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寿司屋忠七郎  作者: あゆつぼ
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寿司五貫目 シメサバの赤身


 失ってしまったものが戻ってくることはないとしたら、残されたものたちはどうしたら良いのだろう。


 そんな思いにさいなまれ、忠七朗は今日も悩んでいた。


「大将、中古でないかどうか今度探してみますよ。だからそんな風に落ち込んでいないでください。営業中ですよ」


 店内のど真ん中で膝を抱え丸くなっていた忠七朗は三春の言葉に小さく相づちを打つばかりであった。


「――オォッ」


 隣で同じように膝を抱え込んでいた師匠が喉を鳴らす。

 その瞳は泣き疲れ真っ赤に腫れていた。


「今買いに行ってくれないとヤダ」


 そんな様子の師匠を思い、忠七朗が三春に懇願する。

 四〇を越えた男性とは思えない、全くもって子供っぽい態度だが、そんなの忠七朗にとっては朝飯前。三春を騙すための演技などチョロいものだ。少なくとも本人はそう思っていた。


「そう言われてもですね、そもそも通常の販売はもうされていないのです。買うとなれば中古品を手に入れるほか無いのですが、それが何処で扱われているのかが分からないのです」


 なだめたが、忠七朗も師匠も膝を抱えたままであった。


「行ってあげたいのですけれど、お客さんもいますしここを離れるわけにはいかないのです。大将がお寿司を握ってくれると言うのなら話は別ですが……」

「本当か!? 寿司握ったら買いに行ってくれるのか!?」

「え、いやそれはもう、大将がきちんとお寿司を握って接客をしてくれるというのであれば、私は買い出しに出られますよ」

「言ったな! 寿司握ったら買ってきてくれるんだな! スーファミのACアダプター!」

「ちゃんと接客もしたら、ですよ。手に入る保証はありませんけれど、原付で行ける範囲のお店でしたら探しに行きますよ」


 三春の提案に、忠七朗と師匠は目を輝かせる。


「それにしても、それほどに大事なものでしたら、もっと大切に扱うべきだったのではないでしょうか?」

「仕方ないだろう! ファミコンとスーファミとメガドラとメガCDとスーパー32XとPCエンジンのコンセントを同時にさすことは出来ん! いつか抜き差ししなければならないときが来る。それが何度も続けば経年劣化で断線もする!」


「分かりましたよ。大将は悪くないです。それで、本当にお店は任せて良いんですかね?」

「任せろ! 寿司とゲロの区別もつかねえゴミ人間どもに寿司を握ってやるというのは正直癪だが、スーファミが再び動くのならばその屈辱にも耐えようじゃねえか!」


 忠七朗の台詞を聞いて訪れていた客は顔をしかめていたが、それでも忠七朗と師匠が店のど真ん中でふさぎ込んでいたにもかかわらず席に座った客だけあって、その程度のことで退出したりはしなかった。


 実のところ彼らは三春の握る寿司が目的で来店していたのだが、それでも普段ほとんど寿司を握らない忠七朗の〈握り手〉としての能力には興味があったのだ。


「少しだけ様子を見てから出かけますね」


 三春は調理場を忠七朗に譲るも、後ろでその様子を傍観し始めた。


「俺がまともに仕事をしない様な男だと思っているのか」


 ぎろりと殺意のこもった忠七朗の視線が三春に向けられた。


「いえ、私も少しばかり、大将がどんなお寿司を握るのか見ておきたいのです。駄目でしょうか?」

「そういうことか。確かにここ一年ほど握ってなかったからな」

(あ、この人一年もお寿司握ってなかったんだ……)


 もしかしたらこの人は本当にただの駄目人間なのかも知れないという良からぬ考えが一瞬頭をよぎったが、三春はなんとかそれを口にも表情にも出さずにこらえた。


「だが安心しろ。一年やそこらじゃ、命をかけて会得した〈握り手〉の極意を忘れたりはしねえ。ほら、注文してみろ! 今日だけはこの俺が寿司を握ってやる!!」


 カウンター席に座っていた客たちは皆目配せし、誰も注文できずにいた。

 譲り合っているのでも、遠慮しているのでもない。ただただ忠七朗の気に障るような注文をしてしまったらどうなってしまうのかと恐怖していたのだ。


「ではしめさばを」


 そんな客たちの心情を読み取り、三春が忠七朗に注文を出した。


「いいだろう。だが料金はきちんとバイト代から引いておくからな!」

「え、大将、私がいくらバイト代を戴いているのか把握しているのですか?」


 実際の所『花勝見』の切り盛りをしているのは三春であった。三春は自分の働いた分をその日の売り上げから回収していたので、忠七朗はその辺り一切関与していないのだ。ちなみに現在登記上の店主の名前も雪村三春となっている。


「細けえ事はいいんだよ。しめさばを握れば良いんだろう」


 言って、忠七朗は目の前のケースに入ったしめさばを一切れ手に取った。

 その表面の具合を真剣な眼差しで観察し、その手触りを確認する。


「大将、手洗いました?」

「洗わなくたって綺麗だから問題ない」


 さっきふてくされながらもトイレいってたよな、と思い返し少しばかり気分の悪くなった三春だが、それでも持ち前の元気で表情を曇らせることはなかった。


「しかしこの切り身。ずいぶん鮮度が落ちてやがるな」

「しめさばですから、しめてますし」

「ばっ、ばっきゃろーそんなことは言われなくたって分かってんだよ俺が言いたいのは――ま、言ってもわからんだろうな」

「そうですね。たぶん分からないと思います」


 三春の言葉に満足した忠七朗は、手のひら一杯にシャリをのせた。

 握りにしては多すぎるその量に、三春だけではなくカウンター席の客たちもこいつは大丈夫かと思い始める。


「こっからが〈握り手〉の妙技よ。しかと見ておけ!!」


 皆の視線が集まる中、忠七朗は左手の手のひらにのせたシャリと、右の手のひらにのせたしめさばを目の前で勢いよく合体させた。


 そのまま振り上げた手を思いっきり振り、シャリ側を下にして手のひらと手のひらで強引にシャリとネタを押しつぶす。

 あまりにも常軌を逸する握りに、三春と客は目を見張った。

 だが忠七朗はそんなことお構いなしとばかりに、更に力を入れて両手を重ね合わせる。


「はあああああああああ!!!!!」


 忠七朗は臍下丹田から強く低い声をはき出し、力の限り寿司を握る!

 そしてついに、忠七朗からエーテル寿司エネルギーが噴出し、両手で握ったシャリとネタを煌々とした黒い光が包み込んだ!


「これが――〈握り手〉の握り……」


 ついに忠七朗の真の実力を目の当たりにし、三春は言葉を失った。

 あまりにも目茶苦茶で、とても寿司を握っているようには見えない。

 それでもその高まるエーテル寿司エネルギーの渦は紛れもなく本物で、ほんの数十センチ離れた場所で、常人の思考を越えた寿司が出来上がりつつある。


「うおおおおおおおおおお!!!!」


 一段と濃いエーテル寿司エネルギーがあふれ出し忠七朗の周りの空間にゆがみが発生したかと思うと、忠七朗は両手で握り込んだそれを天高く突き上げ、寿司下駄の上にどんっと振り下ろした。


 置かれた物体はしばらくは漆黒のエーテル寿司エネルギーをまといその正体をつかむことは出来なかったが、やがて煙が晴れるようにエネルギーが空気中に散っていくとその姿がようやく見えてきた。


 客と三春が顔を寄せ、その物体に注目する。


 紛れもなくそれは、完成した握り寿司であった。


「ま、ま、ま――――」

「どうした三春。〈握り手〉の実力に声も出ねえか」


「マグロ寿司だあああああああ!!!!」


 何と寿司下駄の上に載っていたのはマグロの寿司であった!


 キラリと光る赤身のそいつは、どこからどう見てもしめさばには似ても似つかなかった。しかも三春はこんなマグロを仕入れた覚えはなかったのだ。


「おっと、本当だ。しばらく握ってなかった分、エーテル寿司エネルギーが溢れていたせいかもしれないな」

「スシのテンセイナド、ヨクアルコト。ワタシもヨク、スシをニギッタハズがオムスビにナッテマシタ」

「それはただの握り間違いだと思います。それにしても、このマグロ、本物――」


『汚え手で触るんじゃねえ、アマ』


 寿司をつまんだ三春だが、その声に思わず寿司を落とした。


『おいおい、なーにしやがんでい! てめぇ寿司の扱い方も知らねえのかよ!! とんだ芋女ときたもんだぜ、全くよーう』


 三春は忠七朗と師匠の顔へと視線を向ける。

 今の声の発信源はそのどちらでもなかった。


 続いて客の顔を順々に眺めていくが、全員がぽかんと半分口を開け、まるくなった瞳でその目の前のマグロ寿司を見つめていた。


「あ、あの、大将? お寿司が喋ったりとか、ありえないですよね? ね?」


 恐る恐る尋ねるが、返答は三春の期待していたものとは正反対のものであった。


「今ほどのエーテル寿司エネルギーなら、寿司が喋ってもおかしくねえだろ」

「ジョーシキデースネィッフゥ!!」

『寿司が喋ったらいけねえってのかおいぃ!? 寿司人権団体に訴えて出ても良いんだぞこのアマー!』


 独特の口調の中年男性っぽい声でまくし立てるマグロ寿司に、三春は思わず頭を押さえた。


「命を戴いて食料にするのが寿司職人。命を戴いた食材に、新しい命を吹き込むのが〈握り手〉だ。前々から繰り返し言ってきたこったろう」

「いや初めてききましたよ、その今し方ねじ込んだ感じの都合の良い設定」


「ま、所詮は一般人のお前にゃ分からねえだろうな」

『全くだな。それより親父ぃ! 喉が渇いたぞ、あがりをくれぃ』

「ちっ、手間のかかる寿司だな」

「誰が握った寿司ですか誰が!」


 それでも律儀に三春はあがりを準備し、震える手で寿司下駄の近くへ湯飲みを置いた。

 これでいいのかと自問自答する三春の前で、マグロ寿司は湯飲みの元まで移動すると、器用にその体を曲げてあがりを飲み始めた。


 どこから鳴っているのか分からないが、お茶をすするずずーっという音がしんとした店内に響く。


「の、飲んでる……なんですか大将、これ」

「だからマグロ寿司だっつってんだろ。元はと言えばお前の注文だったな。食べて良いぞ」

「遠慮しておきます」


 きっぱりと三春は断った。

 こんな得体の知れないものを口に運んでしまうほど、三春は常識離れしてはいなかった。


「じゃあどうすっか……食べたいやついるか?」


 忠七朗の視線を受けた客は全員、首を横に振った。


『おいおい、親父、縁起でもねえこといわないでくれよーう。こうして授かった命。この身が滅びるまで親父に尽くすからよーう』

「ふん、お前ならそう言ってくれると思ったぜ! よろしく頼むぞ、マグロ寿司!」

『こちらこそ頼むぜーい、親父ぃ!』


 そういって固い絆を確かめた忠七朗とマグロ寿司は、強く強く、がっしりと互いの手を握り合った。


「手が生えてるううううう!!」


 手のひらサイズのお寿司には似合わない筋肉質な手がその側面から生えだしているのを見て、三春はいよいよ自分が幻覚を見ているのではないかと疑ってしまう。


「うるさいぞ、三春。さっさとスーファミのACアダプター探してこい」

「え、ええ!? こんな状態の大将に営業が可能なのですか!?」

「溜まってたエーテル寿司エネルギーはほとんど出し尽くしたし、もうこんなこた起こりゃしねえよ」


 忠七朗は心配するなとシャリをハンバーグのごとく両手でキャッチボールするように投げ合っていたが、三春の不安は拭いきれなかった。


「ほ、本当でしょうね……」

『親父ぃ、大トロひとつ頼む。さび抜きで』

「共食――もう……もう突っ込みませんからね。私は買い出しに行ってきます!」


 逃げるように調理場を離れ三春専用の更衣室へと向かうその背中へ客たちは頼むから行かないでくれと懇願する視線を向けたが、三春は視線に気づきながらも引き返すことはなかった。

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