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魔法戦士メルフルール その1

空気も凍ってしまったような夜空が僕を覆っていた。

 薄ぼけた街灯が、これから為されようとしている茶番にニヤニヤと嫌な笑みを見せるように僕を見下ろしている。


 綺麗なオフィスビルに挟まれて申し訳なさそうに建っているのはお世辞にも上等とは言えない一軒家。

 その狭い家の周りでなにやら怪しげな行動をしている男がいる。

 ポリタンクを持ち、その中に入れた液体を地面に染み込ませる作業に執心しているようだった。


「こんな綺麗な月夜に一家心中か?」


 背後からいきなり声をかけてやる。と、相手は誰かに見られていたとは思いもしなかった様子で、大きく肩を震わせた。


「止めとけ。辛気臭い」


 男はしばらく僕の出現に泡を食っていたようだったが、次第に落ち着きを取り戻したようで、まだ震える声で反論した。


「だ、誰だかは知らんが、そうは言ってもね、君。僕らが抱える借金はとんでもなく莫大だよ。もう生きる術も望みも無いのさ」


「だったら、お前一人で死んだらいい。何も子供まで巻き込む事はないだろ」


 既に平静を取り戻した男は、こちらを値踏みする目で足元から舐め上げた。


「ふん、誰だか知らんが、まだ子供じゃないのか、君? 大人の事情に嘴を挟むにはまだ経験値が足りないと思うがね」


 人通りが少なく街灯の灯りも乏しいこの路地でも僕の体格がまだ大人のそれでないことは分かるだろう。男の態度は変わった。いきなり見下すような態度になったのだ。


「犯罪者を弾劾するのに大人も子供もないと思うぞ」


「犯罪っ……。それは、僕の事か?」


「そうだろう。お前がやろうとしているのは、歴とした殺人じゃないか。日本では殺人犯は犯罪なんだけど。知らなかった? ああ、もういいや。お前と問答してても無駄なんだろうな。じゃ、今から警察呼ぶから」


 と、僕はポケットからスマホを取り出して電源をオンにする。

 暗闇に男の痩せて貧相な顔が浮かび上がる。メガネの奥にある憔悴しきった目はギョロギョロと落ち着き無く動き回っている。


「ま、待て、待ってくれ。君。ぼ、僕は、僕はどうしたらいいんだい?」


 今にも泣き出しそうな声で男は僕に擦り寄って来る。

 僕はニヤリと口の右端を歪めてから話を切り出す。


「そうだな、一つ、いい儲け話があるんだけど、乗るかい? いや、乗らざるを得ないよなぁ」


 この瞬間、僕は悪魔に魂を売り渡した。

 そうだ。人の転落なんてあっという間なんだ。このどうしようもないおっさんもそうだし、僕もそうであるように。


 これより先は人の痛みも、悲しみも怒りも嘆きも憎しみも憤りも苦しみも、そして自分のそれらも全て飲み込んで吐き捨てる所存である。

 目的を達するその日まで。






 右手がやけに柔らかい物を掴む感触があった。

 それは夢の中だったろうか。それとも現実か。とにかく僕はその柔らかいものを三回ほどぐにぐにとやった。非常に心地よかった、まる。


「お、お、おと、おとーさんっ」


 動転した少女の悲鳴が遠ざかる。朝っぱらからやけにうるさい。

 昨日は少し夜ふかししたから、瞼が開きたくないとぼやいている。朝の僕は、だいたい僕の瞼を甘やかすことにしているので、もう一度掛け布団を被る。


「ど、どーして私の布団に男の人が寝ているのかなっ?」


 少女の声は元気に過ぎてこのボロ家には大き過ぎたので、倒壊の心配をしてしまう。

 ああそうか。僕は昨日眠たかったので、一番暖かそうな布団に入ったんだった。それが今悲鳴を上げている少女、高巻照加のそれだったのだ。

 通報されて当局のお世話になるのも頂けない。僕はフォームチェンジしてやり過ごす事に決めた。


「なんだ? ウシオさんの事か?」


 照加は眠たそうに目を擦る父親の腕を引っ張って自分の部屋に戻って来た。


「だ、誰かな? ウシオさん、って? 心当たりあるのかな、あの変態の人に?」


「ああ、まあな……ん? おい、誰もいないじゃないか」


「えっ。あ……れ? おかしいな」


 僕が横たわるせんべい布団を見下ろして照加は寝癖のついた頭をかわいらしく傾げている。

 父親は、なんだもう一眠りするぞと言い残して部屋を去り、傾げすぎてもげそうな頭の少女が取り残された。


「夢……、だったのかなあ。でも、確かにさっき……」


 不満そうに少女はブツブツと口の中で呟いている。

 そしてふと、僕と目が合う。


「こんな人形、持ってたかな」


 丸っこくてフワフワでつぶらな瞳のかわいいかわいい妖精さん。それが今の僕の姿だ。じっとしているとさぞかし愛らしい人形のように見えるだろう。

 これは僕が、終業式からあの忌まわしい始業式までの二週間で得た身体的特徴の一つだ。


 彼女は僕の事を軽々と持ち上げてまじまじと余すところなく眺め回している。あまり見られると少しぞくぞくしてしまう。


「じーっ」


 まだ見ている。は、はず、恥ずかしくなってきちゃった。


「じじーっ」


 ま、まだまだ見ている。僕の正体に気づいたのか。それとも、僕を何かに目覚めさせようとしているのか。ち、ちょっと、やめてー。


「うん、かわいっ」


 かわいいのかよ。どうやらお気に召したようだ。


 僕は古ぼけたタンスの上に置かれた。

 右隣は昔流行った猿の人形、左にはアニメのキャラクターだろうか、カウボーイの人形が座っている。それ以外にもいくつかの人形が並んでいたが、いずれも埃などは被っていなかった。この部屋の主はキレイ好きであるようだ。

 これは、召使としては好ましい要件の一つだった。


「少し早いけど、もう起きよ」


 少女は誰に言うともなく呟くとおもむろにイチゴ柄のパジャマの裾に指をかけた。服を着替えるつもりだろうか。


 肌着姿になり、その肌着すらも取り去られようとしたその時、少女は何かが気になったようでこちらをチラと見やる。


「な、なんか恥ずかしいから、隠れてね」


 なんと。いいところで僕だけ布団の中に突っ込まれたのだ。猿やカウボーイは見放題なのになぜ僕だけ目隠しなんだ。理不尽だ。よもや人生で人形に嫉妬する日が来るとは思わなかった。

 この薄い掛け布団一枚めくるだけでパラダイスが広がっているというのに僕はなんと不幸なんだ。


そんな気持ちでもんもんとしているうちに僕は再び眠りに落ちていた。






 ところどころ塗装の剥げた年代物のちゃぶ台には、四人分の朝食が並んでいる。

 唇を着けると切れてしまいそうなほど欠けた部分の多い皿に十枚切りのトーストが乗っている。

 あとはこれに5割引というシールの貼られた栗ジャムを塗るだけらしい。どうでもいいが、この栗ジャムの臭みは尋常ではなかった。


 多額の借金を抱えて貧乏なのは知っていたが、これは予想を超えていた。十枚切りのパンなんて誰が買うんだと思っていたが、目の前にいる彼らがそうだった。


「この方はウシオさんだ。今日から我々のご主人様となる」


 さえない男の紹介で僕は右手を軽く挙げた。


 男は照加の父で、央治という。月曜日の朝っぱらからのんびりと寝間着姿でいるのは、目下のところ無職真っ盛りだからである。髪はボッサボサでヒゲも伸ばし放題であり非常にむさくるしい。


「ご、ご主人様? な、何なのかな、それ」


 戸惑いを隠さずに疑問を口にするのは、この家の長女、中学一年生の高巻照加。

 丸みを帯びた顔の輪郭にお団子にした黒髪がまん丸と愛らしい。瞳は大きいが、トロンと眠たげでおっとりとした印象を受ける。

 パジャマの上からは判らなかったが、顔に似合わずこの歳で発育は割と良いようだ。


「そりゃあ言葉通りだよ。僕が今日からこの家の主だって事。そして君たちが僕の召使になったって事だよ」


 僕は余裕たっぷりの笑顔で彼らにそう教えてあげた。


「なんだよそれ、なんで俺たちがお前の言う事なんか聞かなきゃなんないんだよ」


 生意気そうな坊主頭が僕に意見をしてきた。長男の勇太だ。

 普通だったら当然スルーするところだが、今日はご主人様就任初日なので出血大サービスで教えてやる事にする。


「なんでって、これがあるからに決まってる」


 僕はおもむろに懐に手を入れて札束を手にひらひらさせてやる。


「おお……、なんてこった」

「パンナコッタ。これは夢なのか。父さん」

「に、偽札……、ですよね?」


 予想通りの反応だ。


「お父さんには昨夜のうちに説明したが、僕は君達の働きによってはこれを軽々しくここにばら撒いてやってもいいと思っている」


 一堂、唾を飲み込む。


「で、俺達は何をしたらいいんだよ。どうやったらその神器を手に入れる事ができんだよ」


 弟があまりに必死の形相だったので、僕は目を逸らした。


「君とお父さんには、まあ、あれだ。そうだな。雑用をやってもらう。日当は二人で四千円だ。どうだ?」


「エクセレントっ」


 どうやら満足な金額だったようだ。


「そして華美。君には大事な仕事がある」


「な、なんなのかな? 大事な仕事って? こ、怖い事はいやだよぅ」


 照加は追い詰められた小動物のような怯えた目でこちらを見ている。


「可哀想な姉ちゃん。そして夜の街に消えて行くんだな」


 なんなんだコイツは。本当に小学4年生か。


「うう、照加よ。お前がどれだけ汚れようと、俺はお前のお父さんだよ」


 この親にしてこの子あり、というところだ。


「ええ、よ、夜の街って、何? 夜勤の警備員さん? あれ、大変そうだよぉ」


「心配するな。夜のバイトでもないし警備員でもない。もっと、大きな仕事……、全世界人類の役に立つ仕事だ」


「そ、それって……」


 唇の端っこをひねりあげて僕はこう告げる。


「魔法戦士になる事だ」

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