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ついさっき、そこに神話級に凄まじい感じの愛の伝道師・俺の記念すべき第一歩が刻まれたところさ

「早速だけど、いっしょに行こう」

 振り向くと目の前に、唖然とした顔があった。よく見れば小刻みに震えているようだった。

 俺の頭が視界を遮っていたとしても、それはずっとじゃない。はじめは気付いていなかったみたいで問いを発していたものの、こうやって振り向くなりしていればさすがに向かう先が見えたみたいだ。

「待って、無理よ……!」

 声までがちょっと震えてる。緊張状態に陥っているのは明らかだった。

「何が無理なもんか。さっきはあんなにはりきって食事に誘おうとしてただろ?」

 言うべき相手は違ったけどね――なんてやる気を損なうようなことまでは言わない。だって俺は協力を約束したのだから。

「あれは言うことを決めていたんだもの。幾通りも考えて、厳選した一番いいものだったんだから!いきなりだなんてそんなの、話せないわよ」

「だったら食事のときの会話にも困るんじゃないの?」

 それは、とかだって、とか口の中で転がす言葉は不明瞭で、俺の聴力ならきっと意識さえすれば聞き取れるんだろうけどやめておく。聞かなくてもある程度は彼女の思考を想定できたし――きっと誘うことが最終目標で何も考えていなかったか、あらかじめ会話の種類を考えておく、とかそういうのだ――、聞いたところでこの場においては有用な発言をしているようには見えなかった。

「なんの作戦もないのよ?」

 ほら、結局は逃げ腰なんだ。

 作戦だのは関係ない。俺が今やることは、この子の背中を押すことなんだ。

「たまには特攻あるのみってね。――協力するって言った傍から引き返すなんて、そんなのってないだろ。そもそも、これを逃したら今以上の次なんて考え付かないんだけど」

「用もなく急に声を掛けたら、変に思われるかも」

「ぁあ、それなら大丈夫」

 そういえばあの男とは知り合いじゃないとは言ったけど、詳細までは伝えていなかったっけ。

「おつかい途中って言ってたけど、男とぶつかって買ったものが駄目になったんだよね。それで弁償してもらうことになってるんだ。一度帰ってから会う予定だったんだけど……」


 と、男がこちらを見た。

 まあさすがに気付くよな。潜められた俺たちの会話まで届かないにしろ、ちょっと首を動かせばその姿は視界に入るんだから。視線をひとつに固定してひたすら待っているなんて、制約なしに自然とやってるやつがいたとしたら、そいつはまともな生き物じゃあない。

 男はこちらに気付くとあれ?というような顔をした。でもすぐに表情からそれを消す。

 俺が着替えないまま戻ってきたことを訝しんだものの、それから誰かと一緒にいることで何やら察したんだろう。

 きっと道中で友達に会ったから帰れなかったんだって、そんな勘違いをしているように見えた。

 これは上手い具合に話を持って行かないと、この子が気の利かない人間だという悪印象を与えてしまうかもしれないな。

 そこは俺が彼女に進んで絡みに行ったということにしよう。うん、元々衣類の汚れよりおつかい遂行を優先していた俺だから、変には聞こえないはずだ。

 それよりもこのまま離れて見ている方が不審だろう。もうこちらの姿は認知されている。

「ま、そんな細かいことは今じゃなくたっていいだろ?会う約束はしてるんだから問題ないよ。行こう」

 今度こそ抵抗の声はなかった。

 言っても俺が止まらないことを察したのか、それとも男の視線に耐えかねたのか。何が理由かなんてわからなかったけど。

「しゃべる練習、っていうよりまずはちゃんと存在認知してもらうとこから始めなきゃな」



 そのまま女の子を引き摺るようにして男の傍まで近寄ると、俺は何食わぬ顔で「お待たせ」と言ってみた。さっきまですぐ近くで少しもたついた姿を晒していたことなんて、まるでなかったかのように。

「いや、そんなには待ってないよ。手間を取らせて悪かったね」

男もそのことは特に咎めないようだった。まあそれはそうだろう。俺に落ち度があることでもない。

「いいえ、こちらこそ」

 だからこれは心にもないことだ。

 それでも口にするのは、このあとのため。心象を悪くしたらきっと彼女にも類が及ぶ。

「友人を見掛けたから、ついつい喋ってたんだ、っです。少し時間を忘れてしまっていたかもしれないです、待ちましたか?」

「いいよいいよ、気にしないで。元はと言えば俺のせいだしね」

 そういえばこの男に対しては丁寧な言葉を遣っていた。そのことを、相対してやっと思い出す。

 そのせいでぎこちない音になってしまった。結局どんな口調で話せばいいか見失って中途半端になる。

「お友達ちゃんは心配してついてきたのかな?」

「そんなところですわ。無用だったみたいですけれども」

「君にも迷惑かけちゃったね、ごめん」

「そんなそんな!私はただ付いてきただけですもの、迷惑の内には入りません。気になさらないで」

 ふたりの会話を聞きながら、俺のしゃべり方への模索は続く。

 女の子に対しては散々素でしゃべっていたから今更取り繕ってもといった感がある。けれど、それは意図的な物じゃなくって、つい口走ってしまったようなものだった。

 こんなでも女の子に対しては男らしく振る舞いたいっていう無意識があったのかもしれない。

 それなら俺は浮かれていたってことになる。あまりにも女の子に無縁過ぎてそうなってしまっていたんだとしたら格好悪い。

 二度とこんなことにならないよう、早い内に対策を講じた方がいいだろう。


「じゃあこれ、一応間違いないか確認してくれないかな」

 はい、と手渡された紙袋の中身を改める。

 判別は包装だけで充分だったし、中を見たって判別なんてできないんだけど。

「これ、コーヒー豆ね」

 女の子が口を開いた。でもそんな小さな声じゃあ、ひとりごとで終わってしまう。

 これで終わりだったなら彼女を連れてきた意味はない。

 せめて次回に繋がるような――せめて自己紹介くらいはしてくれないかな。名前で呼び合う仲になったら、それってあとは時間を積み重ねていけば仲良くなれるんじゃないか?

 でもいきなり名乗るっていうのも唐突だよな。

「そう、これが言っていたおつかいの品なんだけど」

 迷った末に、普通の返しになってしまった。答えが出るまで黙ってたら、それこそ彼女のひとりごとになってしまう。

 うーん、でもどうやって話を広げればいいんだ?俺は何とか男を会話に引き込む方法を考える。

だめだ、ちっとも浮かばない。

「大丈夫みたいだね。じゃあ、そろそろ俺は仕事の時間なんだから失礼するよ」

 そうしてる内に、男から終わりを告げられてしまった。


 手をひらひらさせて去る男を、俺たちふたりは黙って見送る。俺は頷いて、となりの彼女は軽く会釈をした。

 結局、何も進展のないまま終わってしまった。

 俺は無力感に苛まれながら、彼女を伴ってその場を離れるのだった。



 舞い戻った建物の影、女の子は一度ふらついてからしゃがみこむ。

「えっと、大丈夫?もしかして具合悪くなった?」

 俺も同じように腰を落として、その顔を覗き込んだ。腕で抱え込むように覆われた顔は見えず、でも少し荒めの呼吸音と脈打つ音が聞こえる。聞こえる音のどれもが平常じゃなかった。

 音だけじゃどこが悪いのかなんて症状は分からないし、俺に処置の知識なんてない。

 とりあえず運び出すべきだろうか?でも、さっき引っ張ったときの加減から、この身体(ボディ)の腕力では担げそうになかった。どうしよう……。

「人、呼んでくるからじっとしていて」

 通りすがりの誰かに無差別に声を掛けるのはしたくなかったけど、しょうがない。戻っておっさんを呼ぶには時間がかかりすぎる。

 今の段階から不特定多数に存在を認知されたくないなんて、言ってられない。

 このまま放ってなんておけないからだ。


「え?」

 と、立ち上がった俺の手の先っぽが掴まれる。彼女だ。

「待って、ごめん。だいじょうぶよ」

「無理しちゃ、駄目だ」

 そんな切れ切れの言葉で何を言ってるんだろう。

「この程度、今更遠慮なんてしないでほしい」

 でも話せないほどひどくなくって良かった。俺はちょっと安心する。

「違うの、具合は悪くないわ。単に緊張の糸が切れただけで、どこも痛くなっていないわ。でも心臓はすっごくどきどきしてるけれどね」

 その言葉と一緒に、俺の指先に引っ掛かってるだけの手から緩いけど確かな力を感じた。

 引っ張る力はなかったけれど、それでも引き付けられたようにもう一度彼女の傍にしゃがみ込む。

「緊張?なんだよ、紛らわしいな。びっくりしたし焦ったし、……心配だってしたんだけど」

「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのだけど、ついついね。お話できたから緊張だけではなくって、大袈裟になってしまったかもしれないわ。うれしくてどうにかなりそうだったんだもの」

「夢見心地なところ悪いけど、それでいいのか?これで終わり、満足しましたってわけじゃないんだろ?」

 まるで目的を達成したみたいになっている。もやりとした疑いが俺の中に生まれた。

「もちろんそんなわけないわ。私の望みはもっと先にあるんだもの」

 俺の疑いを跳ね除けるように、彼女はきっぱりと言い切った。

 壁にもたれないよう、じりっと前に移動してから彼女はゆっくりと立ちあがる。先程しゃがんだときのようにふらつく様子もない。

 俺はそれを視線だけで追った。少し歪な、取り繕わない笑顔から目が離せなかったんだ。

 なんでだろうな。澄まして微笑んでいる時の方がずっと整っているのに。

「作戦、立てるわよ!」

 さっき男としゃべってたときの表情はどんなだったんだろう?もっと違う顔だったのかな。

 俺はしっかり見ていなかったことを後悔した。

 見たかったのは成就という結果だけど、その過程ももちろん俺にとっては興味深いことのはずだ。それを、忘れていた。

「いいけど、どうやってだよ?まさかまたぶつかりに行こうとか提案するなよ」

 だから今度はそれを見逃さないようにしよう。忘れないよう、俺はそのことを強く記憶させた。



***



「おう、おかえり」

 呼び鈴の紐を引いて鍵を開けてもらう。

 扉の向こうに広がるこじんまりとした空間に何やら安心する。俺は帰ってきたんだ。

「ただいま、いたのに鍵締めてたのか」

「居留守を使いたい時だってあんだよ」

 失くすといけないと鍵は持たされていない。今後を考えると、不便かもしれない。

 紛失なんて俺がするとも考えられないことだったが、外出実績がない以上は信用が得られないのは道理だ。実際俺に落ち度がなかったとしても巻き込まれることがあるということを知ったばかりだった。

 どうにかして言いくるめてしまいたいところなんだけどな。


 中に入ると、俺はおっさんに紙袋を渡した。そのまま棚に仕舞ってしまうのでもよかったのかもしれないが、最初のおつかいなのだから完了報告はきちんとしておきたい。

 それに他にも話しておくことがあった。

「途中で色々あってさ、絡まれてっていうか……」

「あんまり遅いんでわざわざ見に行ってやったんだが、誰かと一緒にいたから帰ってきたんだけどよ。あれ絡まれてたのか?ふつうに会話してるだけに見えたから放っておいたんだが」

 見てたのかよ!

 ちっとも気付かなかった。

 でもまぁいい。あの場で話しかけられていたらうっとうしかっただろうし、遅いことに気付かれないほど気にも留められていないわけでもない。これが程よい距離感ってやつだろう。

 たとえ、俺自身がこうして存在するのに要した労力や金を惜しんだだけだったとしても。



 おっさんに、男との下りを話した。反射が鈍いと言われたのは黙殺しておく。俺の優れているところは肉体じゃなくって頭脳だからな。

 女の子についてはぶつかりかけたとだけ伝えることにする。あの子が抱えている気持ちだとかの事情はあんまり吹聴していいものでもないだろう。

「――そういうわけで4日後、その子と会う約束してるから」

「ほぉん。いいんじゃねぇの?……それにしても友達、できたんだな」

 友達、という言葉に頭の中を電氣が駆け抜けた。そういえば。

「友達ができたら何でも言うこときいてくれるって言ったよな?」

「何でもじゃなねぇよ、ひとつだけって言っただろうが。それに友達つってもそんな浅いもんじゃなく、ちゃんと関係が築けたら、だ」

 はいはい、わかったよ。

 それに願い事なんて、今の俺には特別ないから今言えってことになっても困るんだけどな。

やっぱりじっくりとっておきたい。


「自分の身の上全般、知られんようにするのだけは忘れんなよ」

「わかってるって」

 ぜったいに忘れることはない。

 それは俺が一番気をつけてることだ。知られたら、俺の命とやらはないも同然のものとなる。

 造り物とは言え、俺にだって自我はある。見た目相応ではないし、『人間』と比べたらまだまだ不充分なところが多くても、それを奪われるのはいやだった。

「それと日課の掃除もな。それが今のお前の一番の存在意義なんだからな」

「は!?『親』なら俺が無事で存在してることを意義にしとけよな!」

 言われなくたってちゃんとやるんだけど。こういうことを言うからこのおっさんはだめなんだ。

 その分俺がしっかりしてるからいいんだけどな。

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