寿司三貫目 お料理対決! 発動〈影〉の能力!
「凄い人ですね」
〈影の岡田〉の指定した地区のイベント会場は黒山の人だかりであった。
周りを囲む大勢の人間は世にも珍しい〈握り手〉同士の対決を一目見ようと足を運んだ、選りすぐりの暇人どもだ。
そんな観客たちの視線を特設会場で受ける三春は思わず身震いした。
「こんなたくさんの人に見られるなんて、久しぶりです」
「びびってんじゃねえぞ三春。決戦の場である以上、何が起こってもおかしくねえ。気を抜いたら殺されるぞ」
「そ、そうなんですか!? お料理対決ですよね?」
「ホーオゥ! ホッホゥ、オウッ! オウッオウッ、オッ、オゥ!」
忠七朗の元に駆けつけた師匠は、用意した食材と道具の搬入が無事完了したことを身振り手振りで忠七朗に伝えた。
「そこまでして伝えたいなら喋ったら良いのでは?」
「失礼なことを言うな。お師匠様は考えがあってこうしておられるのだ」
「そうだったのですか」
三春には永遠に理解出来ないであろう考えであったが、師匠は忠七朗のその言葉に自慢げで、ほんのりと頬を染めた。
そんなやりとりをしていると、向かい側の入り口が開き特設会場に新たな人物が登場した。
コック帽を被った長身で細身の料理人姿のその男は紛れもなく〈影の岡田〉であった。
新たな〈握り手〉の登場に会場が沸き、一部の席からは黄色い歓声が飛ぶ。
その席はわざわざ〈影の岡田〉の地元から彼の対決の応援をするためにここまで飛んできた地元ファンの固まった場所である。
ちなみに忠七朗には地元ファンなどは存在しない。一人もいない。完全にゼロだ。
「お招きいただきありがとうございます。ミスター忠七朗」
忠七朗は〈影の岡田〉の差し出した右手を一瞥し答えた。
「生憎そんな文化はない。俺が握るのは寿司だけだ」
「流石、噂道理の堅物職人――いえ、〈握り手〉ですね。まあいいでしょう。それで、そちらのお二方は?」
〈影の岡田〉は忠七朗の言葉に腹を立てた様子を少しも見せず、落ち着いた紳士的な態度でその場に居合わせた三春と師匠を視線で示して尋ねた。
「貴様の手紙には人数に制限があるとは書かれていなかった」
「確かに書きませんでしたが、決闘といったら一対一なのではないでしょうか」
「これが俺のやりかただ。何か文句があるのか?」
「いえ、文句があるわけでないのです。ただ変わった二人がいらしたので気になったと言うだけのことです。それでは、健闘を祈ります、っと、握手はしないのでしたね」
差し出そうとした手を引っ込めて、〈影の岡田〉は向かいに用意された調理スペースへと歩いて行った。
「気持ち悪い野郎だ。ひょろひょろのオカマもやし野郎め」
「確かに、ちょっと変な雰囲気ですよね」
「言葉遣いが三春に似てるのが更に腹立たしい」
「ウザッタイシャベリカタデスヨネーッ!」
「お師匠さんだけには言われたくなかったですね……」
三春はキチキチと笑う師匠の存在に内心辟易していたが、それでも忠七朗の師匠だからと諦め、無視に努めた。
〈影の岡田〉が食材の搬入を終えると、会場の照明が一斉に切り替わり、二つの調理場が並んだ特設会場を明るく照らした。
ざわめいていた観客たちは静まりかえり、特設会場の中でも特段明るく照らされた司会者席に注目する。
『皆様、長らくお待たせしました! これより世にも珍しい世界にたった二五六人しかいないとされる〈握り手〉同士の料理対決を開催します!!!』
「〈握り手〉を見世物にしやがって」
スピーカーから会場全体に響き渡る司会者の声に会場はどっと沸き返ったが、忠七朗は気に食わんと顔をしかめその司会者を睨み付ける。
『実況はこの私、岡田和夫がつとめさせていただきます! それではまず審査員の先生方の紹介をいたしましょう!』
実況が審査員席に座る面々の名前を読み上げる。
日本料理の会会長と寿司文化振興委員会副理事に続いて市長の名が呼ばれ、市長が挨拶を終えると続いて対戦者の紹介となった。
『ではこのたびの料理対決の主役を紹介しましょう!』
パッとライトが切り替わり、二つの調理場がライトアップされる。
あまりのまぶしさに三春は思わず目を半分閉じ、師匠は思いのままにその場でぴちぴちと鮮魚の物まねを始めた。
『赤コーナー! 三重県より来ました寿司屋『岡田』の店主〈影の岡田〉!!!』
「全力を出し切ります。どうぞご声援の程よろしくお願いします!!」
〈影の岡田〉がはにかんだ笑みを浮かべ挨拶すると、会場を歓声が包んだ。地元から駆けつけたファンだけではなく、こちらの地元の人間まで声を上げている。
『続いて青コーナー! 地元の星、寿司屋『花勝見』店主。新生〈握り手〉の松波忠七朗!!!』
「皆殺しにしてやる!!!」
忠七朗の挨拶に、会場のほんの一部だけがおかしな声を上げたが、そのほか良識のある人たちはしんと静まりかえった。
「大将、大変です! 会場の皆さんが引いています!」
「るせえ、ピーピー言われたってやかましいだけなんだよ。それより、何故こっちが挑戦者コーナーなんだ、説明しろ」
「そういえばそうですよね。深い意味は無いと思いますが……」
「チューシチはジツリョクはトモカク――オゥッ!」
話の途中で師匠は体を痙攣させたかと思うと、人語を忘れたらしくいつものように魚っぽい笑顔で声とも言えぬ声を上げた。
「確かに、〈握り手〉になったのはつい最近だが……」
「私がバイトを始める少し前でしたよね」
一年と少しという、入れ替わりの少ない〈握り手〉としては相当若い世代であった――実際の年齢はともかく……。
「ちっ。気に食わんがまあいい。完膚なきまでに奴をたたきつぶして、どちらが格上か教えてやる」
ぶつくさ言いながら悪い笑みを浮かべる忠七朗とは裏腹に、相変わらず〈影の岡田〉は”影”を感じさせぬ笑顔を振りまいて、周りの声援に応えていた。
「なんだか人気があるのも納得してしまいそうです……」
『勝負はお料理対決。制限時間一時間の間に作っていただいた料理を審査員の先生方に採点して戴き、その平均点で勝敗を決めます』
「多数決ではなくて点数制なのですね」
「どっちにしろやることはかわらねえ。三春、お前は端っこで適当に料理してろ」
「適当ですね! 分かりました!」
邪魔にならないよう調理場の端へとよった三春は、近場にあった食材の山を見て何を作ろうか思案する。
「と言ったものの、私が料理に参加していいのでしょうか?」
『それでは勝負開始です! レッツッ、クッキィン!!!』
三春の小さな声は実況の声につぶされ誰にもきかれることはなかった。
勝負開始の合図を受け、会場の視線を集める中、忠七朗はまず大型の魚を捌く際に用いる包丁を手にした。
「おおっと手が滑ったあああああああ!!」
魚を捌くのかと思いきや、手にした包丁をそのままぶん投げた。
ザンッ――
この包丁は長年忠七朗が愛用している物だ。
使い慣れたそれは使用者の意思通りに軌道を描き、まさに料理を始めようとしていた対戦者〈影の岡田〉の脳天に突き刺さった!
『おーっと青コーナー寿司屋『花勝見』の松波忠七朗選手、いきなりのラフプレーです!! 対する寿司屋『岡田』の〈影の岡田〉選手! 脳天に包丁が突き刺さってきます! これは死んだかっ!?』
脳天に包丁の刺さった〈影の岡田〉は体をぴくぴくと小刻みに痙攣させ、額からは血を噴水のように盛大に飛び散らしていた。
「た、大将!? いきなり何を!?」
「ハッハッハ! ルール無用の料理対決ならば、俺が料理するのは対戦相手のみよ!」
忠七朗は勝ちを確信し豪快に笑い声を上げた。
師匠も小刻みに赤貝っぽい鳴き声を上げて忠七朗の見事な投擲技術を賞賛している。
「フフフ、流石は〈握り手〉界の新星。思い切ったことをします」
ざわめいていた会場に、〈影の岡田〉の抑揚のない落ち着いた声が響き、辺りは静寂に包まれた。
「馬鹿な!? あれを受けて生きているだと!?」
しかし現実に、目の前の〈影の岡田〉の脳天には包丁が突き刺さっており、真っ赤な鮮血を絶賛噴出中である。どぴゅーっと。
「フフ、私の出身は三重の伊賀だと知らなかったのですか」
「三重の伊賀っ――まさか、貴様――」
忠七朗は驚愕する。
「そう、その通り。私は伊賀流忍者。だからこそ私の二つ名は”影”。敵を翻弄させる忍術の使い手。それが〈影の岡田〉の正体ですよ」
「忍者……だと……。つまりさっきの包丁が刺さった方は……」
目の前で血を噴出しているそれを凝視する忠七朗。
その影から、血を噴出させ即死かと思われたそれとそっくりな男――本物の〈影の岡田〉が現れた。
「そう、これこそ忍術! 双子の術だ!!」
「に、兄さん……」
盛大に血を噴出していた〈影の岡田〉の双子の弟は、支えを失うとそれだけ呟いて絶命し、その場に倒れ込んだ。