完璧な俺には発言禁止中の今しか醸し出せない魅力がある。――そう、不完全ゆえの危うさ
テンとの邂逅は僅かな時間、それでも今後の顔合わせ方法を決めることができたのは中々に有意義だった。
どれほど短くても、それが最初で最後のものでないならば気にならない。確固たる次が見えたんだからな。
最後も何も、いずれは互いに近くで顔を合わせることになる。同じ建物に住んでいるんだ、これはその予行練習とも……ん?テンはここに住んでる、んだよなあ?
住んでなかったとしてもこの街の住人だろうからいいんだけど。
まったくの異邦人でも技師との知り合いだから、繋がりが消えるってことはないと考える。
その可能性が潰えるとしたら、それは俺がうっかり壊れた時くらいのものだ。故障と技師への反抗には気を付けよう。
それにしても、俺はとうとう秘密とやらを作ってしまった。
子どもってのは、遅かれ早かれ親に隠し事をするものだ。これくらいじゃあ、バレたところであの男の不興を買うことはないよな。……大丈夫なはず。
まぁ、いい。起きたことなら気にしても仕方がない。それに俺は意思伝達の手段を持ってないし。
それより秘密持ち――ミステリアスってかっこいいよな!また俺の男としての格が上がったんじゃないか?この成長速度には目を見張るものがある。
技師よ、あんたはこの世に末恐ろしい自動人形を生み出したのかもしれないぞ?人間の男なんか簡単に凌駕してしまうような存在を、な。
これは俺のミステリアス度保持のためにも、それから『念のため』お払い箱にならないためにも、バレないよう気を付けておこう。
やがて顔を見せた技師に俺は首を傾けた。おかえり。
「今帰ったが、何も変わりはないな」
あぁ、うん。ないんじゃないかな。俺は表情筋を動かさないまま頷いた。ついでに鼻呼吸を開始してみる。とくに意味はない。
男はそれについて何も言わず、緩慢な動きで俺の身体の検査に入った。
なんだよ、ちょっとくらいは興味持てよな。どれくらいできてるか分からないんだよ。
この男を手本にしつつ、自分ではそれなりにできてるんじゃないかって判断をしてる。けれど、客観的に見たらどうかなんて俺には分からない。
命じた以上、その出来について批評すべきじゃないんだろうか。俺の呼吸が完璧すぎて違和感を覚えないのかもしれない。――男が鈍すぎるだけという可能性もあるかもしれない。
「――よし、経過は順調だな。これより手首と指の使用許可を出す」
なんだって!?できることが増えるな。それから喉の方はどうなんだ?
「ちょっと動かしてみろ。ちなみに可動域はここからここまでだ。指は分かりにくいかもしれんが、こうだ。折るなよ」
わかった。それで喉は――?
目前の手本通りに、手指を顔近くまで持ち上げてぐにぐに折り曲げてみた。問題ないようだけど、どうだろう。
男は頷いた。上手くできているってことだろう。俺はうねらせていた指の動きを止めた。
そして持ち上げたままの指で喉を指してみる。しゃべるのは、まだだめなのか?
「ちょっとこれに何か書いてみろ」
なんということだ。俺の指の動きは気付かれなかった。
仕方がない。男は見ていなかった。あの板――俺の名前を書き付けていたやつ――を取り出していたからだ。
まあいい。文字でも意思は伝えられるからな。
俺は『しゃべるのまだだめ』と書いてみた。光る帯が文字になって、俺の意思を象っていく。
初めて書く幻想的な文字が、そんな煌めきもないような言葉だったのは少し考えなしだったかもしれない。
「読めねえ。なんだその死に掛けの蛇がのたくったような線は」
なんだと!失礼なヤツだな!十分読める!ちゃんと読めよだろっ
おっさんだから目まで老けだしてるんじゃないか?
自分で決めていたことを律儀に守っていた俺は、とうとうというか、なし崩しにというか、技師の男をおっさん呼びすることにした。おっさんおっさんおっさん。
俺の悪態を知らぬおっさんは、唸っている。呑気なことだ、もしも俺が人喰い自動人形なら確実に食べられてる。間違いなく半分は齧られた後だ。
「電氣板は滑って書きにくいって言うからなぁ……ちょっと待ってろ、紙持ってくるから」
えっ、それ本当?いいのか?俺は戸惑った。
手習いなら電氣板を使うのが通常だ。確かに最初ということもあって上手く操れなかったが、あれは繰り返し使えるのだから慣れるまで何度も繰り返すものなんだ。
人間の子どもはそうして文字を覚えていく。だから俺もそれでいいんだけど。
いくら使いやすいからって、たかが手習いで消耗品である紙を使うのは馬鹿げてる。高くないとはいっても、確実に消費されるものなんだ。
おっさんはケチじゃないらしい。最初に電氣板を出したってことは、浪費家でもないんだろうな。その辺りの価値観は好ましいものだと考える。え?俺の維持費?それは必要経費だろ。
…………よし、紙は使わないようにしよう。俺は優秀なんだ、銅板ごときすぐに使いこなしてみせるからな。
すべてにおいて金喰い蟲になるのはごめんだ。
「あぁ、そうだ。呼吸は常にしてろよ?人目のあるなしに関わらず癖付けとけ。それができてないようじゃ、この部屋から出すのはおろか喋らせんのも無理だからな」
去り際の難癖に、俺は精神への負荷を感じた。苛立ちってやつだ。
俺はちゃんとできる子なんだ。常時呼吸ができないわけじゃ……いや違うな、これは俺の呼吸法についての苦言じゃない。完璧にできてるからって手を抜くなと、そう諭されたんだ。
まったく、そういうところが人付き合い下手なんだよ。相手が俺みたいに読解力が高いとは限らないのにさ。
でも俺自身もまだまだだってことが分かった。やっぱり自動人形は生み出した技師には敵わない、ってものなのかも。
それと、おっさんはまだ喋らせるのも部屋から出るのも駄目だと言った。そうか、うっかり出ちゃうところだった、危ないな。
それってつまりは手段はあってもテンにはまだ会えないってことだ。それから窓の開閉が楽になったってことでもある。
箒呼び出しがあったとしてもこれで迅速に対応できるようになった。いざというときの退避窓行動も素早く行えるだろう。もう、口を使っての窓閉めはしなくていいんだ……。
――そして何よりも。
そう、何よりも!俺は文字を書けるようになった。そして紙を手に入れた。
しゃべることができなくても、テンに俺の言葉を届けることができるようになったんだ!
紙は使わない?あれは手習いに関してのみだから。手紙は別勘定だから。
そうじゃないと、一生紙使わないのかって話になるだろ。俺はそのあたり柔軟なんだ。
***
おっさんから手に入れた紙を横目に、俺は電氣板に文字を書きつける。
繰り返すほどに、現れる文字は様になっていってる気がする。というか、指の感覚だけの問題だから、ある程度のパターンさえできればあとは完璧まで引き上げることができるのだった。
これで何とか人並み程度かな。でもできたらもう少し上達してから手紙の執筆に取り掛かろう。
書きたい内容もまだ定まってないし、どうせなら流麗な文字にしたい。
建物の中が騒がしい。またテンとおっさんの言い合いでも始まったんだろうか。
さすがに俺の耳でも何枚かの壁越しでの音声は拾えない。この身体にそんな機能はない。元々がその性能を備えていないからだ。
かろうじて、何らかの破壊音が聞こえてこないのは判別できて、俺はまあいいかと光を煌めかせるのだった。
夢中になっていたら、いつの間にか陽は落ちてしまったようだ。
気付いたのは書き出していた棒が電氣板からはみ出したためだった。机と板の境目が不明瞭なくらいに辺りは暗くなってきていた。陽の残滓はもうほとんどが消え去っている。
手元で微かな光を灯す文字が爆ぜた。目の端と窓越しの両方でそれを見る。
電氣の帯は弾ける直前が一番明るくなる。
そのときに、見えた。
窓に映る、俺の姿が微かに映ったんだ。きっともっと部屋が明るければしっかりと見えるのかもしれないけど。
俺は窓に駆け寄って、それから板を電氣で塗り潰すように棒を擦り上げた。ばちばちと跳ね上がる電氣の音がする。
硝子には、食い入るようにこちらを見る少年の姿があった。
中等學校に通うにはいささか若い。年の頃は十を超えたくらいか。なんだか想定よりか幼いな……。
あのおっさんは見た目よりも一段階上の知識を与えたということかな。
――えぇ、子どもじゃないか。思ったよりお子様してるじゃないか。
もしかして、俺はおっさんの子どもとして作られたとかじゃあないよな?むしろそういった意味ならテンの弟としてって方が強いよな?
第一、俺とおっさんはちっとも似てはいない。俺の見た目はおっさんのようながさつっぽさは欠片もない。
俺は滲み出る内面のおかげか利発そうな顔立ちをしている。そして何より滲み出る内面!そう、俺の人格から醸し出される隠しきれない涼やかさの溢れる見た目をしてる。うん、正反対だ。
青い瞳というからには、実際の涼やか度はこの色味の反映されない窓硝子の倍以上に違いない。
これはしっかり美少年だ。このまま育てば美青年、やがては美中年へと……いや成長なんてしないけどな。
……いやでもちょっと納得いかないんだけど。
一層大きな音がして、電氣板の纏う光は消えた。
そして俺の顔も見えなくなった。