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第一章 「北へ」

「キリア! そろそろ起きな! 時間に間に合わないよ」

 声と同時に体が揺さぶられ、閉じていた目を開けた。目の前に、キリアを覗き込むミーファの顔があった。ミーファは困ったような顔をして、キリアの腕を引っ張って、体を起こす。キリアは力が入らず、ベッドにぺたんと座り込んで、辺りを見回した。ベッドと簡素なテーブルとイスだけのシンプル過ぎる部屋。開け放たれたカーテン。窓から見える空には、厚い灰色の雲が垂れこめていた。

 キリアは部屋の寒さに身震いする。とっさに毛布をつかみ、身をくるめて毛布を頭からかぶる。ミーファとこの寒さのおかげで、体は覚醒していた。しかし、頭は夢の中にいた。キリアがミーファに、寝起きのかすれた声で、なんとか聞き取れるように「おはよう」と言うと、ミーファは苦笑しながら「おはよう」と返す。キリアは頭の中でもやもやしていたことを確認するため、ミーファに質問した。

「ミーファ。わたし……は、戻ってきたのか?」

 キリアのベッドを整えていたミーファはきょとんとした顔でキリアを見返す。そして、キリアがかぶっていた毛布をはぎ取り、一つため息をついて、質問に答えた。

「本当に、キリアって寝起きが最悪ね……。何のことかわからないわ、キリア。ワタシたちは今、北へ向かっているのよ」

 北へ……。キリアは「ああ、そうだ」とつぶやく、キリアの頭は、ようやく目覚めてきた。「わたしは大事な任務中だった」と眠気交じりの声で何とか言葉にした。

「ようやく目が覚めたのか?」

 ベッドを整え終わったミーファは、ベッドの端に座り、かわいい子どもを見守るような顔で、キリアの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「ほら、さっさと顔を洗ってきなよ」

 ミーファがキリアの背中をばしっと叩き、ベッドから追い出す。キリアはベッドから下り、寒さに身を縮める。毛布の温かさに後ろ髪を引かれながら部屋を出た。。

 キリアは部屋の前の廊下を進み、階段に差し掛かる。すると、リアラが二階へ上がってくるところだった。リアラは足を止めて「やっと起きたのね」と言い、階段を上がるのをやめて、キリアが降りてくるのを待っているようだった。

 一階に降りたキリアは「リアラ、おはよう」と挨拶をする。リアラはミーファと同じように困ったような顔をして、ふうとため息をついて、キリアに対して小言を並べた。

「キリア、相変わらず朝が弱いね。今日は大事な日だよ」

 無表情なリアラの何気ない一言が胸に刺さる。

「う……、ごめん。すぐに準備するから」

「まぁ、出発まで時間はまだあるから、大丈夫」

 リアラは顔を少しほころばせて、キリアに優しく声をかける。

「準備ができたら、集会室に集合ね。朝食を用意しているから」

 キリアは、リアラの柔らかい表情にほっとして、「ありがとう」とリアラに伝えた後、一階にある共用の洗面所の方へ歩き出した。


 洗面所の鏡に、キリアの姿が映る。自分の顔を直視できない。寝ぐせでぐしゃぐしゃになった髪も見るに堪えなかった。キリアも「はぁ」とため息を漏らす。鏡から顔を背け、蛇口をひねる。流れ出てきた水を両手ですくう。空気だけでじゃなく、水も切れるような冷たさだ。それをがまんして、顔を洗う。はっきりしなかった頭が、水の冷たさで引き締まる。

 キリアは洗面台に手を付く。鼻の頭から水滴が一つ落ちていった。キリアはシンクに吸い込まれていく水を見つめながら、さっきまで見ていた嫌な夢のことを思い返した。わたしと向き合っていた人は誰だったのだろう。自分と同じような容姿だった気がする。何をたくさんしゃべっていたのだろうか。すごく一生懸命だった。わたしにとってとても大事なことを話し合っていたと思うのだが、内容が一つも思い出せない。

 考え込んでいたことに気づき、キリアは洗面台から顔を上げる。いけない。ミーファとリアラを待たせているのだった。洗面台に置いてある自分の道具を使って、キリアはあわただしく身支度を始める。わたしは今、二人と共に、大切な任務のために、はるか北の地に来ている。リーダーであるわたしがこんな上の空じゃ駄目だ。キリアは嫌な夢を忘れようとする。しかし、忘れようとするほど、誰と何をしゃべっていたのか、ということが頭にこびりついていった。

 キリアは、こびりついたその思考を振るい落とすように頭を振る。そのとき、鏡の中の自分の顔と目が合ってしまった。

 見たくない。

 いつからなのか、自分の顔を見るのが苦手になっていた。しかし、見ないと身支度ができない。ゆううつだ。キリアは鏡の中の自分に挑むような気持ちで、自分の身支度をてきぱきと整える。

 しばらくして、ノックの音が聞こえた。「はい」と答え、後ろを振り向く。ミーファが立っていた。

「キリア。仕事着、ここに置くからね」

 ミーファが、たたんだ仕事着をカゴに入れる。

「ありがとう、ミーファ」

「うん。集会室で待ってるよ」

 ミーファはドアを閉めて、洗面所を後にした。

 キリアは寝間着を脱ぎ、ミーファが持ってきた仕事着に着替えていく。このスーツは、耐寒、耐熱、対刃、対弾性能に優れ、あらゆる状況での戦闘行為に適応する。とても動きやすいのだが、装着しづらいのが難点だ。なかなか慣れることができない。

 苦心しながら装着を終えたキリアは「よしっ」と一声気合を入れ、顔を引き締める。もう、頭に昨夜の夢はこびりついていなかった。そうだ。これから私たちは、任務に従って、さらに北に進む。進んだ先に何があるかわからないが、これだけは決まっている。

 そこには、私たちの敵がいるのだ。


 キリアは、ミーファとリアラとともに集会室で朝食を終えた後、再びテーブルを囲んでいた。出発の前に、三人で改めて任務の内容を確認するブリーフィングを行うことになった。キリアはリーダーとして、二人に今回の作戦内容の説明を始める。

「わたしたちは現在、敵本拠地の正確な位置情報を入手する偵察任務に従事している。敵本拠地はレンヌ・ル・シャトーと呼ばれる街であり、その近くには『大釜』と呼ばれる施設または領域があることがわかっている」

 タイミングよく、ミーファが質問をする。

「ワタシたちは、なぜ北を目指しているんだっけ? 前に聞いたけど、理解できなかったんだよね」

「これまでに敵が出現した地域の分布を解析したんだ。その結果、敵はこのスヴァールバル諸島から発生している、もしくは出発している可能性が高いことがわかった」

 わたしの答えに続いて、リアラが補足する。

「この周辺には、衛星写真がないエリアがあるわ。それは意図的に写していないのかもしれない。そのエリアに敵本拠地がある、と考えられるわね」

「そう。衛星ではこの周辺の情報を得ることができない。だから、わたしたちが実際にこの領域に踏み込み偵察することで、位置情報を得るということだ」

 ミーファは人懐っこい笑顔をキリアに向ける。そして「ありがとう! 続けて」と先を促す。

 キリアはテーブルに地図を広げる。そして、地図の一点を指して、行動方針を説明し始めた。

「わたしたちは現在、ここにいる。衛星で確認できるエリアの中で最北端の街だ。この街を拠点にして、北方向に進み、探索済みのエリアを広げていこう」

「昨日、北の方角を目視したけど、ここから北方向はなだらかに高度が上がっていく山のようだった」

 ミーファが地図上の現在地から北の方角を指しながら伝える。そして、さらに情報を伝える。

「そのとき、山の向こうから敵の力を感じたよ。はっきり区別はできないけど、力の度合は強弱さまざま。そして、数えきれないほどだった」

「それは地図で言うと、どのあたりだ?」

 キリアがミーファに指摘するように促す。

 ミーファは、現在地から北に五十㎞離れたエリアを指で丸を描きながら「この辺りだと思うよ」と答えた。

「ちょうど解析結果でも、本拠地の可能性が高いとされているエリアだわ。いきなり当たりかもしれないわね」

 リアラは少しだけ表情が厳しくして付け加える。

「昨日、街で聞き込みをしたわ。この街では、北の山を越えることは禁忌とされているみたい。誰も北の山を越えようと思わないみたいだわ」

 ミーファもリアラの雰囲気が伝わったのだろうか。口を真一文字に引き結び、笑顔がなくなっていた。

「決めた!」キリアは部屋の中の冷えた空気をはねのけるように声を放ち、続けて二人に告げる。

「今日は、ミーファが指したこの領域を探索しよう。この領域なら、現在地まで数時間で撤退完了できる。今日は、日帰りの水と食料を持って行き、キャンプなしにしよう」

「キャンプなし!」

 ミーファとリアラは声を合わせ、顔も見合わせて明るい雰囲気になる。キリアもキャンプはできる限りしたくない。ミーファやリアラの明るい表情に合わせて、キリアも表情が柔らかくなる。しかし、油断はできない。

「ミーファの言葉、そして解析結果が示す通り、敵本拠地の近くである可能性が高いエリアに侵入することになる! 敵の出現数が増加したり、これまでにない強敵が現れたりすることが予想される。気を引き締めて行こう!」

 キリアは二人の、そして自分の浮ついた気分を払拭するために強い言葉でブリーフィングの終了を告げる。

「了解!」

 ミーファとリアラが打てば響くような返事をした後、互いの拳をぶつける。同じように、キリアもミーファとリアラのそれぞれと拳をぶつけた。

 いよいよ本番だ。キリアは地図上でこれから向かう北のエリアを見つめていた。


 キリアたちは街を出て、北上を開始した。街で踏み込むことが禁忌とされている山のふもとまで数時間だ。キリアたちは地形によって、走る、歩くを選びながら、進んでいく。空は、相変わらず、厚い灰色の雲が垂れこめていた。これまでに、この周辺で飛行機やヘリなどの飛行体は見ていない。衛星写真がない地域なので、それは当然だろう。しかし、鳥が飛んでいるのも見ていない。街を出るときに数羽の真っ黒な鳥が北の方へ飛んでいくのが見えたが、それ以来見ていない。また同様に動物も虫も見ていない。植物に関して言えば、動物ほど違和感を覚えない。木や草花は枯れておらず、密集し森を形成している箇所もある。しかし、森の中特有の湿気過多で、濃密な草木の匂いが全くしなかったのだ。これが、この土地の性質なのだと言われれば、それまでとなってしまう感覚だった。しかし、どこか無視してはいけない感覚だった。

 キリアは北に移動しながら、今回の任務について思いふけっていた。この偵察任務、これまでの退屈な任務に比べて、緊張感があって、やりがいがある。やはり、私にとってはこれぐらいの難易度の作戦行動がふさわしい。ミーファやリアラとの関係も良好で、とてもいい環境だ。決意して、志願して、ジュリアに無理を行って承認してもらって本当に良かった。最近、ジュリアからは簡単な任務ばかりが下達され、キリアとっては満足できず、退屈な日々を過ごしていたのだ。あとは、大きな発見と、強敵との闘いがあれば、大満足だ。キリアはランナーズハイの陶酔感に浸りながら、そんなことを考えていたとき、自分の端末からアラームが鳴った。キリアはそれを確認し、後から来るミーファとリアラに伝える。

「この辺りで一度休憩にしよう」

 キリアたちは、間近にあった公園のように開けた土地に入り、その一角にある岩に腰かけていた。ミーファは汗を拭き、リアラは水を飲んでいる。キリアは一人立ち上がり、二人から離れた岩に腰かける。そして、自分の端末を開き、ボイスメッセージの録音を始めた。メッセージの相手はキリアたちの上官だ。キリアは、たんたんと、ここまでの経過や現在の状況、これからの予定を端末に吹き込んでいった。

「以上、キリア」

 キリアは、三分ほどでボイスメッセージの録音を終える。音声データを暗号化し、今日出発した宿に敷設した基地局に無線送信する。送信完了のアイコンを確認して、キリアは詰めていた息を吐き、肩の力を抜いた。大きな声を伴って息が吐かれる。キリアは少し驚いていた。こんなに緊張していたのか。つい三日前にあんなことがあったから仕方ないなと思いながら、気持ちを切り替えるために、端末をぱちんと勢いよく閉じる。端末を抱えてミーファとリアラの元に戻ろうと振り向いたとき、すぐそばに、二人がいた。

「うわっ、なに? 聞いていたの?」

 キリアは、何か悪いことを隠すように慌てる。悪いことなど何もないが、焦ってしまう。

「まだ引きずってるの?」

 ミーファが、まるでキリアの健康状態を診るように、顔を覗き込みながら確認した。キリアのことを心配しているのがよくわかる表情だった。

「そんなことない」

「そうかなぁ? 今までと比べて、ぎこちなかったし、ふてぶてしかったわ」

 リアラはキリアの横に立ち、そっぽを向きながら独り言のようにつぶやく。

「そんなこと、ない」

「そんなこと、あるわ。キリアといっしょに活動を始めてもう二年目だから、これくらいのことわかるわ」

 キリアはリアラの言葉に対して何も反応せずに、端末を持って元の場所に戻る。ミーファとリアラは「大丈夫。ジュリアのあの反応は、きっと一時的なものだよ」と声をかけながら、キリアの近くに腰かけた。キリアは、二人の言葉がきっかけで、涙がじわりと出てきた。それは、二人の言葉の温かさに感動した涙なのか。それともキリアたちの上官であるジュリアとの不和をまだ引きずり、心を癒せずにいる涙なのか。どちらであるかはっきりしなかった。

「わたしは、大丈夫」

 キリアは自分に言い聞かせるようにつぶやき、目に溜まった涙をぬぐい、握りしめていた端末をバックパックに戻して、伸びをした。


 十分後、キリアたちは休憩を終え、出発の準備をしていた。

 その時、ミーファがはじかれたように顔を上げ、前方を凝視する。

 そして、間を置かず、鋭く、短く、危険を告げる声を発した。

「前方十一時方向、百m、樹上、数、一。鳥型イドラ! 敵だよ!」

 ミーファは警告を発しながら、さっきまでは持っていなかったアーチェリーの弦を引き絞っていた。すると、弓と弦の間に矢が現れる。

 ミーファは狙いすまし、その矢を放つ。

 矢は風を切って、ミーファが告げた方向へ飛んでいく。

 前方にいる鴉のように真っ黒な鳥は、甲高く鳴いた後、ミーファの矢に貫かれた。

 真っ黒な鳥は墜落せず、、空気に溶け込むようにすうっと消えていった。

「ごめん! あいつに鳴かせてしまったよ」

 ミーファがアーチェリーの弦に指をかけ、前を向いたまま大きな声で、二人に伝える。キリアはリアラと背中合わせの形になってミーファに応えた。

「ミーファ、リアラ、周囲を警戒! 鳴き声に呼び寄せられた敵が来るぞ」

 キリアたち三人は広場の中心で、互いの背中を守り合う三角の陣形となり、敵の姿を探す。

 そう。わたしたちの敵は「イドラ」と呼ばれる真っ黒い怪物だ。イドラは「イドラ・アドミレーション」と呼ばれる黒色の精神エネルギーが凝縮して、生物の形を持って実体化した存在。たった今、退治した鳥型だけでなく、獣型、魚型、虫型、植物型と多彩な種類が存在している。

 イドラは人間が持つ精神エネルギーである透明なアドミレーションを収集し、それを糧にして活動している。そして人間はアドミレーションを抜き取られ過ぎると死んでしまう。

 二十数年前までは、イドラに遭遇し、被害を受けた人間は全人口の〇・〇〇〇一%にも満たなかった。しかし、現在ではイドラをあやつることができる組織が現れたため、イドラの被害人口は一%にまで拡大していた。

「全員、輝化だ!」

 キリアは二人に向かって号令する。

 キリアは二人と同時に「輝け!」と気合を込めて叫ぶ。

 すると、キリアの胸から朝焼け色の光が溢れ、キリアの全身を包んでいく。他の二人もキリアの色とは異なるだけで、状況はいっしょだった。

 光に包まれたキリアは、光の中で騎士甲冑のような「輝化防具」を着装していく。身体、両脚、顔、両腕と光が移動しながら防具が形成されていく。光は最後にキリアの両手に集束して、右手には、柄がこぶしの五倍ほどあり、意匠が優美で格式を感じさせる長剣が、左手には、一m弱の縦長で、四つの花びらが十字型に開いたような形の大盾が形成された。キリアは、右手の「輝化武具」の長剣を一振りすると、キリアを包んでいた光がはじけ、粒子となり、きらきら輝きながらキリアの周囲に滞空している。

 ミーファとリアラも輝化を終えていた。

 ミーファの輝化防具は軽装の鎧で、大きな矢が三本入った矢筒を背負っている。左手には、先ほどの鳥型イドラを貫いた輝化武具のアーチェリーを持っていた。

 リアラは、輝化防具であるフード付きのローブで全身をすっぽり包み、右手に形成した輝化武具の杖をくるくると回して、もてあそんでいた。

 わたしたちは「アイドル」だ。アイドルとは、イドラに対抗するための騎士。通常とは異なる、有志の心「聖杯」を持ち、聖杯から湧き出る、個人特有の色を持った「アイドル・アドミレーション」を用いて輝化し、武具や防具、そして超常の力を発現できる。

 わたしとミーファ、リアラの三人は、国連の一機関である「国際対イドラ現象機関(ISCI=International System of Counter Idola phenomenon)」に所属するユニット「カリス」として、イドラを率いて世界に混乱をもたらす組織「ノヴム・オルガヌム」という組織、その隠された本拠地を探索する任務に就いている。現在のアイドルは、戦うのだ。

 キリアの目の前に、熊のような見た目の獣型イドラが三体、姿を現した。

「前方二十m、数、三。獣型イドラ」

 続けて、背中を預けたミーファとリアラからも敵出現が知らされる。

「ワタシの方は、さっきの鳥型イドラと同種が六羽よ。リアラ、そっちは?」

「こっちは植物型イドラ。数、一。ここら辺にたくさんある落葉樹と見た目が同じだわ」

 キリアは二人に戦況予測を確認する。

「問題は?」

「ない!」

 ミーファとリアラの不敵な笑みが見えるくらいの自信に満ちた声を聞き、「わたしもない!」とキリアも応える。

 キリアは左手の大盾と右手の長剣を構え、腰を落とす。

「準備はいいか?」

「いいよ」

「大丈夫」

 ミーファ、そしてリアラの短い返事を確認し、キリアは開幕の合図を高らかに告げる。

「ライブ、スタートだ!」


 キリアは、大盾を掲げて、眼前の熊のイドラに向かって突進する。そのとき、イドラとの戦闘は久しぶりだということを思い出す。ISCIの上官、わたしたちのプロデューサーであるジュリアが長い間、わたしたちを興行のアイドル活動にしか従事させなかったからだ。キリアは興行が苦手だった。できるならやりたくない。イドラ退治のアイドル活動の方がよい。嫌なことを考えなくて済むから楽なのだ。

 三匹の熊のイドラの内、小さい二体が突進するキリアを迎えた。

 二体のイドラは、爪をむき出しにした前足でキリアを攻撃する。

 一つ目の前足をかわし、もう一つの前足は大盾で防ぐ。

 キリアは、かわした前足を長剣で斬った。

 そして、防いだ大盾でイドラを押し、バランスが崩れた身体を長剣で突く。

 そこまでの攻防のあと、キリアは後ろに飛び退り、相手との間合いを空けた。

 キリアは二体のイドラを観察する。イドラへのダメージは、損傷の程度に影響しない。多少苦しむ様子は見せるが、足を切り落としても、体を貫いても、動ける限り動き続ける。唯一の弱点は、ダメージを与え続けた結果、体に表出してくる、イドラの「擬似聖杯」だ。その擬似聖杯を壊せば、イドラ・アドミレーションの凝縮を維持できなくなり、そのイドラは消滅してしまうのだ。

 キリアは熊のイドラの胸の部分に擬似聖杯があることを確認した。

 大盾を掲げて二体のイドラに再び突撃する。

 前足を斬られた方のイドラの擬似聖杯を、相手の間合いの外から正確に突く。

 もう一匹のイドラが繰り出した両の前足による爪攻撃を盾でなんなく防ぐ。

 そして、胸から見える擬似聖杯を壊せる太刀筋でイドラを袈裟懸けに斬った。

 二体のイドラはその場に倒れ、体が空気に溶けていくように消滅していった。

 キリアは一息つく間もなく、前方からの見上げるほど大型の熊イドラの突進に気づく。

 キリアは大盾をしっかりと身体の前面に固定する。

 熊イドラは前足を大きく振りかぶり、突進の勢いそのままで前足を振り下ろす。

 大盾にぶつかる。

 キリアは重心を低く、前に保ち、攻撃の勢いを受け止める。

「ぐっ! うううっ」

 二mほど後ろに下がるが、倒されることはなかった。

 瞬時に姿勢を戻す。

 巨大な熊のイドラを見上げた。

 自分の身長の2倍はありそうな熊だった。

 巨大なイドラは仁王立ちし、口を大きく開け、大地を揺らすような威嚇する声を発した。

 キリアは自分から、かたかた、ちゃきちゃきと音がするのに気づく。武具や防具がこすれ合う音だ。右腕がふるえていた。

 このふるえは……、武者震いだ。久しぶりの戦闘に、気分が高揚していた。その証拠にキリアの輝化武具「キャリバー」が光り輝いていた。キャリバーの特性は、キリアのアイドル・アドミレーションの密度によって、その硬さや切れ味が変化する。今のキャリバーは最高の状態だ。

 キリアは大盾をアイドル・アドミレーションに戻し、自分の体に収納する。

 そして、光り輝くキャリバーを両手に持ち、体のバネを引き絞るように構える。

 キリアが、ずっとうなり続けている巨大なイドラと目線を合わせる。

 イドラは、キリアの瞳に射すくめられたように、うなることを止める。

 一瞬の沈黙が訪れる。

 身体を沈めて、走り出すキリア。

 視界と思考が目の前のイドラに集中する。

 イドラの巨大な爪が振り下ろされた。

 キリアは走る速度を緩める。

 爪は、キリアの眼前の地面に突き刺さった。

 キリアは再び速度を上げる。

 イドラの前足に足をかけ、キリアは飛び上がる。

 イドラがもう一本の前足を空中のキリアに突き出した。

 しかし、キリアはその攻撃を意に介さず、空中で長剣を振り下ろす。

 切っ先からアイドル・アドミレーションの斬撃が飛び出す。

 斬撃が前足を断つ。

 その先の身体まで届き、身体を袈裟懸けに両断する。

 そして、体内に隠れていた巨大熊のイドラの擬似聖杯までも破壊していた。

 キリアは跳躍の勢いそのままにイドラを飛び越し、後ろを振り返る。巨大熊のイドラは仰向けに倒れ、先の二体と同じように消滅していった。


 キリアはミーファとリアラの様子を確認する。

 二人ともに、勝利で戦闘が終結していた。

 ミーファの方は、六羽の鳥型イドラが広場の一帯を埋めるほどのおびただしい数の矢に穿たれ、消滅しているところだった。ミーファが伸びをしながら、得意な顔をしてこちらに歩いてくる。

 リアラの方は、大きさ三mほどの植物型イドラが燃え盛っていた。イドラは炎の中で苦しむ様子を見せていたが、やがて擬似聖杯が燃え尽きてしまい、消滅を開始していた。リアラは炎の熱さにがまんできなかったのだろう。フードを下ろして、ローブの前を開けながらこちらにキリアたちに合流する。

「二人ともおつかれさま。損害は?」

 キリアが二人の状況を確認する。

「損害なし」

 二人ともに笑顔でキリアに答える。

 キリアは「わたしもない。」と報告し、三人でこぶしを突き合わせて、勝利を祝う。

「またイドラが出現するかもしれない。早くここから移動しよう」

 キリアは勝利の余韻に浸る間もなく二人を促す。二人ともに「了解」と応え、荷物をまとめ、再び北を目指して移動を開始した。


 キリアたちは休憩の後、再び北の山を目指して走っていた。なだらかに勾配が高くなってくる。もうすぐブリーフィングで目標に設定した北の山だ。

 キリアは、手応えを感じていた。この任務に志願して良かった。

 久しぶりのイドラ退治のアイドル活動、気が置けない仲間と行動を共にすること、ちょうどよい任務の困難さ、全てにやりがいを感じている。

 そして、この任務を成功させれば、敵組織の本拠地を暴くことができる。これはきっと、ISCIにとって大いに役立つ情報となるに違いない。もしかしたらイドラとの戦いの局面を一変させ得るかもしれない。

 それは、間違いなく、プロデューサーのジュリアにわたしのことを認めさせることができる実績になる。

 ジュリア……。

 ジュリアは変わってしまった。

 ジュリアに出会ったときと同じように、彼女のことを信じていたい。

 もうあのときのように、ジュリアと言い争いたくない……。


 *

「もっと褒めてよ! なんで、わたしを見てくれないの!」

 キリアは、ジュリアに対して、自分の不満を怒りとともにぶつけた。

 しかし、ジュリアにその言葉は届かなかったようだ。ジュリアは、面倒なものに直面したような表情で、キリアのことを突き放す。

「キリア、もっとトップアイドルとしての自覚を持て。その言葉はあまりにも幼稚だ」

 キリアは、めまいがするほど衝撃を受けた。

 ジュリアが課した目標を一つずつ確実にクリアしたのに……。

 ようやくジュリアの望み通りに「アイドルランク」を最高の「フィフス」にして、名実ともに「トップアイドル」となったのに……。

 全てのアイドルの憧れであるカリスにも所属したのに……。

 信頼するジュリアはわたしを全く褒めてくれなくなった。数多くのファンから慕われようとも、ジュリアに褒められなければ、わたしの気持ちは全く晴れないのに。

 キリアは孤独だった。ジュリアのためにがんばってきたのに、なぜこんなことになったのだろうか。

 ジュリアに認められたい。

 鬱々と日々を過ごす中で、自分にしかできない高難易度の任務に従事し、ジュリアが無視できない大きな実績を作ることを考えた。

 カリスに所属するミーファとリアラの協力を取り付け、自らを実行者として難易度最高の敵本拠地の偵察任務を企画した。その企画は、ジュリアの決裁を受け、実行されることになった。


 *

 この現状ならきっと、わたしの思惑通りに事が進むはず。

 キリアは敵地の真っ只中で充実感に酔いしれていた。

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