表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

最終章

そして、S引っ越しセンタ―のアルバイト代を銀行におろしに行き、小田原駅から鈍行に乗った。18時頃、新大阪駅に着いた。そして、自動販売機で焼きおにぎりを買い、待合室で食べながら

「家に帰るのが、恥ずかしい。もう少したってから帰ろう。」と思い、20時頃、電車に乗り、実家に向かった。駅を降りると、震災の跡が痛々しくどの家にも残っていた。実家に着くと父親が迎え入れてくれ、両足のケアをしてくれた。それから、二階に上がり寝た。しばらく、二階の部屋でわけのわからない作業をしながら、堺屋太一の

「大変な時代」を読んだりしていた。エアコンが、なぜか言葉をしゃべっているように聞こえた。また、幻聴だ。完全に頭が狂っていた。

しばらくして、以前の病院に入院させられた。入院中、なんとか自分に適性のある仕事は、ないかと探し、ホ―ムヘルパ―か中小企業診断士になりたいと二つに絞った。

いつまでも、自分の進歩向上のない状態が嫌だった。

そこで、いとこに助けを求め、T教本部でS科に入った。S科を修了した後、S教会で住み込みをし、最初、警備員の仕事をしたが、幻覚、幻聴がある為、辞めてしまった。次に、K電気商会でエアコンの営業マンをしたが、ここでも、幻覚、幻聴があった為、辞めてしまった。 しばらくして、会長さんから

「姑はよみがえった」という高齢者介護の本をもらい、むさぼるように読み、自分も、この仕事がしたいと切にねがった。

そして、ヘルパ―三級の資格をとり、福祉人材センタ―に就職先を探しに行ったところ、面接の約束をした。そこで、内定し、二級の資格を取れば社員になれると部長さんと約束したので、いとこにお金を出してもらい二級を取った。しかし、教会の用事と仕事の両立は難しかった。ストレスが溜まり、以前と違う病院に入院した。 2ヶ月程して、退院し、援護寮に入り、生活訓練をしながら、仕事をした。

八ヶ月で卒寮して、一人暮らしを7月14日から始めた。

まわりに助けられながら回復していき、仕事を続けた。

二年後、ヘルパ―一級の資格を取った。

仕事が嫌な時も、無理矢理出勤する日が続いた。ある時期、心が軽くなり、だんだん仕事が楽しくなってきた。そして、三年程、四週間に一回の診察が続いた。僕は、自転車で利用者さん宅へと走り回った。ある人は、すでに日本一周した位、走り回っていると言っていた。得意先の利用者さんは、現在、六、七年通い続けている。

2005年と2006年にケアマネの試験を受けたが、二回共不合格だった。

今年、ヘルパ―8年目になる。

今では、幻覚、幻聴の症状もない。

ここまで回復したのは、まわりのおかげと、神仏のお陰と思っている。

今でも信仰心はある。

週20件位のペ―スで仕事をこなしている。しかし、その収入だけでは生活できないので、父親から仕送りしてもらって援助を受けている。しかし、何より統合失調症ではあるが、薬さえ飲んでいれば健康である。有難いことだ。今では、働くのが、好きでしょうがない。体調管理をこまめにしながら、仕事の虫になっている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ