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人間関係っていうのは大抵ぶつかりあうことからはじまる。……これが痛みっていうやつなのか?

 金銭を要求する俺の要求に、男は呆然としている。

 その顔を目にして、気付いた。難癖をつけて金をせびる犯罪者と思われたのかもしれない。

 そんなつもりのない俺は、すかさず言葉を重ねて誤解されないよう印象の誘導を図る。

「濡れてしまったのはこのコーヒー豆――おつかいの品でして……頼まれた以上はやっぱり自分で買いに行くべきですから」

 だってこの男が店の場所を知ってるのか分からない。知らなかったときに、なんか説明するのって面倒じゃないか?

 おっさんの地図はこの地点から使うには意味の分からない代物となっていた。

 それに俺はさっき訪れたばかりのあの店の名前を知らない。看板はなく、紙袋にもそういった印字はない。

「でも、さすがにもっかい行くのはやだからあんた代わりに行ってこいよ、とまで言うつもりはないんです。現物でなくって、買い直すだけのお金があれば自分で行ってくるので」

 丸められた紙袋の口を引き伸ばす。開いてみれば、中からしっとりと濡れたコーヒー豆が顔を覗かせ、乾いているときの三割増しに重たい音で擦れ合う。

 見た目には分かりにくいけれど、損なってしまったことくらいは分かるだろう。俺はそれを男に見せつけた。

 よし、これで誤解は解けたはずだ。

 たとえ失敗しかけたとしても、それに気付いて迅速に対応できれば挽回できることは少なくない。

「君は、なんていうか真面目だね」

 課題だからな、とは言わない。

 生後おおよそ数十日くらいの俺にはぴったりでも、この身体(ボディ)の見た目にはそぐわないものだ。

 たとえたまたま一瞬出会った人間であっても、不要な違和を覚えさせる必要はないだろう。もしも俺を どこぞの箱入り娘だと思われるのも厄介だ。まばらだったが通行人の耳もある。

 ただでさえ俺の所作のひとつひとつは優雅だ。それは正真正銘の女でなくたって問題じゃないくらいに目を引くからな。

 身代金目的の誘拐でもされたら大変だ。


「おつかいって言うのは、結果こそが目的だからね。俺が買い直したって問題はないさ。それに今回のは不慮の事故だろう?もしも君が買ったという事実が大事だったなら、君の買った――俺が駄目にしてしまった紙袋を一緒に渡せばいいんじゃないかな」

 言いながら、男は俺の手に硬貨を握らせた。開けてみれば、コーヒー豆を買ったらお釣りが返ってくる額で、それはおっさんが俺に寄越したのよりか少し多い。

 自分が行くと言って俺にお金を渡すってことは、――つまりどういうことだ?

言っていることと行動がちぐはぐで、俺は困惑した。

 やっぱり俺が行けってことか?当初申し出た通りになったけど、何かすっきりしないものがある。

 何も言えないまま、置いてけぼり状態な俺をさらに放り出すように、男は続けた。

「よく行くからこの紙袋の店は知ってるんだ。ここを使うってことは君の家、それか勤め先は大通りを越えないところにあるだろう?ここからは近いはずだと思うんだけど」

「は?」

 俺の反応を肯定と捉えた男は頷いた。頷くな。

 その推測は理解のできるものだった。けど、急になんだよ。

「やっぱり君が濡れてしまったことの方が気になるからね」

 弁償ってまさか家まで付いてくるところからとかじゃないよな。俺は面食らう。なんか面倒くさそうで嫌なんだけど。

「買いに行ってる間、一旦戻ったらいい。そうしたらまたここに戻ってきてほしい。そんな風で、どうかな?」

 返ってきた言葉は、俺の不安とはまったく違うもので安心した。

 そういうことか。俺の家を探るような真似をした理由は理解したぞ。

 疑って悪かったな。でもそれとこのお金にはどんな関係があるんだろう。

「わかりました。けれどそれならこのお金は一体なんなんだ、です」

「もしも俺が弁償しないで逃げたらって心配があると思うから、それは保険。俺が戻ってこなかったらそれで買い直して」

 なるほど、そういう見方もあるのか。

 俺は感心した。

「君がここに戻ってくるまでに帰ってこれるか、は……うーん、君の移動距離がどれくらいかわからないから約束はできないけど、あまり待たせないようにするよ」

「大丈夫です。距離感は掴めているので」

 店と俺の家との距離感を説明する気はなかったから、そう濁しておく。

 それから思考の半分で、もしもこの男ともう少し違う形というか、俺の身体(ボディ)が以前のままだったなら、いい友人になれたのではないだろうか――そんなことを考える。

 まあ、それならこんな風に穏やかにはいかなかったかもしれないけどな。主に俺の身体能力や男の対応で。

 でも急ぐ必要はない。友人なんて、自ずとできるものらしいから。

 この男にこだわる必要は少しだってなかったのだった。




 俺は急加速を始めた男の後ろ姿を確認すると踵を返した。

 わざわざ姿が見えなくなるまでその走りを見守っている必要どころか興味もないしな。

 あの様子では早々に失速しそうな気もした。

 それに早々に家に戻らなくてはいけないし、恐らく俺を待っていてくれるであろうおっさんに説明して、濡れた衣類を何とかしなくてはいけない。

 表皮、というか肌かな。それについてはただ拭えばよくって、さほど湿っていないから大した手間じゃない。そこまで手を掛けなくともいいかもしれない。

 俺自身は体温調整だとか体調不良だとかには無縁だし、電氣家具とは違って水に濡れても問題はない。

 服、染みにならないといいけど。それだけは放っておくわけにはいかなかった。というかこれは何を引っ掛けられたんだろう?

 すっかり染み込んだ状態では色もあやふやだ。

 残念ながら、俺には五感の内の嗅覚と味覚がないから見当がつかない。いや、あっても舐めたりなんてしないけれども。そもそも飲料の類かすら分からないしな。


 これを見て、おっさんは何て言うだろうか。

 まずは端的な説明を考えよう。途中で話の腰を折るような問いの入らない、納得できるようなやつを。

 俺はまたここに戻ってこなきゃいけないのだから。

 それより。

 俺の耳がさっきから何やらカウントダウンする声を捉えているんだけど、これは一体何なんだろう。

 30くらいから耳に付き始めたそれは、数を数えるには些か不自然だった。下っているしな。

 それに、何だか調子が早い。いや、早まったり遅くなったりと不規則な緩急でもってそれは紡がれているようだった。

 ひとつ気付いたことがあって、13になったところで俺は歩調を緩めた。すると下っていく数もそれに合わせて緩まる。

 それはまるで、俺の足音に合わせているかのように。


 「9、……8」その調子に合わせないように少しだけ足を下ろす速度を落としてみれば、「は、8」もう一度同じ数が聞こえた。

「7、」

 少し先にちょうど建物同士の隙間が見えた。

 「6」という声に合わせて俺は石畳をぐっと踏みしめるような、そんな風に歩き方に変える。

「5、……4……」

 俺はその場で歩調を崩さないよう気を付けて足踏みをした。


 3から先の音は聞こえずに、その次の次の次の次、マイナス1の足踏みで隙間から影が飛び出してくる。

「きゃ、きゃあ!ぶつかってっ!しまいましたわ!」

 そんな気の抜けた言葉と共に。


 飛び出してきた誰かは女の子のようだ。彼女を俺は避けようとはしなかった。

 ちっともぶつからないだろうことは分かりきっている。足踏みしていたせいで衝突位置とは距離があったのだった。

「衝突事故だなんて大変なことになってしまいましたわね!こっ、ここは、お詫びに食事でも……」

 え?食べ物を出せって?

 これはあれだろうか。わざとぶつかってきて金品を要求する犯罪だ。さっきの男が俺に対して抱きかけた危惧だな。

 外出許可を得る前に、外の世界の注意事項のひとつとしておっさんが教えてくれたことだった。

 でも困ったな、こういうときは警邏を呼べばいいんだっけか。この程度ならば面倒事には結びつかないはずだし。

「一緒に食事でもどうでしょう?いいレストランがありますのよ、ご馳走いたしますっ」

 なんだか違ったようだ。

 声を上げなくてよかったな、なんて考える。

 いや、そもそも声を出す余裕なんてなかったのかもしれない。

 そこでようやく俺は彼女の勢いに飲まれかけていたらしいと気付く。そもそも俺たちはぶつかっていない。

 この子はなんでそんな勘違いをしているんだ?

 一体どういう状況なのかすら、俺には判断が付かない。……なんだかさっきも同じような、既視感っていうのかな。似たような感覚を味わったような気がするんだけど。

 相手ばかりが分かっていて、俺は置いてけぼりな感覚。

 それとも暗黙の了解のような、人間ならすべて分かっていることを俺が知らないだけなのかもしれない。だから彼女の言葉が理解できないのかもしれなかった。

 きっと、先程の男のように説明をもらったらわかるのだろうけれど……。

 俺はまだ対人について未熟な部分があるという自覚はあった。ずっとおっさんとしかしゃべってなかったからな。他の人間なんてロクに知らない。

 テンだって、――テンとはそれ以前の問題だった。あのときの俺はまだしゃべることができなかったのだから。


 それに彼女は俯いていて、その顔立ちや表情といった情報を得る窺い知ることはできないから難易度は高かった。女の子の感情って難しいって言うしな。

「あのさ……俺たちぶつかってなんかいないんだけど」

 仕方なく口を開く。いや、今の俺はしゃべることができるんだから積極的に声帯を使用していくのが正しいんだろう。

「えっとさ、聞いてる?」

 それでも言い淀んでしまうのは仕方がない。はっきり言ってなんか怪しいんだよ、この子。

 近寄って話し掛けられないのはそれが原因だ。事件に巻き込まれないかと、危険ではないかと警戒してしまう。あれはどう見ても狙ってぶつかろうとしてきていた。

 金品をせびられるわけではなく、与えようとしてくる。意図が読めないのは不気味だった。罠、かもしれない。

 無視して逃げ出すという選択肢はあることにはあった。でも俺は彼女の考えが知りたかった。想定外のものだったからだ。


 ……ん?あれ。この子、なんだか小刻みに震えてないか?

 顔は紅潮していて少し汗ばんでいるようだし、両の手は堅く握り込まれている。

 体調が悪いようにも見えた。このまま放っておくのは躊躇われる。

「だいじょうぶ?なんか、具合が悪そうに見える」

 何度目かの呼びかけで、ようやく反応が返ってきた。

 ゆるゆると上げられた顔に、やっとその子と目が合う。

 孔雀緑(ピーコックグリーン)の瞳。目前のそれが光の加減かくるりと回ったように見えた。

 ぱちりと音がしそうなくらいにゆっくりと瞬きをして、彼女は「あら?」と首を傾ける。

「あらあらあら?違うわ、黄烏のお兄さんじゃないわ。これは人違い?間違ってしまったということね!」

 暗黙の了解なんて、なかった。


 俺はヒトガタで、鳥なんかじゃない。それも黄色のカラスなんているのだろうか。

 でもそうか、間違いか。

 だったらもういいかな、俺は失礼させてもらうとしよう。体調雨量というわけでもないようだしな。

 そのカラスは気にならないでもないけど、これでもほんの少しは急いでいたりするんだ。

 あの男との待ち合わせ、弁償だとか面倒なことはさっさと終わらせるに限るからな。

「そうですか、ではさよなら」

「ちょっと待って頂けるかしら」

 彼女の横を通って去ろうとしたところを、すれ違いざまに押し留められる。俺の服、ちょうど襟の辺りを彼女ががっしりと鷲掴んだのだ。

「え?なんで、ふんっぐ!?」

 問うべく咄嗟に漏らした声は、音が詰まって変な音になる。

「ごめんなさいね、人間違い(ヒトマチガイ)なんてしてしまって」

 ニンゲンチガイではあるけどね。

「いえいえ、ではこれで……」

 こうやって平然としてるのは俺が自動人形(オートマタ)だからだ。

 そのおかげでこうして若干の違和感で済んでいるが、これが人間だったらむせるなりして苦しんでたに違いない。……あれ?ならここはむせてみせた方がいいのか?

 取り繕うように、ごふりと咳き込んでおいた。

 けれどまるで喉を締め上げるかのような力は少しだって緩まない。

「それで、なのだけれどね?私はあなたと少しお話がしたのだけれど、いいかしら?いいわね?……『いいよぉ!!』そう?ありがとう!」

 途中で挟まった裏声は、俺の声真似のつもりなのか?

 話を差し挟む間もなく勝手に進んでいく現実、それから放す素振りのない手に少し困惑する。なんなんだよ、本当に。

 俺は今日、困惑してばかりだな。

 でもそれも当然だった。どうやら変な子に絡まれたみたいだから。

 俺の思考なんか少しだって知らない顔で、女の子は俺をじっと見る。

 この場合の対処法を、俺は持っていない。

 停止状態(スリープモード)という選択肢が思考の片隅にちらつき出す。ああ、それだけはだめだ。その結末は、解体と機能停止がセットになっているのだから。


「ね、あなたさっき黄烏カフェのお兄さんと一緒だったでしょう?どういったご関係なのかしら」

 孔雀緑(ピーコックグリーン)は剣呑に細められ、なのに突き出した唇が紡いだのは拗ねたような声音。


 それに俺から返す言葉はなかった。

 なんでかって?……継続して今も喉を締め上げられてるからだよ。

 苦しくはないが、しゃべりにくい。俺は脱力した指で、ちょいちょいと首元を指した。

「これは失礼。もう、やだわ。早く教えてくれなくっちゃ!あなた、息が詰まっていたかもしれないのよ?」

 まるで他人事のように加害者たる彼女は宣った。

 そこでようやっと俺の首周りは彼女の手から解放されることとなる。

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