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プロローグ 無垢なる俺という存在の目覚め。~ラジオといっしょ~

 最初に感じたのは空気の揺らぎ。

 俺がこの身で初めて『知った』世界は、そんなささやかなものだった。

「まだ目は開けるなよ」

 知覚したばかりの世界に驚いている最中、急に声が降ってきた。いや、急じゃないか。声の主はずっとそこにいて、俺の目覚めを待っていたんだろうから。

 咄嗟に開いてしまわないようにか、瞼はしっかりと押さえつけられてる状態だ。

 恐らくこの声は、俺を作った人間のものだろう。最初の要請を失敗することがなくてよかったと考えた。

 次いで、俺は指示に応答しようと声を出そうとした。理解していることと、その遂行を示すために。そのためにはどうすればいいのか、やり方は『識って』いる。

 けれどもその試みは上手くいかなかった。力を込めてみても喉は鳴らずに、唇を僅かに震わせることしかできない。

「っ、」

「あー喋んのもまだだ、まだ。声も出すなよ」

 俺の様子に気付いた人間は短く注意する。低い声――ほぼ間違いなく大人の男だろう。怠そうな様子でゆったりと注意点を重ねていく。

「その前に、お前が動かしていいのはもうちょいその身体に馴染んでからだ。今しばらくは調整中ってわけでな、我慢しといてくれ」

 動かすな、と言われたら大人しくすることで理解を示すしかない。

「よーしよし、耳の機能は問題ないな。何より頭ン中の稼働の方もまずは大丈夫そうだ」

 俺の何もしないっていう、合図にもならない合図は上手く伝わったようだった。男の声は満足げだった。


 男はそのまま話し始める。

 俺が自動人形(オートマタ)であること、そして男が俺の作成者である技師という職業の人間であるということを。

 記憶領域にあらかじめ書き込める情報量は限られていて、俺に備え付けられている知識は不充分なものであるということ。俺の中にある一般常識はきっとそこら中が穴だらけで、偏っているそうだ。正真正銘の生まれたてだから、しばらくは大人しく家の中で物事を学んでいかなくてはならない。

 技師の話は最後に今後の指標を示すと、締め括られた。反応を禁じられている俺は、神妙に静聴してるわけなんだけど、ずいぶんとあっさりとしてる。

 長い話が始まるのかと考えていたが、あっけなく終わってしまった。こういうのを肩透かしって言うんだろう。

 それは俺にとってというだけでなく、この技師にとってもだけどな。

 俺からは意思疎通を図れないということもあって、話は最低限に留めたんだろう。動けたとしても、たぶん、頷くことくらいしかしないけど。

 そう考えた矢先、聞こえてきたのは訝しげな声。

「これじゃあ聞いてんのか停止状態(スリープモード)に戻ってんだかわかんねぇなぁ……」

 何ということだ。俺の合図をしない合図は伝わっていなかったらしい。

 一切の動作を禁止されている以上、引き続きそのままでいるしかない。どうにか反応しようということは早々に諦め、耳に意識を集中させる。

 技師の呼吸音に脈の音、それから衣擦れ。腹の鳴る音がして、床板が体重移動で軋む音が聞こえる。集中させればこの空間より外の様子も少しくらいは伺えそうだった。

 ――と、そこで技師が動いた。俺の意識はそちらに引っ張られる。

「そういや朝飯食ってねぇわ。ってわけで、半刻したら戻る。詰まらんかもしれんが、俺がいいって言うまでは動くなよ」

 遠ざかった足音はすぐに止まった。次いで、かちりと硬質な音が響く。途端、よりいろんな種類の音が洪水を起こした。ざらりとした音に混ざって人間の声と音楽とが切り替わる。

「ん、児童放送局か……この番組ならおかしな影響もないだろ――なあ、おい。ラジオ付けとくからそのまんま大人しく待ってろ」

 言い置いて、技師はこの空間から出ていった。

『zg、――みよう!みんなもうれしくなったらありがとうって言えるかな?にっこり笑ああぁ、っ、あああ、zz、z――』

 周囲に誰もいなくなって、それなのに先程より騒がしい状況になってしまった。若い女の声に、軽快な音律が纏わりつく。

 少し不快に感じるのに、なぜだか嫌いに成り切れない音たちだ。

 耳への被害というか、影響というかの良し悪しは別にして、それは間違いなく俺への配慮。意思表示ができないもどかしさを始めて実感したのは、きっと今だ。なるほど。これが自発的な何とかというやつか。

『ではみんなでうたいましょう!今日のお歌は「あらしのうみとふうちゃん」だよー』

 この世界は素晴らしくて、いいことが溢れているみたいだ。

俺を作った技師の男はぶっきらぼうな割にいい人間で、そんなやつに庇護されてる俺はきっとしあわせなんだろう。

『ごっ……っ、るふ、るるるggっ――♪♪♪』

 どこまでも、どこまでも。只管、水の中に落ちていく少女の歌を聴きながら俺はそう考えたのだった。



 うんざりだ。くどいくらいに同じ歌を4回聞かされてしまった。

 4回というのは違うかもしれない。楽譜には、さいしょに戻る、という記号があるらしい。そう考えたなら、正式には1回だけとなる。そういえば曲は途切れていなかった。

 む。今、さらりと俺の有能さを垣間見せてしまった。うまれたてにも関わらず、なぜそんなことが分かるかというと、俺の記憶領域には中等學校までの教本が一通り書き込まれているからだ。

 それでも口ずさめるほどまでいかないのは、敢えて耳に入れないようにしてたせいに他ならない。回数が分かるのは、終わりそうになる度に意識をラジオまで戻して、また逸らすのを繰り返していたからだ。

 そう、技師の男には悪いが、あまりにうんざりした俺は、ここの外側から聞こえる音を拾う作業をしていた。

 だからその音にも気付けた。少し前からゆっくりと近付いてくる音にも。

「いる?起きてる??」

 快活な女の音声の向こう側から、誰かが声を上げた。小さな、ともすれば逃してしまいそうなほどの囁き声だ。その質感から放送の一種でないことはわかっていた。

 この空間の外からの問い掛けは、俺に向けてのものみたいだった。

 けど俺は反応できない。いや、しない。それだけの応答のために言い付けを破る気はなかった。

「あのね、目覚めたって聞いたから来てみたの。会えるかなって」

 俺は反応しなかった。なのに、構わずその声は続ける。くぐもったような声はどうやら少女のものらしい。ラジオの声とは比べられないが、あの技師よりずいぶんと若いのは判った。もしかすると娘なのか?

 声の聞こえる辺りから、がちゃりと音が鳴った。

「あ!なにこれっ。鍵、締まってるんだけど!」

 一転、声の主は騒がしくなかった。どうやら忍んで来ていたらしい。

 直後に慌てたように大きな音を立てて、新しい誰かがやってきた。

「おい何してんだ、ここには来るなって言ってあっただろ」

 技師の男だ。


「なんでだめなの?私だってアオに会いたいのに」

「もうちょい待ってろ、そしたらちゃんと会わせてやるから」

「待ってろってそればっかりじゃないの。リューのいじわる!ばかっ……じゃないから、あほ!ねぇいつ?いつになったらいいのよ!?」

 扉の奥から技師と年若い女の言い争う声が聞こえてくる。

 技師の名はリウというらしい。リュウ?いや、ルウかもしれない。

 文字にするならばどんな綴りになるんだろう。頭の中でいくつか文字の候補を浮かべてみた。そもそもどれが正しい音なのかが分からない。俺はその思考を捨てた。

 人間同士の生の会話を聞くのは初めてだ。今しばらく集中して聞くのも悪くない。

『みんなのものがたり!「にわとりままのおんせんたまご」はじまままま――egg、g』

 ――そう、未だにラジオは騒がしい。意識を向けていなければ、聞き逃すこともありえた。


「仕方ないだろうが。あいつはまだ定着しきってないんだ、無理はさせられねぇよ」

「でも見るだけなのも駄目っておかしいでしょ!アオは私の弟なのにー!」

 たぶん話題になっているのは俺のことなんだろう。

 つまり俺の名はアオ、というらしいな。今になって気付いたが、あの男には自分の名どころか俺の名すら教えてもらっていなかった。

 次に少女のことを考える。口にした内容から、あの少女は俺の姉にあたるらしい。

 彼女も自動人形(オートマタ)なのか?それにしては随分と自己主張の激しい……俺もいつかは、ああなるのだろうか。たとえば、自我を確固たるものとしたあととかに。

「別問題だ!この間勝手に忍び込んで無茶やっただろうが。見るだけじゃあ済まないってわかってんだよ、俺は」

 俺はそれを、どこか別世界のように聞いてる。いつか、近い内に俺もあの中に混ざることになるんだろう。

 笑ってみたりするのかもしれないし、『姉』を庇うのかもしれないし、呆れるのかもしれない。

 でもどれもしっくりとは来ない。あぁ、当然か。

 俺が識ってることは色々あるけど、まだ何も知らないんだ。見たことはなくて、あやふやな身体の感覚しかなくって。だから何もかもが不確かなんだ。

『おいしいねえ、おいしいね。ぴよぴよひよこはよろこびました。お~しまい♪』

 そう、ものがたりの傍観者のような。



 それにしてもラジオはいつになったら止めてくれるんだろう。そろそろ耳の穴から雑音が侵入してきそうなんだけど。

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