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いい男であるところの俺が女の子に建物裏へと連れ込まれる……ロマンス的な意味に決まってるよな!

 俺は建物と建物の間にある空間に収まってる。

 子ども同士ならぎりぎりすれ違うことのできる程度に狭い隙間だから、収まってるっていうのは別におかしな表現なんかじゃない。

 建物の壁に背を預けて、片足を伸ばせばもう一方に届くだろう。汚れそうだからしないけど。

 とはいっても、この周辺の隙間なんてだいたいどこもこんなものだ。他にもっといい隙間を望んだって、そんなものは俺たちの見える範囲にはなかった。


 ――そう、『俺たち』なんだ。

 今、この隙間に収まっているのは俺にぶつかろうとした彼女と俺のふたり。それは残念ながら恋じゃなくって故意だ。残念ながらロマンス的なやつじゃない。そうであっても困るけど、男としては勲章にはなるんじゃないかな。

 薄暗がりに彼女を見る。

 清潔な衣服は少しひらひらした飾りのあるもの。そして髪は先程の慌ただしさに若干乱れがあったが、それでも元は梳かれて整えられていたのだろうことがわかる。豊かな黒髪の大半は自然に任せながら、一部だけまるく団子状にまとめられている。そこへ縄のように編まれた髪を絡ませているあたり、お洒落目的であることが伺われた。結論、就労者には見えない。

 正確な判断なんて下せないけど、現在進行でそこそこの育ちなんじゃないのか。

 下流階級の人間との交流には問題事が付き纏う。できる限り関わらないよう、おっさんには言われていたけど彼女なら大丈夫だろう。


 ここは元々、その子が潜んでいた場所だった。

 俺の首をぎゅうと締め終わったあのあと、話がしたいと申し出たのは彼女で、続け様に――こんなところで話し込むものではないから、と場所替えの希望と共に――引き込まれたのだ。

 彼女への対応に迷っていた俺の身は、いとも簡単に良い様にされてしまった――それが今の状況だ。

 でも通りすがりにでもうっかりこの隙間を覗き見たやつでもいたら、驚くんじゃないか?怪しいってね。少なくとも、不審度はあのまましゃべっているよりか、こちらの方が上だった。

 そこそこの育ちの女の子だから暴力とかはないと考えたいところだ。でも力はそれなりにあったようだったし、腕力じゃなくたって恐喝とか……いや、ここに新たな暴力担当が現れてもおかしくないぞ。

 諸々ひっくるめた犯罪行為を働くには、ここはうってつけの場所だった。

 先程のことを思い返すに、無害を装って何をされるかわかったものじゃない。

 油断ならない。俺は密かに彼女への警戒度を引き上げた。

 走って振り切れるだろうか。でもおっさんに助けを求めるのはいやだ。出方を待ってからでもいいかもしれない。


「さて、始めましょうか」

 俺の全身を一通り眺めまわしてから、その子はそう口火を切った。

 こっそりと見ていていたつもりなんだろうけど、バレバレだ。

 じろじろと見られるのはあんまり気分のいいものではないけど、俺も見てたからお互い様と知らぬふりをしておく。

「少し話したいこと……っていうのはなんだよ。家の者におつかいを頼まれてるんだ、だからあんまり遅くなるのはこちらも都合が悪くってさ」

 俺の身になんかあったら、他のやつが俺を探しに来るんだからな!そう牽制してみる。

 実際のところ、俺に何かあってもおっさんが駆け付けるなんてことは考えられないんだけどね。

「あら、そうだったの。では手短に――いえ、単刀直入にお伺いするから、あなたも誤魔化さずにお話していただけるかしら」

「構わないよ」

 俺の出自とかその辺り以外ならね。

 その子は俺の顔をしっかりと見詰めていた。だから俺も、視線を合わせる。

 背がほとんど違わないせいか、それとも会話をするという目的からか、自然にそうなっていた。

 互いの顔や表情は見えるものの、陰になっていてはその瞳の色までは判別がつかない。いや、瞳の色が変わるってわけでもなければ、色彩で何かの判断がつくというわけではないんだけど。

 でも俺はそのことを少し残念だと、そんな気持ちになっている。あの色を持つ彼女と話したかった。……うん?どうしてそう『考え』たんだろう。


「改めて質問するわね。あなた、さっきそこで男のひとと喋っていたでしょう?お知り合いなの?そしてそれは、どの程度の関係なのかしら」

 話し出した彼女に、慌てて耳に意識を傾ける。そのせいで曖昧な何かは俺の近くをすり抜けていった。

 問われたのは、先程締め上げられながら耳にしたのと同じもの。

 この子の前に衝突した男のことだろう。ぶつかったといっても、身体的な接触はない。手に持っていたらしい水分をぶっかけられたんだけど――。

「喋ってたっていうかあれは、」

「あああ待ってちょうだい!もしも、それが――ゆっ友人以上な話のながれになるのでしたら、私にだって心の準備がいるの。だから少しずつ、ちょっとずつよ?」

 その子は両頬に手を宛がって身をくねらせると、身体をふたつに折った。気持ちの悪い動きだ。

「あの男とはべつに、」

「やっぱりもうちょっと少しにして頂ける!?」

 がばりと身を起こして俺の発言を遮ると、彼女はまた身をくねらせた。今度は小刻みに。

「なんだよ、ちょっとずつってまさか一単語ずつって意味じゃ、」

「あっあっあ!!待って!ちょうだい!」

「おい」

「がががっが!」

 ってなんだよ、おい!

 むしろこちらがちょっと待ってくれって気分だよ!


 俺が答える隙を塗りつぶすように、彼女は問いにもなっていないものを重ねていく。むしろ人間の言葉じゃない。

 正直、俺の回答なんていらないんじゃないか?ひとりで走り出してしまう様は、最初に飛び出してきた時の彼女の様子と被る。

「落ち着けって!」

 きっとこのまま好きなようにさせていたら話は進まないんだろうな。

 結果、慌てて止めに入ることとなった。

「あのさあ!これじゃ何も話進まないんだけど。っていうか聞く気あるの?これもう俺いなくってもいいよな?ってわけで帰るから」

「うっ!帰るのは、待って。ちゃんと落ち着くから」

 宥めれば、すぐ我に返ってくれたのは助かった。

 帰る、と宣言したのが効いたのかもしれない。

 言葉を成していないような唸り声が聞こえてたから、この人間はもうだめなのかと疑いかけたところだ。

 あれ以上に喚かれたら、俺はこの子をおっさんのところまで引きずっていったかもしれない。だって表面は悪くないんだ。新しい妹を造るとしたらこの身体(ボディ)はどうかな、なんて。

 実際には、意思のある人間ひとりを引っ張っていく力なんてないんだけど。でも元の身体(ボディ)だったらできたかもしれない。――ああ、これって意味のない思考だ。


「まったく……どこが単刀直入だっていうんだよ。それ以前にめちゃくちゃじゃないか」

「ごめんなさい。私ったら、激しく動揺してしまったみたい」

 咎める言葉に返ってきたのは、想定外にしおらしい様子。気取った喋りは鳴りを潜めている。

「なんでそうなるのか俺にはわかんないし、そこは追及しない。さっさと本題入って――あ、入んなくっていいや、俺が話す」

 主導権はこっちが握っておいた方が良いような気がする。早く帰りたい。

「たまたま、ぶつかっただけ。本当にそれだけで、あの男とは初めて会ったんだ」

「そうだったのね。ほんとう、ごめんなさい。心配しすぎたみたいで」

「……あっさり解決したみたいだけど、なんでそんなことが気になるんだよ」

 むしろ俺はなんでそんなことを聞いたんだろう。早く帰れない。

 あんまりその子が安心したように微笑むから。ずっと気を張り詰めたようにしてた空気を、するりと解けさせる理由が気になったんだ。

 ちがう、逆かもしれない。気になったのはその落差で、何がどうしてそこまでその子の空気を頑なにさせていたんだろうって。

 でも後から悔いるから後悔っていうんだろ?つまりはそういうことだった。

「あのね、」

 密やかな声音で告げられたのは、ちょっと俺には考え付かないようなこと。

「私はあのひとに恋をしているの」

 識ってはいても、今まで目の当たりにしたことのなかったそれに俺は強く興味を引かれた。



 すうと短く息を吸う音が聞こえた。

 記憶を辿るようなぼんやりとした表情は気怠く映る。それが見た目よりも彼女を大人っぽく見せていた。

「そう、あれは今から8年前のこと――」

 話はそれとは真逆、幼い時分へと逆行したようだったけど。

 何か過去の話が始まってしまったようだ。

 長くなりそうな気配がするけど、引き出したのは俺だ。もちろん止めるつもりはなかったんだけど、口は動いていた。

「っていうと、あんた今いくつだよ」

 人間の年齢というものは、外見から判断するのが少し難しい。テンとだいたい同じくらいだろうと予想を付けてみたが、そもそも俺はテンの本当の歳を知らないのだった。

「15歳だけれど。でも、それってあんまり必要のない情報よ」

 言われて彼女を改めて見る。これが15歳の人間か……。

 さっきの想定のまま、他の人間もテンの肉体を纏っている俺のことを15歳前後程度に見えているんじゃないだろうか。なんて他所事の思考を回してみる。

 そこでいつの間にかしゃべりが地に戻っていたことに気付いたが、それも今更だった。指摘されないってことはちっとも不自然じゃないってことだろう。

 まあいいや。これから年齢を聞かれたら15歳って答えようかな。少しだけ不安が残るから、おっさんに確認してからだ。


「当時、まだ幼かった私は……あ!もちろん引き算くらいはできるわよね?」

「それくらいできるし!7歳のときってことだろ?」

 俺の完璧な回答に、彼女はにんまりと笑った。

 正解、ってことだよな?まあ聞くまでもないことだけど、ちゃんと言ってくれなきゃ座りが悪い。

 結局俺の出した回答の答え合わせは不要だとでも言うかのように、流されてしまった。



***



 語られたのは、迷子の女の子の話。

 いつもは行かない小路に入ってしまったその子は、泣きながら建物の間をさまよった。助けてくれたのは、あの男。

 知ってる店まで案内してもらって――そこからなら帰ることができると、女の子は主張したそうだ――、さよならをした。


 家に戻ったその子は、親切なお兄さんにお礼を言えていないことに気付く。

 次の日から、その子は毎日お兄さんを探すようになった。

 近辺に住まう者同士だったなら、生活圏内を歩き回っていればもう一度巡り合うこともかなうだろう。大して時間を掛けることなく、その子はお兄さんを見つける。

 それでも幼い子がその男の顔を忘れてしまう前に見つけることができたのは、幸運だった。

 けれど、せっかく会えたのに内気なその子は声を掛けるどころか近寄ることすらできなかった。


 明日こそはと気合を入れてみれば会えなくて、予想外の時に見つけてしまうと恥ずかしくて隠れてしまう。探して、言えなくての繰り返し。

 そうしているうちに、始めは知らなかったお兄さんの素性も、何とはなし知ることができた。

 でもいつまでたっても声は掛けられないまま時間だけが過ぎていく。


 ――それからもう何年も経ってしまった。

 きっと、彼はもう自分のことなんて忘れてしまっている。それでもその子は彼を追い掛けては眺めるのをやめられず、やっぱり一度だって話し掛けることができなかった。

 女の子も成長して、内気な性格も年を追う毎に鳴りを潜めていった。それでも声を掛けられないのにはべつの理由がある。

 お礼を言いたいという気持ちは、その子の中で段々とかたちを変えていた。話したいと焦がれる気持ちが、いつの間にか恋になっていたのだった。

 何度か話し掛けようと試みたことはあったそうだけど、空回りや失敗で、1回も成功していないのが現状だった。



***



「――と、そういうわけなの」

 話終えた彼女の表情は、すっかり夢から醒めたよう。

 俺とぶつかった理由。それは故意だったけど、恋だった。

 それはつまり、俺にとっては全然かまわないって言えなくなったってことだ。

 俺の中に少しだけ、面白そうだという期待が生まれてしまっている。


「ね、ね!あなたも協力してくれるでしょ?」

「……なんでそうなるんだよ」

 弾む声に、俺は気のない風に応じてしまう。

 そこですぐにいいよなんて言えるわけがない。他人の恋路に興味津々なんて品がないだろ。

 でも無下にするのは紳士的じゃないから、断ったりはしないけど。

「秘密の代償、知りたがったのはあなたよ。聞いたからには協力するものよ」

 俺の真意が見えてるのか、彼女は気取った言い方で片目を瞑ってみせた。

「仕方ないな」

 渋っているのは素振りだけ。だってすぐに態度を翻すのは格好悪い。

「協力って言われても、何をどうすればいいかなんてわからない。でも、できる限り力になるよ」

 これも縁だから、なんて嘯いてみる。

 恋なんて俺の中にはないもので、きっとこれからも発生することはないんだろう。

 だって俺は造り物だから。恋なんてものは、子孫を残すことのない自動人形(オートマタ)には生来ないもので、今後獲得だってできないだろう。欲しいとすら願わない。

 でもずっと知らないままだから、こんなに興味を引かれるんだ。


「ありがとう、うれしいわ。でもあんまり堅く考えないで?作戦立案は主に私が行うつもりだから、あなたは意見や作戦手助けをしてくれたらいいなって思うの」

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。気取ってるときよりずっといい。

「作戦?」

「そう!ふたりが近付くためのあれやこれや、よ!」

「ふぅん……」

 俺はひらめくことがあって、手のひらを上にして彼女へと手を伸ばす。俺の動作に気付いたその子も、手を伸ばして俺の手へとそのまま重ねた。

「ありがとう、よろしくお願いするわね!」

 握手?違うよ、これは。

 俺は口許だけで笑んでみせると、その手をぎゅっと握って――引っ張った!そうして建物の隙間から、路地へと彼女といっしょに飛び出す。

 通行人にぶつかるなんてことはない。大丈夫、俺は誰かとは違ってぶつからない方へ気を付けてるから。


 少し先には俺を待つあの男が居た。まだこちらには気付いてない。

 俺の背後では、その子が体勢を立て直しながら「なんなの?」とか「びっくりさせないで」とか言ってる。

 まだ気付いてないのかもしれない、教えてあげなきゃ。

 俺はゆっくりと振り返った。

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