『ヤドカリ警官』⑩
南校舎一階より外へと出る。天気は、昨日に引き続いての快晴。眼前に広がるグラウンドでは、三十人ほどの児童が、あちこちに散らばり、座り込んでいた。
「あれは、三年生だな。何をしているんだろう?」そう真中は思った。
実は彼、この七か月で、小学校の教師ならば誰でもそれが分かるように、児童の背恰好から学年の判別ができるようになっていたのである。
因みに、小学校にきてから真中が学んだのは、児童の学年判別だけではない。「低学年の子供は、信頼している大人にやたらとくっつき、顔や体を擦りつけてくる」ということも、学校の先生から教えてもらっていた。つまり、過去に涙と鼻水と涎の混合液を擦りつけてきた美穂は、真中のことを信頼していたということなのである。
無論、子供嫌いな真中としては、汚れた顔を擦りつけられるのは正直勘弁なのだが、美穂が自分を信頼していたという事実だけは、嫌な気分はしなかった。
……と、ここで、グラウンドを眺めながら真中はふと考えた。
他の児童が遊びにくる前まで毎日のように交番に顔を出していた隼人も、自分のことを信頼してくれていたのではなかったのかと。
だが、その後、彼は交番から遠ざかった。
それは、信頼を失くしたからか。
「分からない」真中は小さく首をふった。
そう、他者の心など簡単には理解できないものなのである。
しかし、もし、隼人が自分に信頼を失くしているとするならば、それを取り戻したい。
そのためには、先ずは自分が隼人を信じてやらねば。
“美穂ちゃん「くぅづがぁ~」事件”の際、隼人は言っていた。「もし、真中さんが“まとも”な警察官でいたいんだったら、容疑者に正解を求めるんじゃなくて、自分の頭で考えて判断して見せろよ」と。今が、まさにその時なのである。
捜査への決意を新たにする真中。
すると、そんな彼の目に、ぴかりと何かの光が差し込んできた。
「ん?」
その光源を目で追う。そこには、小さな鏡でこちらへと太陽光を反射させている少年の姿があった。
「あれは、将也だな」
時々交番に遊びにきていた児童の一人だと分かり、真中がその名を呟く。
何をしているのかが気になっていた彼は、そちらへと行ってみることにした。
グラウンドの隅のほう、プールの外壁近くに将也はいた。
「何をしているんだ? 理科の授業か?」
そう真中が問うと、将也はひとつうなずいた。
「そうだよ。“日向と日かげ”っていう勉強で、日向と日陰の温度の違いを調べているんだ。それで、日向よりも日陰のほうが、温度が低いんだけど、こうやって日陰の部分に光を当ててやると……」
将也が、プールの外壁に鏡で反射させた光を当てる。
「この鏡の形に明るくなった部分だけ、温度が高くなるんだよ。だから、温度の上昇には太陽の光が関係しているって分かるってわけさ」
「ふーん。なるほど」
自分の小学校時代にも同じようなことをしたなと懐かしく思いながら真中は、地面に置いたままになっている将也の教科書を拾い上げ、ぱらぱらとめくった。
「おや」
真中が声を出す。教科書の中に、大切な一文を発見したのである。
「おい、将也。ここに、“鏡の光は、絶対に人に向けてはいけません”と書いてあるぞ」
「あ、そ、それは」
まったく予期していなかった突然のピンチに、将也の目が泳ぐ。
真中は、左腰後方の手錠にすっと手を回して言った。
「逮捕だな」
「ちょ、ちょっと待ってよ。……あ、そうだ! 鏡の光なんだけど、たくさん集めるとどんどん温度が上がって、最後はステーキなんかも焼けるんだって。すごいよね!」
将也が上手に話をはぐらかす。
これには、思わず真中も笑ってしまった。
だが、
「そうか。光を集めると、そんなにも温度が……」
そう口にした瞬間、彼の表情が一変した。
「どうしたの?」
不思議そうに将也がたずねる。
真中は答えた。
「将也。お前のお蔭で、謎が解けたかも知れない。ありがとう」
「あ、そう。よく分かんないけど、逮捕されないんだったら何でもいいよ」
ほっと胸を撫で下ろす将也に背を向けると、真中は、グラウンドを校舎へと駆け戻った。
それは、可能性としては、極めて低いものだった。
しかし、ゼロではない。
真中は、そこに全てを賭けることにした。
彼が向かった先は、職員室だった。
ご訪問、ありがとうございました。
GWが、すぎてしまいます。
しかしながら、家事や育児、家族サービスにと追われた方々は、明日からのほうがゆっくりとできるのかも知れませんね。
また、休みの最中、鉄道や航空、アミューズメント施設等で忙しく仕事をなさっていた方々、お疲れ様でした。皆さんの頑張りのお陰で、子供たちもよい思い出ができたことだと思います。
次回更新は、5月10日(水)を予定しています。




