寿司七貫目 ニート握り手 VS ホモ漁師 地獄の船上デスマッチ!
「遅いぞ、三春! 開店前の店に火を放って一族皆殺しにする計画が台無しだ!」
「そのような計画でしたら前日にきちんと伝えて頂かないと、早起きはおろかガソリンの準備も出来ないではないですか」
「なに!? 俺はきちんと伝えるよう命じたはずだぞ」
ギロリと忠七朗が傍らでベンチに腰掛け足を伸ばしていたマグロ寿司を睨み付けた。
マグロ寿司はそのままの調子で答える。
『自分、生ものっすから』
「ちっ、それじゃあ仕方ねえな」
「あれれ、それ仕方ないですむのですか?」
「とにかく、『ツキヂ』のやり方は間違っている! 船の上で寿司を握るなど、母なる海と寿司文化への冒涜だ。絶対に許しちゃおけねえ。しかもこいつ、『ツキヂ』十二支部長の一人〈海の岡田〉だ。こいつをこのままにしておいたら、罪なき寿司が苦しむことになる」
「また岡田さんですか」
「別に珍しい名字じゃあないだろう」
「偶然の一致というわけですね」
「そういうわけだ。とにかくこうなっちまった以上、正面から殴り込みに行くほかないだろうな」
「正直殴り込み以外の方法で解決していただきたいのですけれど、それしか方法がないというのでは仕方がありませんね」
早速三人と一貫は、〈海の岡田〉の営む釣り船の事務所へと出発した。
県内なのですぐつくだろうと油断していた面々であったが、一度海とは反対方向の県中央の駅を経由し、ローカル線に乗り換えて向かったため予想以上に時間がかかってしまった。
「もう出航しているのでは?」
「そんな馬鹿な! 今日は土曜日だぞ。常識で考えて定休日だろう」
「こういった業界は土日が稼ぎ時ではないでしょうか」
「何を言ってるんだ、俺は土曜も日曜も一度も働いた覚えはない!」
「大将は平日も働いていないでしょう」
「言われてみればそうだな。ということは〈海の岡田〉も働いていない可能性が高いわけだ」
「何故そうなるのです?」
『流石親父だ。その通りに違いない』
「オゥッ! オッ!」
「この人たち駄目かも知れない」
三春はこの面子に自分が混じってしまっていることを深く後悔したが、ここまで来てしまった以上、忠七朗が納得いくまでは付き合わなければならないとこれまでの付き合いからきちんと把握していた。
「そうと分かれば殴り込みだ! いくぞ!」
『任せとけ!』
「オッ!」
「あー、待ってくださいよ、もう」
走り出したおっさんたち。
三春の制止も聞かず、おっさんたちはそのまま〈海の岡田〉の事務所へと突入した。
後を追いかけた三春も、仕方なく事務所の中へと入った。
「よく来たな。待っていたぞ、忠七朗」
店内では浅黒く日焼けした、筋肉隆々とした若い男性が仁王立ちで待ち構えていた。
見るからに力が強そうで、しかも周りには何人も同じような出で立ちの男が並んでいる。狭い事務所の中でむさ苦しい男たちがひしめいていたせいで、秋だというのに非常に暑苦しい。
「仲間を呼んで待ち伏せとは、随分汚え手を使うようだな」
早朝に放火する計画を立てていた人間の台詞ではないと思ったが、この空気の中で口を開く勇気は流石の三春も持ち合わせていなかった。
「勘違いするな。こいつらは漁師仲間。今回のオレと貴様の勝負を見届けるために呼びつけた」
「勝負だと? そんなもの、この俺が受けるとでも思っているのか!」
「別に受けなくても結構。まあ、受けないのが賢明だろうな。貴様のようにたいして仕事もしない腕のなまった〈握り手〉では、このオレに勝てるわけが無いのだからな。帰りたいというのなら止めはしないから尻尾巻いて帰ると良い」
「貴様言わせておけば!!」
「大将、敵の挑発に乗っては駄目です!」
「いいや乗るね! そもそも貴様のような休日に自称漁師のニートを集め、ろくに仕事もしないで狭い事務所でホモホモしてるようなガキに、この俺が負けるわけは無いのだからな!!」
「貴様ァ! 誰がホモだとおおおお!!」
沸点の低い忠七朗と〈海の岡田〉は既に一色触発の状態で、周りの漁師やらドイツ人やらマグロ寿司まで巻き込んで今にも殴り合いに発展しそうな状態でにらみ合っていた。
「あ、あのですね。岡田さんは〈握り手〉なのですよね」
「無論そうだ」
「大将も〈握り手〉ですよね」
「たりめえだ」
にらみ合う二つの勢力の中央に割って入って互いをなだめながら、なんとか穏便な方法で解決して頂こうと三春は交渉を進める。
「でしたら、お寿司で勝負というのはどうでしょう。殴り合ってもお寿司の実力は分からないでしょう。〈握り手〉同士の戦いなのですから、正々堂々お寿司で勝敗を付けるのがふさわしいと思います。皆さんはそうは思いませんか?」
「一理ある、な」
「確かに、寿司で勝負か。盲点だったぜ」
〈海の岡田〉と忠七朗は、三春の説得に納得し大きく頷いた。
これで暴力沙汰は回避できると胸をなで下ろした三春であったが、隣にいた師匠が珍しく重い声で呟く。
「〈ニギリテ〉ドウシのスシタイケツ……。シシャがデマスヨ」
「え、何故お寿司勝負で死者が出るのです?」
『お前は何も分かっちゃいねえようだなァ』
「酢飯くさい手で触らないでください」
肩に置かれたマグロ寿司の手を三春は振り払った。マグロ寿司は酢飯くさくねえよな、と師匠に確認をとっているが、師匠は既に廃人モードへと戻ってしまっていたので、一人自分の手の臭いを必死に嗅いでいた。
「寿司で勝負、となれば間違っても汚い手は使えないな」
「ああ、正々堂々、”握り”の実力だけで勝負といこう」
にらみ合う〈海の岡田〉と忠七朗。
〈海の岡田〉はぱちんと指を鳴らす。
すると後ろの部屋から大きな桶が二つ、運ばれてきた。
「そちらは準備も何もしていないだろう。シャリは好きな方を使え。選ばなかった方をこちらが使おう」
「そういうことか。いいだろう」
忠七朗は桶の元へ赴き上に敷かれたふきんをのけると、真剣な眼差しで二つのシャリの状態を確認する。
しばらく吟味し、決断した忠七朗は片方の桶を指定した。
「俺はこっちで良い」
「ではオレがこっちだな」
使用するシャリが決定した。
しかし寿司に肝心な、もう一つの材料は出てこない。
ネタが無かったら、寿司は完成しないのだ。昔師匠はネタを仕入れるのが面倒だったのでシャリだけを三角形に握って寿司だと言い張って客に提供したことがあったが、〈握り手〉同士の戦いではそのような方法は通用しない。
「ネタはこっちだ。ついてこい」
事務所の裏口から表へ出た〈海の岡田〉の後を、シャリの入った桶を持って忠七朗達は追いかける。
更に後ろからは、漁師が三人だけついてきた。
「さあ、好きな方を選べ」
「船……だと」
〈海の岡田〉が示したのは、二隻の漁船。
どちらも見た目に大きな違いはない、同型の船であった。
「そうだ。今回の握り勝負はこの船の上で行う」
「船上デスマッチって奴か」
「センジョウ、デスマッチ……。チューシチ、オソラクフネのウエはオトカルのトクイフィールド」
「オトカルって誰です?」
「分かってる。だが〈握り手〉として、相手が有利な戦いであろうと勝たねばならん」
「すいません。話について行けないのですが、船上デスマッチって一体どういう勝負なのでしょうか? お寿司を握るんですよね? 何故、デスマッチなのです?」
尋ねた三春を忠七朗は無視したが、代わりに〈海の岡田〉が質問に答えた。
「船上デスマッチとは、互いに船の上で寿司を握り、どちらかの〈握り手〉が死ぬか降参するまで戦い続けるという、由緒正しい寿司界の決闘方法だ」
「そうだったのですか、初耳です。あれ、でも寿司でどうやって相手の船を攻撃するのです?」
「いちいちうるせえ奴だな。〈握り手〉の握った寿司なら、船を沈めることぐらい造作も無いことだ。常識だろうが」
『全く常識の無い小娘だぜぇ』
「常識の欠片も無い格好のあなたには言われたくないです」
三春は納得いかなかったが、忠七朗が片方の船を選ぶと仕方なくその船に乗り込んだ。
師匠は船の機関室へ、忠七朗は甲板に用意された調理道具を確認する。
「殴り合いになったときはこれを使おうと持ってきて良かったぜ」
忠七朗は懐から包丁を取り出す。
「物騒なもの持ち歩きますね。ところで、ネタが見つからないのですが」
「何? ネタがないだって」
忠七朗はそんな馬鹿なと口にして、甲板の上を探して回る。
しかし何処にもネタは見つからなかったし、船の内部を探索していたマグロ寿司も首を振った。
「おい岡田! ネタが一つもねえじゃねえか!」
機関部に乗り込んだ忠七朗が、無線機に向かって叫ぶ。
『その通り。ネタはまだ無い。これから海へ出る。後ろをついてこい』
返答はそれだけで、無線はぶちっと嫌な音を立てて切断された。
「ちっ、何を考えてるんだ野郎。しかし〈握り手〉の握り勝負では卑怯な真似は一切許されない。ここは奴の言うとおり、着いていくほかないようだ」
「この間の〈影の岡田〉さんも寿司勝負にしておけばあんな目に遭わなくてすんだのですね……」
「お師匠様、操舵は任せました」
「オゥッ!」
胸をどんと叩いた師匠は、三春の予想に反して見事な操縦を行い、一切の乱れ無く〈海の岡田〉の船と同じ航路をぴったりとつけていった。
さわやかな秋晴れで、海はとても穏やかであった。
そんな良い日和の中、船は一時間ほど沖へ向けてゆっくりと航行した。