとって、聖杯侵食は一度しか行えない。一世一代の決断だ」
デュラハンが決断の理由を、優しい表情で語り掛ける。
「あたしにとって、キリアとの出会いは特別なんだ。実力はほとんど同じで、お互いがわかり合えた瞬間もあった。もっといっしょに居たいと思ったんだ。だから、キリアを聖杯侵食する」
キリアは激痛によって、上手くしゃべることができなかった。しかし、自分の右手をデュラハンの方に伸ばす。ふるえながら、懸命に。デュラハンはその手を優しく握る。キリアは、なぜかその瞬間に、うれしい気持ちになる。きっと、デュラハンがこの苦しみを楽にしてくれるからだろう……。キリアはデュラハンの手を優しく握り返した。彼女は、本当に不思議なイドラだ。
デュラハンは、まるで眠り姫にキスをするような体勢で、キリアの傷跡に顔を寄せる。すると、体の輪郭が崩れ、イドラ・アドミレーションそのものとなり膨張した。キリアの体の上を覆い隠すほど巨大で真っ黒な塊が浮かんでいる。その塊がわたしの胸を切り裂く傷に触れると、一気にイドラ・アドミレーションの奔流となって、キリアの聖杯に侵入を開始する。
普通のアイドルだったらここで悲鳴を上げるのだろうか。キリアはそう思っていたが、全く痛みなどなかった。むしろ、イドラ化の苦しみとデュラハンから受けた胸の傷の痛みが、すうっと引いていく。デュラハンに助けてもらったも同然だった。
デュラハンが聖杯への侵入を終えたとき、キリアは穏やかに意識を失くす。まるでいつも眠りにつくときのようだった。
キリアが次に目を覚ますと、目を開けているのか閉じているのかもわからないほどの暗闇の中だった。ここはどこなのだろう。匂いも全く感じない。少しパニックになり、周囲の様子を確認しようと手足を動かそうとする。しかし、手足は全く動かず、代わりに、じゃらじゃらと大きな鎖の音がする。自分の手首、足首、胴が鎖で囚われ、錠がかけられているようだった。
キリアがようやく現状を認識したとき、目の前がスポットライトで照らされる。その中心にいたのは、デュラハンだった。先ほどまで闘っていた姿そのままだった。
デュラハンが驚いたようにキリアに声をかける。
「キリアか、こんなところにいたのか。聖杯に元の白のアイドルの心が残っているなんて聞いたことがなかった。本当なら侵食したイドラの心で埋め尽くされるはずなのだが……」
キリアは、デュラハンの言葉にあいまいにうなずく。何か言葉を発しようとしたが、しゃべることができなかった。
デュラハンがキリアの姿を舐めるように確認する。
「その傷跡、さっきのあたしの剣によって付いたものだな」
キリアは自分の体を見る。
輝化防具と服が破れていた。そして自分の体を斜めに横切る大きな傷があった。その傷口は周囲の暗闇よりも黒くて深い闇色をしていた。
「痛々しいな」
デュラハンが傷口に触れる。キリアは、恥ずかしさと情けなさを感じる。しかし、言葉でも行動でも抵抗ができなかった。
デュラハンは、キリアに近づき、キリアを抱きしめる。キリアの左の耳元に顔を回し、優しく言葉をかける。
「キリア、いっしょに強くなろう。立ちはだかるものを片端から倒していこう。たくさんの人から評価されよう。そうすることで、自分の居場所を作っていこう。マリアの愛情を独占しよう」
デュラハンは、抱きしめていた腕をほどき、キリアの顔を覗き込む。
キリアは無言のまま、デュラハンを見つめる。そして、あきらめたような顔で、うなずいた。
わたしは、デュラハンに負けた。仲間を守ることができなかった。そして、任務に失敗した。黒のアイドルとなった。もう、ジュリアに認めてもらえることはなくなったのだ。
わたしは、名ばかりの弱くて小さなアイドルだ。だから、わたしの願いや思いも弱くて小さいのかもしれない。その証拠に、目の前にいる彼女の意志が、瞬く間にわたしの心を充たしていく。
しかし、キリアにとって、今の状況に嫌悪や絶望を感じていなかった。それは、デュラハンの意志に同調できそうだったからだ。
デュラハンは、安心したように胸をなでおろし、一つうなずいた後、「ありがとう。これからよろしく」と声をかけ、踵を返してキリアの前から立ち去っていく。
キリアは、また暗闇に一人残される。暗闇によって、五感が消えていていく。思考する自分だけが、ぽつんと残される。
デュラハンの言葉を反芻する。確かに同調できそうだが、本当に自分を委ねていいのだろうか。わたしの聖杯には、悔いて、思い悩む心だけが取り残されていた……。
キリアは、再び目を覚ます。そこは、さきほどまでデュラハンと闘っていたイドラの大釜の湖畔だった。心の不快感と体を斬られた激痛は、嘘のようになくなっていた。すっきりとした心地良い目覚めだった。
キリアは立ち上がり、湖畔の淵まで歩き、目の前に広がる雄大な黒い湖をぼうっと眺める。デュラハンに襲撃される直前に観ていた映像がもう一度現れる。マリアのライブ映像を真摯なまなざしで楽しむキリアと先生が目の前に映る。手を伸ばせば届きそうだった。しかし、決して届きはしない光景だった。もう戻れない。切なくなって、両目から涙が一筋こぼれた。
ふと、湖畔に鏡のように映り込む自分の姿を見る。姿かたちはいつものキリアだった。しかし、顔の造形はキリアではなかった。デュラハンの三白眼と薄紅色の瞳、大きな口が混ざっていた。キリアは驚かなかった。自分の顔を見ることが嫌いだった。だから鏡を避けていた。今まで直視していなかったのだ。もしかしたら最初から自分はこんな顔だったのだろう。
そのとき、キリアの体からイドラ・アドミレーションがあふれだす。それは顔に集束し、凝縮を始めた。次第に形を整えて、キリアの顔を隠す仮面となった。
自分の心を支配しつつあるデュラハンが教えてくれる。これは「イドラの仮面」だ。デュラハンの擬似聖杯が変形したもの。仮面の両目に、さっき流した涙の痕がスリットとなっていた。仮面は簡単に外せそうになかった。
いよいよ、自分の心はデュラハンで充たされる。キリアはそれを実感していた。だんだんと自分のものであると確信が持てる思考や感情が少なくなっていた。
少し焦って、周囲を見回す。遠巻きに四方を囲むイドラの群れがキリアの様子を見ている。その近くに、倒れたままのミーファとリアラを発見する。二人の元に駆けつける。
キリアは、聖杯連結によって二人の無事を確かめる。ミーファとリアラが死んでしまうほどイドラ化していないことがわかった。しかし、白のアイドルとして復帰することは難しい段階までイドラ化が侵攻していた。
その事実にキリアは……、達成感を覚えた。また強敵を倒すことができた。
はっ、と気づく。もう、わたしはここまでだ。キリアは、最後の自分で、周囲のイドラに「二人をレンヌ・ル・シャトーへ連れていけ」と命じる。
†
デュラハンの言葉はイドラに届いたようだった。イドラの群れの一部から人型イドラが数人前に出てきた。そして、キリアの仲間である二人を担ぎ、レンヌ・ル・シャトーの方へ向かっていく。
それを見届けたデュラハンは、「輝け」とつぶやく。デュラハンの胸からイドラ・アドミレーションが放出され、輝化を開始する。重厚な騎士甲冑、禍々しい大剣と大盾。それぞれ着装した後、仮面越しに鎧を見ると、キリアが受けた傷痕の意匠が追加されていた。デュラハンにとって、それは勲章のように見えた。これから自分は、キリアといっしょにもっと強くなれる。そして、キリアといっしょにに自分の居場所を獲得するんだ。
デュラハンは湖を一度ぐるりと見渡す。もうここにはいたくない。湖に背を向けて、歩き出す。次第に駆け足となる。デュラハンは、パラノイアスキルを発動し、地を蹴り、踏み切った。デュラハンは空を駆けあがる。見下ろす世界は、広かった。