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さよならって手を振る、別れの合図。こんなに近くで会えるなんて!俺は手を振った

「……うっ」

 テンは苦しそうな顔で震えていた。俺はそれをちらりと見る。

「余所見!してないでよっ、はや、く!」

 見る限りにおいて、限界は近そうだった。

 息も絶え絶えな途切れがちの抗議に煽られて、俺は更にテンへと手を伸ばす。

 ……届かない、あと少しだっていうのに!

 きっと千切れてもかまわないって覚悟で挑むなら、それはとっくに成し得ていたんだろう。

 でも俺にはできなかった。

 身体(ボディ)を犠牲にしてまで達成すべきことではないと、俺の頭は冷静な判断を下している。

 だから負荷の掛からない範囲を探りながら、力を出す必要があった。


 それにこれは余所見じゃないから。

 勘違いさせたなら悪かったな、テン。別に適当やってたわけじゃないんだ。

 これは、俺が生まれて初めて誰かと一緒に何かを成し遂げるって場面だ。二人の共同作業的な?そんな重大なことを、軽い気持ちで挑むわけがない。

 何より頑張ってくれているのに俺だけが手を抜くなんてありえないからな。そんなの紳士的じゃない。

 ただちょっと、久しぶりにテンに会えたからついつい顔を見てしまっただけなんだ。

 テンは機嫌が悪いんだろうか。最初会ったときに比べてあんまり表情が変わらない。

 どうしたのかって聞けない俺は、テンが話してくれるか自力で察するしかないんだ。

 始めの方の囁き声も、口の中にこもるような響きで覇気がなかった。そんなことも気になっていたものだから、ついつい見る方にも意識が割かれていた。

 でもその割合を少し減らさなきゃいけないようだ。この状況ではテン自身の状態は分かりにくくなってしまっている。

 それに、俺は今にもっと集中しなきゃだめだった。

「ぐ。これ、以上は……はあぁ。無理かも」

 零れた呻き声に俺はまた気が逸れていたことに気付く。慌てて身を乗り出してみれば、テンも一層俺へと手を伸ばす。

 微かな手応え。俺の手の延長線上、指で摘まんだ紙が、テンの箒の先と擦れ合ったのを感じる。よし、今だ!

 俺はその瞬間を見逃さなかった。


 ――サクッ


「!」

 やった、成功だ!

 俺が心と時間を籠めまくってしたためた手紙は、無事に箒のわさわさした部分に絡めとられている。

 そう、これは画期的な手紙の受け渡し方法だった。だって落とすと飛ばしちゃうし、重しを包んで落としたら危ないだろ。

 どうやらテンは俺の部屋まで来れないみたいだし……。部屋の前まででも来れるんなら、こんな風に帰宅したおっさんに気付かれるような方法を選ばないよな。

 この前、扉の向こうで言い合っていたのはあくまで忍び込んだだけみたいだし。


「ぐっ、……箒下ろすよ?アオまで引っ掛かってない、よね?」

 俺が身を起こして頷くと、そろそろと慎重に箒は下がっていった。

 うん、事後も問題ない。ふたりして極限のバランスで行っていたからな。窓から落っこちたら、俺はもちろんのこと例え1階のテンでもけがをするだろう。


「手紙、ありがとう。返事は次までに書くからね」

 的確な俺のジェスチャーによって、手紙を書いたということはすぐに伝わったんだけど、その遣り取りに時間をかけてしまったせいで、今日のところはここで解散ということになった。

 俺たちは手を振り合って、さよならをした。

 光の加減のせいかな、二対のダークブラウンはまるで作り物みたいに見えたんだ。

 彼女が引っ込むのを確認してから、俺も頭を引っ込めた。



 今日はあんまりテンの話が聞けなかった。聞けたのは俺まで疲れてきそうな呻き声ばかり。

 残念だ。今後も手紙の遣り取りをすることを考えたなら、俺の方からも使えるような道具を探しておくべきだろうな。

 それより頑張って声帯使用か外出許可を目指すのが早いんだろうけど、こればかりはどうにも、な。言われたことはちゃんとできてるから、問題は技術的なものとかおっさんの匙加減になるだろうし。そんなの努力ではどうにもならない。せいぜいこの身を労わるくらいか。

 だからってどうでもいいってことにはしない。おっさんへの優秀アピールは積極的に行っていくつもりだ。

 だって女の子ばかりに辛い思いをさせちゃいけないだろ。いくらそれが『姉』であったとしても。

 もちろん頼るべきところはちゃんと見極めるさ。テンが『姉』を名乗るなら、たまには弟らしく頼って見せてもいい。でもそれは今じゃない。ちゃんと会うことができてからだ。


 俺は閉めた窓から離れた。おっさんの姿はまだ見えないけれど、あんまり窓に貼りつくようなところは見せたくない。

 脱走企図なんて思われたら困る。俺を縛る枷の外れるときが遠のくだけだ。

 それに俺とテンの交流が露見しないとも限らなかった。


 椅子に座って膝の上に電氣板を置いた。棒で何とはなしに文字を書いていく。

 ほら、おっさん。俺は真面目に手習いに励んでるぞ?いつ帰って来てくれても構わない。

 俺はもう十分にこの道具を使いこなせているし、字も上手くなった。

 はっきり言って、今やっていることに学習の意味はもうない。そんな余裕があるせいか、頭は別のことを考え始める。


 2回目となる今日も、顔を合わせている時間は短かった。時間の短さはまあさっきも思考した通り手紙のせい。対処法はこれから考えなきゃいけない。

 回数とその頻度の方は何ともならない。最初にテンが俺を箒で呼んでから、ゆうに10日は経っていた。

 理由は簡単だった。まずおっさんはなかなか外出しないし、したとしてもさっさと戻ってくる。機会がない。

 もしかしたら、俺が意識を落としてる間にもテンが俺を呼ぶことはあったのかもしれない。おっさんの手によって、あるいは俺自身の問題からそれは時折あったものだから。

 そういったわけで、先程軽く出してみた10日ほど経っていたというのも実は不明瞭だったりする。


 それにしても、次会うまでにまた手紙を書こうか迷ってる。

 テンは返事をくれると言っていた。それを待たずに2枚続けてなんてしつこいって思われないかって心配もあるし、テンは話せるのに俺に付き合わせてもいいのかって心配もある。

 書きたいことがあれば書くってことにするか。もっと革新的な手紙の遣り取り方法とか。



 気付けば俺の膝の板では、高名な詩人の詠った詩の一節が光の飛沫を散らしていた。

 うん、素晴らしい技巧が使われているってことを識ってはいたが、目で見るのとはやっぱり違うよな。素敵な表現だ。

 無意識にそんなものを書いてしまう俺はやっぱり知的でセンスある男なんだ。


 頭の中を過ったのは、この間硝子の中にいたぼやけた俺の姿。

 もっとしっかりした像で、ちゃんと色付きで見てみたいものだけど。

 俺は消えかけの詩の上に『鏡がほしい』と書いた。



***



 ――ん?

 意識の途切れがあったことに気付く。俺は落ちていたのか。

 今繋がった意識は一体どのくらい前で止まっていたものなんだろう。怖くはないが、この瞬間は諦めに似たようなものを感じる。世界に置いて行かれたような、そんな気がするんだ。

 人間は毎日睡眠という行為を行うそうだけど、同じ風には感じないのだろうか。平気なのだとしたら、俺のこの感覚は意識の断絶に期限がないということが原因で、それが解消されたならきっと消すことができるんだろう。


 俺の意識としては、先程までおっさんと一緒にいた。いや違うな。表情筋がいつも以上に死滅してるんじゃないかってくらいに表情のないおっさんが急に扉から現れた。

 うん。つまりおっさんの手によって、停止状態(スリープモード)が行使されたんだ。

 まあおっさん都合だな。例え俺の身体(ボディ)都合だったとしても、こうして起動されたってことは大丈夫なんだろう。

 この間の思考速度は一瞬だった。俺の頭の回転はそう悪くない。むしろいいんだ。


 次いで、止まっていた瞬きと鼻呼吸を開始した。

 こればかりはどうしようもない。停止状態(スリープモード)の最中には自律行動はできないのだから。


 …………ん?あれ?何かがおかしい。今更ながらに激しい違和感が俺を襲う。

 というか、場所が違うな。ここはどこなんだ?

 壁はいつもいる部屋と似ているから、同じ建物内だと推測できた。多分だけど。

 でも調度品が違う。書物棚はなくて、そのせいか物は少ないように見えた。


 首を捻ると、そこにはテンがいた。

 お、こんなに近くで会えるなんて!

 少女は俺を見て、手をひらめかせる。こんにちはのあいさつのように。でもそれは俺とおんなじ動きで。

 そのとき背中――うなじのすぐ下を、箒で撫ぜられたようなざわつきが走った。


 鏡から目を逸らすように振り向くと床に座り込む男の姿が見えた。壁際にありながらもたれかかってはおらず、俯いた姿勢で眠っている。生きている。近寄っても起きる様子はない。

 俺は力を籠めてそれを蹴り上げた。


 視界の端で、緩く波打つ髪が跳ねる。

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