『ヤドカリ警官』⑤
「そろそろいいんじゃないのか? 犯人は俺なのか、それとも違うのか。早く教えてくれよ」
そんなに時間は経っていないはずなのに、せっかちな隼人がそう急かす。
真中はたずねた。
「時に隼人。お前の身長は、一五〇センチメートルぐらいか?」
「え? あぁ、そうだけど」
「では、犯人はお前ではない」
実にあっさりと、真中はそう宣言した。
「はあ? どうして、身長だけで俺が犯人じゃないと分かるんだ? きちんと説明しろ」
「犯人ではない」と告げられたのはよいことであるはずなのに、隼人は、なおもそう食い下がった。
「これでは、あべこべだ」そう心の中で苦笑しながらも、真中は答えた。
「いいか、後ろから人の頭を殴った場合、その部位は、後頭部か頭頂部に限られるんだ。特に、今回の被害者は、座って靴を履いている最中に殴られたみたいだからな。額は下向きになっていて、後ろからだと簡単には殴れない。それに、お前の身長は、一五〇センチメートルだ。フライパンを持っていたとしても額を殴ろうと思えば腕を大きく伸ばさないといけないし、それでは力が入らない。つまり、お前に犯行は不可能だということになるんだよ」
「ふーん、なるほど。でも、後ろから殴ったっていうのは、あくまでも矢沢さんの予想だろ? 前から殴ったかも知れないじゃないか」
「いや、それはありえない」
「どうしてだ?」
「考えてもみろ。矢沢さんは、美穂ちゃんの後ろに立つお前の姿を見ているんだぞ。前から殴ったとするならば、そのあと、わざわざ後ろに回り込む必要がどこにある?」
「そ、それは……」
隼人が少しずつ追い詰められていく。
真中は続けた。
「それとな、隼人。矢沢さんの証言の中で予想だったのは、後ろから殴ったということだけじゃない。“殴られた時、美穂ちゃんは靴を履いている最中だった”というのも予想のはずだ。それなのに、片方だけを否定するのはおかしいんじゃないのか?」
「……」
完全に言葉を失くし、隼人は口を閉ざした。
「ここから先は、推理というより推量になるが、隼人、お前は知っているんじゃないのか? 美穂ちゃんを怪我させたのが誰なのかを。だが、それはわざとじゃなかった。だからお前は、その者を庇い、何も知らないふりをし続けている。違うか?」
「どうして、そこまで……」
思わず隼人はそう呟き、直後、はっとした様子で顔を伏せた。
「やっぱり、そうか」
「あぁ。でも、どうして分かったんだ?」
早々に誤魔化すのを諦め、隼人が問う。
真中は答えた。
「美穂ちゃんがずっと言っていた、くぅづがぁ~、という言葉。あれは、“靴が”と伝えていたんだ。そして、その意味が分かった時、今回の事件のあらましが見えた。体育のために靴を履き替えようとしていた美穂ちゃんは、その最中、額に怪我を負った。これは、恐らく、先に靴を履き終え外に飛び出した子の踵が当たったんだろう。そして、その子は、そのまま気づかずに走り去ってしまった。一部始終を見ていたお前は、泣いている美穂ちゃんを心配して声をかけようと近づいた。それを目撃したのが、矢沢さんだったというわけだ」
「瀬戸君、本当なの?」
ずっと黙って話を聞いていた有紗がそうたずねる。
小さくうなずき、彼は答えた。
「うん。全部、真中さんの言うとおりだ」
「じゃあ、私、罪のない瀬戸君を犯人にしようとしてたってこと? ごめんなさい!」
有紗が、深々と頭を下げる。
そんな彼女に首をふって見せ、隼人は言った。
「泣いている美穂ちゃんと、フライパンを持ってその後ろに立つ俺。近くには誰もいない。そんな状況を見れば、勘違いしたとしても仕方がないさ。それに、悪いのは俺のほうだ。俺が初めから真中さんに話をしていれば、すぐに解決していたことだったんだからな」
こうして、“美穂ちゃん「くぅづがぁ~」事件”は幕となった。
「さて、隼人。お前は犯人ではないと分かったんだからもう行っていいぞ。矢沢さんも、教えてくれてありがとうな。警察への協力に感謝する」
真中が二人にそう告げる。
すると、終始泣きどおしだった美穂が、ここにきて漸く落ち着きを取り戻した。
真中は、彼女の傍らへと歩み寄った。
「美穂ちゃん。おでこの怪我を診てもらいに、保健室に行こうか?」
「うん、行く。麻友ちゃんの靴が、ゴンッ、って、痛かった」
よろよろと美穂が立ち上がる。麻友ちゃんというのが、今回の事件の“自覚なき犯人”ということなのだろう。
「そうか、痛かったか。でも、麻友ちゃんもわざとやったわけじゃないだろうから、あまり怒っちゃいけないぞ」
「うん、分かってる。麻友ちゃん、美穂のお友達だから」
「よし、偉いぞ。じゃあ、行こうか」
保健室を目指し、真中が廊下を先に歩き出す。
全てが首尾よく解決したかに思われたその時、悲劇は起こった。
「待って、お巡りさん」
そう言って甘える美穂が、後ろから彼の腰に飛びついてきたのである。
「お、おい!」声を上げる暇もなく美穂は、真中の胴に手を回し、その左腰にしがみついた。
そして、あろうことか、そこに顔を擦りつけ始めた。
「う、嘘だろ……」
消え入るような声を出し、呆然と真中が立ち止まる。恐るおそる目をやる制服のズボンには、美穂の涙と鼻水と涎の混合液がべったりと付着していた。
「お巡りさん、どうしたの?」
邪気など微塵もない澄んだ瞳で美穂が真中を見上げる。
「い、……いや、何でもないよ」
“建前”でそう答えた真中は、心の中に密かに仕舞った“本音”で、「これだから、ガキは嫌いなんだ」と嘆くのだった。
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次回更新は、4月25日(火)を予定しています。