第十六章 「わたしとリン」
†
「キリアさん、キリアさん!」
わたしの名前……、呼ばれている。
人の体温を感じる。とても温かい。
名前を呼ばれながら、体を揺さぶられている。
キリアは目を覚ました。
目を開けると、少女の顔が目の前にあった。心配そうな表情でわたしを見つめている。濡れた髪と涙を溜めた瞳が美しくて、息を呑む。
そうか、彼女がリンだ。
彼女が、わたしの名前を呼びかけて、わたしがここにいるということは……、デュラハンは負けてしまったんだ。リンが勝って、わたしを取り戻そうと必死に呼びかけているのだろう。
自分の聖杯の中を確認する。
デュラハンがどこにもいない……。何があったんだ?
「気づいた! キリアさん? キリアさんなの?」
キリアはリンの呼びかけに答える。
「わたしは……、キリアだよ。ありがとう、目が覚めた」
キリアは起き上がり、立ち上がろうとする。しかし、ふらついて体勢を崩してしまった。
リンが慌てて立ち上がり、キリアを助け起こす。
リンの輝くような笑顔が近くにあった。
「良かった。キリアさんが戻ってきた!」
また、どきりとした。
居心地が悪くなり、キリアはリンから離れる。
「あ、ありがとう、助かった……」
うつむいて、取り繕うように感謝の言葉を伝える。動揺して、困惑した顔は見せられない。
「デュラハンとの戦いはどうなったの?」
「わたしたちが、キリアさんを取り戻すために、デュラハンをこのアイドルの泉に追い詰めました。ここの液化アイドル・アドミレーションがイドラ・アドミレーションを浄化してくれるんじゃないかって思って。すごく大変だったけど、何とか彼女をこの泉に落として、わたしが抱きしめて……。そうしたら、彼女は力尽きたように意識を失ったみたいでした。」
リンはわたしの態度を不審に思っていないようだった。「その後、呼びかけ続けていたら、キリアさんが目を覚ましたんです」と続けて、キリアの反応を待っていた。
「そう、か……」
キリアはうつむいたまま応える。
もしかしたら、デュラハンは本当に消滅してしまったのかもしれない。
デュラハンの最後の様子を聞いて、キリアは寂しさを感じていた。呪縛が解かれたうれしさではなかった。もう会えないこと、もう話せないことが寂しかった。
月明りに照らされた水面が淡く光る。月光を反射した、ゆらゆらとした光の幕が、うつむいた顔を覆う。泉の上空で強い風でも吹いたのだろうか。泉の周囲にある木々が、がさがさ、ざわざわと落ち着かない。
キリアは、ぐるぐると嫌な思考、嫌な感情にさいなまれていた。
リンに助けられたことが恥ずかしい。
トップアイドルなのに、聖杯浸食されて、二年の間、イドラとの戦いに混乱をもたらして、先輩なのに、後輩に助けられて、負けたくないと思う相手に借りを作って……。
彼女に負けた。
悔しい。
どうせ……。どうせ、ふがいない先輩だとあざ笑っているのだろう。
リンの、あの笑顔の裏側で、くすくすと笑っている声が聞こえてくる……。
キリアは、はっと気づく。
この気持ち、この考え方はデュラハンや昔のわたしと同じだ。
わたしは、あのときのデュラハンとの対話ですっかり変わることができたと思っていた。でも、わたしはまだ、少しも変わることができていない。
「キリアさん」
リンが続ける。
「みんな、身体も聖杯もくたくたです。アヴァロン・プロダクションに帰還しましょう。みんな待っています。ジュリアさんも待っていますよ」
ジュリア……。
キリアはその名前を聞いた途端に動悸が始まった。
ジュリアに対して、デュラハンとの対話で決めた生き方ができるのだろうか。
どくん、どくん、どくん……
「さぁ、行きましょう?」
リンが、ざばざばと泉の水をかき分けて近づいてきた。
わたしは、留まりたかった。このまま逃げたかった。
しかし、
その生き方は違うと思った。
やっぱり、ジュリアに会って、わたしの生き方を聴いてもらおう。
こぶしをにぎって、決心した。
うつむいていた顔を上げ、リンと向き合う。
「わかった。帰りま……?」
リンの瞳が丸くなっていた。驚きと……、恐怖だろうか。
恐るおそる、リンが告げた。
「キリアさん……。顔の……それ、何ですか」
キリアはすぐさま顔に触れる。
ほお、額、目、あご。
何も異変はないように感じた。
しかし、泉の水面に映った顔が視界に入った。
キリアは得体のしれない恐怖におののいた。
「なに、これ……」
目の周りが、趣味の悪い漆黒のアイシャドーを塗りたくったように、真っ黒になっていた。
その黒は、顔の内側から染められていくように、広がっていく。
「いや……、やめて……」
黒が広がらないように、顔を抑えてみる。まったく効果がなかった。
あっという間に、顔全体が真っ黒になってしまった。
脚の力が抜ける。
キリアは、ばしゃっと水しぶきを上げながら、その場に崩れ落ちる。
真っ黒になった顔を手で覆う。すると、顔の表面に、何か固いものが形成されていく。「うそ、うそでしょ」とつぶやいている間に、顔全体がその固いものに覆われた。
水面を覗き込む。それは、イドラの仮面だった。
その仮面は、のっぺらぼうだった。
かろうじて目と鼻と口に位置する箇所が隆起している。一面になめらかで、顔が映りそうなほどつやつやしている。
デュラハン! 戻ってきたのか?
自分の聖杯に呼びかける。しかし、まったく反応がない。
これは……、デュラハンが置いていった、純粋なイドラ・アドミレーションのかたまり?
イドラの仮面は、小刻みにふるえていた。どこか生き物のようだった。
「くっ」
キリアはその仮面を引きはがそうとした。
そのとき、まるでイドラの仮面が意思を持ち、引きはがそうとする行為に怒ったかのように、仮面から触手を噴出し、暴れ出した。
仮面がぐりぐりと動き、顔に気色の悪い感じを覚える。そして、仮面から飛び出した触手がぶんぶんと動き、顔を振り回し、ばしゃばしゃと泉の水面に当たる。
「キリアさん! その仮面を泉の水に浸して!」
リンがイドラの仮面を浄化させるように促す。
キリアは、リンから少し離れた場所で、顔を泉の液化アイドル・アドミレーションに浸す。
液体の冷たさは感じる。しかし、仮面の様子はまったく変わらない。
仮面が触手を伸ばし、キリアの四肢に巻き付き、キリアの自由を奪う。
そして、次の瞬間、仮面の中に隠れた額に大きな針を刺されたような激痛を感じた。
聖杯浸食だ。
デュラハンのときとは違う……。
あのときは、デュラハンの迷い、ためらい、配慮を感じていた。
でも、今回は、機械的で無機質だった。
頭の中を、体の奥を気持ち悪い触手でまさぐられるようだった。怖気立ち、抵抗する力が入らない。
デュラハンとは違って、浸食と同時に聖杯の形を変えられてしまう。今度こそ、わたしはいなくなる。そう思った瞬間、キリアはパニックにおちいった。
「いや、嫌だ!」
言葉にした途端、感情があふれ出す。
「やめて! やめてよぉ……」
手足を動かしたくても動かせない。
変わりに、声の限りに叫び喚き散らす。もう止まらなかった。
「わたし、わかったの! 今までの生き方を変えたいって! わたしにその生き方をさせて! このままいなくなるなんていやなの……」
キリアは両腕に力を込め、触手をぶちぶちと引きちぎる。ちぎれた触手がばらばらと泉に落ち、じゅうじゅうと音を立てて蒸発する。
自由になった両手で、顔に貼りつくイドラの仮面をつかみ、強引に引きはがす。
ずるっと仮面が持ち上がる。
粘着質の真っ黒いイドラ・アドミレーションが、べちゃべちゃと少しずつキリアの顔から離れていく。
しかし、イドラの仮面の裏からキリアの眉間に向かって真っすぐ伸びる芯のようなものが外れない。いくら離しても伸び続け、左右に振っても弾力があるため効果なし、ひねっても同じだった。
あきらめず、試行錯誤を続けていると、額からさきほど以上の激痛が身体に流れ込んできた。
まるで、電撃を浴びせられたかのような驚きと痛みだった。
息が詰まり、全身がこわばってしまうほどの痛さが、息をするたびに流し込まれる。
全身の感覚がなくなるしびれ、めまいがするほどの気持ち悪さ、何に対して感じているのかわからない悲しい気持ち、そして、訳もなく死んでしまいたい気持ち。
「んぐぅ! うぅぅっ!」
声も出せない。何の力も入らない。
このまま死んでしまいたいのに、間断なく流し込まれる痛みと気持ち悪さに生きていることを実感させられる。苦しくて仕方がなかった。もう生きたくなかった……。
キリアは、湖の浅瀬に、ばしゃっと水しぶきを上げながら座り込む。
繰り返される苦痛で、ときおりびくっと身体がふるえる。
しかし、それ以上、身体を動かすことができなかった。イドラの仮面を外すことを、イドラに抵抗することを、生きることを、すべてをあきらめることしかできなかった。
あきらめたら……、痛みや苦しさが楽になった。
「う……、ぐすっ、うえぇ、うわあぁぁん」
ただ苦しくて、ただ悲しくて、キリアは泣くことしかできなかった。ぐずぐずと子どものように泣き続けることしかできなかった。
引きはがされたイドラの仮面が、元の位置にもどろうと、キリアの体を這い進んでいる。
キリアはくやしかった。
せっかく決意したのに。こんなに苦しいままで終わりたくない。どうしても生まれ変わりたい。憧れの人のように、ミレナ先生のように、マリアのように、リンのように、生きてみたい。
イドラの仮面は、まるで何かの甲虫のように、ぬめぬめ、うぞうぞと這い進み、ついにキリアの顔にたどり着く。
リンはキリアの近くでどうすれば良いか迷い、焦っている。
キリアは生まれ変わりたい気持ちを誰かにわかってほしくて、くやしい気持ちを聴いてほしくて、リンに伝えようとする。
ずるっ、ずるっ
イドラの仮面は、もうキリアの鼻を隠す手前まで来ていた。
きっと、わたしの最後の言葉。伝えたいことを伝えたいように。
わたしの側に壁はいらない……。
「わたし、くやしいよ。もっとまっすぐに、さわやかに生きたいよ。こんなにがまんしたままの生き方で終わりたくないよ……」
仮面に覆われようとする瞳から、大粒の涙を流し、かすれるような声でリンに訴える。
「リン……、助けて……」
キリアの顔が、再び仮面に覆われようとする。
仮面の中の暗闇が、わたしを永遠に閉ざそうとする……。
がっ!
そのとき、仮面に右手がかかり、力が込められて、ぐぐぐっと押し戻される。
「今、助けます!」
仮面が持ち上がった隙間から聞こえた何にも揺らぎそうにないリンの声、同じく隙間から見えた決意を秘めたリンの表情。キリアにとって、リンはアイドルとなった。
リンは一歩前に踏み出し、キリアの目の前で、発現したアイドル・アドミレーションを両腕にまとわせ、キリアのイドラの仮面を両手でつかんでいた。
リンは、自分のアイドル・アドミレーションを流し込みながら、握りつぶそうとするように力を込め、仮面を蒸発させようとする。
ぎいぃぃあぁぁ! ぎいぃぃゆぅぅ!
本当の生き物のように、イドラの仮面が苦悶の鳴き声を発した。
仮面は抵抗するように、その身をふるわせて触手をばたばたと振り回している。リンの両手に、キリアの額と同じ針を突き刺した。
キリアは自分で仮面を引きはがそうとしたときの苦痛を味わう。
そして、今度はリンも同じ苦痛を味わっているようだった。
リンもその場に崩れ落ち、膝立ちになる。
それでもイドラの仮面を握り続けていた。
キリアは苦痛を堪えながら、リンの真剣な表情を見つめる。
リンはわたしの視線に気づくと、表情を和らげて笑顔になる。わたしが最初に目覚めたときと同じように、息を呑むほど、きれいだった。
「待っていてください。もうすぐです。もうすぐこいつを離しますから」
そのとき、電撃にも似た瞬間的な激痛がイドラの仮面から流れ込んできた。
「ぐぅうぅぅっ!」
「いたっ! ううぅぅうっ!」
二人ともに痛みに耐えるように悲鳴をかみ殺す。
キリアを安心させようと、気丈にふるまうリンだったが、がまんできるような苦痛ではなかったみたいだった。
あの天使のようなリンの笑顔が消える……。
キリアはそれに罪悪感を覚えた。
「ごめん……なさい、ごめんなさい! リン! ごめんなさい……。わたしがあなたに助けを求めたから……、あなたもこの苦痛に巻き込んでしまった。わたし……こんなつもりじゃなかったの……。早く、早く手を離して!」
キリアは苦痛に堪えながら、後悔の涙を流す。リンの苦しむ姿を見るのが辛くて、うつむいて祈るように両手を組む。
「違う!」
リンが怒鳴るように声を上げる。
驚きのあまり泣き止んだキリアは顔を上げて、リンを見つめる。
リンはイドラの仮面をにぎり締めながら、キリアをしっかり見つめて、キリアの言葉を否定した。
「助けを求めたっていい、痛みに巻き込んだっていい、ごめんなさいじゃなくていい! わたしは、キリアを助けたいと思ったから、今こうしているの! だから、キリアは、『ありがとう』でいいんだよ!」
リンの言葉が心の中に響き、聖杯の中にしみ込んでいく。
「うう、えぇぇん……」
言葉の意味と思いを理解したキリアは、さきほどよりも大声で泣き始めた。
「リン……ありがとう……。本当に、ありがとう!」
ありがとう、と言えたこと。まるで心の荷を下ろしたようだった。
心が緩む。うれしさで涙が止まらなかった。
涙が流れるごとに、自分をさいなむ苦痛が消えていく。
心がはずむ。身体もはずむ。
自分が微笑んでいることがわかる。
いつの間にか、額の針や、全身を縛る触手が消えていた。
キリアは、ようやく自由を手に入れた。
びしっ、びきっ
イドラの仮面が割れる。
リンがさらに力とアドミレーションを込めると、イドラの仮面が崩れた。
汚泥のような真っ黒な中身があふれ出す。
どろどろとだらしなく垂れ、泉に落ちようとしたとき。
真っ黒な汚泥が渦を巻き始める。
仮面の破片を巻き込みながら、球形にまとまる。
膨れ上がる。キリアの身長ほどになる。
そして、はじけた。
汚泥が飛び散り、泉に落ちる。じゅうじゅうと煙をあげて蒸発する。
真っ黒な球から生まれたものは、顔だった。
リンの身長の二倍ほどの大きなおおきな顔が宙に浮いている。
割れた仮面と同じように、目と鼻と口がかろうじてわかる、のっぺらぼうだった。
その顔の後ろから、宙に浮いた右手と左手が現れる。
その両手は、顔の前に移動し、顔を覆う。
ぐぎぎぎいいいぃぃぃぃぃ!
まるで「恥ずかしいから、見ないで」とでも言うように、黒い顔のイドラが奇声を上げる。
イドラが、わたしを視た。
目はないのに、わたしを視た。
顔から離した右手が、キリアを襲う。
「キリア!」
キリアは、リンに突き飛ばされる。
そして、リンがイドラの右手につかまってしまった。
彼女は、ひざ蹴り、足蹴りで抵抗し、右手の拘束から逃れる。
しかし、先端が大きな杭のように変化したイドラの右手の人差し指が、銃弾のような速度で、リンに向かって伸びる。
その杭は、リンの胸に突き刺さった。
「リン!」
リンはぐらりと姿勢を崩すが、しっかりと踏ん張って立ち、まっすぐイドラと向き合った。
彼女に近づき、胸に突き立てられた杭を確認する。
やはり、この杭は聖杯浸食用の角だった。
そして、すでにリンの聖杯への侵入が始まっていた。リンの胸の中にイドラ・アドミレーションが流れ込んでいる。
ふと、イドラを見やる。
のっぺらぼうのイドラがにやりと笑っているように見えた。
キリアは目の前の異形の存在におののく。
「リン! 大丈夫?」
リンがうめきながら、無事を告げた。
「キリア、落ち着いて……ください。大丈夫、です。こんな、化け物に、負け……ません」
リンは胸に刺さった杭を両手で引き抜こうとする。そして、聖杯に侵入しようとするイドラを自分のアイドル・アドミレーションを使って、排出しようとしていた。
彼女は自分の身体と目の前のイドラに集中していた。
しかし、状況はまったく変わらない。
リンのアドミレーションは、イドラを押し出すことができていない。イドラの侵入を遅らせるのが精いっぱいのようだった。
「ぐ、うぅぅ!」
リンが、さらにアドミレーションの出力を上げた。
しかし、イドラの侵攻は止まらなかった。
リンを助けたい。
自分の正直な気持ち。
蔑み、見栄、打算、負け惜しみ……、すべて違う。
わたしの心の渦の中心。揺るがない気持ち。
それを、つかむ。
わたしは、リンに正直に伝えた。そして、リンに正直に伝えられた。
その関係は、わたしの居場所だ。わたしが安心できる居場所だ。
そこは、ミレナ先生と同じような自分が自分らしくいられる場所だった。
リンを失いたくない!
キリアは胸に手を当て、聖杯の中を確認する。
アイドルの泉の効果で、再び輝化できるくらいのアドミレーションは回復していた。しかし、目の前のイドラのアドミレーションに抵抗はできない。
かといって、回復を待っていれば、リンのイドラ化が完了してしまう。
わたしにできること……。
それは、わたしのコンクエストスキル・リフレクトで、あのイドラをわたしが吸収し尽くすこと……。
怖かった。それはやりたくなかった。
リンを助けること。
イドラを引き受けることへの恐怖。
どちらも、わたしの正直な気持ち。
どうすればいいの……。
――本当にそれだけなの?
「それ以外に、わたしに何ができるっていうの? 自分のことは自分がよく知っているわ」
――そう。なら、あたしが知っていることは知ってる?
「あなたが知っていること……」
――あたしが、おまえのコンクエストスキルを使っていて気づいたことよ。おまえのスキルの特性は、アドミレーションの吸収と反射だけじゃない。アドミレーションの濃縮もすることができる
「濃縮……」
――泉の液化アイドル・アドミレーション密度と比べて、リンのアイドル・アドミレーションは薄い。対して、イドラのアドミレーションは濃い。同じ体積でせめぎ合えば、イドラの方が優勢に決まっている。
「アドミレーションの密度……」
――リンのアドミレーションを、おまえのコンクエトスキルで濃縮して、リンに返す。それができれば……。
「それができれば、あのイドラを退けることができる!」
キリアは、それができた自分の姿をイメージする。
アドミレーションの濃縮。
吸収して反射する。その作用を聖杯の中で留め続けたら……。
キリアは、うなずいた。
リンの後方に回り込む。
「わたしにできることをさせて」
リンは、苦しそうな表情で一度うなずいた。
キリアは、リンに寄り添い、後ろから抱きしめる。
そして、コンクエストスキルを発動し、リンが使用できなかった余剰のアドミレーションの吸収を始める。
見るまにキリアの聖杯がリンのアイドル・アドミレーションで満たされた。
心の中が橙色の光で満たされる。
吸収したアドミレーションを聖杯の中で解放するイメージ。アドミレーションが、聖杯の中で反射を繰り返す。
――もっと先に、まだ先に、こんなところで止まっていられない!
リンの声……。リンが考えていること?
なぜこんなに先にこだわるの? リンが行こうとしている先はどこなの?
では、わたしはどこに行こうとしているの……。
言葉が反射を続けて、余計なものがそぎ落とされていく。
密度の濃い思いが残る。
それが、濃縮されたアドミレーションだった。
「あ、あぁ……。キリア、離……れて。もう……」
リンが限界を迎えていた。
「リン! 今度はわたしが助けるから!」
キリアの中で濃縮した「錬成アイドル・アドミレーション」をリンの身体に渡す。
わたしの身体とリンの身体が、強く、まぶしく、鋭く、ひかる。
橙色の閃光が、アイドルの泉を照らす。
ぎぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
イドラが悲鳴を上げ、激痛に苦しむように暴れている。顔を覆う左手が、右手をかばう。
「すごい……。アドミレーションでこんなことができるんだ」
リンが感嘆の声を上げ、後ろのキリアにアイコンタクトする。
「このままイドラを追い出します!」
「わかった」
キリアは、リンのアドミレーションを錬成し、リンに渡し続ける。
リンは、杭をゆっくりと引き抜き始める。
ずる、ずる、ずる。
杭とともに、これまで侵入していたイドラ・アドミレーションも排出された。
そして、リンがつかんだままの杭に、錬成アドミレーションを作用させ、にぎりつぶすように蒸発させる。イドラの右手もろとも蒸発してしまった。
ぎぎゅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
大きなのっぺらぼうの顔と両手だった異形のイドラは、錬成アドミレーションによる攻撃によって姿が変化した。
人間のような形。デュラハンに似た黒い人形だった。
芯のない粘土細工。
それは、デュラハンとは似ても似つかなった。
イドラは、ふにゃふにゃの四肢を気持ち悪く振り乱してうごめきながら、キリアとリンから逃げるように、アイドルの泉の奥の方に逃げていった。
「輝け!」
キリアとリンが声を合わせて、再び輝化する。
キリアは、橙色の錬成アドミレーションを自分の長剣にまとわせた。
リンは、キリアから渡された橙色の錬成アドミレーションを投げ槍に変えた。
キリアは、リンと目が合う。
見つめ合って、うなずき合った。
びしゅっ……
リンが、逃げるイドラに向かって、投げ槍を放つ。
ばちぃぃん!
まるで型抜きでえぐったように粘土人形の右上半身が消滅した。
ぎぎょぁあぁ!
投げ槍はイドラを貫いた後、泉の底に落ちる。
どばぁぁぁぁん!
水しぶきが上がる。
イドラは、穴があいた体のまま逃走を続ける。
キリアは、橙色に強く輝く長剣を構え、逃げるイドラに向かって駆けだした。
音に反応したのか、それともアドミレーションに反応したのか、イドラは反転して、キリアに向かってきた。
顔はのっぺらぼうのままで、不自然に大きくした左手を振りかぶり、キリアに立ち向かう。
このイドラは、いったい何者だったんだろう……。
わたしから出てきたイドラなのだから、デュラハンだった?
しかし、目の前のイドラからはデュラハンの存在をまったく感じない……。
……。もしかしたら……、わたしがこれまでの人生で溜めてきた「認められたい」のかたまりなのかもしれない。
わたしの承認欲求が、デュラハンのイドラ・アドミレーションによって形を得て、わたしの目の前に現れた。
それならば。
わたしは、それを斬り捨て、新たな自分になる!
キリアは、落ち着いてイドラを引き付け、長剣を横に一閃する。
イドラが真っ二つになる。
そして、そのまま長剣を振りかぶり、縦に一閃する。
ずばぁぁぁん!
縦の斬撃が泉の水を割り、高く舞った水しぶきが周囲の木々に飛び散る。
ぎぎゃぅぅぅああぁぁぁぁぁぁぁぁ!
イドラはその斬撃につぶされるように消滅していた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
キリアは、泉の液化アイドル・アドミレーションに濡れたまま、息を整えていた。
ばしゃ、ばしゃ、ばしゃ……
リンが駆け寄り、キリアに抱きついてきた。
キリアも、やり遂げたうれしさでリンを抱きしめる。
リンの無事を確認するように、リンに抱きしめられることで自分の無事を確認するように、強く抱きしめる。
そのとき、アイドルの泉全体が強く輝きだす。
泉の水面や周りの草木に飛び散った液化アイドル・アドミレーションが、リンの色である橙色に、強く、まぶしく、鋭く輝いていた。
まるで、わたしたちを応援してくれるオーディエンスが持つペンライトのように、ひかり輝いていた。
「きれい……。まるでライブ会場にいるみたい」
幻想的な光景を前に、キリアが思わず口を開く。
「そうですね……。本当にきれいです」
「わたし、この光景を忘れていた。そして、この光景が好きだったことも忘れていたわ」
長い夜が白んでくる。
東の空から朝日が昇ってきた。
まるで、ライブ会場を照らすスポットライトだった。
遠くからリンを探す、キャメロットの三人の声が聞こえてくる。
キリアはリンと離れて向かい合い、改めて感謝の言葉を伝える。
「本当にありがとう。リンは、わたしの心も身体も救ってくれた」
リンは気恥ずかしい感じで応える。
「わたし、キリアさんの新しい生き方、生まれ変わることを応援します! どんなふうに生きるのか、今度教えてくださいね」
ああ……、ここがわたしの居場所だ。
わたしが、わたし自身で、わたしらしく、守って、広げていく場所だ。
「リン、わたしのライバルになってくれないか?」
「えっ?」
「これから先、また誰かに、自分を預けてしまわないようにするために。ライバルとなって、わたしを見ていてほしい」
リンは顔が真っ赤になるほど照れていた。
「わたし、キリアに憧れてアイドルになったんです。そんな人からライバルになってと言われるなんて……すごくうれしいです」
彼女は表情を引き締めて、宣言した。
「わたしでよければ、ちゃんとキリアのことを見ています!」
キリアとリンは、互いに握手をした。
「いっしょに帰りましょう。キリア」
「うん、帰ろう」
キャメロットの三人が向こうで手を振りながら近づいてくる。
キリアは、そちらに向かいながら考えていた。
これも新しい生き方、生まれ変わった姿だ。そう思うことができる。そして、この自分の方が、さわやかで気持ちが良かった。




