『ヤドカリ警官』①
物体に光を当てると必ず影ができるように、「相反するものが、ひとつの現象において共存をなす」ということはよくある。
例えば、日常会話に登場する“本音”と“建前”がそれである。
一般的に、光が善、影が悪の象徴として認識されているのと同じく、“本音”を善、“建前”を悪だと考えがちだが、それは間違いだ。
もし、“本音”のみで行動したならば、その者が歩むのは修羅の道。他者を傷つけてばかりの、鑢のような人間になってしまうだろう。無論、“建前”だけで生きるのも善ではない。こちらは、信用を失う。
つまり、“本音”と“建前”は、共存することで初めてその真価を発揮するというわけだ。
そして、SP法にも“本音”と“建前”は共存しており、交番を小中学校に置くメリットとされる犯罪やいじめの防止、節税などは、無論それらについての一定の効果はあるものの、あくまでも“建前”にすぎない。
「では、“本音”はどこにあるのか?」と問われれば、それは、虞犯少年の早期発見だ。
SP法は、将来、法に触れる行いをなす可能性のある少年を義務教育期間中に洗い出し、ブラックリストにまとめることを主目的としていたのである。
もちろん、若年層の犯罪が表面化する度に、少年法の改正が国民レベルで議論され、求められている昨今の実情を鑑みるに、たとえ“本音”の部分を前面に押し出したとしても、SP法制定のためのマジョリティー獲得は、そう難しい課題ではなかったことだろう。
しかしながら、実際に交番を置くことになる学校の児童や生徒、及びその保護者にしてみれば、四六時中、当人若しくは我が子が監視されているにも等しいわけで、そこに不満が出ることは避けられない。また、それ以前に、そもそも警察官という職種は、税金によって成り立っており、全体の奉仕者性が地方公務員法によって定められている。ゆえに、その数に関係なく、「地域住人との不和は極力避けたい」と考える警察組織としては、あくまでも“建前”に拘ったSP法制定を国会に求めたのである。
全国三千の交番が学校にヤドカリしたことからも分かるとおり、結果は成功。SP法は、真っ白な善法として施行されたのだった。
それは、まさに“本音”と“建前”の共存。“本音”の部分を知るのは、警察関係者。それと、三千校のリストの中に、微に入り細を穿つとでも表すべき、“ある発見”をなした一部の教育者だけであった。
中学校だとそれなりの数に上るが、小学校では少ない。特に西桜小学校は少なく、一人だけである。何の話か。SP法によりブラックリスト入りした少年の人数の話だ。
それゆえ、同じ所轄署から出向している他の交番と比較して、「西桜小学校内交番は楽だ」などと言われるが、実際はそのようなことはない。
西桜小で唯一の虞犯少年、五年二組の瀬戸隼人が、“別格”だからである。
“別格”と言っても、別に彼が極悪非道な小学生だというわけではない。見た目は普通の小学五年生。性格も、物事を少し斜に見る癖はあるものの、一般的な反抗期を迎える少年のそれと大差はない。ただ、彼の行動が、その一部において、少しばかり常人の枠から逸脱しているのである。
隼人の名前がブラックリストに載ったのは、彼が十歳になってひと月後のこと。つまりは、昨年の十一月だ。
その前までに彼がやらかした事件は、二つ。“家庭科室の砂糖と塩入れ替え事件”と“プールに浮かぶ人骨模型事件”である。
ただし、砂糖と塩入れ替えは、当時の料理クラブの部長がこれに気づき、被害を未然に防いだ。
また、人骨模型のほうも、第一発見者である近所に住む豊田ヨネさん(当時八七歳)が腰を抜かしはしたものの、大事には至らず、模型も無事。児童にも被害はなかった。
そう。いずれも子供らしい悪戯の範疇。担任教諭からの説教は避けられぬとしても、警察が動くほどの事案ではなかったのである。
ところが、昨年十一月の事件、“家庭科準備室爆破事件”だけは拙かった。「粉塵爆発は、本当に起きるのだろうか?」そんな素朴な疑問を元に、隼人は、家庭科準備室に撒いた大量の小麦粉を大型の扇風機で煽り、そこに剥き身のカメラをタイマーセットしてストロボを焚くという実験を行ったのである。
のちの警察の検証では十回中一回しか成功しなかったのに、彼の場合は、その一回が最初にやってきた。
ストロボの放電熱で引火した小麦粉が、八畳間ほどの家庭科準備室を瞬く間に炎で包み込んだのである。直後起こる粉塵爆発。準備室のドアや窓は吹き飛んだ。さらに都合の悪いことに、準備室から飛び出した火の粉は、ドア続きの家庭科室のカーテンへと燃え移り、延焼を始めた。スプリンクラーが作動し、学校中の火災報知機が空襲を知らせるかの如く鳴り響く。
練習であった九月の避難訓練から僅か二か月、西桜小の児童たちは、三十年を超える学校の歴史の中で初めての、本当の火災避難を行うことになったのである。
消防車までが出動し鎮火せねばならなくなったこの事件は、当然、新聞にも大きく取り上げられた。
結果、当時の交番長であった前野巡査部長が責任を取る形で、本年度、人の声より牛の鳴き声のほうが多く聞こえる駐在所へと異動。瀬戸隼人の名は、ブラックリストに記載されることとなったのである。
ブラックリスト入りする少年の罪状は、暴行や傷害、窃盗が主。放火は極めて稀であり、かつ悪質なケースだ。その中で、隼人が犯した“家庭科準備室爆破事件”のような事案は全国的にも他に例がなく、ゆえに、“別格”となっているのである。
「まぁ、別に給料が減るわけでもないし、のんびりと田舎暮らしを満喫するさ」そんな自虐にも似た台詞と引き継ぎ書類を残し、前野巡査部長は西桜小学校内交番を去った。
後進である真中にとっても、大切な置き土産となった彼の引き継ぎ書類。その最後は、このように締め括られていた。
『瀬戸隼人にだけは、気をつけること。彼は、将来ノーベル賞を取るほどの大人物になるか殺人犯になるかのどちらかだ。そして、歴史的に見てもその比率は、後者となるほうが圧倒的に高い』
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