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寿司屋忠七郎  作者: あゆつぼ
17/18

寿司十七貫目 勝利のGを握り込め!!

 〈闇の岡田〉との戦いから一週間が経過した。

 忠七朗はその間に、弱った『ツキヂ』を倒すべく残りの十二支部長を全て血祭りに上げた!


「え、いや、回想で済ませるのでしたら最初から四天王とかにしておけば丁度良かったのでは無いですか」

「うるせえな。後から数を増やすとなるとあれこれ説明しなくちゃあいけねえが、まとめて減らす分には回想に書いときゃ良いから楽なんだ。だから最初は多めに書いておくもんなんだよ!」


「そんな根も葉もないことを……」

「〈握り手〉だって二五六人も出てくる訳ねえだろうけど、念には念を入れて多めに書いといたんだよ」

「そうだったのですか……。そんな薄汚い事を考えている暇があったら、もっと考えるべき事があったでしょうに……」

「過ぎたことだ。それより、いよいよ『ツキヂ』のボスとの一騎打ちだな」


 忠七朗は『ツキヂ』のパンフレットを取り出し、最後のページを示した。


 日本の寿司文化を更に発展させるために『ツキヂ』という寿司職人の組合を作った人物は〈ビッグボス岡田〉と呼ばれ日本中の寿司職人達から尊敬されていた。


 彼が行った活動は幅広く、寿司職人養成学校の開校、命を失った寿司を供養する寺社の建立、寿司文化を広めるため全国での無料寿司講座など多岐にわたる。

 『ツキヂ』に名を連ねる寿司職人は各種のサポートを受けることが出来、個人営業の店舗では難しい補助金の申請をはじめとする各種役所手続きを代理で行って貰うことが出来た。


 そのため多くの寿司屋が『ツキヂ』に名を連ねたのだ。

 だがそれこそ、忠七朗は気に入らなかった。


 多くの寿司屋が集まるにつれ、創作寿司とかいうお菓子感覚の寿司を並べる寿司屋が出てきたり、サイドメニューを充実させるなどと言う寿司屋とレストランを混同した輩が出てきたり、釣り船で寿司を提供するとかいう釣り船の一つのサービスごときが寿司屋を名乗ったり、あとはなんか人の客を取るような所に出店してきたりしてむかついたりと、とにかく忠七朗には『ツキヂ』のやり方が気にくわなかったのだ。


「全ての元凶はこいつ。こいつを倒し『ツキヂ』の魔の手から寿司文化を守ってみせる!」

「止めはしませんけれど、あまり周りに迷惑のかかるようなことは控えてくださいね」

「分かってら。これは寿司文化のための戦いなのだからな! そうと決まれば早速ボスに会いに行くか」

「そうですか。――って、会いに行くのですか!?」


 三春は忠七朗の言葉に驚く。

 なぜなら、会いに行くと言うことは上京すると言うことであるからだ。


「当然だ。下っ端ならともかく、今度の相手はトップだからな。そう易々と出向いてきちゃくれねだろう。それに、直接会って話した方が手っ取り早い」

「それは素晴らしい考えです! それで、いつ出発ですか!」

「今から行く!」

「今から――そうですね! 善は急げ、ですよね!」


 既に夕方。今から行っては泊まりになるだろうがそれでも三春は着いていく気であった。


「えへへ。国立博物館の仏像展を見たいと思っていたのです。あ、お菓子屋さんもチェックしないと!」

「厳しい戦いになる。着いてこなくても良いんだぞ」


 忠七朗は三春へと真剣な眼差しを向けて、そう静かに呟く。

 ――『花勝見』の財政的問題で、三春の新幹線代を捻出するのはいろいろと厳しかったからだ。


「心配にはおよびません。私も戦いには慣れてきましたし、それに大将の最後の戦いをどうしても見届けたいのです」

「お、おう」


 散々三春を連れ回していた忠七朗だけに、拒むことが出来なかった。


「それでは出発ですね!」


 上京という素晴らしい響きに誘われて、三春は先陣を切って『花勝見』を出た。


 三春がいなくなると言うことは、その間『花勝見』は営業休止ということだ。こうしてまた『花勝見』の財政事情が悪くなってゆくのであった。


 職人姿の忠七朗とセーラー服を着た三春。その後に続くのは立派なひげを蓄えたドイツ人の師匠と手足の生えた人間サイズのマグロ寿司。

 おかしな組み合わせの四人組は、駅員に冷たい視線で見られながらも無事新幹線に乗り込むことに成功し、更にマグロ寿司をお寿司サイズにすることによって切符代を一人分浮かせることにも成功した!




 東京駅から乗り換えて築地へと向かう。

 既に日は落ちていたが、東京はそれでも明るかった。


「少し冷えてきましたね。冬服で来れば良かったです」


 中間服の上にカーディガンを羽織っていた三春が身を震わせる。


『仕方ねえ奴だなまったくよーう。ほら』


 マグロ寿司が優しさから、まだ温いシャリを差し出した。


「ほら、ではないです。いりませんよ汚い」

『は、はあ!? なーに言ってくれちゃってんの!?』

「握ってから何日経過してると思っているのですか。明らかに口にしてはいけないレベルです――あれ、そういえば大将は?」


 マグロ寿司に構っている間に見失った忠七朗を、三春は辺りを見回して探した。


「アチラニイマスヨ」


 師匠が指差したのは古びた木造の居酒屋。


「飲んでいるのですか……?」

「イエ。ホラデテキマッウッ!」


 スズキのような白目をむいて師匠が指差した居酒屋の裏から、忠七朗が現れた。


「大将、一体何をしていたのです?」

「ちっとな。それよりこれから奴の店に殴り込みに行くが、覚悟は良いか?」

『あたぼうよ!』

「オッ! オッ!」

「殴り込みではなく穏便に済ませて欲しいですけれどね」

「穏便に済むかどうかは向こう次第だな」


 忠七朗はそう言って、細い路地を進む。

 歩いて数分のことで、四人は『ツキヂ』のボス〈ビッグボス岡田〉の営む寿司屋『武蔵』に辿り着いた。


 江戸時代後期から続く江戸前寿司の老舗で、伝統にこだわった店構えである。

 忠七朗は躊躇すること無くのれんをくぐり、引き戸を開けた。


「らっしゃい――同業者かい」


 初老の店主――〈ビッグボス岡田〉は忠七朗を一瞥して口にした。


「貴様が『ツキヂ』のボスか」

「ごちゃごちゃ言ってねえで座んな」


 〈ビッグボス岡田〉が視線を飛ばすと、若い職人見習いがカウンターの椅子を四つ引いた。

 他のテーブル席は一杯で、四人で座れる席は他には無かった。

 忠七朗は警戒しながらもその席に座り込む。

 それを確認した三春達も、カウンター席に座った。

 見習いがおしぼりとあがりをそれぞれの席に並べていくのを見て、三春はどうやらお客として扱ってもらえているらしいと認識した。


「注文は?」

「俺は寿司を食いに来たんじゃねえ」

「ここはオレの店だ。オレに従ってもらう。注文は?」

「――スルメだ」

「はいよ」


 〈ビッグボス岡田〉は他の客の寿司を握り終えると、スルメイカを握り始めた。


 無駄の無い洗練された動き。一朝一夕に習得できる動きでは無い。

 指先と手のひらで命を扱う様に繊細に、それでいて時に力強く、絶妙な力加減で握られたスルメイカが寿司下駄にのせられて忠七朗に提供された。


「――松波忠七朗。うちの組合の連中に辺り構わず喧嘩ふっかけて閉店に追い込んでるとか言う迷惑な野郎か」

「迷惑なのはどっちだ」


 寿司を手に取ろうとしたところで〈ビッグボス岡田〉に声をかけられ、思わず忠七朗は言い返した。


「寿司文化を守るための〈握り手〉が、創作寿司とかいうお菓子気分の寿司や、サイドメニューがメインと化したなんちゃって寿司屋を認めるとは何事だ」

「別にいいじゃねえかそんなもん」

「なんだとっ――」

「座ってろ」


 激高した忠七朗は席を立とうとしたが〈ビッグボス岡田〉に一喝され座り直した。

 忠七朗をただの一言で怯ませるほどの、相当な実力者であった。


「創作寿司、サイドメニュー、新しいサービス。やりたきゃ勝手にやりゃあいい。寿司文化のためには受け皿を広くすることも大切だ」

「伝統ある寿司がないがしろにされてもか」

「伝統なんてもん、必要なら守れば良いし、誰もがいらねえってんなら無くなったって構わねえ。文化を守るってのは過去の慣習にしがみつくことじゃねえ」

「ならば何故こんな店をやっている」


 忠七朗の指摘通り〈ビッグボス岡田〉の店は、伝統ある江戸前寿司の店構えであった。

 提供される寿司も、伝統を守り、〈ビッグボス岡田〉が先代から受け継いだ技を使って握った一品だ。


「あれこれ新しいことをやる奴がいて、それとは別に伝統を守ろうとする奴もいる。人にはそれぞれ役割ってもんがあるだろう。子供や若い女性なんかに受けの良い寿司を握る奴がいりゃあ、食通相手にしか握らねえってやつもいる。だがそれでいいんだ。それぞれが自分の範囲で出来ることをやる。

 文化なんて言ったって大したもんじゃねえ。所詮はちっせえ人間どもが勝手にやってるちっせえ行いの集まりだとか積み重ねだろうが。だからオレは自分のやるべき事をやる。他の奴らが何しようが、オレは先代から引き継いだこの店を、そっくりそのまま次の世代へと引き渡すだけだ。それがオレの役割って奴だ。分かったか?」


「役割だと――」


 忠七朗は〈ビッグボス岡田〉を睨み付けたがその程度では怯まなかった。


「そうだ、役割だ。そしてもう一つ、歴史ある店の店主として、寿司を握りてえって奴が寿司を握ることが出来る環境を整えてやるのもオレの役割だ。『ツキヂ』はそのための組合に過ぎねえ。寿司を握りてえ奴が勝手に集まって、各々がやりてえように寿司を握る。文句があるなら直接その店舗に行ってくれ。うちは余所のやり方に口出ししたりしねえ」


「放任主義って訳か」

「自由ってやつだ。悪かあねえだろう」


 眉間にしわを寄せた忠七朗は荒々しくスルメイカの握りをつかみ、口に放り込んだ。

 すると怒り狂った表情をしていた忠七朗の表情が、途端に柔らかくなった。


「なんだ、これは――」


 シャリとネタの融合。

 スルメイカの良さを最大限に引き出した、適度な歯ごたえ。そして噛むたびにほんのりとしたかすかな甘さが口の中に現れる。だがその甘さは一瞬で、されど噛むたびに少しだけ顔を出す。そんなスルメイカと組み合わされたシャリは、決してネタの歯ごたえを失わせず、ネタの甘さを引き出しながらも、その甘さをしつこくさせない。


 紛れもない命の宿った一貫に、忠七朗は言葉を失ってしまった。


「嬢ちゃん達も、そっちのマグロ寿司っぽいおっちゃんも、好きなもんを頼んでけ。わざわざ福島から来てくれた客だ。何も食わせねえで帰したとなっちゃ、店の名が泣くってもんだ」

『だ、だれがおっちゃんだ! 正真正銘のマグロ寿司だっつうんだよ! ――あ、中トロと大トロ、あとみなみまぐろの赤身ってある?』

「はいよ」

「相変わらずの共食いですね……」

『ああん何言ってくれちゃってんの。人の事マグロ扱いするのかこのアマァ!!』

「違うとしたら一体何なのですか――ええと、岡田さん、私もスルメイカを」


 忠七朗が言葉を失うほどの寿司を味わってみたい一心で、三春も同じものを注文した。


「ア、ワタシアオヤギで」


 遠慮することなく各々好きなように寿司を頼んでいく。

 三春も〈ビッグボス岡田〉の寿司を味わい、本当の〈握り手〉の実力というのを味わった。自分も寿司職人としてはいっぱしかと考えたこともあったが、寿司の世界はあまりにも深かった。〈ビッグボス岡田〉の寿司は長い年月を経て磨かれた本物の味であった。


「中トロだ」


 ついに沈黙していた忠七朗も、次のネタを注文する。


「うちの味は気に入ってくれたかい」

「ああ、気に入った。だが、それと『ツキヂ』の件は別の話だ」

「あんたも頑固者だな。そういうのは嫌いじゃねえがな」


 〈ビッグボス岡田〉は話しながらも脂ののった中トロを握る。

 赤と白のグラデーションの美しい中トロは、『武蔵』のネタの中でも最も人気のあるネタであった。

 とろりととろける食感の中で感じる赤身の甘さの中に、微かな一瞬の酸味。そんなネタをシャリと見事に調和させて提供されたら、虜になってしまうのも無理は無い。


「仕方ねえから一勝負してやってもいい。オレが勝ったら、余所にあれこれ難癖つけて回るのをやめて貰おう」

「俺が勝ったら店を畳んで貰う」

「そうかい。ただし、勝負は穏便に行わせて貰う。そうだな、寿司を大勢の人間に食べて貰って、気に入った方に投票して貰うってのはどうだ」


「一般市民に寿司の味が分かるのか」

「そりゃ傲慢って奴だ。オレたち〈握り手〉だって、所詮は一般市民よ」

「ふん、笑わせる。だがそれで良いだろう。勝負は一週間後。場所は――」

「あんたの故郷でいい。折角こっちまで出向いてくれたんだ。次はこちらから出向くのが筋ってもんだろう」

「話が早え。それじゃあ邪魔したな」


 忠七朗は中トロの握りを口にするとおもむろに立ち上がり、三春達にもさっさと席を立つように促すと勢いよく扉を開けて店を後にした。


『ま、まってくれ! あと大トロとウニとアワビとハマグリだけ食べさせてくれい!』

「オッ! オウッ!」

「ええと、お会計は……」


 三春は今し方平らげたサンマの寿司下駄を返しながら、財布をのぞき込む。


「いらねえよ。同業者からは金をとらねえ主義でね」

「そういうわけにはいきません。こんなにおいしいお寿司を食べさせて戴いたのですから」

「店主のオレがいらねえって言ってんだ。あんたも寿司職人なら言うこときいてさっさと帰りな」

「私は寿司職人では無いですけれど……そうおっしゃるのであれば今日の所はごちそうになりますが、是非今度『花勝見』に寄ってくださいね」

「どっちが店主だか分かったもんじゃねえな。じゃあな嬢ちゃん」

「はい。今日はありがとうございました!」


 三春は深く礼をしてから店を出ると、既に遠くへ歩いて行ってしまっていた忠七朗の背中を追いかける。


「大将、勝負、勝てるのですか?」

「勝てねえ勝負を受けるかよ。心配すんな、勝機はある」


 〈ビッグボス岡田〉の握りの腕は本物である。

 忠七朗とて〈握り手〉として修行を積んでいたが、それでも〈ビッグボス岡田〉の技能の間では霞んでしまう。


 しかも勝負は不特定多数の人間による投票。

 人と接するのが下手というレベルではすまないレベルの人見知りである忠七朗には、絶対的に不利な対戦であった。


「必ず勝つ。どーんと待ち構えてりゃあ良いんだ。やることもやりきったし、さっさと帰るぞ」

「あれ? 泊まりでは?」

「まだ終電間に合うだろ」


 三春は慌てて時間を確認する。

 確かに新幹線を使えば間に合ってしまう時間であった。


「あ、あの! 国立博物館が――」

「もう閉まってんだろ。さっさと帰るぞ」

『もう腹一杯だしな。ほれ、シャリがこんなにぱんぱんになっちまったよーい』

「あなた何て生物ですか……」


 絶望している状態でも、三春はマグロ寿司に突っ込むことを忘れない律儀な女子高生であった。


「トーキョークーキクサイデスシ、サッサトカエルガキチィ!?」


 多数決で三対一となり、三春は仏教展への思いを諦め帰路についた。

 それでも東京駅でお土産の洋菓子を買えたので、収穫はあったと思い込むことにした。




 ついに決戦の日がやってきた。

 『ツキヂ』のトップである〈ビッグボス岡田〉とその『ツキヂ』の十二支部長を破った忠七朗の一騎打ち。見逃せない戦いである。


 更に無料で〈握り手〉の握った寿司を食べられるときいた市民達がイベント会場に押しかけたことで、イベント会場の開設以来の人混みと化していた。


 空は青く澄んでいて、高い空に羽毛状の雲の切れ端が幾つか浮いていた。


 少しばかり肌寒い日和の中、イベント会場の中央に設営された調理台の元で忠七朗は腕を組んで〈ビッグボス岡田〉の到来を待っていた。


「なかなか来ないですね」


 傍らに立っていた三春が口にするが、忠七朗は小さく頷いただけでそれ以上何も言わなかった。


「小町さん、今日はありがとうございます。手伝いに来て頂いて」

「ううん。楽しそうだったし、配膳くらいなら私でも手伝えるからねぇ。でも良くこれだけの量を用意できたねえ」


 早朝から準備して要したシャリやネタ達が並べられた調理台を眺めて感慨深く小町が呟く。


「どれくらい人が来るのか分かりませんでしたからね。でもこの様子を見ると、まだ足りなそうです」


 イベント会場を埋め尽くした、勝負開始を待つ人々。

 その人の数たるや〈影の岡田〉との勝負の時の比では無かった。


「でもおかしいねえ。相手の人はどうやって準備するつもりなんだろう」

「あれ、確かに」


 今まで自分たちの準備で忙しかったせいで気にならなかったが、よく考えてみれば開場寸前だというのに〈ビッグボス岡田〉は姿さえ現さない。

 当然準備など全く行われていなかった。


『親父が問題ねえって言ってんだからよ、堂々と待ってりゃいいんだよ!』

「つまみ食いするのやめてください」


 こっそりシャリをつまんでいたマグロ寿司の右手を、三春がしゃもじではたいた。


『ってえなおい! 傷ついたらどうしてくれんだっつーの! お嫁に行けなくなるだろうが!』

「行くつもりあったのですか」

「オッ!」


 マグロ寿司と三春がくだらない話をしている間にも時は経ち、いよいよ開場一分前となった。


 されどまだ、〈ビッグボス岡田〉の姿は無い。


「作ってくるにしても、準備に時間かかるよねえ」

「そうですよね。どうしたのでしょう……」


 開場のカウントダウンが始められた。


 あと十秒で開場――しかし〈ビッグボス岡田〉は現れない。


 三春も、小町も、マグロ寿司も、師匠も、そして訪れた人々も、皆の視線がイベント会場のステージへと繋がる入り口を注視していた。


 だが、このイベント会場でたった一人、忠七朗だけは空を見つめていた。


 秒読みが進み、いよいよ残り一秒――。


 そして、無慈悲にもそのまま開場が告げられた。


「はっはっはっはっは! この勝負、不戦勝のようだな!!」


 勝ちを確信した忠七朗が豪快な笑い声を上げた。

 開場と共に列をなした人々がステージへとやってくるが、もちろん〈ビッグボス岡田〉は不在のため、忠七朗の握った寿司のみを食べて帰って行く。

 投票ももちろん忠七朗にのみ行われた。


「『ツキヂ』を倒した祝いだ! 今日は一般市民相手にもこの俺の腕を振るってやろう!」


 エーテル寿司エネルギーを発しながら、上機嫌の忠七朗は次から次へとやってくる市民に対して絶えることなく寿司を提供し続けた。

 



 ――開場から四時間後、勝負の終了が告げられる。


 結局〈ビッグボス岡田〉は訪れなかった。

 得票数はわざわざ確認するまでもなく、忠七朗の圧勝であった。


「完全勝利!」


 手に入れた勝利に喜ぶ忠七朗であったが、一般市民達はもちろん、三春もまるで納得いっていなかった。


「大将、もしかして岡田さんがこちらに来るのを妨害したりしていないでしょうね」

「何を馬鹿なことを。俺はただ待っていただけだ。来なかったのは奴の都合だろう」

「でも大将さんは相手の人が来ないの分かっていましたよねえ?」


 小町が尋ねると、忠七朗は自慢げに鼻を鳴らした。

「勝負は既に、あの日俺が奴の店に訪れた時点で決まっていたのさ」

「え、あの日、ですか?」


 三春は記憶をたどるが、あの日はただ勝負の約束を取り付けて、寿司を食べてすぐに帰ったはずだ。

 首をかしげる三春に対して、忠七朗は口元に悪い笑みを浮かべて尋ねた。


「寿司屋といえど結局は飲食店。その飲食店でだしちゃいけねえものは何だ」

「だしたらいけないもの? 食中毒ですか?」


 食品衛生管理の講習を受けている三春は即答する。

「まあ正解だが、まだあるだろう」

「まだ……ですか? 飲食店で出したらいけないもの――――Gとかですかね」


 目を背け三春はその隠語を口にする。


「その通り!」


 忠七朗は満面の笑みで正解を言い渡すが、三春にはそれと勝負に〈ビッグボス岡田〉が訪れなかった因果関係を察することが出来なかった。


「つまり、どういうことです?」


 尋ねた三春に、忠七朗は良くきいてくれましたとばかりに手を打って、語り始めた。


「あの日、奴の店に寄る前に、場末の居酒屋の裏であるものを拾った」

「ま、待ってください。それってつまり――」


「まあきけ。とにかくその物体は、勝負の鍵を握る大切な物だった訳だ。そして俺たちは奴の店を訪れた。店はほぼ一杯だったな。つまり、他の客が十分にいる状況だった」

「なんだか嫌な気がしてきました……」


 三春は既に大方の予想がついてしまった。


「奴の握りは絶品だった。確かに〈握り手〉としての実力は頭一つ――いや、二つは奴の方が上だっただろう。だがそれは寿司を握った場合の実力だ。ばれないように隣の客の寿司に異物を握り込む実力で言ったら、俺の方が格段に上だった。何しろ奴は、そんなことをした経験は皆無だっただろうからな!」

「そうでしょうね……」


「あとの事はどうなったか知らんが、恐らく事件になっただろう。となれば勝負どころでは無い。そもそも提供した食品の中にGが紛れ込んでいたとなれば営業停止だ。だから奴は来ることが出来なかった」

「何てことを……。よくも平気でそんなことができましたね……」

「発想の勝利って奴よ! ハッハッハ! もっと褒めて良いぞ!」


『流石親父だぜ! 勝負の勝ち方って奴をよーく心得ていやがる!』

「サスガはワタシィノデシデースネッ!」

「ハッハッハ。それ程でもないがな――いや、あるかな! あーっはっはっはっは!」


 大声で勝利の笑い声を上げる三人のおかしな連中を冷ややかな視線で見つめる三春。


「どうして私、この人達と一緒に居るのでしょう……」

「確かに変わった人たちだねえ」

「そういう問題ではないのですよ」


 こうして『ツキヂ』との長く厳しい戦いは、忠七朗の完全勝利という形で幕を閉じた。


 『ツキヂ』による寿司文化の破壊から、日本の寿司文化を守ることが出来たのだ!


 だが、忠七朗の戦いはまだまだ始まったばかり!

 世界にはもっと訳の分からない事をして寿司文化を破壊しようという謎の組織がそりゃあもうアホみたいにたくさんいるのだから!

 戦え忠七朗! 負けるな忠七朗!

 日本の寿司文化の運命は、その両腕にかかっている!!

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