第一話 白銀
4年前、戦争があった。
フレシア大陸。広大な大地の西側に位置するギシュール地方。
勢力は実に北部地方の6割を支配下に置いた古き文化が根強いエルキモア王国
それに南東に隣接し、海に面した発展途上国であるリシュテンラルフ
先進国の仲間入りを果たそうとするリシュテンを制圧し、自国の力とする為に動いたエルキモアはリシュテンラルフに宣戦布告。
ギシュール地方で随一の国土と兵力を備え、中でも粒揃いのエリート【王国騎士団】を有するエルキモア
それに対するリシュテンはこれを近代兵器を駆使し、エルキモアに対抗。
リシュテン側の近代銃火器によりエルキモアは苦戦を強いられる事になるが
圧倒的国土と兵力の差によって次第に戦局はエルキモアに傾き
戦争開始から僅か二年、結果として戦争はリシュテンの降伏により終結した。
王国騎士の中で突出した功績を残したとされた青年【フェイオル・サージアレフガレット】は
戦争終結に導いた偉大な騎士の一人として、尊敬と畏敬の念を込められ【英雄騎士】と呼ばれていた。
―――しかし終戦から2ヵ月後、フェイオルは突如として、エルキモア騎士数十名を殺害して逃亡
【英雄騎士】から一転し【犯罪者】として国中に指名手配される事となった。
しかし、遂にフェイオルを足取りを掴む事は出来ないまま月日が流れいった、
戦争の傷跡を残しながらも徐々に復興を始めた現在。
エルキモア、リシュテンの国境沿いに位置する歓楽街"ザナドゥ"
国境に面しているザナドゥは戦時中、エルキモアに制圧された際、その街の風俗から、慰安所を数多く設置され
慰安婦としてリシュテンの女たちが街に多く閉じ込められた。
終戦を迎えた後、土地はエルキモアからリシュテンへと返還され、表向きはエルキモア側は撤退した。
しかしながら、領土はリシュテンのものではあるが、実質エルキモアの制圧下にある複雑な状態にあるため
両陣営とも表立って自軍の兵をザナドゥに常駐させる事が出来ないため、街は無法地帯となっていた。
これに対し、ザナドゥに住まう人々は自らの街に独自の法を作り、
秩序乱れた街を正すべく、『駆廻』と呼ばれる組織が台頭し始める
その中の【駆廻】の一つである【白銀屋】と呼ばれるザナドゥで聞くに恐れられた一人の青年が居た。
「か、勘弁してくれェ!」
悲痛な声が上がったザナドゥの路地裏の一角
中年の男は顔に複数箇所アザを作り、にじみよる男に尻もちをつきながら懇願していた
「おたくさぁ、悪いことしてるって自覚……ある?」
「だ、だから……誤解だよ【白銀屋】さん。ウチは組合に入ってるし、アガリも出してる!ヒメ売りも自分の意志で働いてる!なんの問題も……」
【白銀屋】と呼ばれた男は、中年の男の胸ぐらを掴み、無理やり立ち上がらせる
中年男は【白銀屋】の青みがかった鋭い眼光に言葉を詰まらせ、背後の壁に押し付けられる
「俺がただの【駆廻】じゃねぇって知ってるだろ?自分の意志だぁ?良くも言えたもんだな、まだテメェがどういう状況なのかわかってねぇの?」
胸ぐら掴んでいた手を首にかけ、軽く持ち上げる。
首を圧迫され、呼吸も満足に出来ずもがく男に【白銀屋】はさらに言葉を投げかける
「アンタの店の女、全員借金持ちだってな?組合に申請も無しに女達の代理返済を請け負うのは原則的には違反、知ってた?
如何なる理由があれ、店側が支払うのはヒメ売への賃金だけ。それ以上の関与を原則禁じているのはヒメ売りを守る為だ
借金建て替えを理由に賃金を払ってない……アンタらみたいな奴からな?」
軽くとはいえ、気管を締められてる中年は当然返答も出来ず、僅かの呼吸音だけ立てるだけ
ふん、と鼻を鳴らした【白銀屋】はそのまま中年を放り投げる
仰向けに咽る中年の胸を足で踏みつけ、冷たく見下ろす
「こ……この街において"女は道具"だ!あんな奴らでもウチで扱ってるんだ!何が問題だと言うんだ!」
「事実問題だから俺が出張ってんだよ。【駆廻】が何のためにあるか分かる?」
反抗した中年を踏みつける足に力を入れて、踏み躙る。
圧迫された胸から空気が吐き出され、新たに酸素を求めて中年は激しく呼吸を荒げる。
「ハ、ハイエナ風情が……偉そうにィ……ッ!」
意趣返しと言わんばかりに中年は罵倒を浴びせるが
【白銀屋】は眉一つ動かさず、冷たく、鋭く尖った視線で見下しながら、無言のまま中年の頭を蹴り飛ばす。
鈍い音と共に強い衝撃を与えられた中年はそのまま気絶してしまう。
そんな事に意も介さずように、中年の懐にあった財布を抜き取り、中に入った札を抜き、その場所を去っていく。
路地裏から出たそこには、夜にも関わらず、明るく照らされた街、女や酒、薬を求めて街を闊歩し
店先で男を呼び込み、情事によって金を稼ぐヒメ売り達を邪な目で眺める男達。
この欲望の街【ザナドゥ】では極々普通の日常であった。
【白銀屋】はその欲に塗れた街を堂々と闊歩していく
「旦那~?」お務めも終わりです?今日はウチなんかどうですか~?」
そんな【白銀屋】に駆け寄り、呼び止めたヒメ売りの女。
以前、彼の"仕事"で面倒を見て、一人の客としても知っていた女だった。
「悪いな、今日はもうタマ切れなんだ。また今度って事で」
肩に軽く触れ、あざとい声色で【白銀屋】に媚を売る女の手を握りしめ、そっと女の頬に添わせる
「そんな事言って旦那、まぁたどこぞの女泣かしたんでしょう?ソコナシな旦那の事ですから」
「まあ、そんな所だ。それじゃあな」
手をそっと離し、その場を後にし、【白銀屋】ふっと嘆息を吐く。
この街へ流れ着いた彼も既に多くの商売女と共にし、身体を重ねている。
あのように近づいて来る女も彼にとっては最早珍しくはなかった。
この街の店は歩合制が多くを占めており
中には仮初でも男女の触れ合いを求めてヒメ売りとなる女も希少ながらも存在するが、
その多くは望まずしてこうなったものが多く
借金の返済の為に売りをする者、人身売買で店に売られた者、戦争孤児が行き場を無くし流れ付いて売りをする羽目になった者。
理由や背景は人それぞれだが、彼女たちは皆、金や自分の為に身体を売り、男と目合う。
男はそれを理解しつつも、仮初の関係を楽しみ、金を払う。
そしてこの街はそういった形態を維持しつつ、女の権利や人権を守る為に自治組合を立ち上げ
組合の作り上げた街の"ルール"を遵守させ、それを犯したものを取り締まる【白銀屋】ような存在
街を"駆け廻り"秩序を守る、という事から【駆廻】が台頭し始めた。
リシュテン国領土内でありながらエルキモアの管理下という複雑な状態に置かれたこの街は
エルキモア側の兵もリシュテン側の兵も現状、駐屯出来ない不安定な地区な為
自治権を廻り幾度となく騒動が起きていたが、組合の立ち上げに伴い、遂にエルキモア側に認められ
中立地域として現在は運営されている。
【駆廻】の存在で、ある程度治安が落ち着いたこの街だが
先程のように裏で悪どく商売する者は後を絶たない。
【白銀屋】はそれを取り締まる仕事をした後、必ずといっていい程、立ち寄る店があった。
ハイネと書かれたこじんまりとしたBARの前に立ち止まると
その店の古びれた扉を開ける。
キィと軋む音を立て、薄暗い店内に入っていくと、カウンターの中には暇そうにグラスを磨く老年の姿があった
「おう、いらっしゃ……って、んだぁ、お前かルプス」
来客に気付き、迎える壮年だったが、入ってきた【白銀屋】を見るや否やため息交じりにそう呟いた
【白銀屋】こと、ルプスと呼ばれた青年はカウンター席に腰をかけると目を細めて壮年を睨みつける
「なにいやそうな顔してんだよジジイ。来ちゃいけねぇのか?」
「そういう訳じゃねぇがよ……」
ハイネのマスターである老年、グオルグ・ラフィードは磨いていたグラスを棚に戻しながら怪訝な顔をしながら言葉を返す
明らかに歓迎されていないが、ルプスは気にも止めず、テーブルに頬杖をつく
「じゃあミルクくれ」
「……まあいい。それで?今日はなんだ?」
「一仕事終わったからな。それの報告だ」
グオルグは組合立ち上げの創設者の一人であり街の顔役でもあった。
そしてハイネはBARという性質上、色んな層の客が集まる為自然に情報が集まりやすい為
グオルグは街の情報を【駆廻】に与える事によって協力をしている情報屋としても活動していた。
今回の一件もグオルグからもたらされた情報であり、
組合の人間であるグオルグへの報告をする為、この店に足を伸ばした。
「あんたの言った通り、店に居たヒメ売り4人は
全員借金持ち、賃金は払われず、まさに飼い殺しだった」
「全く……金の稼ぎ方を知らん奴だな。
そんで、どうせお前はそこオーナーをボコボコにしたんだろ」
「それに加えて"お小遣い"も拝借してきたが」
「全くお前は……」
呆れた声色でグオルグはミルクをルプスの前に置くと、葉巻を咥え、火をつける。
「駆廻の本分は街の治安維持だぞ。あんまりやんちゃしていると、お前も取り締まり対象になっちまうぞ」
「街の為になってるじゃねぇか。俺みたいな何でもやる奴が居るからこそ、裏家業の奴等がヘタに動けなくなる
取り締まる側がルールに縛られすぎていると、そのルールの甘さに漬け込もうとしてくる奴等は当然居る
そんなアウトロー共を潰すのが俺みたいな奴の仕事よ」
そう言い放つルプスはミルクを一気に呷る。
グオルグはため息混じりに煙を吹かし、視線を落とし、一考する。
白銀屋、ルプス・カーシェルはこの街に流れ着いた浪人だった
そんなルプスの身元を預かり、
この町で駆廻として活動出来るように援助したのが、グオルグであった。
その為、ルプスの事であれば大抵の事は耳に入ってくるのだ。
情報屋としても当然、良い噂ばかりではなく、陰口も悪評まで否が応でも知れてしまう。
ルプスは飲み干したミルクを置き、席を立つ。
机に幾ばくかの金を乱雑に置き、そのまま店を出ようとする
グオルグは金を取り、ドアノブに手をかけたルプスの背に言葉を投げかける
「全く……あんまりやんちゃし過ぎても、俺は庇いきれんからな?」
「そん時はそん時だ。ジジイにケツ拭かれてちゃあオシマイだしな」
わざとらしく大きく溜息を吐いたグオルグを尻目に、そのまま店の外に出ていく。
眠らぬ街、【ザナドゥ】を肩で風を切り歩くその男、ルプス・カーシェル。
この街で最も幅を利かせ、慕われ、恐れられる存在でもある彼。
駆廻としてだけではなく、なんでも屋としても捉えられ
本来の在り方を逸脱し、街の警護、ご意見番、店のケツ持ちに限らず
人物や物の捜索から、金融屋の代金回収の代理や、運び屋等多岐に渡って請け負っており
同業等からは金さえ払えば何でもやる「ハイエナ」と侮蔑されていた。
これは彼の【白銀屋】として生き、ザナドゥで起きた事件の物語である―――
――――――
――――カン
――カンカン
白銀屋の事務所、古臭いドアノッカーの音が部屋に響く。
日も昇りきっているのにもかからず、寝コケているルプスは煩わしさに寝返りを打ち、
無視を決め込もうとするも、規則的に叩かれ続けるドアに遂に観念し、
嘆息を短く吐き、起き上がる。
「っだぁぁ……あぁぁもうはいはい……はいどちらさん?」
少し苛ついた様子でルプスはドアを開けると
綺麗にブロンドがかったロングヘアーであどけなさが残る容姿の少女が
少しだけ驚いた様子でそこに立っていた。
ルプスも少女の姿に面食らったかのように息を飲む。
お互いにしばし見つめ合うも、ルプスは一つ咳払い、仕切り直す。
「……なんだ?嬢ちゃん。一夜売りか何かか?」
「ここ、白銀屋……さんですか?」
ルプスの質問になんの反応も見せず、静かにそう訪ねてくる少女。
調子が狂うルプスは頭をかきながら、怪訝そうな顔で少女を見返すも
少女は眉一つ動かさず、ルプスを見つめてくる。
「……そうだが?」
「ここって……依頼を出せば、何でもやるって……聞いたんですが」
「ふむ、なんでも……ねぇ」
顎に手を当て一考する。
この辺りで見たこと無い顔であり、
明らかに10代半ばといった容姿の為、この年代の少女は店で正式で雇う事が出来ない。
その為、秘密裏に年齢を誤魔化して、雇う店や、一夜売りと言って
彼女達が個人、或いはそう見せかけて店が指示をして、男と一夜を共にする事で金銭を受け取る
非合法の商売で、当然、駆廻の取締対象なのであるも、見逃している事が多く
その代わり、ルプスを始め、多くの駆廻はこの街の女の顔は把握しており
ましてや非合法の少女のヒメ売りとなれば把握してない駆廻は居ないくらいなのだが
この子の顔に心当たりも無ければ、噂すらも聞いた事がなかった。
「まあいい。とりあえず、上がれ」
一先ず、人目も避けるため、少女を事務所に上がらせる。
恐る恐ると行った挙動の少女、ソファに腰掛けるよう促し、自分もその対面の椅子に座る。
座ったまま、じっとしている少女の出方を見るが、そわそわとしたままの様子だったので
短く溜息を吐き、話を切り出してみる事にする。
「さて……それで?お前、見たところ、外から来た奴だな。門番はどうやってお前を通した?」
この街は基本、成り立ちの為、内外の人間からの紹介、或いは高額な入門料が必要になる。
容姿こそ悪くはないが、着ている物は飾りっ気のなく、寧ろ歳不相応とも思える地味さの服だ
人は見かけによらぬもの―――とは言うが、この街においては少なくとも女は見た目が命である。
この少女は金を持っているようには見えない為、入門料を渡して入ってきたとは違うのは間違いないと読んでいた。
「白銀屋さんの紹介っていう風に……伝えて」
それを聞いたルプスはがっくりと項垂れる。
以前、町の外から来た白銀屋氏名の顧客が来た時、門番がそれを追い払った件があり
その時ルプスが門番に「人の客に口出し無用」と脅しをかけた事があり。
今回、門番がこの少女を通したのは、白銀屋の名前を出した事が原因であろうと言うのは理解できたのだ
「あの……ここって……お金を出せばなんでもしてくれる……んですよね?」
恐る恐ると言った感じでそう訊ねてくる少女に
ルプスは顔を上げ、数回小さく頷きながら、ソファーにもたれかかる。
「そんな噂の出回り方してる奴は、この街には俺くらいしか居ねぇだろうな。
ま、とてもいい噂じゃあねぇだろうが……まあ、いい。態々、俺を頼りにザナドゥまで来たってのか?」
ふてぶてしく聞いたルプスに対して、弱々しく少女が頷く。
少し居た堪れない気持ちに追い込まれるルプスだが、心を鬼にして、諭すように語りかける。
「確かに金次第で仕事するのは事実。だからこそだ、お前からは金の匂いがしねぇな。
大方ここに路銀は使い果たしてるだろう?俺は金がない奴には用はねぇ。帰んな?」
ザナドゥという街は決して治安が良いところでない。
この年頃の娘がこの街を少し出歩くだけで男に呼び止められ、ヒメ売りの話を持ちかけられる。
汚れた街に必要もなく、巻き込まれる必要もないだろう。
その思いも束の間、少女は膝に置かれた手を強く握り、絞り出した声を発する。
「いやです……お願いです!お金ならなんとかします。なんでもしますから、お願いです……」
俯き、涙を滲ませ、肩を震わせる少女に並々ならぬ事情は感じ取れた。
しかし、ここで安請け合いすると【白銀屋】という看板に影響があっても困るルプスとしては
彼女を諦めさせるのが一番だと考えていた。
「……ふむ。じゃあ、ヤらせろって言われても文句はいわねぇんだな?」
「っ……は、い……」
「……意味分かってんのかおい?」
「なんでもするって言ったのは私です。それでお願いを聞いてもらうなら」
流石に歳頃だろうし、『言葉の意味』自体は理解していると思っていた、が
少女の返答に逆に面を喰らってしまい、言葉が出なくなる。
「チッ、わーった。話は聞いてやる。その、お前の依頼ってのは?」
「あの……本当に、なんでも、やるんです……よね?」
「内容次第だな。いいからさっさと言え」
少女に目も合わせず、さっさと話を進めようとするルプスに対し、
少し言いづらそうに言葉を発さない
じれったい様子にルプスはイラつきを隠しきれないでいると
少女は重々しく口を開く。
「……殺してほしい奴が居るんです」
白銀屋 第一話【白銀】 完