寿司二貫目 新たなる敵! 充実のサイドメニュー!
寿司ダイニング岡田の襲撃事件からしばらく時は経ち、一軒の寿司屋が人知れず店をたたんだ以外はこれと言って変わったことはないのどかな週末。
給料日直後の週末のため、日頃客足の少ない寿司屋『花勝見』にもサラリーマンの三人組と家族客が来店していた。
「はい! 中トロ三貫おまちどおさま!」
握り終わった中トロの寿司下駄を目の前のサラリーマンへと提供すると、すぐさま家族客用の白身三種盛りを握り始める。
「いらっしゃいませー!」
そんな折、のれんをくぐり新たな客が入ってきた。
「一名様ですか? あ、お連れの方が来るのですね。お好きなお席へどうぞ」
一人やってきた男性客は少し迷ったがカウンターへと腰をかけた。
これでカウンターはほぼ一杯。空いているのは六人掛けの座席のみ。
もしかしたら三春が『花勝見』で働くようになって以来初の満席となるかも知れなかった。
「すいませーん! 大将! お客様多いので少し手伝っていただけませんか?」
調理場の裏手にある和室で、忠七朗と師匠はテレビゲームにいそしんでいた。
「悪い三春。今ちょっと手が離せない」
「オッオゥ!」
二人の眼差しは真剣そのもので、師弟の間柄であろうともゲームはガチなのだと三春に理解させるには十分であった。
「それでも少し手が足りないのです。握りを手伝っていただけないでしょうか」
「そこで竜巻旋風脚使うのかっ!?」
重ねて頼んだが忠七朗は既に三春の言葉になど耳を貸していなかった。
仕方なしに調理場に戻り、やってきた女性客を笑顔で迎える。
「お嬢ちゃん、真アジとサンマ頼むよ」
「かしこまりました!」
「中トロ二つお願いしまーす」
「かしこまりました!」
「すいません追加で青柳」
「かしこまりました!」
「こっちに中トロと玉子とツブ貝よろしく」
「すいませんツブ貝はネタを切らしてしまいまして」
「そっか……それじゃあホタテで」
「かしこまりましたー!」
元気よく返事をし、注文順に次々と寿司を握っていく。
忙しくても心を乱さず、目の前のシャリとネタに集中する。
常に笑顔を絶やさず、カウンター席のサラリーマンの愚痴に相づちを打ちながら着々と仕事をこなしていった。
三春の寿司を握る技術は、すでに職人と称されるまでに至っていたのだ。
「ありがとうございましたー!。是非またお越しくださいね」
三春は最後の客を姿が見えなくなるまで店の外で見送ってから、のれんを下ろして店の中へと運んだ。
「今日は営業終了です!」
「またもや引き分けか」
「オオゥ! オオゥ!」
営業終了を告げられた忠七朗と師匠は、コントローラーをようやく手放し、紙に書かれた正の字の数が等しいことを確認して互いの健闘を称え合った。
「で、三春、夕飯は」
「すぐ出ますよー。お寿司ですけど」
「良いんだ寿司で。困ったときはな、寿司を食べておけばだいたい何とかなる」
残ったネタで握った寿司を盛った大皿がちゃぶ台の上に置かれると、忠七朗と師匠はすぐさまそれに手を伸ばし口へと運んだ。
三春も座布団を引いて腰を下ろすと、手を合わせていただきますと呟いてから自分の握った寿司を食べ始める。
いつも寿司では飽きるので家に帰ってから食べることの多い三春であったが、この日は営業が遅くまで長引いたこともあって忠七朗たちと食卓を共にした。
「三春のくせにだいぶ腕を上げたな」
「お褒めいただいて嬉しい限りです!」
嫌味ともとれる言葉であったが、三春は素直に受け入れ喜んだ。
「ま、でもそれは所詮、腹を満たすにはってことだがな」
「ええと、どういうことでしょう?」
「寿司職人と〈握り手〉の、最も大きな違いはなあ、腹を満たすか、心を満たすかだ」
「心を……ですか」
「そうだ。〈握り手〉の握った寿司ってのはな、食べた人間の心を満たす。そういう寿司なんだ。まあ三春には関係の無い話だろうがな」
「そんなことはありません。とても参考になります。いつも大将には教えていただくばかりですね。本当にありがとうございます」
熱い茶をすすりながら饒舌に語った忠七朗に、三春は重ねて礼を述べた。
「〈握り手〉として当然のことをしたまでだ」
「大将は優しいのですね。でも折角そんな素晴らしいお寿司を握る能力があるのでしたら、お客様にも握って差し上げたら良いのではないでしょうか」
「ばっきゃろう!」
三春の言葉に忠七朗はご飯粒を飛ばしながら怒鳴り声を上げた。
「あんな寿司の味の分からねえ奴らに握ってやる寿司はねえ!」
「そうでした! 出過ぎたことを言ってしまって申し訳ありません」
「ふん、わかりゃいいんだ。わかりゃあ」
忠七朗はそれでも小声でぶつくさ悪態をついていたが、それでも怒りを静め、次の寿司を口に運んだ頃には怒ったことすら忘れてしまっていた。
「……でしたら、サイドメニューとかを手伝っていただいたりは……駄目、ですよね」
三春は忠七朗の顔色を覗いながら頼み事をしようとしたが、結局諦めた。
見るからに忠七朗の表情が拒否を示していたからだ。
「『花勝見』は寿司屋だぞ。寿司に手を抜いて、サイドメニューなんぞ始めるなんて言語道断だ! なあ、お師匠様!」
「……」
「お師匠様?」
無言で返した師匠の俯いた顔を忠七朗はのぞき込んだ。
その眼前に、師匠が机の下にたまっていたチラシの一番上に乗っていたものを突き出す。
「……寿司屋『岡田』充実のサイドメニューでお客様をお待ちしています……だと」
三春も気になって横から忠七朗の手にしたチラシをのぞき込む。
そこにはポップなデザインをした、オムレツや焼きそば、プリンやチョコレートケーキなど様々なサイドメニューの写真が飾られていた。
とても寿司屋のチラシとは思えない、明るい印象のチラシだ。
「わあ! 良いですね! プリンでしたら卵で作れますし、うちでもやりましょうよ!」
「ふっざけんじゃねえ!」
怒鳴って立ち上がった忠七朗は、手にしていたチラシを破り捨てた。
「これがっ! これが『ツキヂ』のやり方か! あの野郎ども、寿司の味では勝てないからと言ってこんな子供だましのサイドメニューなど!」
「え、えーっと、さっきのお店って『ツキヂ』の関係者だったのですか?」
「決まってる! こんな寿司文化を冒涜したやり口はあいつ等に違いない! だいたい寿司屋で焼きそばっておかしいだろ! どうやって調理する気だ! 寿司屋で鉄板焼きする気か!」
「確かに、寿司屋に焼きそばはかなりのミスマッチですね……」
カウンターで祭りの屋台よろしく焼きそばを調理しながら軽快に寿司を握る姿を想像して、これはないなと三春も思い始めた。
「寿司屋のデザートはガリのみで十分だ。それ以外のデザートを提供する奴を俺は絶対に許さない」
「ガリはデザートだったのですね! 勉強になります!」
低く唸るように声を発した忠七朗の言葉を、三春は丁寧にメモ帳に書き留めた。『ガリはデザート』。三春の常識が打ち破られる、すさまじい言葉であった。
「オッ、オオウ!」
師匠が破られたチラシの一欠片を拾い上げ、死にたての鮮魚のような初々しい瞳で忠七朗の顔を見上げると、察した忠七朗はそのチラシを手に取った。
「これは……やはり奴の仕業か……。岡田の野郎……」
「あれれ。岡田さんならこの間こてんぱんにして店じまいさせましたよね――」
不用意な発言をした三春の目の前にチラシの切れ端が突きつけられる。
三春は驚いて一歩下がりながらも、メガネを持ち上げてそのチラシの内容を目で追った。
「えーっと、『店主は世界に二五六人しかいない〈握り手〉の一人。〈影の岡田〉と呼ばれ、影のように変幻自在のサイドメニューを提供する』……ということは」
「ああ、この間の〈灼熱の岡田〉とは別人だ」
「偶然名字が被ってしまったのですね」
「岡田なんて珍しくもない名字だからな」
それにしては顔写真が似ていたような、と三春は考えたが、忠七朗が別人と言うからには別人なのだろうと納得することにした。
「これは決着を付けなければならないだろうな」
「そうですよね。そういう流れになるのではないかと内心思っていました」
「早速殴り込み――といきたいが、夜も遅いし行きはともかく帰りの電車がなくなっちまうからな! 明日の朝一で挑戦状を叩きつけ、向こうをこっちに呼び寄つけてやるぜ!」
「この間電車代が足りなくて困りましたもんね――あ、そういえば大将。まだあの時お貸しした五〇〇円を返していただいていませ――」
「この戦いは絶対に負けられない! サイドメニューなどという悪しき文化を由緒正しき寿司屋に持ち込むとは言語道断だ! 寿司文化を破壊しようという奴の野望は、必ず粉砕してやる!」
「オーッウ!」
右手を突き上げ忠七朗が勢いの良い声を発すると、師匠もそれに習い右腕を突き上げた。
そんな二人の中年の視線が三春に向いて、三春は黙っているわけにも行かず、右腕を突き上げた。
「おー!」
電車代はその日、三春がレジから回収することで無事に支払われた。
数日が経ち、〈影の岡田〉こと寿司屋『岡田』の店主から返事が『花勝見』に届いた。
忠七朗の出した手紙は手紙と言うより果たし状で、内容も酷く乱暴なものであったにもかかわらず、丁寧に可愛いらしい便せんを用いて返事を出してくる辺り、〈影の岡田〉はただ者ではないのではないかと三春は感じた。
「受けて立つみたいですね。来週こちらに来るそうです」
「逃げ出さずに向かってくるとは、肝の据わった野郎だぜ」
忠七朗は三春から手紙を受け取り一瞥すると、そう吐き捨てた。
「この日のために昼夜を問わずお師匠様とゲームに明け暮れた。岡田の奴など六〇フレーム以内にボコボコにしてやるぜ!」
「あれれ? 対決内容はゲームなのですか?」
寿司文化のために戦うのでは? と小声で付け足した三春に対し、忠七朗は胸を張って答える。
「何で勝負するかなど決めていなかったからな。こちらの有利な土俵で戦い、そして勝つ! これが必勝法だ!」
「流石です大将! そこまで考えていたのですね!」
「ったりめえだ。この俺がただ考えもなくゲームをしていたと思ったら大間違いだ!」
「オッホゥ! オウッオウッ!」
にやりと悪い笑みを浮かべ、既に勝利の余韻に浸っていた忠七朗の持つ手紙を指し示し、師匠が剥ぎたてのカワハギのような可愛らしい声を上げた。
「何です、お師匠様――な、なんだと!」
忠七朗は手紙の裏を見ると、驚愕して目を見開いた。
「何が書いてあったのでしょう」
三春は首をひねって忠七朗の手にした手紙をのぞき込む。
「えーっと、対決内容はお料理対決。審判は公正を期して日本料理の会会長と、寿司文化振興委員会の副理事と市長の三人とする……ですか。一応審判は『ツキヂ』の外部から選んでいますね。偏りもないですしこれは公正と言ってもいいのではないでしょうか?」
「そういうこと言ってんじゃねえ!」
忠七朗の怒鳴り声に、三春は思わず頭を下げて謝った。
「対決種目を勝手に決めてくるだなんて、何て狡猾な奴だ……。〈影の岡田〉が、ここまで卑怯な手段に出てくるとは思いもしなかったぜ」
うなだれて、お手上げだと両手を挙げる忠七朗に、三春は声をかける。
「でもでも、お料理対決なら分からないですよ! お寿司だってお料理ですし!」
「――寿司は料理じゃねえ! 寿司は〈握り〉だ!」
「え? え、えーっと……」
思いもしない発言に三春は困惑した。それでも持ち前の元気でなんとか脳内処理を施し、自分の納得できる形にして飲み込んだ。
「そうですね! お料理と握りは違いますよね! 私が作っているのがお料理のお寿司で、大将のような〈握り手〉さんが作るのが握りなんですよね!」
「分かってるじゃねえか」
三春の回答に忠七朗は頷いた。
〈握り手〉にとって寿司とは握りそのものであり、芸術品。そんじゃそこいらの寿司職人風情が握る、お料理の寿司とはそもそも格が違うのだ。
「と、なると〈影の岡田〉さんも〈握り手〉ですからお寿司は握ってこないということなのでしょうか」
「恐らくそうなるだろうな」
忠七朗は無精ひげの生えたあごに手を当て、深く考え始めた。
相手はサイドメニュー作りの達人。
それと寿司なしで料理対決をして、勝たなければならない。
負けてしまったら、これまで日本人が守り通してきた寿司文化が『ツキヂ』によって跡形もなく破壊され尽くされてしまうのだ。
〈影の岡田〉が勝ったら、『ツキヂ』はきっと「プリンは寿司!」と大声でふれて回るだろう。そんなことになっては寿司の存在そのものが破壊されてしまう。
そんな未来を変えられるのは世界にただ一人、忠七朗だけなのだ。
その両肩に、寿司文化の全てがかかっていた。
「オッ!」
師匠がそっと、忠七朗の肩に手を乗せる。
「お師匠様! お力を貸してくださるんですか!」
「オウっ!」
師匠はその瞳に回遊中のクロマグロの稚魚のような熱い闘志をたたえて頷いた。
「分かりましたお師匠様! 俺、絶対に諦めません! どんな逆境に遭っても諦めず、必ず勝利をつかんで見せます!」
熱く抱擁する二人のおっさんを見つめ、三春もこれは負けられない戦いなのだとようやく認識した。
「大将なら絶対勝てますよ! 私、大将のお料理の腕がその〈影の岡田〉さんに負けてるとは思えません!」
「へへっ! 嬉しいことを言ってくれるぜ」
細めた目をほんのり潤せた忠七朗であったが、すぐに涙を拭き去り、勝利するための戦術を考え始める。
「この手紙には人数に制限があるとは書いてない。お師匠様が一緒に戦っても問題ないと言うことだ」
「オウッ!」
任せろとばかりに、師匠はメガドライブのコントローラーで胸を叩いた。
「私も微力ながらお手伝いします! 握りは無理でも、お料理なら自信がありますよ!」
「そうと決まれば準備だ。三春はいつも通り店を頼む。普段通りにして、こちらが準備を整えていることを相手に察しさせるな」
「分かりました!」
びしっと敬礼を決めた三春はすぐさま調理場へ向かい、いつも通りにネタの仕込みを始めた。
「お師匠様。この戦い、かなり危険なものとなるでしょう」
「ウム。シカシ、チューシチヨ。ココマデキタラモウ……」
「引き返せないことは分かっていますよ、お師匠様。だからこそ、勝つ準備をするのですから。では、お師匠様は例のブツを頼みます。こちらはこちらでできる限りやってみます」
「マカセタマエ」
彫りの深い瞳に慈愛の心を映して頷いた師匠は、準備のためその巨体からは想像できぬ素早さで裏口から飛び出して行った。
師匠の背中を見送り、忠七朗は一人呟く。
「〈影の岡田〉の能力が未知数である以上、最大限の準備を整えなければならない……。一歩でも間違えたら――いや、そんなことは今考えることじゃねえな」
一張羅のスーツに着替え、忠七朗は〈影の岡田〉との決戦のため買い出しに出かけた。