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この俺なら完遂できるに決まってる!恋愛成就大作戦・改!

「いいだろう、子どもの将来の夢ってやつを応援してやるのは『親』の務めでもある」

 俺の要請をおっさんはふたつ返事で了承した。準備は必要だが、数日の内にやれるだろうと言ってくれたのだ。


 俺は初めて、おっさんに感謝したような気がする。それも今までにないくらいに深く。

 ……この世に生み出された感謝?そんなものはするはずがない。それはあくまでおっさんの都合、研究だとか知的好奇心ゆえの目的にすぎないのだから。



***



 俺はチヅルの見送りには行かなかった。

 具体的な出立時間は分からなかったし、場所だってよくは知らない。聞き出す時機はあったのだろうが、俺としたことが漏れていた。いや、無理か。あのときの状況を考えるならば聞けるはずもなく、仕方のないことだった。

 いってらっしゃいを言えなかったこと、話せなかったことは少し残念だったが仕方ない。しばらくは会えないが、そのうち帰ってくるだろう日を待つしかなかった。

 記憶を辿ることでしかその顔を見られないのなら、せめて最後に見た顔は笑顔が良かったんだけどな。

 涙の痕がわずかに残った、少し腫れて赤らんだ顔が記録(メモリ)の一番新しい層に居座っている。いつだって呼び出すことのできる領域に。

 いや、泣き顔が明瞭に刻まれている方がやりやすくはあった。俺の決意を強く補強してくれる。捨て去るという覚悟を。

 そう、見送りだなんだという以上に、俺にはやらなくてはならないことがあるのだ。

 いずれ戻ると分かってはいても、さよならを告げる顔が笑顔なのは見たくないだけだったのかもしれない。だからと悲しい顔を願うのもいやだった。

 本音と望みが裏腹で、どうにも判別しがたい考えは切断しよう。今からやるべきことが控えている。



 夕闇の迫る中、俺は今黄烏の扉の横に立っていた。

 扉の向こう、あの男の音がする。覚える気はなかったが、ここに通う内に記憶されてしまった音だった。削除する方法を、俺は知らない。

 あんまり好んで聞いていたいものでもないが、それが今は必要だった。

 閉店間際の喫茶店に客はほとんど来ないのだろう。店番はひとりで十分と言うことだろうか。

 建物内に他の人間の音がないことを確認し、そのまま少しの時間、待機する。逡巡や躊躇いが理由ではない、ただ機械的な時間の経過だけが目的だった。


 ゆったりと瞼を伏せる。視覚情報を手放すと、聴覚がより鮮明に音を捉える。

 あの男の音だけじゃあない。風の音、通りの向こうからやってくる誰かの足音、どこかで爆ぜる、電氣の音。

 その中で、俺の中から聞こえる音だけが以前よりも少ない気がする。

 きっともう内臓は腐り始めてるんだろう。もう違和すら判別が付かなくなる程には絶え間なく不快感は共にあって、もう少しもひくりと震えることはないようだった。

 俺自身がそういう状況でもあったので、やめてしまおうなどという理由は少しだってなかった。時間がなかった。

 迷いなんてない。俺にはもう、引き下がっても得られるものはないのだから。


 そうして微動だにせず立ち竦むこと、暫し――。

「あれ。君……」

 やがて扉の向こうから現れたあの男――恐らく閉店準備の為に外へと出たのだろう、看板の電氣を落とすための棒を手にしていた――が、驚きをもって俺に呼び掛ける。

 待ち合わせていたわけでも、呼び出したわけでもない。ただの待ち伏せだからな、反応としてはそんなものだろう。

 それでも俺は、ようやっと来たかとばかりに頷いてみせた。

 最初の一言が肝心だ、望む方向へと押し進めるために俺は口を開く。

「こんばんは。たまたま通り掛かったん、ですよ。灯りが見えたので少し覗いてみました。でも、どうやらもうお仕舞いみたいですね?」

「そうだね、今日のところは閉店だ。また明日、昼の内においでください。お待ちしておりますよ」

 男はにやにや笑いながら、わざとらしい口調で告げる。芝居掛かっているようなそんな気取った言い方じゃない。からかうような、感じの悪い言い方だった。

 不快だと表情で訴えることもできなくはないが、今はそんなことどうでもいい。俺にはやることがあるんだ。表情筋に仕事はさせない。話の腰を折られたままでは終われないのだった。

「――そのようですね。ところでこのあと時間はありますか?」

 そこから話が広がらないよう、簡単に相槌を打ってすぐさま本題へと切り替える。さすが俺、見事な話術だ。

「少し、時間をください。もちろん業務の全てを終えてからを希望します」

 俺の言葉に、訝し気だった表情がわずかに緩む。ここは警戒すべきところなんじゃあないだろうか。何が起こるのだろうとは考えないのだろうか。害されることなど微塵も思考に混ざらない表情だった。

 軽んじているのかもしれない。少女の姿をした俺を。

 愚かしいことだ、そう判断を下す。

 どうってことのない男だ。やはりチヅルにはこんな考えなしで腑抜けたようなやつはふさわしくない、どうせならもっと。そう、もっと――。

「わかった。けれど店の中で待っていてほしいな。まだ締め作業が残っているし、君みたいな子が日の落ちた屋外にひとりで立っているだなんて物騒なことこの上ないからね」

 男の言い分などどうでもいい。逃げられることはないと分かればそれでよかった。

 俺は言葉少なに首肯して、促されるままに扉の奥へと入った。


 ――待っていてチヅル。俺がきっと、何とかしてみせる。

 ここに戻ってくるその日までに。

 決意と同じだけ固く握った手のひらへ加減のされていない爪が食い込む。そのせいで表皮の薄皮一枚程度を損ねてしまったようだった。しまったと一瞬身を強張らせ、すぐに弛緩させる。まあ構うことはない、今更だ。

 緩く頭を振るって手近な椅子へと腰掛けた。入り口近くの席――ここには座ったことがなかったな。ぼんやりと彼女と来店した記憶を引っ張り出す。どんな些細なことも、記憶していた。

 けれどこの店での具体的な記憶を掘り起こすことはせず、ぼんやりと座っている。あんまり過ぎてしまうと、過去へと耽溺しかねないからだ。


 大した間も置かず男は俺の前に立っていた。

 屋外での商売でもなければ、入り口付近の設営なんていうのは簡易なもの。そうそう片付けに手間取ることもないのだろうか。

 少しくらいは待つつもりでいたからか、ふと本当に終えたのか心配になった。不審な形跡を遺されるのは勘弁願いたい。

 俺自身の用事にそこまで時間を掛けるつもりはない。けれども用事が終わってから戻ればいいというような、そんなお残しは困る。

 片付けの途中でいなくなったと見られてしまうかもしれない。あとでするつもりだと言われたら、待つと強く言おう――もちろん手伝う気はない――そう決心する。

「退屈な気持ちにさせてごめん。終わったよ、そろそろ出ようか」

「いや、『退屈』なら大丈夫。店内の片付けをきちんと終えられたなら、いいんです。……あの、ちゃんと終わってますよね?」

 これでも早く終わろうって頑張ったんだよ、君を待たせていたんだからね。なんてどうでもいい言葉は黙殺した。そんなもの態はただの手抜きか、それとも普段がだらけているかのどちらかだ。

 なんでこんな男に、ともう何度とは知れない言葉が過って目を逸らす。うっかり不満を伝えてしまいそうだったから。

 拍子に、たまたま積み重なった木箱が目に入った。

 危ないな、見逃すところだった。というかこの男は誤魔化したな?

「あれ、は?もしかするとまだ片付ける途中なのでは」

 あからさまに視線で示した先に目を遣ると、男は呻いた。それでも素早く立ち直って、もう少し待つよう言って木箱を抱えると奥へと引っ込んでいった。

 どうやら忘れていたらしい。慣れ切った作業を忘却してしまうなんて、この男はなんて愚かしい人間なのだろう。しかも単純なやつをだ。

 見たところ、俺への遠慮から作業を省いたというわけでもなさそうだしな。

 ただ、少々は平気だと放り投げるような輩ではなかったのは幸いだった。


 だがさすが慣れていると言うべきか――忘れてはいたが――、お残し作業を男は手早く終わらせたようだった。

「おっま、たせ……!」

 みっともなく息切れをさせて。年若いにも関わらず、体力とやらに乏しいのかもしれない。

 つくづく、チヅルにはふさわしくしない男だ。あの娘は動きが鈍いんだ。やっぱりそれを補えて、場合によっては守ったりできるやつでないとな。

 こいつに失格やら落第の押印をしたならば、きっと滲んで読めなくなっているくらいに重なっていることだろう。


「では歩きながらお話でも」

 呆れ切った素振りは押し隠し、俺はそう告げるのだった。

 途端、にやついた男の顔がただただ不快ではあったのだけれど、ぐっと我慢をした。

 このあとしばらくは苦行となるだろう。今からうんざりとしていては辛いだけだ。不快感を締め出すように瞬いた。なるだけ気にしないようにしながら、俺は男とともに店から出たのだった。



「へえ!ここが君の家なんだね。そういえば今ご家族は、」

「大丈夫です、どうぞ入ってください」

 遮るように言い放つ。いちいち最後の音まで聞いている意味なんてない。言いたいことは想定できるものであったし、だから先回りして答えることは簡単だった。

 楽しむための会話なら待ってやってもよかったが、ただの疑問にわざわざ待ってやることもないだろう。……まあこの男が相手では楽しむなんて状況にはなかなかなりそうにはないが。

 何よりこの時間をさっさと終わらせてしまいたかった。それが俺にとっての今という時間の現状認識。


 だが俺は今、男を伴って自分の家の前にいた。扉の取っ手に手を掛け、中に入るよう招いてすらいる。

……これは不慮の事故ではない、俺は優秀だからそんなヘマなんざしない。

 よければお茶でもどうかと誘ったのは間違いなく自分で、それは話の流れにうっかり乗ってしまったわけでもなく狙った結果だった。ちゃんと招くつもりで申し出たんだ。

 扉を開いて先導するように奥へと進む。背後からは恐る恐るといったような足取りで進む、男の足音が響いた。

 ちょうど死角となっている隙に両頬に手を遣り、指でぐりぐりと押し込む。短期で急激に動かしすぎたそこは、少し鈍い軋みを上げそうなくらいに硬くなっているようだった。


 道すがら、男の個人情報――名前や誕生日、好きな物やら何やら――を根掘り葉掘り聞き出したあとだったこともあり、すっかり疲れ切っていた。

 ひとつ尋ねればひとり勝手に話し続けてくれるのは楽っちゃ楽だったではある。けれど、不必要な情報まで長々と喋られちゃあ溜まったものではない。

 挙句、君は?なんて重ねて尋ねられてしまえば、こちらまで余分に話さなくってはならないのだった。

 今まで、会話の相手はもっぱらひとりで喋ってばかりのチヅルや、必要最低限も言葉を発しないような口下手寡黙なおっさんに限られていた俺には荷が重かったかもしれない。

 あともう少し喋れと言われたならきっと頬の筋では済まないほどに、身体(ボディ)にまで悪影響が出ていただろう。



「珈琲でいいですか?」

 椅子に掛けるよう勧め、飲み物を尋ねる。

 おっさんは何が何でも珈琲を飲ませたいみたいだったが、ここでいいえと言われたなら真顔で濾過前の井戸水を出すつもりではあった。

「うん、ごちそうになろうかな」

 男からは断る素振りがなかった。あぁ、詰まらない。

 ぬるい珈琲。容器に注ぐと、ことりと音を立てて卓上に置く。

「今は甘味剤を切らしていて。すみませんが、そのままに」

「かまわないよ、苦いのも嫌いじゃあないし」

 そのときの貼りつけたような笑みは見たことのないもので、こいつでもこんな表情ができるのだと感心した。剥ぎ取った下には甘味剤すら常備していないことへの呆れや失望の類でもあるのだろうか。甘味剤、一般家庭には常に置いてあるものだというしな。

「これは君が?」

「……はい。簡易抽出(インスタント)ですが」

 いいや、本当はおっさんがやったんだけどな。だから冷めているってわけ。

 俺はこれの作り方をよくは知らない。一度学べばできるだろう。でも不必要だからと知ろうとはしなかった。これからも知ることはないだろうな。

 簡易抽出(インスタント)とは言え準備が面倒なのかもしれない。おっさんが何度も珈琲にしろとこだわったのも、せっかく用意したものが無駄にされるのがいやだった、とか?

 手間ならば最初から井戸水でいいような気がする。年寄りのこだわりとやらかね。

 誰が作ったかなんて、実際何の意味もない。正直に話したところで面倒くさい説明をしなくてはならないし、それを知らせることに利点なんてなかった。むしろその逆で。

 容器を両手で包むように持つと、男はまたにやりと笑った。

「俺は猫舌なんだ、熱くないのはありがたいな」

 ――男は警戒もせず、それを口許へと運ぶ。揺らめく水面が、ちらりとわずかばかりの光を反射したのが目に映った。

 中身を一息に煽る。そのときに寄せられた眉間は少しだけ苦しげで――



***



「フン、甘味剤なしには一口だって飲めたもんじゃあないだろうな」

 机に伏した男を一瞥すると、おっさんはそんなことを言った。

 嫌そうに顔を顰めている。そんなにひどいものなのか?

「甘味剤ってのは嗜好の範囲じゃなかったのかよ。つーか、あんたが作ったんだろうが、……わざとか?」

「誰が作ったかなんて関係ない。ありゃ苦いからな、最初からそんな風になってる。甘くなるよう後から足すもんなんだよ」

 それならあらかじめ混ぜ込んでから販売すればいいのに。中途半端な商品だな。

 なぜ不完全なまま売られているのか。何よりそんな状態だと分かっていながら男は口にしたのか。……それともやはりおっさんの嗜好なだけだろうか。

 味覚というものが欠如している身には分かりかねる事柄だった。

「ふうん?」

 曖昧に返事をし、興味は失せたとばかりに男の規則正しい寝息と一定を刻む心臓の音を確認する作業へと戻った。

「おい、」

 だが無意味に詰られたとでも思ったのだろう、おっさんは話を続けようとする。

 あぁ、うっとうしいな。一般的かも分からない話なんて何の役にも立たないだろ。おっさんの主観に寄っていそうだと気付いてみれば話を進める価値はだだ下がった。

 いっそのこと別口で調べた方がいいかもしれない。知らないことより偏った知識の方が都合が悪いだろう。

「そもそもが苦みで誤魔化さなきゃならんからだろうが、舌を鈍らさんと気付く」

「そんなもんか?」

 この男が混ぜ物に気付くとは考え難い。警戒心も、知恵も足りないような人間だったから。

 珈琲以外を求められなくてよかったかもしれない。それ以外なら、俺は無味の井戸水を出しただろうから。

 まあ、そんな仮定は無駄なのだけれど。


「俺の手はいる?」

「あー……今はいいな。あとで寝台まで運ぶの手伝え」

「わかった」

 注入器片手に何やら作業を開始したおっさんを横目に部屋を出ていく。

 未だ達成には程遠い。でも焦れることはないのだった。

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